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礼拝メッセージ:中通りコミュニティ・チャーチ

神に対して富む者

ルカによる福音書12章13節〜21節

(2020年7月26日)

礼拝メッセージ音声

イントロダクション

今回のテーマは貪欲です。聖書が言う貪欲とは何でしょうか。そして、それに対してイエスさまが私たちにどんな励ましを与えてくださっているでしょうか。今回の箇所の内容を詳しく見ていきましょう。

1.遺産問題

遺産問題への介入拒否

イエスさまの弟子たちへの教えを聞いていた群衆の一人が、イエスさまに「先生。遺産を私と分けるように、私の兄弟に言ってください」(13節)と頼みました。当時、律法の専門家たちは、人々の間に起こる様々なトラブルを仲裁する役割も担っていました。この人は、イエスさまも偉い律法の先生だと思ったのでしょう。

ところが、イエスさまの答えは実につれないものでした。「いったいだれが、わたしをあなたがたの裁判官や調停人に任命したのですか」(14節)。

個人的な問題解決について祈ってはいけないの?

これは、他人とのトラブルの解決をイエスさまに祈り求めてはいけないという教えではありませんし、経済的な問題の解決や個人的な願いを祈り求めてはいけないという教えでもありません。

むしろイエスさまは、いわゆる主の祈りの中で、「私たちの日ごとの糧を、今日もお与えください」(マタイ6:11)と祈るよう勧めておられますし、使徒パウロも「何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい」(ピリピ4:6)と教えています。

私も大学時代に親元を離れて下宿生活をしていましたが、経済的にはとても苦しい生活をしていましたから、それこそ数時間おきに「神さま、今日の糧を与えてください」と祈りました。そして、不思議に食べ物が与えられるという奇跡を何度も体験しました。

ですから、心配しないで何でも祈り求めましょう。

貪欲の問題

では、イエスさまはなぜ仲裁を拒否なさったのでしょうか。イエスさまは14節の言葉を語った後、人々に向かって「どんな貪欲にも気をつけ、警戒しなさい」(15節)とおっしゃいました。すなわち、財産の分け前の問題を訴えてきた人の心の中に、貪欲の問題があったということです。

ここで貪欲と訳されているギリシア語の言葉「プレオネクシア」は、「自分が当然受け取って良い量以上のものを、他人を蹴落としてでも欲する心」のことを指します。

通常、父親が亡くなると、子どもたちが遺された財産を分け合うわけですが、古代ユダヤでは、長男は他の兄弟の2倍を受け取ることができました。弟たちは長男の半分しかもらえません。モーセの律法でそう決められていたからです(申命記21:17)。

貪欲とは、自分が受け取る権利以上のものを求める心ですから、自分に割り当てられた額の遺産を求めるのは貪欲ではありません。ですが、イエスさまに遺産問題を訴えた人は、その決められた額では満足できず、自分にももっとよこせと兄に要求していたのだと考えられます。イエスさまはそれを見抜かれたわけです。

貪欲はやっかいな心理です。盗みだって姦淫だって、自分のものではないものを手に入れようとする心から生まれます。嫉妬心もそうです。サタンが堕落したのも、神の地位を自分のものにしたいと思ったかですし、アダムとエバが罪を犯したのも神のような知恵を手に入れたいと願ったからです。

私の中にも貪欲の心が湧き上がってくることがあります。そんなときに大切なのは、まず気づくこと。そして、気づいたら悔い改めて、貪欲な心のままに罪を実際に犯すことはしないと決意して、聖霊さまの助けを求めることです。

2.いのちは財産にあるのではない

金持ちのたとえ

貪欲に警戒するよう人々に語られたイエスさまは、続けてこうおっしゃいました。「人があり余るほど持っていても、その人のいのちは財産にあるのではないからです」(15節)。これはどういう意味でしょうか。それを説明するために、イエスさまは豊作でさらに大もうけした金持ちのたとえを語られました。

18-19節の金持ちの言葉を読むと、日本語訳では必ずしもすべて訳されてはいませんが、「私の倉」「私の穀物」「私の財産」「私のたましい」というふうに「私の」という言葉のオンパレードです。彼は、自分が手にしているものはすべて自分のものだと思っていました。神さまが語られた20節の言葉の中でも、「おまえのたましい」「おまえから」「おまえが用意したもの」と語られていて、金持ちがすべてを自分のものだと考えていることを指摘しておられます。

ところが、大豊作に有頂天になり、この先当分の間自分の生活は安泰だと浮かれている金持ちに、神さまは冷や水をかぶせます。「愚か者、おまえのたましいは、今夜おまえから取り去られる。おまえが用意した物は、いったいだれのものになるのか」(20節)。

自分のものだと思っているものは、本当は自分のものではありません。どれほど蓄えても、死んでしまったらそれを死後の世界に持って行くことはできず、手放さなければなりません。自分のものだと思っている命でさえも、いわば神さまからの預かり物であって、神さまが望めばいつでも取り上げることができます。実際、「取り去られる」と訳されている言葉には、「貸したものの返済を求められる」という意味があります。

経済的に豊かになることは悪いこと?

