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礼拝メッセージ:中通りコミュニティ・チャーチ

神のことばの選り好み

イスラエルの王シリーズ5 「アハブ」(北王国)

第1列王記22章1節〜8節

(2021年2月7日)

礼拝メッセージ音声

参考資料

ここに登場する「イスラエルの王」とはアハブのことです。

2節の「ヨシャファテ」は南王国4代目の王で、先代のアサ王が行なった宗教改革を継続しました。また、ずっと対立していた北王国と和解して同盟を結びました。

北王国イスラエル、南王国ユダ、アラム、ラモテ・ギルアデの位置関係は以下の地図をご覧ください(国境線は時代によって変化します)。

イントロダクション

現在、歴代のイスラエル王について学んでいます。 今回取り上げるのは、北王国7代目の王アハブです。彼は、北イスラエルでも最悪の王として知られています。今回は、アハブを私たちクリスチャンの反面教師としましょう。まずは、アハブの問題点を取り上げます。

1.最悪の王アハブの問題点

偶像礼拝

アハブについて、聖書はこんな評価を下しています。「オムリの子アハブは、彼以前のだれよりも【主】の目に悪であることを行った。彼にとっては、ネバテの子ヤロブアムの罪のうちを歩むことは軽いことであった。それどころか彼は、シドン人の王エテバアルの娘イゼベルを妻とし、行ってバアルに仕え、それを拝んだ。さらに彼は、サマリアに建てたバアルの神殿に、バアルのために祭壇を築いた。アハブはアシェラ像も造った。こうしてアハブは、彼以前の、イスラエルのすべての王たちにもまして、ますますイスラエルの神、【主】の怒りを引き起こすようなことを行った」(16:30-33)。

「ヤロブアムの罪」と書かれていますが、ヤロブアムは北王国イスラエルの最初の王です。彼は、国民が南王国のエルサレムに礼拝のために出かけるのを防止するために、金の子牛の像を2体造って、これこそ私たちの先祖をイスラエルから連れ出した聖書の神さまだと言って、それを国の北と南の町に安置しました。ヤロブアムは、モーセの律法が禁止している偶像礼拝を国民に犯させたのです。

ヤロブアムが造った金の子牛は、聖書の神さまを偶像にしたものでしたが、王妃イゼベルの影響を受けたアハブは、異教の神々を礼拝し、それを国家事業として推進したわけです。ちょうど、ソロモン王が外国からめとった妻たちの影響で異教礼拝を国中に広めたのと同じです。

王妃イゼベルの悪影響

とはいえ、アハブは聖書の神さまへの信仰を完全に捨ててしまったわけではありませんでした。子どもたちには聖書の神さまヤハウェにまつわる名前をつけています(後継者アハズヤは「ヤハウェは握る」、王女アタルヤは「ヤハウェは権力者」という意味)。また、まことの神さまに仕える預言者に対しては、苦々しく思いながらも積極的に殺すという態度ではありませんし、時には預言者が語る神さまの警告を聞いて悔い改めたりもしています。

ところが、王妃イゼベルは外国から来た女性です。彼女はシドンの王女でした。シドンは地中海沿岸にあったフェニキア人の都市国家で、今のレバノンのサイダという町に当たります。ですから、聖書の神さまに対する信仰は毛ほどもありません。

聖書によると、イゼベルはまことの神さまに仕える預言者を数多く殺しました。宮廷長官オバデヤが密かにかくまってイゼベルの魔の手から守った預言者が100人と言われていますから(18:4)、イゼベルはもっと多くの数の預言者を殺したのでしょう。

アハブ王はそんな彼女の暴挙をたしなめるどころか、彼女の言うがままに政治を行なっていました。イゼベルはアハブを完全に尻に敷いていて、北イスラエルの政治に強烈な影響力を行使していたのです。
ナボテ事件
それが良く分かるエピソードがあります(21章)。ナボテという人がぶどう畑を持っていました。それが宮殿のすぐ近くにあったので、アハブ王はその畑を譲って欲しいとナボテに申し入れました。他の場所に良い畑を用意して、相応の報酬も支払うというわけですから、この申し入れ自体は問題なさそうに思えます。

しかし、モーセの律法では、先祖伝来の土地は手放してはいけないことになっていました。貧しさのあまり土地を売ったとしても、お金ができたら買い戻さなければなりませんし、そうでなければ親戚一同が何としても買い戻さなければなりませんでした(レビ25:23-28)。そこで、ナボテはアハブの申し入れを断りました。

申し入れを拒否されたアハブがふてくされていると、イゼベルが自分に良い考えがあると言いました。そして、イゼベルはアハブの名を使ってナボテが住んでいる町の長老たちに対して手紙を送りました。それは、ナボテが聖書の神さまを冒涜したから殺すようにという命令書です。しかも、偽の証言者を立てて必ず裁判で有罪にせよという指示まで行ないました。こうして、哀れなナボテは無実の罪で死刑になってしまいました。

