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礼拝メッセージ:中通りコミュニティ・チャーチ

針の穴を通る神

ルカによる福音書18章18節〜27節

(2020年9月27日)

礼拝メッセージ音声

参考資料

20節の引用はモーセの律法の中の、いわゆる「モーセの十戒」の第5〜9戒です(出エジプト20:12-16)。

イントロダクション

今回のテーマは「永遠のいのち」です。それは何でしょうか。それが与えられるとどんな良いことがあるのでしょうか。そして、それを手に入れるにはどうしたらいいのでしょうか。

1.金持ちの青年との会話

永遠のいのち

ある指導者がイエスさまの所に来て質問をしました。平行記事であるマタイ19章やマルコ10章を読むと「青年」と書かれていますから、年若くして指導的な地位にあった人でした。新改訳第三版や口語訳では「役人」、新共同訳は「議員」と訳しています。とにかく、社会的に高い地位にあった人です。

この青年の質問は、「良い先生。何をしたら、私は永遠のいのちを受け継ぐことができるでしょうか」(18節)というものです。

永遠のいのちとは何でしょうか。永遠に存在し続けるという意味ではありません。というのも、聖書は信者であっても不信者であっても、肉体的に死んだ後も存在自体は永遠に無くならないと教えているからです。永遠のいのちは長さの問題ではなく、どういう状態で永遠の時を過ごすかという質の問題です。完全な喜びや平安の中で永遠を過ごすのか、それとも激しい痛みや苦しみや後悔の中で永遠を過ごすのか、です。

もちろん、青年が求めていたのは祝福に満ちた永遠です。そして、その永遠のいのちは、救い主が王として建てる神の国に受け入れられることによってもたらされます。彼の質問は、「何をしたら、私は神の国に入ることができるでしょうか」という質問と同じです。つまり、何をしたら救われるのかということです。
神を知ること
しかも、永遠のいのちは死んだ後の祝福だけではありません。今この時に受け取ることができるものです。

イエスさまは父なる神さまへの祈りの中で、永遠のいのちについてこんなことをおっしゃっています。「永遠のいのちとは、唯一のまことの神であるあなたと、あなたが遣わされたイエス・キリストを知ることです」(ヨハネ17:3)。

この「知る」というのは、「イエスっていう名前のこういう人がいるんだって。ふーん」という単なる頭の知識、情報に関する知識ではありません。ユダヤの文化で「知る」というのは体験的な知識のことです。ここでは、「その方と親密な交わりがあり、懇意にしていただいている」という意味です。永遠のいのちを持っているというのは、神さまに受け入れられ、親しく交わり、大切にしていただいているということです。

イエスさまは、聖書の神さまについて「人にはできないことが、神にはできるのです」(27節)とおっしゃいました。聖書の神さまは、力ある神、奇跡の神です。すなわち、自然法則や、常識、人間の努力や知恵をはるかに超えたことをなさるお方、どんな問題よりも大きく、どんな敵よりも強いお方です。

そういうお方と懇意であれば、私たちは何と安心でしょうか。ですから、この青年は永遠のいのちを求めてイエスさまの所に来たのです。
良い方
なお、その際この青年は、イエスさまのことを「良い先生」と呼びました。それに対するイエスさまの答えは、「なぜ、わたしを『良い』と言うのですか。良い方は神おひとりのほか、だれもいません」(19節)です。

ある人たちは「イエスは、自分は神ではないと主張したのだ」と解釈しますが、それは間違いです。ではどういう意味なのかは追々お話しすることになります。

イエスの答え

イエスさまは青年の質問に対して、モーセの律法の一部を示して、それを守ればいいとおっしゃいました。

ユダヤの学者よれば、モーセの律法は613の命令からなっていますが、それはバラバラなものではなく律法全体が一つのまとまりです。命令の1個でも違反したら、律法全体に違反したことになります。「律法全体を守っても、一つの点で過ちを犯すなら、その人はすべてについて責任を問われるからです。『「姦淫してはならない』と言われた方は、『殺してはならない』とも言われました。ですから、姦淫しなくても人殺しをすれば、あなたは律法の違反者になっているのです」(ヤコブ2:10-11)。

