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礼拝メッセージ:中通りコミュニティ・チャーチ

人格的な交わり

ルカによる福音書8章40節〜48節

(2020年5月17日)

礼拝メッセージ音声

参考資料

43節の「長血」は、出血が止まらない婦人病です。

イントロダクション

今回、イエスさまは、長血と呼ばれる病に12年間も苦しんできた女性をいやされました。この奇跡が起こった時イエスさまは、死にかけているヤイロの娘をいやすために急いでその家に向かっている途中でした。その忙しいときに、イエスさまはわざわざ立ち止まり、一人の女性のために時間をたっぷりと費やしました。なぜそんなことをなさったのでしょうか。それは、この女性に知って欲しいことがあったからです。それは何でしょうか。

1.長血の女性のいやし

神はあなたの痛みを分ってくださるということ

12年もの間長血で苦しんでいた女性が、いやしを求めてイエスさまの元にやってきました。この女性には、さまざまな痛みがありました。
体の痛み
ずっと出血が続いているわけですから、慢性的に貧血状態だったでしょう。月経のように痛みを伴ったかもしれません。
経済的な痛み
治療のためにあちこちの医者にかかり、財産を失いました。
社会的な痛み
不正出血の女性は儀式的に汚れていると見なされ、人との接触や礼拝などが一時的に制限されました。「女に、月のさわり(註:月経このと)の期間ではないのに、長い日数にわたって血の漏出があるか、あるいは月のさわりの期間が過ぎても漏出があるなら、その汚れた漏出がある間中、彼女は月のさわりの期間と同じように汚れる」(レビ15:25)。

以前も申し上げましたが、モーセの律法に基づく汚れというのは単に宗教的な処置に過ぎず、その人が他の人より品性下劣だとか罪深いとかいう意味ではありません。また、公衆衛生を向上させたり、人を守ったりする意味もあります。

月経や不正出血の女性が汚れているとされたのも、そういう女性は普段より衛生面に気をつけなければならないし体力的にも休息が必要だから、夫から性的なアプローチを受けないように距離を取らせるという配慮があると思われます。

ところが、実際には汚れを宣言された人に対して差別が生まれ、他人との交わりが一切断たれてしまうことが多かったのです。
精神的な痛み
あちこちの医者にかかっても治してもらえなかった彼女には、希望がありませんでした。
霊的な痛み
この当時のユダヤでは、病気は神の呪い、何かの罪の罰だと捉えられがちでした(ヨハネ9章参照)。

このように、この女性は身も心も文字通りぼろぼろの状態で、イエスさまの衣の房に触ったのです。

ちなみに、彼女が触ったのは「衣の房」と書かれています(44節)。当時のユダヤ人の上着は、幅広の布の真ん中に頭を通す穴を開け、それを頭からかぶって腰の所を帯で締めて着るようなものでした。そして、その裾の四隅にそれぞれ房が付けられていました。モーセの律法でそうするように定められていたからです。

「イスラエルの子らに告げて、彼らが代々にわたり、衣服の裾の四隅に房を作り、その隅の房に青いひもを付けるように言え。その房はあなたがたのためであって、あなたがたがそれを見て、【主】のすべての命令を思い起こしてそれを行うためであり、淫らなことをする自分の心と目の欲にしたがって、さまよい歩くことのないようにするためである。こうしてあなたがたが、わたしのすべての命令を思い起こして、これを行い、あなたがたの神に対して聖なる者となるためである」(民数記15:38-40)。

この女性はたくさんの群衆の中に紛れ、誰にも気づかれないうちにただ衣の房に触っただけです。しかし、天の父なる神さまは、この女性が体験している様々なひどい痛みをご存じでした。そして、この女性をそれらの痛みから解放してやりたいと思われて、いやしを与えてくださいました。

そして、ご自分からいやしの力が出ていったことに気づいたイエスさまは、立ち止まって触った人を探しだし、その人と話したいと願われました。それは、いやされた人に、「神さまはあなたの痛みを知っておられたのだよ。そしてその痛みを取り除きたいと願われたのだよ」ということを理解して欲しいと思われたからです。

皆さんは今、どんな痛みを抱えていらっしゃいますか? 体、経済、社会、精神、そして霊に。それは、あるいは誰にも話せないことかもしれません。しかし、聖書の神さまはそれをご存じです。しかも、それを馬鹿にしたり罰したりするのではなく、深い理解と愛情を示してくださいます。