アハブ王は、そういうことをしたイゼベルを責めるどころか、イゼベルが勧めるがまま嬉々として持ち主のいなくなったあの畑を手に入れようとしたのです。
エリヤの叱責とアハブの悔い改め
ここで神さまがアハブの元に遣わしたのが預言者エリヤです。今回は詳しく触れませんが、異教の神々に仕える預言者数百人と雨ごい合戦を行なったあのエリヤです(こちらの記事をお読みください)。エリヤは、アハブがナボテを殺し、その上土地まで奪い取ったと責めて、「犬たちがナボテの血をなめた、その場所で、その犬たちがあなたの血をなめる」(21:19)と預言しました。そして、イゼベルもアハブの子孫も死に絶えると警告しました。

すると、それを聞いて震え上がったアハブは悔い改め、粗布を着て断食しました。そこで神さまは、さばきを一旦保留になさいました。

ところが、残念ながらせっかく保留してもらったさばきを、アハブはまたも自らの行ないによって再び有効にしてしまいます。次にそこを見ていきましょう。

神のことばへの不誠実な態度

アハブが国を治めているとき、北にあるアラムという国(今のシリア)が北王国イスラエルを攻めてきました(20章)。アラムの王はベン・ハダドという名前です(南王国のアサ王が同盟を結んだベン・ハダドの息子、すなわちベン・ハダド2世です)。

この時、名前は記されていませんが一人の預言者がアハブ王のところに来て預言しました。それは、必ずイスラエル軍が勝利するというものです。しかも、

その通り、イスラエル軍はアラム軍を撃退しました。

翌年、アラム軍は再び北王国に攻撃を仕掛けてきましたが、この時も一人の預言者が勝利を預言して、神さまこそまことの神だということを示すと言いました。というのは、アラムの王や家来たちは、聖書の神さまのことを世界にたくさんいる神々の中の一人程度にしか考えていなかったからです。もしも、圧倒的大軍で攻めてきたアラム軍をわずかな軍勢で打ち破れたら、聖書の神さまこそ唯一まことの神だということを内外に知らしめることができます。

そして、預言通りイスラエル軍は大勝利を得て、アラムの王を降伏させました。ところが、すっかり謙遜な態度に変わったアラム王やその家来たちの態度を見て気を良くしたアハブは、アラム王を赦して釈放し、和平条約を結びました。しかし、これは神さまの偉大さを示すためにアラムを徹底的に叩くという神さまのご計画に反していました。

そこで神さまは、ある預言者が仲間に自分の体を打ちたたかせて、わざと怪我をするよう命じました。そしてその預言者は、傷ついたイスラエル兵の振りをしてアハブ王に近づいて言いました。「自分は上官から敵軍の捕虜を見張るよう命ぜられていました。もし逃がしたら死刑か多額の賠償金を支払わせると上官は言いました。ところが、私はその捕虜を逃がしてしまったのです」。するとアハブ王は、「お前は上官が言ったとおりにさばきを受けなければならない」。

そのとき、兵士に化けていた預言者が正体を現して、アハブがアラムの王を逃がしたことを責めました。敵兵を逃がした兵士がさばきを受けて死ななければならないとしたら、敵の親玉を逃がしたあなたはどうなのかというわけです。預言者は、アハブが神さまのご計画に従わなかったせいで、本来死ぬはずだったアラムの王の代わりにアハブが死ぬことになると宣告しました。こうして、かつて保留してもらったさばきですが、結局アハブとその一族に下ることになったのです。
アハブの最期
その続きが今回の箇所です。アラムとの戦いは、その後3年間はありませんでしたが、またもやアラムとの間に戦いが起こりました。アラム王ベン・ハダドが降伏した際、かつて彼の父が北王国イスラエルから奪った町々を返すと約束をしました。ところが、ラモテ・ギルアデという町はなかなか返さなかったので、アハブ王は戦争によって強制的に奪い返すことを決意しました。

ちょうどその頃、南王国ユダのヨシャファテ王が北王国を訪問していました。南北の王国は分裂以降敵対していましたが、アハブとヨシャファテは和平を結んだのです。そこで、アハブ王はヨシャファテ王に援軍を頼みました。

ヨシャファテについては来週詳しく学びますが、彼は父のアサ王が行なった宗教改革を引き継いだ信仰的な王でした。そこで、まず預言者を通して神さまのみこころを聞こうではないかとヨシャファテは提案しました。

