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礼拝メッセージ:中通りコミュニティ・チャーチ

永遠という物差し

ルカによる福音書1章1節~5節

(2020年7月19日)

礼拝メッセージ音声

参考資料

6節の「アサリオン」はローマ帝国で使われていた銅貨で、1デナリ(労働者1日分の給料に相当する額の銀貨)の10分の1の価値でした。

イントロダクション

今回のテーマは、人に対する恐れです。私たちは人に対して恐れを抱くことがあります。そんな私たちに、イエスさまはこの箇所からどんな励ましやアドバイスを語ってくださっているでしょうか。

まずは、弟子たちに語られた言葉を詳しく見ていきましょう。

1.指導者たちへの弟子たちの恐れ

指導者たちへの非難

直前の11:37-54で、イエスさまは宗教的指導者たち、すなわちパリサイ人や律法学者たちを激しく非難しました。一部抜粋してみましょう。

  • 「あなたがたパリサイ人は、杯や皿の外側はきよめるが、その内側は強欲と邪悪で満ちています」(11:39)。
  • 「だが、わざわいだ、パリサイ人。おまえたちはミント、うん香、あらゆる野菜の十分の一を納めているが、正義と神への愛をおろそかにしている」(42節)。
  • 「わざわいだ、パリサイ人。おまえたちは会堂の上席や、広場であいさつされることが好きだ」(43節)。
  • 「おまえたちもわざわいだ。律法の専門家たち。人々には負いきれない荷物を負わせるが、自分は、その荷物に指一本触れようとはしない」(46節)。
  • 「わざわいだ、律法の専門家たち。おまえたちは知識の鍵を取り上げて、自分は入らず、入ろうとする人々を妨げたのだ」(52節)。
よくもまあ、こんな悪口がポンポン出てくるものですね。イエスさまは、彼らが表面的には敬虔で信仰心にあふれている様子を見せながら、内面がそうでないことを非難しておられます。そういう態度のことを、聖書は「偽善」と呼びます。

「偽善」と訳されている言葉は、元々はギリシアの演劇で俳優が着けた仮面のことです。指導者たちの宗教的な行動は、心から出ているものではなく人に見せるための演技に過ぎないと、イエスさまは批判なさったのです。

パリサイ人のパン種

そして、今回の箇所で、イエスさまは弟子たちに「パリサイ人のパン種、すなわち偽善には気をつけなさい」(1節)と注意なさいました。パン種とは、前の日に作ったパン生地の残りです。それが新しい小麦粉に混ぜられると、パン種に残っているイースト菌の働きで小麦粉が発酵し、粉全体が膨らんでパン生地に変わります。

それと同じように、偽善は伝染して純粋な信仰者の心にも影響を与えるから、影響を受けていないかいつも注意、警戒している必要があるとイエスさまはおっしゃるのです。

弟子たちの恐れ

さて、イエスさまに非難された指導者たちはプライドが高く、自分たちはきよく正しい存在だと思っていました。ですから、彼らは取税人や遊女たちや異邦人たち、あるいは一般民衆を非難することには慣れていましたが、非難されることには慣れていませんでした。

そこで、指導者たちは自分たちを非難するイエスさまに対して激しい怒りを覚えます。そして、イエスさまから失言を引き出そうとあれこれ質問攻めにしました(11:53-54)。

その激しい議論の声に、何事かとたくさんの人たちが集まってきました。ところが、イエスさまはまず弟子たちに向かって語られました。それが今回の箇所です。

この時、宗教的指導者たちの尋常ではない激しい怒り、殺意に満ちたまなざしや声に、弟子たちは恐れを抱いていたのでしょう。彼らは権力者です。彼らに逆らって怒りを買うことは、国に逆らって目を付けられるということです。それはとても恐ろしいことだと弟子たちは感じたのでしょう。

そこでイエスさまは、弟子たちに「指導者たちを恐れるな」と命じました。そして、恐れなくてもいい理由を、イエスさまは5つ語っておられます。それを次のポイントで見ていきましょう。

2.恐れなくていい理由

(1) 隠れているものはいつか明らかになるから

「おおわれているもので現されないものはなく、隠されているもので知られずにすむものはありません」(2節)。

偽善的な生き方をしている指導者たちは、今は人々から尊敬され、権力も持っています。しかし、やがて彼らのメッキは剥がされ、その本性が明らかにされる時が来ます。イエスさまはそうおっしゃいます。

