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礼拝メッセージ:中通りコミュニティ・チャーチ

信仰の心と形

イスラエルの王シリーズ11 「ヨタム」(南王国)

第2歴代誌27章1節〜9節

(2021年3月21日)

礼拝メッセージ音声

参考資料

3節の「オフェル」はエルサレムにあった場所で、詳しい場所は不明。

5節の「百タラント」は約3トン、「1万コル」は約2200キロリットル。

9節の「ダビデの町」は、現在エルサレム旧市街と呼ばれている場所の南東の端に位置する、東西約120メートル、南北約375メートル、面積は約3ヘクタールの地区(地図はこちらのサイトを参照)。
かつてはカナン人やエブス人が砦を築いていましたが、ダビデがここを攻略して自分の根拠地としたのでダビデの町と呼ばれるようになります。その後、ソロモン時代に王宮や神殿がダビデの町の北に建てられて、政治と宗教の中心はそちらに移りましたが、ダビデの町の南東に王家の墓が造られ、ダビデやソロモン、また南王国歴代の王たちがそこに葬られました。

イントロダクション

現在、歴代のイスラエル王について学んでいます。 今回取り上げるのは、南王国第11代の王ヨタムです。ヨタムについて、聖書は「彼は、すべて父ウジヤが行ったとおりに、【主】の目にかなうことを行った」(2節前半)と評価しています。

しかし、厳しい目で見るならば、これまでの良い王と同じように問題点がありました。そこから、私たちへの教訓と励ましをいただきましょう。

1.ヨタムの良い点と問題点

良い点

ヨタムは、王に即位する以前から摂政として政務を執っていました。というのも、前回取り上げたように、父であるウジヤ王が罪を犯して悔い改めなかったために神さまのさばきを招き、ツァラアトという病気にかかって隔離されてしまったからです。そして、ウジヤが死ぬと、25歳で正式に王となりました。

6節にこう書かれています。「ヨタムは勢力を増し加えた。彼が、自分の神、【主】の前に、自分の道を確かなものとしたからである」。

ヨタムは、父であるウジヤの生き方を近くで見てきました。
  • ウジヤは、その治世のほとんどの期間、神さまに従う生き方をしていました。神さまはそんなウジヤを大いに祝福してくださり、彼が治める南王国は経済的にも軍事的にも富み栄えました。
  • 晩年のウジヤは傲慢になって、律法が祭司しか行なってはならないと教えている神殿で香をたくという儀式に手を出そうし、しかも祭司たちがそれは罪だと指摘したのに悔い改めませんでした。そのため、神さまのさばきを招いて、ツァラアトにかかって死ぬまで隔離されてしまいました。
ですから、自分は最後まで神さまに忠実に生きようと決心したのでしょう。そして、神さまはそんなヨタムを祝福してくださり、南王国はますます力を増しました。5-6節には、その例が一つ挙げられています。

父ウジヤの時代、ヨルダン川の東にあったアンモン人の国は、南王国を恐れて貢ぎ物をウジヤに差し出していました(26:8)。ところが、ウジヤが死んだことで、アンモンの王は安心して南王国に貢ぎ物を差し出すのをやめてしまったのでしょう。そこで、跡を継いだヨタムはアンモンと戦いを交え、勝利を得ました。その結果、アンモンは大変な額の賠償金を3年に渡って南王国に差し出すことになりました。
ヨタムは神さまの前に敬虔な生き方を貫き、神さまはそんなヨタムを祝福してくださったのです。

問題点

しかし、聖書はヨタムの治世の問題点も挙げています。「ただし、【主】の神殿に入ることはしなかった。民は依然として滅びに向かっていた」(2節後半)。

ヨタムは敬虔な生き方を志していましたが、南王国の国民の多くは神さまに背を向け、自分勝手な生き方を続けていました。
高き所
別の箇所にはこのように書かれています。「ただし、高き所は取り除かれなかった。民はなおも、高き所でいけにえを献げたり、犠牲を供えたりしていた」(第2列王記15:35)。