アハブ王は400人の預言者を集めて、神さまの言葉を語らせました。すると、彼らは全員、勝利できるから戦いに出てくださいと言いました。ところが、さすがは普段から神さまを心から礼拝しているヨシャファテです。この人たちが、神さまが遣わした本物の預言者ではないと見抜きます。そして「他に預言者はいないのですか」とアハブに尋ねました。

この時預言者エリヤは近くにいなかったようですが、ミカヤという預言者がいました。ところが、この人がアハブの気に入らない預言ばかりするので、アハブは彼を呼ばなかったのです。しかし、ここでヨシャファテの機嫌を損ねると援軍を受けられませんから、アハブはしぶしぶミカヤを呼び出しました。

するとミカヤは皮肉たっぷりに言いました。「あなたは攻め上って勝利を得なさい。【主】は王の手にこれを渡されます」(15節)。しかし、それがミカヤの本心から出た言葉でなく、「偽預言者たちが言うとおり、やれるものならやってみろ。どうなっても知らないぞ」という皮肉であることはアハブも気づきました。そこで、真面目に預言しろと指示しますと、ミカヤは本当の神さまの言葉を告げました。それは、アハブは偽預言者たちによって惑わされ、のこのこ戦いに出かけていって死ぬという内容でした。

頭にきたアハブはミカヤを捕らえて牢に入れてしまいました。こうしてアハブ率いる北王国軍は南王国の援軍と一緒にラモテ・ギルアデに向かって攻め上りました。信仰的なヨシャファテがどうしてミカヤの警告にも関わらず一緒に戦いに出かけたのかは分かりませんが、アハブとの同盟を大切に思ったからでしょう。ヨシャファテは、戦いが終わって帰国した後で預言者エフーにこのことについて叱られています(第2歴代誌19:2)。

さて、戦いに出たアハブは、ミカヤの預言を信じたくない一方で、やっぱり気にはしていました。そこで姑息な手段に出ます。同盟者であるヨシャファテには王服を着たまま戦いに出るよう願い、自分は一般兵士の変装をしたのです。つまり、ヨシャファテを自分の替え玉に仕立てたわけです。自分たちのために一緒に戦ってくれる恩人に対して、とんでもない仕打ちですね。

案の定、最初敵兵はヨシャファテをアハブだと信じて攻撃してきましたが、ヨシャファテが神さまに叫び求めると、神さまは彼を助けてくださいました(第2歴代誌18:31)。敵兵が替え玉だと気づいて追撃をやめたのです。

一方、変装して自分の身を守ろうとしたアハブですが、敵の流れ矢にたまたま当たってしまいます。そして、それが元で死んでしまいました。アハブが乗っていた戦車にはおびただしい血が流れ出て、戦いが終わった後に犬がそれを舐めました。かつてエリヤが預言した通りになったのです。

では、私たちはここからどんな教訓を得ることができるでしょうか。それは……

2.しっかりとした行動基準を持とう

行き当たりばったり

アハブには、王として、また人としての明確な行動基準がありませんでした。ですから、そのときそのとき自分の気分で、行き当たりばったりに行動を選択してしまいました。

彼にとって、自分をいい気分にさせてくれる人が味方であり、嫌な気持ちにさせる人は敵でした。ですから、自分の味方でいてくれる王妃イゼベルを重んじて言いなりになったし、おだてられるといい気持ちになってアラムの王と和平条約を結んで釈放してしまったし、自分の思い通りに町が返ってこないと、頭にきて和平を破ってアラムに攻め込もうとしたのです。

北王国の人たちもユダヤ人ですから、当時はモーセの律法という神さまが与えてくださった行動基準があります。また、北王国にも預言者がたくさんいて、必要に応じて神さまからのメッセージを伝えていました。本来、アハブはモーセの律法や預言者から神さまのことばを聞いて、それに従って生きていくことが求められていました。

アハブは、イゼベルのようにまったく聖書の神さまを信じていなかったわけではありません。彼は預言者の言葉を一応気にしてはいましたし、時には厳しいさばきの宣告に震え上がって悔い改めたりもしました。

しかし、自分の気分が行動基準であるアハブは、神さまの言葉も自分のそのときの気分や好みによって取捨選択しました。自分が勝利するとか祝福されるとかいう預言は喜んで聞きましたが、彼の行動の間違いを指摘したり、その結果さばきを受けると宣告されたりする預言は、ほとんどの場合聞こうとしませんでした。

エリヤが罪を指摘したときには、かつて雨ごい合戦でその力を嫌と言うほど見せつけられていましたから、さばきの宣告に震え上がって悔い改めましたが、ミカヤについては舐めてかかっていたのでしょう。罪を指摘されてもまったく悔い改めようとしませんでした。