ただし、それは弟子たちも同じです。「ですから、あなたがたが暗闇で言ったことが、みな明るみで聞かれ、奥の部屋で耳にささやいたことが、屋上で言い広められるのです」(3節)。

ということは、たとえ他の人に認められたり、ほめられたりしなくても、それでもイエスさまが望まれる正しい生き方、愛に満ちた生き方を続けていれば、いつか必ず神さまはそれを明らかにしてくださるということです。神さまは、私たちの忠実な行ないを見ていてくださり、世の終わりにイエスさまが地上に建設なさる理想的な王国である千年王国(福音書では、神の国とか天の御国とか呼ばれています)において、その忠実な行ないに対する報酬を与えてくださいます。

そこで、イエスさまの弟子である私たちは「パリサイ人のパン種」に影響されることなく、人前での行動だけでなく、誰も見ていないところ、人に評価されないところでの行動にこそ気を配る必要があります。

偽善者たちがどんなにこの世で権力を握り、弟子たちを迫害したとしても、最終的に勝利するのは弟子たちの方です。ですから恐れる必要はないとイエスさまは弟子たちを励まされました。

では、一体誰が人のメッキを剥がすのでしょうか。

(2) 神こそ恐るべき方だから

人のメッキを剥がすのは、天地を造られた全知全能の神さまです。

イエスさまはおっしゃいました。「わたしの友であるあなたがたに言います。からだを殺しても、その後はもう何もできない者たちを恐れてはいけません」(4節)。

人間の指導者、権力者たちは、気に入らない者たちを捕らえて殺すことはできるかも知れません。しかし、死んだ後も存在し続ける魂に対しては何も手出しできません。ところが、聖書の神さまにはそれが可能です。

神さまを信じて受け入れられ救われた人も、神さまを信じないで救いを受け取らなかった人も、どちらもいつか肉体的に死にます。その時、肉体から魂が分離し、肉体は朽ち果てます。

体から分離した魂は、世の終わりまで一種の待合室で過ごします。信者の魂が行くのはパラダイス、あるいはアブラハムのふところと呼ばれる場所です。これは、今は神さまの住まいである天国の中にあって、とても快適な待合室です。一方、不信者の魂は地の底にあるハデス(ギリシア語。ヘブル語ではアバドン)と呼ばれる場所に行きます。こちらはとても苦しい待合室です(ルカ16:19-31参照)。

そして、世の終わりの時に、あらゆる時代の信者が復活して新しい体を手に入れます。復活した信者は千年王国に住み、千年が終わった後は新しく創造される新しい天と新しい地の中にある新しいエルサレムに住むことができます。そこは、もはや死ぬことも悲しむことも苦しむことも一切ない永遠の喜びの世界です(黙示録21章)。

一方、イエスさまは「恐れなければならない方を、あなたがたに教えてあげましょう。殺した後で、ゲヘナに投げ込む権威を持っておられる方を恐れなさい。そうです。あなたがたに言います。この方を恐れなさい」(5節)とおっしゃいました。救い、すなわち神さまからの一方的な罪の赦しを受け取らなかった人たち、あらゆる時代の不信者は、千年王国が終わった時に復活して火の池とも呼ばれているゲヘナで永遠の苦しみを受けます。待合室であるハデスでは魂だけの苦しみですが、ゲヘナでは魂と肉体の両方が苦しむのです(黙示録20章)。

(3) 愛に基づく神の強力な守りがあるから

ただし、神さまを恐れるとは、永遠の罰を恐れてビクビクしなさいという意味ではありません。地上の権力者であっても永遠に苦しめることができるほどに力あるお方が、私たちイエスさまの弟子を守ってくださいます。

イエスさまはおっしゃいました。「五羽の雀が、二アサリオンで売られているではありませんか。そんな雀の一羽でも、神の御前で忘れられてはいません。それどころか、あなたがたの髪の毛さえも、すべて数えられています。恐れることはありません。あなたがたは、多くの雀よりも価値があるのです」(6-7節)。

ところが、マタイ10:29には「二羽の雀は一アサリオンで売られている」と書かれています。ルカに書かれているように五羽で二アサリオンということは、五羽のうち一羽はおまけということです。それくらい価値の低い雀でさえも神さまは無視なさらず守ってくださいます。ましてや、神さまに似せて造られたと言われている人間が神さまに無視されるはずがありません。