以前の王たちの時代、南王国のあちこちに「高き所」と呼ばれる場所がありました。ヨタムはそれを取り除かなかったというのです。高き所についてはこれまでも触れましたが、簡単に振り返ってみましょう。
  • 高き所とは、元々は丘の上など小高い場所を指します。アブラハム、イサク、ヤコブの時代、あるいはそれ以前の時代、聖書の神さまを信じる人々は高き所に祭壇を築いて神さまにいけにえをささげ、礼拝していました。
  • 約束の地や周辺の異民族も、自分たちの土地の高き所でいけにえをささげ、礼拝していました。そのため、士師記の時代以降、イスラエルの人々の中にも高き所で異教の神々に礼拝する罪を犯す人々が現れるようになりました。
  • ソロモン王が神殿を建てて、いけにえをささげる祭壇が神殿の中に設けられましたから、もはや高き所は必要なくなりました。しかし、それでも高き所は残り、人々はそこでいけにえをささげていました。
  • しかも、ソロモン王は、晩年外国からめとった妻たちの悪影響で異教礼拝を行なうようになりました。そのため、国民の中にますます異教礼拝・偶像礼拝が浸透していき、あちこちの高き所が異教礼拝のために用いられるようになりました。
  • 南王国4代目の王ヨシャファテは、王になるとすぐに、国中にあった異教礼拝のための高き所を破壊しました。しかし、まことの神さまを礼拝するための高き所はそのまま残しました。そこで、いつの間にかそういう場所で異教の神々へのいけにえがささげられたり、異教の神々のための高き所が新しく造られたりするようになりました。ヨシャファテはそれを放置していました。
  • それ以降の王たちも、高き所を放置しました。今回の主人公であるヨタムもそうです。
その結果、国民の多くはまことの神さまに心を向けず、それどころか異教の神々を礼拝する人たちもたくさん現れました。

そこで、やがて神さまのさばきが南王国に下されます。ヨタムが即位して164年後の紀元前586年、今のイラク南部に興ったバビロン(新バビロニア帝国)によって南王国の首都エルサレムが破壊され、多くの王族や民がバビロンの都に連れて行かれることになります(バビロン捕囚)。
イザヤによる記録
南王国で活躍した預言者に、イザヤという人がいます。イザヤは、ウジヤ王が死んだ年、すなわちヨタムが正式に王になった年に神さまの幻を見せられました。そのときの様子が、次のように記されています。

「私は主が言われる声を聞いた。『だれを、わたしは遣わそう。だれが、われわれのために行くだろうか』。私は言った。『ここに私がおります。私を遣わしてください』。すると主は言われた。『行って、この民に告げよ。「聞き続けよ。だが悟るな。見続けよ。だが知るな」と。この民の心を肥え鈍らせ、その耳を遠くし、その目を固く閉ざせ。彼らがその目で見ることも、耳で聞くことも、心で悟ることも、立ち返って癒やされることもないように』」(イザヤ6:8-10)。

イザヤは預言者です。罪を犯している南王国の民に神さまの言葉を伝え、悔い改めに導いて、彼らが神さまを信じ、神さまの教えに忠実に生きるようにすることが仕事です。しかし、神さまは南王国の民は結局悔い改めることなく、最終的にさばきを受けることになるとイザヤにおっしゃいました。それでも語り続けなければならないのですから、預言者というのは本当に大変な仕事です。

とにかく、ヨタム王自身は敬虔な生き方を求めましたが、国民の多くは神さまから心が離れてしまっていたということですね。
後継者アハズ
そして、ヨタムは国民だけでなく後継者もうまく育てられませんでした。ヨタムの後継者はアハズと言います。
アハズ王の時代、北王国とアラムが連合して南王国に攻めてきました。そのとき、神さまは預言者イザヤを使わしてアハズを励まします。ところが、アハズは神さまに信頼するのではなく、貢ぎ物を差し出してアッシリアの属国になり、援軍を送ってもらうことで連合軍の攻撃をかわしました。そして、アッシリア人が礼拝している神々を南王国に持ち込んで、大々的に異教礼拝を広めてしまいました。こうして、ますます国民の心が神さまから離れてしまったのです。

問題の原因

ヨタムは神さまに信頼した信仰的な王です。しかし、その信仰は国民や息子アハズにはまったく良い影響を与えることができませんでした。どこに問題の根っこがあったのでしょうか。

そのヒントが2節に書かれています。「ただし、【主】の神殿に入ることはしなかった」。

父であるウジヤ王が神さまのさばきを招いたのは、祭司以外が行なってはならないはずの香をたこうとしたからです。香をたく台は神殿の奥の聖所という場所にあります。そこは聖別された祭司が律法で定められた儀式を行なう場所ですから、本来祭司以外が入っていい場所ではありません(民数記18:1-7)。

しかし、神殿そのものはイスラエルの人々が神さまを礼拝するための場所です。モーセの律法は、イスラエルの人々が少なくとも年に3回(過越、七週、仮庵の各祭りの時)はいけにえをささげることを求めています。