ですから、イエスさまがモーセの律法の中の5つだけ示されたのは、その5つだけ守っていればいいという意味ではなく、モーセの律法全体を守りなさいという意味です。

するとこの青年は答えます。「私は少年のころから、それらすべてを守ってきました」(21節)。このような返答をすると、たいていの場合、イエスさまはその人を偽善者呼ばわりなさいます。前回取り上げたたとえ話でも、自分が正しい生き方をしていると誇ったパリサイ人は神さまに受け入れられなかったと、イエスさまはおっしゃいました。

しかし、イエスさまはこの青年を偽善者として非難しておられません。平行記事のマルコ10:21には「イエスは彼を見つめ、いつくしんで言われた」と書かれています。パリサイ人たちの多くは、人々からの尊敬を集めるために、形ばかり律法を守っている姿を人々の前に晒していました。ですから心が伴っていないとイエスさまに非難されたのです。ところが、この青年は真面目に誠実に律法を守ろうとしてきたし、イエスさまも彼の誠実さを認めてくださっています。
持ち物をすべて売り払え
青年の答えを聞いたイエスさまは、優しく彼に言いました。「まだ一つ、あなたに欠けていることがあります。あなたが持っている物をすべて売り払い、貧しい人たちに分けてやりなさい。そうすれば、あなたは天に宝を持つことになります。そのうえで、わたしに従って来なさい」(22節)。

すると、とても青年は悲しみました。彼は大変な金持ちだったので、手放すものが非常に多かったからです。

イエスさまはその様子をご覧になっておっしゃいました。「富を持つ者が神の国に入るのは、なんと難しいことでしょう。金持ちが神の国に入るよりは、らくだが針の穴を通るほうが易しいのです」(24-25節)。すなわち、それくらい難しいことだ、と。

イエスさまがこんな厳しい命令をなさったのは、金持ちは救われないということを教えたかったからではないし、全財産を手放さないと救われないということを教えているからでもありません。私がカルト教団の指導者ならそう教えて、皆さんからお金を巻き上げるでしょうが、それは聖書の教えではありません。

二人の会話を聞いていた人たちの反応に対するイエスさまの答えが、そのことを教えてくれています。人々は考えました。この当時のユダヤでは、富が与えられるというのは、長寿や子だくさんと同様、神さまに祝福されている証拠だと考えられていました。そんな祝福されているはずの金持ちが救われにくいとしたら、金持ちでない人はどうなるんだろうか。

ですから人々たちはこう尋ねました。「それでは、だれが救われることができるでしょう」(26節)。

神にはできる

それに対してイエスさまは、「人にはできないことが、神にはできるのです」(27節)とお答えになりました。

金持ちの青年は「何をしたら」永遠のいのちが手に入るかと尋ねました。救われるために必要な行動、神さまに認められるための良い行ないを尋ねたのです。その質問が行き着く先は、「自分には到底、神の命令を守り切ることができない」という絶望でした。「人にはできない」のです。

本当の意味で「自分は良い」と言えるのは、19節でイエスさまがおっしゃっているとおり、神さまだけです。人間が行ないによって救われようとすれば、真面目に取り組めば取り組むほど、この青年のように絶望するしかありません。

イエスさまが「全財産を売り払え」という命令をなさったのは、行ないによって救われるという方法が不可能だということを青年に悟らせるためでした。

しかし、単にこの青年を絶望させるためではありません。私たち人間が行動によって救われ、永遠のいのちを手に入れ、神の国の市民権を獲得することができないとしても、「神にはできる」という希望があります。人にはできなかったことを、神さまはしてくださいました。

人を救い、永遠のいのちをもたらすために、神が人となって来られたというのがクリスマスのメッセージです。人となられた神、救い主であるイエスさまは、完璧にモーセの律法を守られました。そして、そのような罪のない方だったのに、私たち人間の身代わりとして十字架にかかって罪の罰を受け、死んで葬られ、3日目に復活なさいました。それが自分の罪を赦し、永遠のいのちを与えるためだと信じるだけで、私たちは救われます。これが「神にはできる」ということです。