また、知らぬ間に生え知らぬ間に抜けていく髪の毛も、神さまは一本一本ご存じです。ましてや、人間が神さまに関心を持たれないはずがありません。

私たちは、全知全能の神さまが守ってくださいます。仮に迫害によって命を失うようなことになったとしても、私たちの存在は永遠に祝福されます。だから恐れないで安心していなさいとイエスさまはおっしゃるのです。

(4) イエスに従う者は永遠に安心だから

しかし、そういう安心を手に入れるためには、イエスさまに対して、どういう態度をとるかにかかっています。「あなたがたに言います。だれでも人々の前でわたしを認めるなら、人の子もまた、神の御使いたちの前でその人を認めます。しかし、人々の前でわたしを知らないと言う者は、神の御使いたちの前で知らないと言われます」(8-9節)。

子なる神であるイエスさまは、私たちの罪を赦すために人となって地上に来られました。そして、私たちの身代わりに十字架にかかって罪の罰を受けてくださいました。その結果死んでしまい墓に葬られますが、3日目に復活なさいました。それが私の罪を赦すためだったと信じるだけで、本当に私たちの罪は赦され、神さまの子どもにしていただき、その結果神さまの永遠の守りと祝福をいただくことができるようになります。

さらにイエスさまはおっしゃいました。「人の子を悪く言う者はだれでも赦されます。しかし、聖霊を冒涜する者は赦されません」(10節)。人の子とはイエスさまのことです。使徒パウロはイエスさまのことを悪く言う人でした。そして、教会を迫害してたくさんのクリスチャンを逮捕したり殺したりしました。ところが、最終的に彼はイエスさまを信じて救いを手に入れました。

聖霊なる神さまの働きの一つは、人に罪を示し、さらにイエス・キリストを信じて罪の赦しを受け取るように促すことです。一時的にイエスさまを冒涜するような生き方をしていた人でも、そういう聖霊さまの促しに心を開いて信じたならば、神さまに永遠に守られ祝福される神さまの子どもとなることができます。しかし、聖霊さまの促しを無視し続けて死んだならば、その人は自分自身の罪の責任を負って、永遠の苦しみという罰を受けなければなりません。

ニコデモやアリマタヤのヨセフといったごく一部の例外を除いて、ユダヤの宗教的指導者たちのほとんどは、聖霊さまが導く罪の悔い改めも、イエスさまによる罪の赦しも信じませんでした。

聖霊さまの導きに従ってイエスさまを信じるか、それとも聖霊さまの導きを無視してイエスさまを信じないか。それは世の終わりに大変な違いを生み出します。ですから、今この時権力を持ち、生殺与奪の権を握っている指導者たちを恐れる必要がないとイエスさまは弟子たちを励ましました。最終的に勝利して喜びの生活を手にするのは弟子たちの方だからです。

(5) いざというときに聖霊の導きがあるから

そして、聖霊さまは私たちを祝福に満ちた死後の人生に導いてくださるだけではありません。この地上においても、権力を振りかざす者たちの前でやられっぱなしにならないよう助けを与えてくださいます。「また、人々があなたがたを、会堂や役人たち、権力者たちのところに連れて行ったとき、何をどう弁明しようか、何を言おうかと心配しなくてよいのです。言うべきことは、そのときに聖霊が教えてくださるからです」(11-12節)。

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まとめ

イエスさまは、私たちが人を恐れるような場面に遭遇したときも、恐れないでイエスさまのみこころを実行し続けることを願っておられます。そのために、5つの励ましをくださいました。
  1. あなたの隠れた良い行ないは神さまに評価されています
  2. 永遠の運命を握っておられる神さまに比べれば、人は恐るるに足りません
  3. 愛に基づく神の強力な守りがあります
  4. イエスさまに従う者は永遠に安心です
  5. いざというときに聖霊の導きがあります
これらの励ましは、今この時の強い弱い、権力があるなしに囚われすぎることなく、永遠という物差しで現状を捕らえ直してみようと弟子たちを促しました。

現代に生きる私たちも、この5つの励ましの言葉を受け取り、永遠という物差しで自分の恐れを再評価してみましょう。

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あなた自身への適用ガイド

  • 今、あなたには恐れている人がいますか? なぜ恐ろしいですか?
  • イエスさまの弟子たちに対する5つの励ましは、今のあなたにとってどんな励ましになりましたか?
  • 永遠という物差しで、今置かれている状況を眺めてみると、鈍なことに気づかされますか?
  • 今日の聖書の箇所を読んで、どんなことを決断しましたか?

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