神はあなたを愛しておられるということ

この女性はたくさんの群衆に紛れていました。しかし、この一人の女性のために、イエスさまは時間をお使いになりました。どれくらいの時間でしょう。彼女は、イエスさまにこれまでの身の上話をしました。身の上話が数分で終わったケースに、私は遭遇したことがありません。上述した痛みについて、おそらく彼女は数十分話し続けたことでしょう。

それをイエスさまは聴いてくださいました。「もうちょっとまとめて話せ」とか「その話はさっき聞いた」とか言って話の腰を折らないで、最後までじっと耳を傾けてくださいました。

時間は愛情です。誰かのために特別に時間を使うということは、相手に対する愛情表現の一つです。ですから、愛情を求めている人は、相手に時間を使わせようとします。
  • 子どもが「ねぇねぇ、お母さん聞いて!」と、お母さんが家事をしているときに限って話しかけてくるのは、お母さんの愛情を求めているからです。
  • 奥さんが「今日こんなことがあったのよ」と、夫が疲れて帰ってきたときに愚痴をこぼすのは、夫の愛情を求めているからです。
  • クレーマーと呼ばれる人が、お店の人を捕まえて長時間にわたって文句をたれ続ける理由の一つは、「この自分を大切に思ってくれ」という愛情欲求です。
イエスさまはこの女性と何十分かの時間を共に過ごすことで、この女性のことをどれだけ大切に思っているかということをお伝えになったのです。
1匹の羊を探す羊飼いのたとえ
イエスさまのたとえ話の中に、99匹をそこに残して、いなくなった1匹の羊を探しに行く羊飼いが登場します。イエスさまご自身がそのような羊飼いなのです。100人の信者のうち1人が失われそうになっていて、あと99人もいるからまあいいや……ではなく、その1人を心配し、探し出して回復しようと必死に時間をかけて取り組む。イエスさまはそういうお方です。

ただ、私などはかなり心がひねくれていますので、「残された99匹はどうなるだ?」と思ってしまいます。クリスチャンになりたての若い頃、教会の先輩にそんな話をすると、その人はこんなことを言ってくれました。「それでも99匹は満足なんだよ。なぜって、たった1匹をあれほど大切にしてくれる羊飼いの姿を見た99匹は、もし今度自分が迷子になったときも、同じように探してくれるはずだと思うから」。
78億分の1の人を大切にするイエス
そうです。2020年5月現在、この地上には78億近い数の人が生きていますが、あなたというたった一人が失われたなら、イエスさまは深く深く悲しまれます。あなたはイエスさまにとって大切な存在だからです。

そして、あなたを捜し出して救うために、イエスさまはこの地上に来られました。私たちは罪のために、本当はきよい神さまから切り離されていました。しかし、イエスさまがその罰を全部十字架で受けてくださり、私たちが神の愛を受けられるようにしてくださったのです。

たとえ、この世の中に罪人があなた一人だけだったとしても、イエスさまはあなた一人のために十字架についてくださったでしょう。それは、あなたがイエスさまにとって、それだけ大切な存在だからです。

あなたはご自分のことを大切な存在だと言えますか? イエスさまは大切だとおっしゃいます。今、時間を取って、自分自身に向かって「あなたは大切です。あなたは神さまの宝物です」と宣言しましょう。

神はあなたをほめてくださるということ

イエスさまは三位一体の子なる神です。全知全能のお方ですから、何でもお見通しのはずです。しかし、人となって地上に来られたとき、私たちと同じような制限の中で生きることを選ばれました。「キリストは、神の御姿であられる方なのに、神のあり方を捨てることができないとは考えないで、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられたのです」(ピリピ2:6-7)。

そこでイエスさまは、ご自分からいやしの力が出ていったことには気づかれましたが、誰がご自分に触ってその力を引き出したのかは分りませんでした。平行記事であるマルコによる福音書にも「イエスは周囲を見回して、だれがさわったのかを知ろうとされた」(マルコ5:32)と書かれています。