イエスさまが「なぜ、わたしを『良い』と言うのですか」と尋ねたのは、自分が神であることを否定したのではなく、「私が単なる人間として良いのではなく、人となってきた神、救い主だということを信じての発言ですか?」という問いかけです。

マタイ19:22によると、この青年は絶望したまま去って行きました。しかし、もし踏みとどまり、「神にはできる」というイエスさまのことばを聞いていたなら、そして神さまの愛と恵みに信頼するという道を選んでいたなら、彼は絶望から希望に変えられていたことでしょう。
子どものように
直前の15-17節には、このようなエピソードが描かれています。

15 さて、イエスに触れていただこうと、人々は幼子たちまで連れて来た。ところが、弟子たちはそれを見て叱った。
16 しかし、イエスは幼子たちを呼び寄せて、こう言われた。「子どもたちを、わたしのところに来させなさい。邪魔してはいけません。神の国はこのような者たちのものなのです。
17 まことに、あなたがたに言います。子どものように神の国を受け入れる者でなければ、決してそこに入ることはできません」。


子どもが大人からの約束を素直に信じたり、プレゼントを素直に受け取り喜んだりするように、神さまによる一方的な赦し、一方的な永遠のいのちのプレゼントを信じて受け入れなさいということです。

では、私たちへのレッスンをまとめましょう。

2.私たちへのレッスン

永遠のいのちの素晴らしさを知ろう

永遠のいのちとは、神さまと仲良しだということだと申し上げました。聖書の神さまはどんなお方でしょうか。全知全能です。何でも知っていて、何でもすることができます。どんな問題よりも大きく強いお方です。

私たちの信じている神さまは小さすぎはしないでしょうか。大きくて賢くて力強い神さまをイメージしましょう。

神との良い関係を求めよう

永遠のいのちは神さまとの良い関係にあることですから、私たちは神さまとの関係が正しいかどうかいつも注意している必要があります。 クリスチャンが罪を犯したからといって、一旦与えられた永遠のいのちが取り上げられ、救いを取り消されることは決してありません。しかし、全知全能の神さまとの関係がおかしくなれば、永遠のいのちの祝福を十分に味わうことができなくなってしまいます。

預言者イザヤは言いました。「見よ。【主】の手が短くて救えないのではない。その耳が遠くて聞こえないのではない。むしろ、あなたがたの咎が、あなたがたと、あなたがたの神との仕切りとなり、あなたがたの罪が御顔を隠させ、聞いてくださらないようにしたのだ」(イザヤ59:1-2)。

ですから、神さまが喜ばれない行ないをしていた、神さまが喜ばれない思いを抱いていたということに気づいたら、すぐに悔い改めましょう。そして、神さまが喜ばれる生き方に戻りましょう。

恵みを信じよう

繰り返しますが、私たちは行ないによって救われ、永遠のいのちを手に入れるのではありません。私たちは神さまの愛と恵みのゆえに、すなわちイエスさまが私たちのために死んで復活なさったことによって、そしてそれを私たちが信じたことによって一方的に赦され、救われました。

「この恵みのゆえに、あなたがたは信仰によって救われたのです。それはあなたがたから出たことではなく、神の賜物です」(エペソ2:8)。

罪を犯してしまった、失敗したと思ったとき、悔い改めるだけですぐに神さまとの良い関係がに回復するのは、最初に救われたときと同じようにイエスさまのおかげです。子どものように素直にイエスさまの恵みを信じて、感謝しながら悔い改めましょう。

この話をお読みください

神さまは、あなたも一方的に愛し、赦し、受け入れてくださっています。それを素直に信じましょう。そして感謝と喜びにあふれましょう。

あなた自身への適用ガイド

  • 神さまにどんな祝福や奇跡を期待していますか?
  • 「神さまに喜ばれない行ないや思い」について、何か思い当たることがありますか?
  • 悔い改めた結果、生活の質が大きく変わったということが最近ありましたか?
  • 一方的な赦し、無条件の祝福ということについて、引っかかったり、信じがたいと思ったりする部分が、何かありますか?
  • 今日の聖書の箇所を読んで、どんなことを決断しましたか?

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