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礼拝メッセージ:中通りコミュニティ・チャーチ

勝手に考え出した生き方

イスラエルの王シリーズ3 「ヤロブアム」(北王国)

第1列王記12章25節〜33節

(2021年1月24日)

礼拝メッセージ音声

参考資料

25節の「シェケム」「ペヌエル」、29節の「ベテル」「ダン」の場所は、地図で確認してください(国境線は時代によって変化しています)。ベテルは北王国の南端、ダンは北端の町です。
(引用元:ウィキベディア

31節の「レビ」は、ヤコブ(イスラエル)の三男。モーセの律法では、祭司になれるのはレビの子孫(しかもアロンの子孫)に限られていました。

イントロダクション

現在、歴代のイスラエル王について学んでいます。 前回は、南王国ユダの最初の王レハブアムについて学びました。今回は、前回もちょっとだけ登場したヤロブアムという人物についてです。彼は北王国イスラエルの最初の王で、その後の北王国の性格を決定づけた人でもあります。物事、最初の心構えが肝心ですが、ヤロブアムを反面教師として、神さまに祝福された生き方の秘訣を教えていただきましょう。

1.ヤロブアムの罪

有能な人物

元々ヤロブアムは、ソロモン王に重く用いられた有能な家来でした。「ヤロブアムは手腕家であった。ソロモンはこの若者の働きぶりを見て、ヨセフの家のすべての役務を管理させた」(11:28)。

創世記に登場するヤコブには12人の息子がいて、彼らからイスラエルの十二部族が出ます。ヤコブの11番目の息子ヨセフには2人の息子がいて、一人がマナセ、もう一人がエフライムです。

ソロモンはヤロブアムの能力を認めて、ヤロブアムの出身地であるエフライム地域の知事に任命したわけです。これは、一地方の知事にしたというだけではありません。エフライム族は、ダビデ王家が属するユダ族に匹敵するほど発展して、北の十部族の中でも中心的な部族になっていましたから、北の諸民族をまとめる重大な地位に就いたということです。ソロモンが、どれだけヤロブアムの能力を高く評価したかが分かります。
ヤロブアムの選び
ところが、そのヤロブアムがソロモンに反逆します。神さまは、ソロモン王の偶像礼拝の罪に対する罰として、ソロモンに敵対した人たちを何人か挙げていますが、その一人としてヤロブアムが登場します。「ツェレダの出のエフライム人ネバテの子ヤロブアムはソロモンの家来であった。彼の母の名はツェルアといい、やもめであった。ところが彼も王に反逆した」(11:26)。

ヤロブアムが反逆した背景について、聖書は次のように語っています。「そのころ、ヤロブアムがエルサレムから出て来ると、シロ人で預言者であるアヒヤが道で彼に会った。アヒヤは新しい外套を着ていた。そして彼らふたりだけが野原にいた。アヒヤは着ていた新しい外套をつかみ、それを十二切れに引き裂き、ヤロブアムに言った。『十切れを取りなさい。イスラエルの神、【主】は、こう仰せられます。『見よ。わたしはソロモンの手から王国を引き裂き、十部族をあなたに与える』」(11:29-31)。
エジプトへの脱出
その話はどういうわけかソロモン王の知るところとなります(密告があったか、あるいは血気にはやったヤロブアムが、早々にソロモン王への反逆の意思を明らかにしたのでしょう)。とにかくソロモンはヤロブアムを殺そうとしました。そこで、ヤロブアムは一時的にエジプトに逃れて、エジプト王シシャクに保護されることになります。
再起
時が過ぎ、ソロモン王が亡くなって、その子レハブアムが跡を継ぎました。前回も学びましたが、ソロモンは国民に重い労役や税金を課して苦しめたので、北の十部族の人たちは負担を軽くしてくれるようレハブアムに願いました。そのとき、彼らの代表としてレハブアムと交渉したのが、エジプトから呼び戻されたヤロブアムでした。

ところが、前回学んだとおり、レハブアムは民衆の願いを無視したどころか、もっと負担を重くすると回答しました。そこで、北の十部族はレハブアムに反逆して、ヤロブアムを王として独立しました。その結果誕生したのが、北王国イスラエルです。それだけ北の十部族の人たちもヤロブアムの能力を高く評価していたのです。

