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礼拝メッセージ:中通りコミュニティ・チャーチ

自立した信仰

イスラエルの王シリーズ7 「ヨアシュ」(南王国)

第2歴代誌24章15節〜22節

(2021年2月28日)

礼拝メッセージ音声

参考資料

ヨアシュは、女王アタルヤが王族を抹殺した際には乳児でしたが、祭司エホヤダの妻にかくまわれて命を守られました。そして、7歳の時、エホヤダが軍隊やリーダーたちを味方につけてアタルヤを倒したことで、第8代の王となりました。

エホヤダの子ゼカリアの死について、イエスさまはユダヤの霊的指導者たちへの非難の中で触れておられます。「それは、義人アベルの血から、神殿と祭壇の間でおまえたちが殺した、バラキヤの子ザカリヤの血まで、地上で流される正しい人の血が、すべておまえたちに降りかかるようになるためだ」(マタイ23:35)。
  • ザカリヤはゼカリアのギリシア語読みです。父の名前が違うのは。それがエホヤダの別名か、それとも祖父や曾祖父の名前なのでしょう(聖書では、2代以上離れていても父・子と表現することがあります)。
  • ユダヤ人の使っている聖書は、私たちが使っている旧約聖書と書物の数や中身は同じですが順番が違っていて、創世記から始まって歴代誌で終わります。ですから「アベルの血からザカリヤ(ゼカリア)の血まで」という表現は、最初の殉教者から最後の殉教者までという意味で用いられています。

イントロダクション

現在、歴代のイスラエル王について学んでいます。 今回取り上げるのは、南王国ユダ第8代の王ヨアシュです。この人の生涯を語る上で無視できないのが、祭司エホヤダという人です。エホヤダがヨアシュの人生にどのような影響を与えたのかということを見ていくことによって、私たちの人生が祝福に満ちたものになるための注意点を探っていきましょう。

1.エホヤダの影響力

王座奪還

これまで何度かお話ししたように、北王国ではたびたびクーデターが起こって王朝がコロコロ変わりましたが、南王国では基本的にずっとダビデの子孫が国を治めました。ところが、唯一例外があって、7代目のアタルヤという女王だけはダビデの子孫ではありません。
前々回のヨシャファテ王の回でお話ししましたが、ヨシャファテは北王国との融和政策をとりました。そして、当時の北王国王アハブと王妃イゼベルの娘アタルヤを、自分の嫡男ヨラムの妻として迎え入れました。アタルヤは、母イゼベルが北王国でそうしたように、南王国に異教礼拝を広めました。そして、ヨラムとアタルヤの間に生まれたのがアハズヤで、彼は第6代の王になります。
アタルヤによる虐殺
ヨラム王が死んでアハズヤが跡を継ぐと、北王国ではエフーが反乱を起こして、アハブ王家の者たちを次々と殺しました。そのとき、たまたま北王国を訪問していたアハズヤ王も殺されてしまいます。彼もアハブとイゼベルの孫だからです。その報告を受けた王の母アタルヤは、自らが女王となって南王国に君臨しました。そして、自分の地位を脅かす可能性のある王族たちを次々と殺したのです。

しかし、アハズヤの息子たちの中で、当時1歳足らずだったヨアシュは命を守られました。アハズヤの姉妹で祭司エホヤダの妻になっていたエホシェバが、ヨアシュとその乳母を逃がして、彼らを夫エホヤダと共にかくまったのです。
エホヤダの決起
それから6年後、祭司エホヤダは軍隊や政治的リーダーたちを味方につけて、ついに女王アタルヤを討ち果たしました。こうしてヨアシュが7歳で第8代の王となります。一旦途切れかけたダビデ王家の系譜が復活したのです。