ヨタムは、自分も父のように罪を犯してさばかれることを恐れるあまり、神殿そのものに近づこうとしませんでした。心の中では神さまをあがめていましたが、それを目に見える形で表現することをしなかったのです。その結果、国民にも息子にも信仰が伝わることがありませんでした。

では、ここから私たちは何を学ぶことができるでしょうか。

2.心も形も共に大切にする

霊とまことによる礼拝

福音書の時代、エルサレムを中心としたユダヤ地方と、ガリラヤ湖周辺のガリラヤ地方の間にあったのがサマリア地方です。そこに住んでいたのはユダヤ人ではなくサマリア人です。彼らは北王国がアッシリア帝国に滅ぼされた後、強制移住させられた異民族とイスラエル人が混血してできた民族です。そのため、自分たちは生粋のイスラエル人だと誇りを持っていたユダヤ人からは軽蔑されていました。

そのサマリアを,あるときイエスさまは訪問し、一人の女性と対話なさいました。サマリア人の女性はこう言いました。「主よ。あなたは預言者だとお見受けします。私たちの先祖はこの山で礼拝しましたが、あなたがたは、礼拝すべき場所はエルサレムにあると言っています」(ヨハネ4:19-20)。「この山」というのは、サマリアにあったゲリジム山のことです。

これに対してイエスさまはおっしゃいました。「女の人よ、わたしを信じなさい。この山でもなく、エルサレムでもないところで、あなたがたが父を礼拝する時が来ます。救いはユダヤ人から出るのですから、わたしたちは知って礼拝していますが、あなたがたは知らないで礼拝しています」(ヨハネ4:21-22)。モーセの律法によれば、礼拝の場所は神殿があるエルサレムです。

しかし、続けてイエスさまはこうおっしゃいました。「しかし、まことの礼拝者たちが、御霊と真理によって父を礼拝する時が来ます。今がその時です。父はそのような人たちを、ご自分を礼拝する者として求めておられるのです。神は霊ですから、神を礼拝する人は、御霊と真理によって礼拝しなければなりません」(ヨハネ4:21-24)。

どこで礼拝するかという物理的な問題ではなく、聖霊なる神さまの導きによってどういう心で礼拝をささげるかが重視される時代が間もなく来るよという約束です。今はすでにそういう時代に入っています。
ヨタムの時代も心が重視された
しかし、旧約聖書や福音書の時代も、すなわちヨタム王の時代も、実は人間がどういう心で礼拝をささげるかが重視されていました。ヨタムの時代に活躍した預言者イザヤは、このような神さまの言葉を取り次いでいます。

「あなたがたの多くのいけにえは、わたしにとって何になろう。──【主】は言われる──わたしは、雄羊の全焼のささげ物や、肥えた家畜の脂肪に飽きた。雄牛、子羊、雄やぎの血も喜ばない。あなたがたは、わたしに会いに出て来るが、だれが、わたしの庭を踏みつけよとあなたがたに求めたのか。もう、むなしいささげ物を携えて来るな。香の煙、それはわたしの忌み嫌うもの。新月の祭り、安息日、会合の召集──わたしは、不義と、きよめの集会に耐えられない。あなたがたの新月の祭りや例祭を、わたしの心は憎む。それはわたしの重荷となり、それを担うのに疲れ果てた。あなたがたが手を伸べ広げて祈っても、わたしはあなたがたから目をそらす。どんなに祈りを多くしても聞くことはない。あなたがたの手は血まみれだ」(イザヤ1:11-15)。

神さまに対する敬虔な思い、すなわち神さまに対する愛、神さまに従おうという思い、人生のあらゆる領域を神さまにささげようという決意が伴っていない儀式は、どんなにそれが荘厳なもの、芸術的なもの、感動的なものであったとしても、神さまは忌み嫌われるとイザヤは語ったのです。

イエスさまも、表面的には信仰的に見せかけながら、心では決して神さまに信頼していなかったパリサイ人や祭司たちのことを偽善者と呼んで激しく非難なさいました。

私たちが礼拝式に出席するとき、聖書を開くとき、祈りを捧げるとき、自分がどんな心でそれを行なっているか、いつも振り返る必要があります。私たちは神さまを愛しているでしょうか。神さまの命令に従おうとしているでしょうか。人生の中で神さまと無関係な領域がないでしょうか。そして、神さまの命令に違反していることに気づいたとき、心から反省し、悔い改め、やり直そうと決意していたでしょうか。

