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礼拝メッセージ:中通りコミュニティ・チャーチ

成果主義ではなく恵み主義で

イスラエルの王シリーズ13 「ヒゼキヤ」(南王国)

イザヤ書39章1節〜8節

(2021年4月18日)

礼拝メッセージ音声

参考資料

1節の「バビロン」は、ティグリス川・ユーフラテス川の下流に興った新バビロニア帝国の首都の名で、国を表す名でもあります。

6-7節の預言は、紀元前586年に実現します。バビロンの攻撃によってエルサレムとの町と神殿が破壊され、多くの王族や国民がバビロンに連れ去られてしまいます(バビロン捕囚)。

イントロダクション

現在、歴代のイスラエル王について学んでいます。 今回取り上げるのは、南王国第13代目の王ヒゼキヤです。

ヒゼキヤは、南王国史上、最も神さまに信頼した良い王さまです。「彼はイスラエルの神、【主】に信頼していた。彼の後にも前にも、ユダの王たちの中で、彼ほどの者はだれもいなかった。彼は【主】に堅くつき従って離れることなく、【主】がモーセに命じられた命令を守った。」(第2列王18:5-6)。

しかし、残念ながら完璧な人間はいません。このシリーズ中、何回この言葉を語ってきたことでしょうか。というわけで、いつものようにヒゼキヤの失敗から、今を生きる私たちへの励ましを受け取りましょう。

1.ヒゼキヤの成功と失敗

ヒゼキヤの成功

アッシリア軍の撃退
前回のメッセージで、紀元前723年にアッシリア帝国が北イスラエル王国を滅ぼしたという話をしました。アッシリア帝国は、南ユダ王国にも重い税を課して南王国の国民を苦しめました。ヒゼキヤが父アハズの跡を継いで王となったのは、北王国が滅ぼされる6年前でした。非常に困難な時代に王となったのです。
ヒゼキヤは、父アハズが国中に広めた異教礼拝・偶像礼拝を禁止する宗教改革を行ないました。そして、表面上はアッシリアに従順な振りをしながら、徐々に国力を回復させていきました。

やがてエジプトやバビロンがアッシリアからの独立を求めて次々と反逆すると、ヒゼキヤもまたアッシリアから独立する動きを見せました。しかし、反乱は次々鎮圧され、南王国にもアッシリアの大軍が迫りました。南王国の町々はことごとくアッシリアに占領され、残るは首都エルサレムだけという状況となって、そのエルサレムもアッシリアの大軍に取り囲まれてしまいます。紀元前701年のことです。

すると、神さまは預言者イザヤをヒゼキヤの元に送り、神さまが彼の大軍を打ち負かして退却させるから大丈夫だと励ましを与えました。父のアハズはイザヤの励ましを無視して神さまではなくアッシリアに頼り、結果として重い税に苦しめられることになりましたが、ヒゼキヤは神さまに信頼する道を選びました。

神さまもヒゼキヤの信頼に応えてくださり、約束の通りにしてくださいました。夜、1人の天使がアッシリアの陣営を攻撃し、たった1晩でアッシリア兵18万5千人が死んでしまいました。そのおかげでアッシリア軍は撤退していきました。
病のいやし
神さまがアッシリア軍を撤退させてくださった同じ年の出来事です。ヒゼキヤは死の病にかかってしまいました。第2列王記20:7には「腫物」という言葉が出てきますから、もしかしたら皮膚ガンのような病気だったのかも知れません。

とにかくそれは回復の見込みがない病でした。というのも、神さまが預言者イザヤを遣わして、ヒゼキヤに「あなたの病気はもう治らないから、身辺整理をしておきなさい」とおっしゃったからです。それを聞いたヒゼキヤは、神さまに泣いてお願いして、いやしを求めました。すると、神さまはその祈りを聞いてくださって、さらに15年寿命を延ばすと約束してくださいました。

その際神さまは、病気が必ずいやされるということを確信させるためのしるしを与えるとヒゼキヤにおっしゃいました。そこでヒゼキヤは日時計の影が逆方向に10度動くことを求めます(10度というのは40分間に当たります)。すると、神さまはその通りにしてくださいました。これは地球の自転が逆方向に動いたということで、とんでもない奇跡ですね。そして、ヒゼキヤがイザヤの言うとおり干しいちじくを患部に当てると、すっかり病がいやされました。