偶像礼拝

北王国の王となったヤロブアムが行なったことが、今回の箇所に書かれています。

彼は考えました。神殿は南王国の首都であるエルサレムにあります。モーセの律法には、毎年行なうように命ぜられている7つの祭りが定められています。そのうちの3つ、過越の祭り、七週の祭り(ペンテコステ)、仮庵の祭りは、神の契約の箱がある場所、すなわちエルサレムの神殿で行なわなければなりません。

ですから、このままでは、北王国の人たちも少なくとも年に3回はエルサレムに詣でなければなりません。結果的に、北王国の人たちの心がエルサレム、ひいては南王国に傾いて、やがて自分を排して再統一しようという動きが起こりはしないか。ヤロブアムはそれを恐れたのです。

そこで、北王国の人たちがエルサレムに行かなくてもいい方法をヤロブアムは考えつきました。金の子牛を2体作って、それを王国の南端と北端の町、ベテルとダンに安置しました。そして、これこそ私たちがアブラハム以来仕えてきた神、我々ユダヤ人をエジプトから解放してくださった神ヤハウェだと言って、この金の子牛を礼拝するように通達しました。

聖書を無視して考えれば、ヤロブアムの行動はまことに理にかなっています。しかし、それは神さまの論理には反しています。

金の子牛は、元々はモーセの時代に作られた偶像です。モーセが神さまから律法を受け取るためにシナイ山に登っている間、なかなかモーセが戻ってこないことに不安になった民衆が騒ぎ出しました。今にも暴動が起こりそうになったため、モーセの兄アロンは、彼らの不安を静めるために金の子牛を作って、これこそ自分たちをエジプトから連れ出した神、ヤハウェであると言いました。この時、モーセが必死でとりなしの祈りをしなければ、イスラエル民族はここでモーセとその子孫を除いて皆殺しになっていたはずでした(出エジプト31章)。

モーセの律法でも、偶像礼拝は罪だとはっきり教えられています。しかし、ヤロブアムはそんな故事や教えを無視して金の子牛を作りました。

33節にはこう書いてあります。「彼は、自分で勝手に考え出した月である第八の月の十五日に、ベテルに造った祭壇でいけにえを献げた」。この「勝手に考え出した」という言葉が、ヤロブアムの王としての生き方をよく表しています。彼は、自分の能力や知恵により頼んで、神さまに尋ねたり従ったりしなかったのです。
継承された罪
こうして、ヤロブアムは国を挙げて偶像礼拝を行ないました。南王国は、ほぼ一貫してダビデ王家が国を治めました(6年間だけ、北王国出身の女王が治めた時期がありましたが、その後は再びダビデ王家が王権を奪取しました)。しかし、北王国ではたびたびクーデターが起こって、次々と王朝が変わります。それでも、初代の王ヤロブアムが行なった偶像礼拝は、一貫して北王国で行なわれ続けます。

この偶像礼拝の罪のことを、聖書は「ヤロブアムの罪」と呼んでいます。たとえば、ヤロブアムの即位から90年後にクーデターを起こして王となったエフーという人について、聖書はこのように記しています。「ただし、エフーは、イスラエルに罪を犯させたネバテの子ヤロブアムの罪、すなわち、ベテルとダンにあった金の子牛に仕えることをやめようとはしなかった」(第2列王記10:29)。

罪の刈り取り

預言者アヒヤは、ヤロブアムが北王国の王になると預言したとき、同時に次のような約束を語っています。「もし、わたしが命じるすべてのことにあなたが聞き従い、わたしの道に歩み、わたしのしもべダビデが行ったように、わたしの掟と命令を守って、わたしの目にかなうことを行うなら、わたしはあなたとともにいて、わたしがダビデのために建てたように、確かな家をあなたのために建て、イスラエルをあなたに与える」(11:38)。