形も大事

その一方で、ヨタムの事例は、私たちがただ心の中だけで神さまを信じていれば事足りるわけではないということも教えています。ヨタムは公の礼拝に参加することを怠りました。神さまへの信仰のあるべき姿を国民や子どもたちに積極的に伝えることを怠りました。

心は大切です。しかし、行ないも大事です。自分がほめられるために行なう行動なら意味はありません。しかし、だからといって心の中で信じているだけで、行動は関係ないというわけではありません。私たちは自分の信仰をどのように行動で表してきたでしょうか。

イエスさまの兄弟ヤコブは言いました。「しかし、自由をもたらす完全な律法を一心に見つめて、それから離れない人は、すぐに忘れる聞き手にはならず、実際に行う人になります。こういう人は、その行いによって祝福されます。自分は宗教心にあついと思っても、自分の舌を制御せず、自分の心を欺いているなら、そのような人の宗教はむなしいものです。父である神の御前できよく汚れのない宗教とは、孤児ややもめたちが困っているときに世話をし、この世の汚れに染まらないよう自分を守ることです」(ヤコブ1:25-27)。

さらにヤコブは言います。「行いのないあなたの信仰を私に見せてください。私は行いによって、自分の信仰をあなたに見せてあげます」(ヤコブ2:18)。

間違えないでください。誰も行ないの正しさによって神さまに認められ、救われることはありません。救いはただ神さまからの一方的な赦しがイエスさまの十字架と復活によって与えられたと信じる信仰によってもたらされます。ただ、だからといって、その後の行動はどうでもいいということにはなりません。
テゼ
カトリック教会に属する友だちのひとりが、「テゼの祈り」と呼ばれる歌を毎日歌い、沈黙の祈りを捧げることを習慣にしていると言いました。テゼというのはフランスのテゼ村にある修道会のことで、創設者はブラザー・ロゼという人です。ブラザー・ロゼはカルバン派の牧師の家庭に育ち、自分もプロテスタントの神学校で学びました。しかし、あるときこう考えました。「分裂に傷つき疲れたこの世界で、せめてクリスチャンが目に見える形で和解したなら、小さな希望のしるしになるのではないか」。そして、特にそれまで何かにつけて対立していたカトリックとプロテスタントと正教会の信者が、教派・国籍に関係なく集まって祈り、労働するテゼ共同体を立ち上げました。これが1940年のことです。

現在、毎年様々な教派的背景を持った10万人の若者がフランスのテゼを訪れ、世界各地でテゼの精神に則った集会が持たれています(たとえばこんなふうに)。そして、一緒に祈り、一緒に賛美し、一緒に労働する機会を持っています。そうして、分裂ではなく和解を実践しているのです。私の友だちは、遠い日本に住んでいるけれども、テゼの人たちが用いている祈りの言葉を唱え、歌うことで、テゼ゙の人たちと心を合わせようとしているのです。

テゼの例を挙げたのは、私たちもみんなそれに参加しましょうと勧めるためではありません。信仰を、何かしら目に見える形で実践することの大切さを表すためです。 心は大事です。そして、その心を目に見える形で表す行動も大事です。今、あなたはあなたの信仰をどのような行動に表すことを求められていると思いますか? それを見つけて実践しましょう。

失敗を恐れない

そして、私たちは神さまの恵みをいつも心に留めておくことが大切です。ヨタムは、失敗を恐れていました。ですから、神殿に近づこうとしませんでした。その結果、大失敗はしませんでしたが、さりとて素晴らしいことも行なうことができませんでした。

ある人が言いました。「良い畑とは、雑草が一本も生えていない土地のことではなく、豊かに実を結ぶ土地のことだ」。私たちは、罪を犯さないことばかり心配して、積極的に良い行ないを実践することを忘れてこなかったでしょうか。

私たちが信じる神さまは恵みの神さまだということを決して忘れてはなりません。 この話をお読みください

たとえ失敗したとしても、私たちがイエスさまの赦しを思い出して悔い改めるなら、神さまは必ずそれを赦し、再出発させてくださいます。失敗を恐れず、神さまへの信仰を言葉や行動に表しましょう。

あなた自身への適用ガイド

  • 信仰は真実な心が大切ということで、特に何か教えられたことがありますか?
  • 信仰は行動に表すことも大切ということで、特に何か教えられたことがありますか?
  • 心と行ないのバランがずれていたなと気づかされたことが、具体的に何かありますか?
  • 最近、神さまの恵みをどのように実感しました。
  • 今日の聖書の箇所を読んで、どんなことを決断しましたか?

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