富を手に入れて豊かになること自体が問題なのではありません。信仰の父と呼ばれるアブラハムは富んでいましたし、その子イサクも孫のヤコブも神様のおかげで非常に裕福になりました。しかし、彼らはこの地上が一時的に寄留している仮の住まいだということを知っていました。そして、神さまが用意してくださっている永遠の天の故郷に住むことをいつも思い描いて生活していました(ヘブル11章)。

もしも、人が死んで終わりなのではなく、死後も永遠に命が続くのだとすれば、どのような状態で永遠という時を過ごすかはとても重要なことです。喜びや平安に満ちた状態で永遠を過ごすのか、痛みや後悔に満ちた状態で永遠を過ごすのかは大きな違いです。

永遠という時に比べれば、100年程度の地上の人生などあっという間の出来事です。そのためアブラハム一家は、弱さの故に失敗することは何度もありましたが、それでも極力神さまが喜ばれる生き方をしようと努めました。永遠に続く死んだ後の世界で神さまと良い関係でいられるように、限られた期間留まる地上でも神さまと良い関係でいることを最優先したのです。

一方この金持ちは、収穫した作物を入れるために新たに倉を建てようなどと、地上のことについてはあれこれと気にかけ心を砕いています。しかし、死んだ後の人生のことについては全く計算に入れていません。イエスさまに遺産問題の仲裁を願った人も同じです。それどころか、たとえ話の金持ちは自分の畑で取れた収穫物を蓄えようとしただけですが、遺産問題の仲裁を願った人は本来自分の取り分ではない遺産までも欲していました。

イエスさまは「人のいのちは財産にあるのではない」とおっしゃいました。神さまが与えてくださった人の命は地上だけのものではなく、永遠に続きます。もらえる遺産や収入が増えたからといって、それで永遠の人生の質が変わるわけではありません。

それどころか、「これは自分のもの」「これも自分のもの」というふうに、神さまから預かっている命や体や財産や時間などを自分のためだけに使い、神さまのことをすっかり忘れてしまうような生き方をしていたら、前回の箇所でイエスさまが指摘なさったように、「人々の前でわたしを知らないと言う者は、神の御使いたちの前で知らないと言われます」(9節)という扱いを死んだ後に受けても文句が言えません。

永遠を計算に入れた地上生涯

ですから、私たちは永遠を計算に入れた生き方、すなわち神さまの存在を計算に入れた生き方をしなければなりません。これは自分がしたいことだろうか、自分がいいと思うことだろうか、自分が楽だろうか、自分にとって得だろうかという自分中心の発想で生きるのではなく、神さまと良い関係でいられる行動はなんだろうか、神さまが望んでおられることは何だろうか、神さまが喜ばれることは何だろうか、神さまのご計画の中でこれはすべきだろうかすべきでないだろうかという考え方をしましょう。

3.神に対して富んだ者

22-34節

まとめとしてイエスさまはおっしゃいました。「自分のために蓄えても、神に対して富まない者はこのとおりです」(21節)。逆に言えば、イエスさまの願いは、私たちが神さまに対して富んだ者になることです。神さまに対して富んだ者とは、神さまに受け入れられ、永遠という時を神さまと共に祝福に満ちた状態で過ごせるようになることです。

今回は礼拝式の中で交読しませんでしたが、話の流れとしては59節までが一つのまとまりです。特に22-34節は、約1年半前にガリラヤの民衆に語られたマタイ6:19-34(山上の説教の一部)によく似ています。一部抜粋すると、
  • 「何を食べようかと、いのちのことで心配したり、何を着ようかと、からだのことで心配したりするのはやめなさい」(22節)。
  • 「今日は野にあって、明日は炉に投げ込まれる草さえ、神はこのように装ってくださるのなら、あなたがたには、どんなに良くしてくださることでしょう。信仰の薄い人たちよ」(28節)。
  • 「むしろ、あなたがたは御国を求めなさい。そうすれば、これらのものはそれに加えて与えられます」(31節)。

施しをすること?