逆に言えば、ダビデの生き方に倣わず、ソロモンのように神さまに反逆するならば、ヤロブアム王朝や北王国イスラエルも神さまのさばきにあうということです。

まず、王子であるアビヤが病気にかかって死んでしまいます(14章)。さらに、ヤロブアム自身も南王国との戦いに負けて当初の勢力を失ってしまい、おそらく最後は病気で死んでしまいます(第2歴代誌13章)。そして、彼の跡を継いだナダブは、その2年後にバアシャのクーデターによって殺され、ヤロブアム王朝はわずか2代で潰えてしまいました。

これまで通り、なんだか悲しい結末になりました。しかし、いつも申し上げているとおり、神さまは私たちを愛しておられ、祝福を与えたいと願っておられることを忘れてはなりません。このような悲しい結末の話が聖書に書かれているのも、私たちの祝福のためです。というわけで、ここから私たちへの祝福のメッセージを読み取っていきましょう。それは……

2.神のみこころにかなう生き方をしよう

聖書の神に聴こう

ヤロブアムは有能な人物でした。それだけに、自分の知恵にだけ頼ってしまって、神さまに尋ね、神さまに従うことを忘れてしまいました。確かに、北王国の人たちが礼拝のために南王国のエルサレムに詣でることで、彼らの心が南王国に奪われてしまうことは心配だったでしょう。しかし、それについて彼は神さまに聞くことをしませんでした。

北王国のシロという町には、かつてヤロブアムが北王国の王になると預言したアヒヤが住んでいました。後に、王子アビヤが重い病気にかかったとき、ヤロブアムは預言者アヒヤの元に王妃を遣わしています。ですから、エルサレム神殿での祭りに関しての悩みも、預言者アヒヤを通して神さまに尋ねることができたはずなのです。

神さまは、多くのことは私たちが自分の知恵を尽くして考え、実行する自由を与えてくださっています。しかし、同時にいつも「神さまはこの問題についてどうお考えだろうか」ということを考えていたいと思います。聖書を読み、また「神さま、あなたはどうお考えですか?」と祈りながら、神さまのみこころを教えていただき、様々な決断の参考にしましょう。

聖書の神を値引かないようにしよう

さて、さばきを招くことになったヤロブアムの罪は、偶像礼拝の罪でした。

聖書は一貫して偶像礼拝は罪であるとして禁止しています。なぜ偶像礼拝が禁止されているのでしょうか。異教の神々を礼拝するのは論外としても、モーセの時代もヤロブアムの時代も、金の子牛は聖書の神、ヤハウェを礼拝するために作られたものです。なのになぜそれがいけないのでしょうか。

それは、無限である神さまを、有限である木や石や金属で表現できるはずがないからです。たとえば、
  • 慈愛に満ちた神さまの像を刻んだとします。しかしそれは正義の神さまが罪を裁かれる厳しさを表現できません。
  • 罪を裁く厳しい表情の神さまの像を刻んだとします。しかしそれは罪を赦す恵みに満ちた神さまの愛を表現できません。
  • 一箇所に留まる像を刻むことで、あらゆる場所に存在しておられる(遍在と言います)神さまのご性質を表せません。
  • 他の宗教の神々も偶像で表されています。聖書の神さまが偶像に刻まれると、他の神々と同じレベルになってしまいます。
このように、偶像は分かりやすい反面、神さまの様々なご性質を制限することになります。それは全知全能である神さまに対する大変な失礼です。偶像礼拝がいけない理由の一つがそれです。

そればかりではありません。神さまのご性質が制限されると、結果的に私たちの人生も様々な制限を受けることになります。たとえば、
  • 神さまの正義の部分だけが強調されると、私たちは神さまに対する恐ればかりを膨らませ、いつもさばきを恐れてビクビクしながら生活することになりかねません。
  • 神さまの愛の部分だけが強調されると、私たちはどうせ赦されるんだからと、自分勝手な生き方をすることになりかねません。各人が自分勝手に生きられれば自由でいいじゃないかと思いますが、実際にはみんな不幸になります。それは、無政府状態に陥った国や地域の状況を見れば明らかです。
  • 神さまの力や知恵が制限されれば、私たちは「何が起こっても大丈夫」という平安を味わえません。
ですから、たとえ異教礼拝でなくても、聖書は偶像を作って拝むことを禁止しているのです。
頭の中の偶像
たとえ物理的に像を刻んで拝んだりお守りなどを身につけたりしなくても、占いや運勢を気にしたり、パワースポット巡りをしたり、風水に則って模様替えをしたりするなら、それもやっぱり偶像礼拝です。

