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礼拝メッセージ:中通りコミュニティ・チャーチ

マルタ、マルタ

ルカによる福音書10章38節〜42節

(2020年6月28日)

礼拝メッセージ音声

参考資料

38節の「ある村」はベタニア。エルサレムの南東約3キロ、オリーブ山の東の麓にあった村です。ここにはツァラート患者だったシモンの家があり(マタイ26:6、マルコ14:3)、そこにはマルタ、マリア、ラザロのきょうだいが住んでいました。

イントロダクション

今日の箇所で、マルタは「どうして自分だけがこんなに苦労しなきゃいけないんだ」というようなイライラした気持ちでいっぱいでした。私たちもそのようなときがありませんか? 自己憐憫の感情にとらえられて、イライラしたり、情けなくなったりしたとき、イエスさまはどんなふうに対処して、私たちに平安や喜びを与えてくださるのでしょうか。私たちはイエスさまについての次の3つの真理をいつも心に留める必要があります。

1.あなたの苦労を知っている

自己憐憫といらだち

マルタはイエスさまに対して一生懸命に良いことをしました。しかし、いつの間にか喜びがなくなり、イライラしてしまいました。自分はこんなに忙しく働いているのに、マリアはイエスさまの話を聴いている。マリアばっかりずるい! そんな嫉妬心が湧き上がってきます。

あなたも、「なぜ私だけこんなに苦労しなければならないのか」「こんなに一生懸命やっているのに、なぜ報われないのか」「こんなに尽くしているのに、どうして誰も認めてくれないのか」……そう思うことはありませんか? その結果、ますます心が疲れたり、イライラしたり、他の人が妬ましく思えたりして、他の人に対して攻撃的な気持ちになったり実際にそれを行動に移してしまったりすることはありませんか?

マルタはそうでした。そして、せっかくのもてなしの雰囲気を、自らぶちこわしにしてしまいました。

マルタ、マルタ

しかし、聖書もイエスさまも、マルタのことをダメな奴だと断罪してはいません。それどころか高く評価しています。多くのユダヤ人の指導者たちがイエスさまのことを歓迎しなかったのに対して、マルタはイエスさまを「喜んでお迎えした」(38節、新改訳第三版)のです。

私は、「マルタ、マルタ」という呼びかけに、イエスさまの深い愛情を感じます。イエスさまは、マルタの愛の深さも、一生懸命さも、そしてそれ故の疲れもイライラも、すべて理解して受け止めてくださいました。

「マルタ、ありがとう。私はあなたの愛情も、それ故の苦労も知っているよ」。そういうイエスさまの温かい思いが「マルタ、マルタ」という呼びかけの中に込められているようです。

イエスさまはあなたの苦労を知っておられます。そして、あなたの名前も呼んでくださっています。

最悪だが最善の方法

マルタは、自分のイライラをイエスさまに聞いていただきました。それは、もてなしという点では最悪の方法だったかもしれませんが、霊的には最善でした。

「月刊いのちのことば」2015年11月号に、イライラについてこんな言葉が載っていました。「イライラの心の根底には不安があります。無力感があって何かを訴えています。叫んでいます。浅くない傷があって、愛されることを望んでいます」。

イエスさまは、マルタのそんな不安感や無力感を温かく包み込んでくださいました。

あなたは、否定的な思いを一人で抱えてこられませんでしたか? マルタのように、イエスさまに聞いていただきましょう。そこから解放が始まります。

2.みことばを聞くことを喜ばれる

どうしても必要なこと

イエスさまは、どうしても必要なことは一つだとおっしゃいました。それはマリアがしたように、イエスさまの言葉に耳を傾けることです。これは、人から取り上げてはならない、必要不可欠なものです。

「イエスは答えられた。『「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばで生きる」と書いてある』」(マタイ4:4)。

みことばを聞くとは、第一に聖書を読むことです。

第二に、傾聴の祈りです。祈りというのは神さまとの会話ですから、こちらの願いを語るばかりでなく、神さまが何を語っておられるか、心の耳を澄まして聴くのです。最初はよく分からなくても、そういう習慣を付けていると、次第に神さまの思いが聞こえてくるようになります。

新しい力

神さまは私たちを愛しておられ、私たちを祝福したいと願っておられます。ですから、みことばを聞くとは、神さまがいかに私たちを愛しておられるかということを知ることでもあります。

そして、神さまの私たちに対する愛を知れば知るほど、私たちの内側に喜びがわいてくるようになります。その喜びは行動の原動力になります。そういう行動には無理がありませんので、燃え尽きてしまうことがありません。

「あなたは知らないのか。聞いたことがないのか。【主】は永遠の神、地の果てまで創造した方。疲れることなく、弱ることなく、その英知は測り知れない。 疲れた者には力を与え、精力のない者には勢いを与えられる。若者も疲れて力尽き、若い男たちも、つまずき倒れる。しかし、【主】を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように、翼を広げて上ることができる。走っても力衰えず、歩いても疲れない」(イザヤ40:28-31)。

あなたもここにおいで

イエスさまは、マリアの邪魔をしたマルタを叱っておられるのではありません。「皿やカップはそこに置いて、あなたもここにおいで。そして、私の話を聴いておくれ。私がいかにあなたを愛しているか、そしてあなたのために何をしようとしているか、それを知っておくれ」。そうおっしゃっておいでなのです。