挙げ句に、自分の願いを読み取って忖度してくれる預言者、自分が聞きたい預言を語ってくれる偽預言者ばかり自分の周りに侍らせて、エリヤやミカヤのようなまことの預言者は遠ざけました。

その結果、彼の最期はとても惨めなものになってしまいました。

私たちはどうか

今この時代、神さまは聖書を通して私たちに語りかけてくださっています。私たちは、神さまのみことばである聖書をすべて余すところなく受け入れ、それを自分の行動基準にしようとしているでしょうか。アハブのように、自分が聞いてうれしいみことばは受け入れるけれど、好みに合わないみことば、つらい気持ちや嫌な気持ちになるみことばは受け入れないというふうに、選り好みしていないでしょうか。

私自身のことを振り返ってみると、神さまが私を愛しておられること、どんな罪も完全に赦して何度でもやり直しのチャンスを与えてくださること、何が起こっても祝福に変えてくださるということ、たとえ死んでも永遠に続く祝福が待っているということ、誰にもほめられなくても神さまは見ていてくださって、死んだ後に必ず報いを与えてくださること、必要ならば奇跡でさえも起こして私たちを助けてくださるということなどは、いつも聞いていたいメッセージです。そして、もちろんいつも聞いていなければなりません。

今回学んだアハブの生涯にも、神さまの愛、あわれみ、恵みがアハブに注がれているのが分かります。異教礼拝を行ない、人を人とも思わぬ不法な行ないを平気で行なうアハブですが、神さまは彼を何度もアラムの攻撃から守ってくださいました。様々な預言者を遣わして、彼が悔い改めて神さまと良い関係になり、本来与えられるはずの祝福を味わうことができるようにチャンスを何度も与えてくださいました。私たちは、神さまが愛の神、恵みの神、赦しの神、祝福の神であることを決して忘れてはなりません。

その一方で、神さまは罪を憎み、罪を罰します。クリスチャンになったからといって思い通りの人生が送れるわけではないし、かえって様々な苦しみに遭うこともあります。たとえ自分の感情では嫌なことでも、神さまが命じておられることはやらなければなりません。神さまや人を愛するために、私たちは積極的に犠牲(財産や体力、プライド、時間、ときには命など)を払わなければなりません。そういうことを教えている聖書の箇所は、私はあまり喜んで読みたいと思いません。

それでも私たちは自分の気分でみことばを選り好みしてはいけません。気分がいい箇所も、そうでない箇所も、すべてまんべんなく読み、受け入れなければならないのです。

ヘブル書の記者がこんなことを語っています。「あなたがたは年数からすれば教師になっていなければならないにもかかわらず、神のことばの初歩をもう一度だれかに教えてもらう必要があるのです。あなたがたは堅い食物ではなく、乳を必要とするようになっています。まだ乳ばかり飲んでいるような者はみな、義の教えに通じてはいません。幼子なのです。しかし、堅い食物はおとなの物であって、経験によって良い物と悪い物とを見分ける感覚を訓練された人たちの物です」(ヘブル5:12-14)。

むしろ、読んでいてグサグサ心に突き刺さる箇所、自分の小ささや不完全さを思い知らされる箇所、実行するのは嫌だなあと感じる箇所こそ、今私が読まなければならない箇所です。あなたが読まなければならない箇所です。そして、そういう箇所に誠実に応答して実行することが、私たちを本当の幸せへと導きます。

この話をお読みください

通読のススメ

自分が好きなところをつまみ食いするような読み方だと、どうしてもヘブル書が言う「堅い食物」の箇所は避けてしまいがちです。ですから、通読をオススメします。聖書を最初から少しずつ順番に読んでいくのです。よく分かる箇所もあるし、よく分からない箇所もあるでしょう。読んでいてうれしい気持ちになるところもあるし、嫌な気持ちになる箇所もあるし、無味乾燥で何にも感じない箇所もあるでしょう。それでも続けて読んでいくのです。

そうすると、聖書のメッセージが私たちの心の中にたっぷりと蓄えられます。そして、ここぞと言うときに私たちの行動基準となります。是非チャレンジしてみてください。

まとめ

聖書のどんな箇所も選り好みしないで読み、受け入れ、応答しましょう。

あなた自身への適用ガイド

  • あなたにとって、最近読んだ「堅い食物」と「乳」はどの箇所ですか?
  • あなたが最近読んで感動したり慰められたり励まされたりした聖書の教えは何ですか? それによってあなたはどんなふうに祝福を味わいましたか?
  • 今のあなたにとって、できればスルーしたい聖書の教えは何ですか? どうして抵抗を感じますか?
  • たとえ話のAさんのように、読むのがつらい箇所だったけれどそれに従って行動したところ、結果的に祝福を刈り取ったという経験がありましたか?
  • 今日の聖書の箇所を読んで、どんなことを決断しましたか?

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