また、頭の中で聖書が教える神さまとは違う神さまイメージを抱くとしたら、それも偶像礼拝と同じです。いつも、聖書が教える神さまのイメージに、私たちの頭の中の神さまイメージを修正していかなければなりません。

以前高校生の不登校の女の子のカウンセリングをしました。その子は牧師の娘でした。小さいときから聖書の神さまについて聞いていたはずなのですが、彼女の頭の中には、罪をさばく怖い神さまのイメージが染みついていました。

友だちの言動に対して批判的な気持ちになるときがありますが、そんなとき彼女は自分を責めてしまうのです。自分の行動が不純で不完全だということで、いつも自分はダメで、いつか神さまから罰を受けると恐れていました。友だちといると、ダメな自分が思い知らされるので、ついには学校に行けなくなってしまったのです。

話し合う中で、この方は聖書が教えている神さまを信じ直すことになさいました。罪を赦してくださった神さま。そのために御子イエスさまを犠牲になさるほどに私たちを愛してくださった神さまです。そして、平安を取り戻し、学校に復帰したばかりか、その後神学校に入って、命がけで私たちを愛してくださった聖書の神さまを人々に伝えるために伝道者の道に進まれたと聞きました。

人の失敗に学ぼう

ヤロブアムはソロモンの家来でした。そして、彼の政治のやり方を身近で観察していました。

ソロモンによって国が非常に繁栄したのは、ソロモンが自分には国を治める力がないと謙遜に認めて、神さまに知恵を求めたためです。そして、ソロモンが神さまに頼るのをやめて偶像礼拝に走ったために神さまの祝福を失ったことを、預言者アビヤから聞かされました。

ですから、ソロモンと同じ轍を踏むのを避けられたはずなのです。しかし、彼はソロモンと同じ過ちを犯してしまいました。国を治めるために、聖書の神さまに従う代わりに、自分の能力や偶像に頼る道を選んでしまったのです。彼はソロモンの失敗から何も学びませんでした。

大学時代の歴史学の教授が教えてくださいました。「年号と出来事を記憶するのが歴史の勉強じゃない。我々が過去の歴史を振り返るのは、過去に学んで今をどう生きるか学ぶためだ」。

失敗は私たちの多くのことを学ばせてくれます。自分自身の失敗もそうですし、他の人の失敗もそうです。自分が失敗したときに、ただ残念だったで終わらせていなかったでしょうか。他の人が失敗したときに、ただ批判して終わってはいなかったでしょうか。そこから何か意味あることを学ぶことを神さまは期待していらっしゃいます。

使徒ペテロは、イエスさまのことを3度知らないと言う失敗を犯しました。パウロは、かつて教会を迫害して多くのクリスチャンを死に至らしめました。しかし、彼らはその痛い失敗の記憶を生かして、神さまの恵み、イエスさまの十字架と復活による一方的な赦し、聖霊さまのお助けによるきよめのメッセージを伝える大伝道者に変えられました。

私たちは失敗します。他の人も失敗します。聖書の中にもたくさんの失敗の記録が載っています。それらを生かして、神さまが祝福される人生がどういうものかを学び、実践しましょう。

まとめ

ヤロブアムの失敗を他人事として評論するのではなく、彼の失敗から学んで神さまに従う生き方を選び続けましょう。

あなた自身への適用ガイド

  • 神さまに聞かず、自分の知恵に従って行動した結果、物事がうまくいかなかった経験が最近ありましたか?
  • 逆に、自分の考えを神さまのみこころに合わせて修正し、その結果物事がうまくいった経験がありましたか?
  • 自分の頭の中に、聖書が教える神さまイメージ、イエスさまイメージとは違うイメージを持っていたことに気づかれましたか? それがどんな悪影響をあなたに与えていましたか? そして、どんなふうに修正しようと思いましたか?
  • 最近どんな失敗をなさいましたか? そこから神さまはあなたに何を学んで欲しいと願っておられると思いますか?
  • 今日の聖書の箇所を読んで、どんなことを決断しましたか?

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