これは、単にダビデ王家が守られたというだけの話ではありません。神さまはダビデと契約を結んで、彼の子孫の中から救い主が地上に生まれ、それによってダビデ王家が永遠に王座に就くことを約束なさいました(第1歴代誌17:11-14など)。ヨアシュが殺されていたら、そしてアタルヤの治世がもっと長く続いていたら、他の王族たちも次々と居場所をあぶり出されて、ダビデ王家は一人残らず死に絶えていたことでしょう。そうなれば、地上に救い主イエスさまは誕生せず、私もあなたも救われなかったことになります。

神さまは、祭司エホヤダ夫妻を通して、ダビデの子孫ヨアシュを守り続けてくださいました。そのおかげで、私もあなたもイエスさまの福音を信じて救われました。ありがたいことです。

善政

王となったヨアシュはわずか7歳です。ですから、最初のうちは祭司エホヤダのサポートによって政治を行ないました。アタルヤが持ち込んだ異教礼拝は取り除かれて、まことの神さまへの礼拝がささげられるようになりました。

また、ヨアシュは、成長した後もエホヤダのアドバイスを素直に聞いて、まことの神さまへの信仰を大切にし、神さまが喜ばれる政治を行ないました。荒れ果てていたまことの神さまの神殿を再建して、礼拝に用いる様々な器具を新しく作り直させたのも、ヨアシュの功績です。

このことを、聖書は次のように書いています。「ヨアシュは、祭司エホヤダが生きている間は、【主】の目にかなうことを行った」(2節)。

堕落

ところが「祭司エホヤダが生きている間は」と書かれているのがミソです。エホヤダが亡くなると、ヨアシュはまるで人が変わったかのように堕落していきます。

今回の聖書箇所に書かれているように、何人かの首長(地方を治める知事)たちがヨアシュのところにやってきました。そして、かつて女王アタルヤが行なっていた異教礼拝を再開させて欲しいと願いました。エホヤダが生きている間はそんなことは無理でしたが、彼が死んでしまったのでこれはチャンスだと思ったのです。なんと、ヨアシュは彼らの願いを聞き入れてしまいました。こうして、再び異教礼拝が南王国に広まっていきました。
神の戒め
そんなヨアシュ王を神さまは戒められました。何人もの預言者を送って非難させたのです。しかし、ヨアシュも民も彼らのことばを聞こうとしませんでした。

また神さまは、あの祭司エホヤダの息子、ゼカリヤを遣わしました。聖霊に満たされたゼカリヤは、異教礼拝を行なっていた人々に向かって言いました。「神はこう仰せられる。『あなたがたは、なぜ【主】の命令を破り、繁栄を逃がすのか。』あなたがたが【主】を捨てたので、主もあなたがたを捨てられた」(20節)。

しかし、人々は悔い改めませんでした。ヨアシュ王を動かして、ゼカリヤを死刑にさせてしまったのです。こうして、悔い改めの機会を自ら無にしてしまったヨアシュと南王国に対するさばきが、決定的なものになってしまいました。
さばき
さばきの器として用いられたのは、アラムの王ハザエルとその軍勢でした。彼らはたびたび北王国を攻撃していましたが、今回南王国にも攻めてきました。

これまで、神さまの守りを受けていた南王国は、わずかな軍勢で敵の大軍をたびたび追い払っていました。しかし、神さまの守りを失った今回は、大軍で迎え撃ったにもかかわらず、わずかな軍勢のアラム軍にコテンパンにやられてしまいます。「アラムの軍勢は少数で来たが、【主】が非常に大きな軍勢を彼らの手に渡されたのであった。それは、人々が、その父祖の神、【主】を捨てたからである。こうして、ヨアシュにさばきが下された」(24節)。

ヨアシュは戦いによって傷を負ってしまいます。そして、神殿に収められていたたくさんの宝物をアラム王ハザエルに送ることで、赦してもらいました。

これによって神さまだけでなく国民の心も完全にヨアシュから離れてしまいました。そして、何人かの家臣たちが、傷を負って伏せっているヨアシュ王を殺してしまいました。彼の遺体は、王の墓には納められませんでした。それだけ、ヨアシュに対する国民の不満が大きかったということです。