あなたも招かれています。そして、イエスさまのみことばに耳を傾けるとき、あなたにも鷲のように翼を広げて上ることができる新しい力が与えられます。

3.ここぞという時に行動する力を下さる

良いサマリア人のたとえ

この箇所は、「教会やクリスチャンは、行ないよりも瞑想に専念すべきだ」ということを教えているわけではありません。直前の「良いサマリア人のたとえ」で教えられているように、愛を行動によって具体的に表すことは大切なことです。

今日の箇所が、「良いサマリア人のたとえ」の直後に書かれているのは偶然ではないと思います。あのサマリア人のような愛にあふれた良い行動を生み出す原動力は、マリアのようにみことばに親しむところにあるよと、聖書は私たちに教えているのです。

みことばを聞くことを大切にするとき、すなわち聖書を読み、祈りの中で神さまの愛の言葉を思い巡らすとき、ここぞという時にふさわしい働きをするのに必要な、知恵や力が神さまから与えられるようになります。

マリアのここぞ

イエスさまの足下でじっとみことばを聴いていた妹のマリアはどうでしょうか。

このことがあってから6ヶ月後、イエスさまが十字架にかかる2日前のことです。イエスさまがマリアの家で食卓についておられたとき、マリアはイエスさまの頭や足に、非常に高価なナルドの香油(労働者の1年分の給料に相当)を注ぎかけました(マタイ26:6)。おそらく自分の結婚式のために大切にとっておいた宝物でしょう。それを惜しげもなく注いだのです。

その行為に対して、弟子たちは「もったいない。売って金に換えれば、貧しい人たちに施しができたのに」とマリアを非難しました。しかし、イエスさまはその行為を喜ばれ、こうおっしゃいました。「この人はこの香油をわたしのからだに注いで、わたしを埋葬する備えをしてくれたのです」(マタイ26:12)。

翌日の夜にイエスさまは逮捕されます。そして、夜が明けるて金曜日の朝9時に十字架にかけられ、6時間後の午後3時に亡くなります。その日は安息日の前の日でした。ユダヤでは日没で日が変わります。そして、安息日に死人を埋葬することは禁じられていましたから、弟子のアリマタヤのヨセフは、総督ピラトの許可を得てイエスさまの遺体を撮り下ろし、急いでヨセフが所有していた新しい墓に埋葬しました。

その際、当時の埋葬の習慣に従って、弟子のニコデモが持ってきた没薬という防腐剤を塗った亜麻布で遺体をぐるぐる巻きにはしましたが、通常その前に行なう遺体を洗って香油を塗るということまではできませんでした。時間が足りなかったからです。そこで、マグダラのマリアをはじめとする女の弟子たちはそれを深く悲しみ、安息日が明けた日曜日の朝になると、遺体に香油を塗り直すために墓に向かいました。そこで、復活したイエスさまに会うことになります。

埋葬の時に香油を塗ってもらえなかったイエスさま。しかし、マリアはその代わりにあらかじめ香油を塗りました。その香りは、逮捕の時も、裁判の時も、兵士たちにいたぶられたりムチを打たれたりしたときも、十字架にかかっているときも、そして埋葬の時も、豊かに豊かに香りを放っていたはずです。イエスさまはそれを喜ばれたのです。

この時期、イエスさまはエルサレムで指導者たちに捉えられ、十字架にかけられて殺されると何度も語っておられました。しかし、男の弟子たちは誰一人としてそれを理解していませんでした。ベタニアのマリアがイエスさまの埋葬の準備をしたのは、真剣にイエスさまの話に耳を傾けていたからでしょう。

マルタのここぞ

一方、マルタはどうでしょうか。おそらくこの時、マルタはみことばを聞くこととの大切さを学んだはずです。後に兄弟ラザロが死んだ時、彼女はイエスさまに向かって素晴らしい信仰告白をしました。

「イエスは彼女に言われた。『わたしはよみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は死んでも生きるのです。また、生きていてわたしを信じる者はみな、永遠に決して死ぬことがありません。あなたは、このことを信じますか』。彼女はイエスに言った。『はい、主よ。私は、あなたが世に来られる神の子キリストであると信じております』」(ヨハネ11:25-27)。

今日、あなたにもあなたならではの働き、愛と正義を実践する機会が用意されています。そして、そのチャンスは突然やってくることが多いのです。そこで良い実を結ぶために、毎日毎日、神さまのみことばを読み、祈りの中でその声を聞き取って準備させていただきましょう。

まとめ

忙しいという字は心が亡びると書きます。忙しくしていると、いつの間にか心がカサカサに渇いて、自己憐憫に陥ったりイライラしてしまったりして、他の人に当たり散らしたくなってしまうこともあります。

この話をお読みください

私たちは、忙しいときほど静まる時間を確保して、イエスさまに意識を向けましょう。そして、イエスさまに自分の中にある不安や無力感、他人に対する嫉妬心について訴えて、神さまとの深い交わりを持つようにしましょう。

あなた自身への適用ガイド

  • 今、自分が惨めに思えたり、誰かに対してイライラしていませんか?
  • 誰かに自分の気持ちを分かってもらっただけで、苦しみが軽くなったという経験が、最近ありましたか?
  • 今よりも、もうちょっとだけ、みことばに親しむには、生活の中でどんな工夫が必要ですか?
  • 「自分の力ではない」というようなことができたり、言えたりした経験がありますか?
  • 今、あなたが不安に思っていることは何ですか?
  • 今日の聖書の箇所を読んで、どんなことを決断しましたか?

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