そして、33節にはこのようにあります。「自分の財産を売って施しをしなさい。自分のために、天に、すり切れない財布を作り、尽きることのない宝を積みなさい。天では盗人が近寄ることも、虫が食い荒らすこともありません」。ああなるほど、神に対して富むとは、施しをすることなのか、人に対して愛を示すことなのか……と理解してしまいそうですね。

確かに、あのたとえ話の金持ちは、豊作をもたらしてくださった神さまを無視していただけでなく、彼のために働いてくれたしもべたちのことも、同じ町に住むその日の食事にも事欠く貧しい人たちのことも、全く意識していません。彼が意識していたのは常に自分です。

しかし、イエスさまが神に対して豊かな者になるとおっしゃっているのは、施しなど愛の行ないをするということではありません。もちろん、聖書は困っている人に対して物質的・精神的に助けの手を差し伸べることを強く勧めています。しかし、良い行ないをしたから救われて永遠に続く祝福を手に入れられるわけではありません。この点、聖書ははっきりと語っています。「この恵みのゆえに、あなたがたは信仰によって救われたのです。それはあなたがたから出たことではなく、神の賜物です。行いによるのではありません。だれも誇ることのないためです」(エペソ2:8-9)。

31節で「御国を求めなさい」とイエスさまはおっしゃいました。御国とは、この世の終わりに救い主が地上に実現する理想的な王国のこと、いわゆる千年王国のことです。イエスさまは、「その御国が実現したとき、たとえ自分たちが死んだ後でも復活してそこに入ることができるよう求めなさい」とおっしゃったのです。

そして続けて32節でこうおっしゃいました。「小さな群れよ、恐れることはありません。あなたがたの父は、喜んであなたがたに御国を与えてくださるのです」。ここでも神さまの恵みが強調されています。

人は良い行ないによって救われ、死んだあとも祝福に満ちた永遠の人生が与えられるというわけではありません。救いは神さまからの一方的なプレゼント、恵みによって与えられます。

私たちがすべきなのは、その神さまの恵みを信じ、感謝して受け取ることです。

神の恵みに感謝し続けよう

神さまの恵みによって救われていることを信じ、それをいつも覚えて感謝している人は、貪欲の心から解放され、施しなど他の人に対する愛の行ないを積極的に行なうようになります。

なぜなら、今自分が持っていると思っている命も体も財産も時間も、すべて神さまから預かったものだと意識できるからです。そして、あの有名なタラントのたとえ(マタイ25:14-30)に出てくる良いしもべたちのように、預かったものをどう用いることが主人の望んでいることかを考え、一生懸命実践したように、預かった命や体や財産や時間を、神さまの喜ばれる方法で用いようとします。その結果、他の人に対する愛の行ないも喜んで実践できるのです。

神さまの恵みに対する感謝に満ちあふれている人が、イエスさまがおっしゃる「神に対して富む者」です。

ですから、神さまが恵みの神であることをいつも意識し、感謝しましょう。その現れとして、イエスさまが人となって地上に来られ、十字架にかかり、死んで葬られ、復活なさって私たちの罪を取り除いてくださったのだということをいつも意識し、感謝しましょう。意識しようとしないと、私たちはすぐに忘れてしまいます。ですから、意識して思い出し、言葉に出し、感謝の祈りを捧げ、賛美をささげましょう。

まとめ

私たちは「神に対して富む者」となるために、
  1. 自分の中に、自分が受け取る権利が無いものを欲しがる気持ちがないかいつもチェックし、もし見つけたらすぐに悔い改め、聖霊さまに祈りながらそれを捨て去りましょう。
  2. 自分がしたいことだろうか、自分がいいと思うことだろうか、自分が楽だろうか、自分にとって得だろうかという自分中心の発想で生きるのではなく、神さまと良い関係でいられる行動はなんだろうか、神さまが望んでおられることは何だろうか、神さまが喜ばれることは何だろうか、神さまのご計画の中でこれはすべきだろうかすべきでないだろうかという考え方をしましょう。
  3. 神さまの恵みをいつも意識して、感謝し続けましょう。

あなた自身への適用ガイド

  • 最近、自分の中に貪欲な心が芽生えたのを自覚したのはどういう状況でしたか? その結果、あなたはどのように行動しましたか?
  • 自分が考える自分の利益と、神さまのみこころとの間で葛藤した経験が最近ありましたか? その時あなたはどちらを選びましたか?
  • 神さまとの良い関係を保つような行動を選ぶという基準に照らすと、自分がやるべきこと(あるいはやめるべきこと)が何か示されましたか?
  • 神さまの恵みに対する感謝の故に、愛の行ないや正しい行ないが湧き上がってきたという経験がありますか?
  • 神さまの恵みをいつも意識し感謝できるために、あなたに工夫できることは何ですか?
  • 今日の聖書の箇所を読んで、どんなことを決断しましたか?

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