祭司エホヤダの死を境に、まるっきり人が変わってしまったかのようになってしまったヨアシュ王。彼の生き方から、私たちは何を学ぶことができるでしょうか。

2.個人の信仰の確立

他人に導かれる信仰

ヨアシュの前半生は、神さまのみこころにかなったものでした。しかし、それは祭司エホヤダによって導かれた人生でした。ヨアシュは、自分の命を救い、育て、自分を王にしてくれたエホヤダに感謝し、尊敬していました。そして、エホヤダの指導に素直に従いました。その結果、彼は正しい政治を行なうことができたのです。

しかし、エホヤダが死んでしまったとき、ヨアシュは道しるべを失いました。何が正しくて何が間違っているのか、自分で判断できなかったのです。ですから、自分に近づいてきた首長たちの言葉に従って道を踏み外しました。

私たちは、霊的なリーダーに従う心を持つことは大切です。しかし、誰か他の人を仲介者として神さまとつながるだけでなく、自分と神さまとの個人的な関係もまたしっかりと育てる必要があります。そうでないと、そのリーダーが間違いを犯したとき、あるいは亡くなってしまったとき、信仰の道を踏み外してしまうことになりかねません。

以前、ある牧師がこんな話をしていらっしゃいました。その教会では、弟子訓練プログラムを推進しようとしていました。お客さんとして教会につながるだけでなく、イエスさまに人生をささげ、教会を通して神さまと社会に仕えるクリスチャンになるための訓練プログラムです。しかし、この牧師は弟子訓練には注意が必要だともおっしゃいました。それは、弟子訓練を行なう教会のいくつかがカルト化してしまっているという点です。イエスさまの弟子ではなく、牧師の弟子を作ってしまうわけです。

うちの教会の場合、牧師である私にカリスマ性のカの字もありませんから、カルト化する心配はまずありません。それでも皆さん一人ひとりが個人的に神さまとしっかりつながっていることが大切です。よく言われることですが、私たちの神さまは天のお父さまであって、天のおじいさまではありません。私や他の霊的リーダーが天のお父さん・お母さんにならないようにしないといけません。

では、個人的に神さまにしっかりつながるとはどういうことでしょうか。それは……

自分で神さまのみこころを知ることができる

ヨアシュは、祭司エホヤダがいなくなると、自分で善悪を判断できなくなりました。では、判断材料は与えられていなかったのでしょうか。いいえ。彼にはモーセの律法がありました。たとえその中に理解できない部分があったとしても、エホヤダ以外にも祭司やレビ人がいましたから、ヨアシュが積極的に尋ねればその意味を解説してくれたはずです。ですから、学ぼうとすればいつでも神さまのみこころ、何が正しくて何が間違っているかを知ることは可能だったのです。

しかし、ずっと他人から神さまのみこころを教えてもらうばかりで、自分から神さまのみこころを学ぶということをしてこなかったヨアシュは、教えてくれる人がいなくなって進むべき道が分からなくなってしまったのです。

私たちにも判断の基準として聖書が与えられています。聖書は、何千年も昔のしかも外国で書かれた本で、今の日本とは歴史も文化も違います。ですから、パッと見ただけでは意味が分からないところがたくさんあります。しかし、それでも皆さんには、自分で聖書の意味を読み解く力を身につけていただきたいと願っています。

昔、何人かの大学の先生たちがおっしゃっていました。「大学は知識を教わるところではない。知識を得る方法を学ぶところだ」。毎週こうして礼拝式の中で私が聖書の箇所を解説しています。そこから学ぶことはもちろん大切ですが、同時にどのようにして私が聖書を読み、意味を理解し、それを自分たちの今の生活に適用しているのかを学んでいただきたいと思っています。礼拝メッセージは、皆さん自身の聖書の学びのための、サンプルのようなものです。聖書の意味や適用を教わるだけの方が楽でいいですが、是非ご自分でも聖書を読めるようにしていきましょう。