イエスさまはご存じなかったのに、それでもいやしの力を引き出したというのですから、この女性の信仰の力はものすごいですね。
あなたの信仰が救った
隠しきれないと思った女性は、正直に名乗り出て事の次第を明らかにしました。すると、イエスさまは彼女におっしゃいました。「娘よ、あなたの信仰があなたを救ったのです」(48節)。この場合の「救った」というのはいやされたという意味です。イエスさまは、この女性の信仰深さをほめたのです。

もちろん、実際にこの女性をいやしたのはイエスさまの力ですし、この女性をいやそうとお決めになったのはすべてをご覧になっている父なる神さまです。しかし、イエスさまはこの女性の信仰深さを人々の前でほめたいと思われました。

この話をお読みください(スクールソーシャルワーカーだより「3〜5月合併号」より)。
私が自動車免許を取ったのは、かれこれ30年以上前のことです。その頃の自動車教習所というのは、教官にいろいろ嫌みを言われたり怒鳴られたりしながら技能教習を受けたものです。当時の私は「言われてすぐ完璧にできるくらいなら、最初から教習所に来るもんか!」と心の中で悪態をつきながらハンドルを握っていたものです。ところが、今はかなり雰囲気が変わっているようですね。

特に今年の1月7日に放送されたTBS系列番組「この差って何ですか?」で紹介されていた、三重県の南部自動車学校は格別です。ここは教習所全体で「ほめちぎる教習」に取り組んでいます。たとえば生徒が教習所内を運転中に脱輪したとき、教官は脱輪したことを責める代わりにこんなふうにほめます。「実際の道路上で脱輪したときには、すぐ車を停めることが大切です。だから今、すぐにブレーキを踏んだのはとても良い対応でしたね。」

そして、「ほめちぎる教習」を始めてから、卒業生の事故率が以前の半分になったそうです。事実、ほめることを意識した教育はダメ出しばかりする教育よりも効果があることが、様々な研究で分かっています。ほめられると、ほめてくれる人の期待に応えたいと思うようになります。そして、自信がついて「もっとがんばろう」という積極的な気持ちになります。さらに、「へまをして叱られるのではないか。笑われるのではないか」という変な緊張から解放されて、のびのびと練習や勉強などができるようになります。その結果として、望ましい行動が身につき、そのパフォーマンスも向上します。
イエスさまにほめられたこの女性は、きっとイエスさまに対する信仰を成長させたはずです。もっとイエスさまについて知りたいと思ったはずです。

人がほめられているのを見るのは、他の人にとっても励ましとなります。娘が死にかけているヤイロへにとっては、この数十分の時間はどんなにかやきもきしたかと思いますが、この女性の信仰がほめられたことにより、きっとヤイロにとっても励ましになったことでしょう。

私たちも、人を気持ちよくほめることができるようになりたいですね。

前半をまとめると、私たちのイエスさま、父なる神さま、聖霊さまは、私たちの痛みを分ってくださっています。私たちを愛してくださっています。私たちをほめてくださいます。イエスさまは、それをこの女性に、そして私たちに知って欲しいと願われて、立ち止まって話をなさいました。

そしてもう一つ、イエスさまは立ち止まってこの女性と話をなさった理由があります。それは、「イエスさまがこの女性に対してなさったように、イエスさまもご自分に対して、この女性にそして私たちにそうして欲しい」と思っておられるということです。これについて後半考えてみましょう。

2.イエスさまもそうして欲しい

人格として扱う

イエスさまは立ち止まり、この女性を探し出し、この女性と対話なさいました。そして、神さまがこの女性を理解してくださるということ、大切に思っていおられるということ、そして誇りに思っておられるということを伝えようとなさいました。

別の言い方で言うと、イエスさまはこの女性を人格として扱われたということです。人格として扱うとはどういうことでしょうか。それは、その人の存在を他のものと取り替え不可能な存在だと認めるということです。

たとえば、私が突然死んでしまったとしたら、より優秀な人がこの教会の牧師になるかも知れませんね。しかし、その人は牧師という仕事の代わりを務めることはできても、私という人間の代わりにはなれません。あなたもそうです。あなたの仕事や立場の代わりをすることができる人がいても、あなたという存在の代わりには誰もなれません。取り替え不可能。これが人格です。

イエスさまが、この女性を探し出して時間を使って対話なさったのは、この女性を取り替え不可能な大切な存在、人格として扱っておられるからです。99匹残しても1匹を探し出す羊飼いのたとえも、イエスさまが私たちを人格として扱っておられるということを表しています。