昔は、高い聖書辞典や注解書を買って聖書の箇所の意味を学んだものですが、今は便利な世の中になりました。インターネットで聖書箇所を打つと、その箇所に出てくるヘブル語やギリシア語の単語の意味、歴史的・文化的背景、登場人物などを解説しているページをいくつも見つけることができます。

私がオススメするのは、 まずはそういったものを参考にしながら、ご自分で神さまの語りかけを受け取ることができるように、聖書読解力を鍛えていきましょう。

実践的信仰

ただし、私たちが神さまのみこころを学び、何が正しくて何が間違っているかを知ることそのものが目的ではありません。目的は、私たちがみこころの通りに生きるようになることです。信仰を机上の空論にしないで、実践することが大切です。それもまた、個人的に神さまにつながるということです。

その際、私たちはいつも謙遜でなければなりません。私たちは神さまのみこころを知るだけでなく実践しなければなりませんが、同時に、完璧には実践できないということもまた知っておく必要があります。
悔い改め
ヨアシュの後半生のことを考えると、以前取り上げたアサ王のことを思い起こします。アサ王は、ヨアシュの曾祖父ヨシャファテの父、つまりひいひいおじいさんです。アサ王も、ずっと神さまに忠実でしたが、最後に神さまを信頼しない行動をして、しかもそれを批判した預言者を投獄する罪を犯しました。

またヨシャファテ王も生涯神さまに忠実でしたが、神さまが反対なさった北王国との融和政策だけは頑として改めようとしませんでした。そのせいで、アハブとイゼベルの娘アタルヤが南王国の王妃となり、異教礼拝を広めた上、危うくダビデ王家が滅んで、救い主誕生が阻止されるところでした。

完璧な人間はいません。ですから、私たちは自分が完璧でないことを認め、自分が今神さまのみこころ通りに歩んでいるかどうか常にチェックしなければなりません。そして、間違いに気づいたなら、ヨアシュが祭司エホヤダの子ゼカリヤを殺して神さまの語りかけを無視したように振る舞うのではなく、すぐに悔い改めて神さまが喜ばれる生き方に戻りましょう。
神の赦し
聖書が教える謙遜とは、自分のことを価値のないダメ人間だと卑下して痛めつけることではありません。神さまの恵みを信じて依り頼むことです。神さまは私たちの弱さ、不十分さ、罪深さをよくご存じです。そんな私たちを神さまは赦そうとしてくださっています。

ヨアシュは不完全でしたが、それでも神さまは何人もの預言者を遣わして、ヨアシュに悔い改めのチャンスを与え続けてくださいました。ヨアシュは結局悔い改めませんでしたが、それでも神さまはダビデとの約束を守って王家そのものを滅ぼさず、やがてその家系から救い主イエスさまを誕生させてくださいました。

イエスさまがお生まれになったのは、私たちの救いのためです。私たちの過去の罪、現在の罪、これから死ぬまでに犯す未来の罪をすべて赦して、私たちを神さまの子どもにして、永遠に続く祝福を与えるためです。

いつでも赦されて、何度でもやり直しをさせていただけるからこそ、私たちは自分の罪や弱さや失敗を誤魔化さないで、素直に悔い改めながら正しい道に戻り続けましょう。それが神さまの守り、神さまの祝福を保つ方法です。

まとめ

この話をお読みください

そのために、神さまとの個人的な関係を育てましょう。

あなた自身への適用ガイド

  • 神さまは天の父であって祖父ではないという言葉から、あなたはどんなことを考えたり感じたりしましたか?
  • 礼拝式やインターネットや音声や書籍で牧師のメッセージを聞いたり読んだりするほかに、どのように聖書を学び、神さまのみこころを学んでおられますか?
  • みこころを実践することの大切さを学びましたが、今あなたが特に実践するよう迫られているのはどういう行動ですか?
  • 今、悔い改めないで放置していた問題がありませんでしたか? その問題について、神さまはどうすることを望んでいらっしゃいますか?
  • 最近、神さまの恵み深さをどのように体験なさいましたか?
  • 今日の聖書の箇所を読んで、どんなことを決断しましたか?

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