そして、イエスさまもまた、ご自分を人格として扱って欲しい、取り替え不可能な存在として理解して欲しい、大切にして欲しい、敬って欲しいと願っておられます。

強烈だが問題もあった信仰

この女性の信仰は確かに強烈でした。しかし、衣の房に触ればいやされるという信仰は、魔よけにウサギの足を身につけたり、頭が良くなるようにとお香の煙を頭につけたりするのと大差のない信仰になりかねません。すなわち、奇跡さえ起これば、イエスさまでなくてもいいということになりかねないのです。

それは、取り替え不可能な人格として扱って欲しいというイエスさまの願いに反します。

イエスさまは、祝福の自動販売機ではありません。「献金して、祈りのボタンをポンと押すと、祝福がガシャンと出てくる、わたしはそういう機械じゃない。人格なのだ」とイエスさまはおっしゃいます。イエスさまは、祝福だけを求めてイエスさまの存在を無視するような接し方ではなく、人格的な触れ合いを求めておられます。

イエスさまはあなたを理解し、あなたを大切にし、敬ってくださっています。そして、イエスさまもあなたにもっと理解してもらいたい、大切にしてもらいたい、敬ってもらいたいと思っておられます。

人格的な交わり

相手が自動販売機の場合は、こちらは一方的に要求するだけ、そして相手は一方的に与えるだけです。しかし、人格同士の交わりは、一方通行ではなくやり取りです。
  • こちらは相手に話をして聞いてもらうことができますが、こちらも相手の話を聞かなければなりません。
  • こちらは相手に何かを求めることができますが、相手もこちらに何かを求める権利があります。
  • 相手に自分のことをもっと知ってもらいたいと願うことができますが、こちらも相手のことをより深く知ろうとしなければなりません。
  • 相手に自分のために時間を使ってもらうことができますが、こちらも相手のために時間を使わなければなりません。
  • 相手にこちらを敬うよう期待することができますが、こちらも相手をうやまわなければなりません。
イエスさまを人格として扱い、イエスさまと人格的な交わりを持つということは、私たちがイエスさまに祈りを聞いてくださるよう求めるだけでなく、イエスさまの願いを私たちが聞いて実行する責任もあるということです。

ですから、人格を持った唯一神という考え方は日本では人気がありません。「神とは、宇宙のパワーだ」なんて考える方が、あるいは神はたくさんいると考える方が、責任が無くて都合がいいのです。

しかし、私たちが信じるイエスさまはご人格です。あなたや私を取り替え不可能な存在として理解し、大切に思い、敬っておられます。ですから、私たちも
(1) 理解する
イエスさまについてもっともっと知るための努力をしましょう。聖書を熱心に学び、イエスさまにみこころを示してくださいと祈りましょう。
(2) 大切にする
聖書を学んだり、祈ったり、イエスさまのみこころを表すような行動をすることに、時間を使いましょう。それによってイエスさまのことを大切に思っているということを表しましょう。
(3) ほめたたえる
イエスさまの素晴らしさを数え上げ、賛美しましょう。新型コロナの感染防止のため、多くの教会が公に集まって礼拝できないでいます。こんな時だからこそ、意識して神さまをほめたたえ、礼拝しましょう。

これら3つのポイントは、あなたはご自分の生活の中でどのように実践なさいますか? ぜひ具体的に考えて実践しましょう。

まとめ

イエスさまは、私たちを理解し、大切に思い、敬ってくださっています。このお方との人格的な交わりを大切にしながら、この週も歩んで参りましょう。

あなた自身への適用ガイド

  • イエスさまが、あなたのことを理解してくださっているということを聞いて、どんなことを感じましたか?
  • イエスさまが、あなたのことを大切だと言ってくださっているということを聞いて、どんなことを感じましたか?
  • イエスさまは、あなたをほめておられます。どんなことを感じましたか?
  • イエスさまは、自動販売機ではなく、人格であるということを学び、どのようにイエスさまに接していこうと思われましたか?
  • イエスさまと人格的に交わるために心がける3つのポイントを学びました。具体的にそれぞれどのように実践しようと思いますか?
  • 今日の聖書の箇所を読んで、どんなことを決断しましたか?

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