高慢の罪

ところが、このいやしがヒゼキヤの人生の末節を汚すきっかけとなります。

「そのころ、ヒゼキヤは病気になって死にかかっていた。彼が【主】に祈ったとき、主は彼に答え、しるしを与えられた。ところがヒゼキヤは、自分に与えられた恵みに応えようとせず、かえってその心を高ぶらせたので、彼の上に、また、ユダとエルサレムの上に御怒りが下った」(第2歴代誌32:24-25)。

「心を高ぶらせた」というのは、具体的にどういう態度のことを指しているのでしょうか。それが、今回の箇所に書かれている、バビロンの使者に対して行なったある行動です。

バビロンはこの頃はまだそれほどの大国ではなく、南王国同様、アッシリアに抑圧されていました。バビロンにしてみれば、南王国は同じ痛みを持つもの同士、いわば仲間です。その南王国の王ヒゼキヤが、死にかけていたのに回復したというのですから、バビロン王メロダク・バルアダン2世は、使者を送ってヒゼキヤの回復を祝福してくれました。

これに喜んだヒゼキヤは、使者を宝物庫や神殿に案内して、南王国が持っている金銀財宝を見せびらかしました。
富み栄えていたヒゼキヤ
父アハズ王の時代、アッシリアによって重い税を取り立てられたため、南王国は経済的に大変厳しい状況になりました。その後、ヒゼキヤが国力の充実に努めたためにある程度国力が持ち直しましたが、アッシリアに反逆して大軍を送られると、金銀財宝を差し出して許しを請いました(第2列王記18:14-16)。それでも許されずにエルサレムが包囲されてしまったわけですが。とにかく、この時点でまたもや南王国の金銀財宝はほとんどなくなってしまったはずなのです。

ところが、先ほど学んだとおり、神さまのお働きにより、アッシリア軍が突然撤退してしまいました。これに驚いた南王国の国民や周辺諸国は、聖書の神さまやヒゼキヤ王にたくさんの財宝を贈りました。「多くの人々が、【主】へのささげ物やユダの王ヒゼキヤに贈る選りすぐりの品々を携えて、エルサレムに来るようになった。この時以来、ヒゼキヤはすべての国々から尊敬の目で見られるようになった」(第2歴代32:23)。

そこで、バビロンから使者を迎えた時の南王国には、アッシリアに貢ぎ物を差し出した以前よりもっと多くの金銀財宝が満ちあふれていたのです。「ヒゼキヤは非常に多くの富と誉れを手にした。彼は、銀、金、宝石、バルサム油、盾、すべての尊い器を納める宝物倉、穀物、新しいぶどう酒、油などの産物のための倉庫、さらに、あらゆる家畜のための小屋や、羊の群れの囲いを造った。彼は町々を建て、羊や牛の群れもおびただしい数であった。神が、実に豊かな財産を彼に与えられたからである」(第2歴代32:27-29)。
悪趣味な行動の理由
病気の回復を祝福に来てくれた友だちに自分の家の財産を見せびらかすというのは、はっきり言って悪趣味です。ヒゼキヤがこんなことをしたのはなぜでしょう。大国アッシリアを退けていただき、不治の病までいやしていただき、以前よりもっと裕福にしていただいた自分は、いかに神さまに愛され、祝福されていることか。それを誇りたい気持ちだったからでしょう。

アッシリア軍の撃退も、病気のいやしも、本当は神さまからの一方的な恵みによって与えられました。そして、神さまが先祖アブラハムやダビデ王と結ばれた契約のおかげです。ヒゼキヤが良い王さまだったということは間違いありませんが、決してヒゼキヤ自身の素晴らしさの故に、そのご褒美として祝福されたわけではありません。ところが、ヒゼキヤはまるでそれらの祝福が自分ひとりの手柄のように思い込み、誇ってしまいました。

これが、先ほど引用した箇所で語られている「心の高ぶり」です。

バビロン捕囚の預言

神さまは、預言者イザヤを通してヒゼキヤの行為を非難なさいました。そして、彼が見せびらかした南王国の金銀財宝がすべてバビロンに奪い去られ、彼の子孫もバビロンに仕える時代がやがてやってくるとおっしゃいました。バビロン捕囚の預言です。

バビロンの使者たちは、ヒゼキヤの自慢げな行動に内心舌打ちをしたでしょうが、南王国が思いのほか豊かな国だということは印象に残りました。そして、本国に戻って王に報告したことでしょう。そこで、バビロンには、やがて自分たちの国力が充実したら、南王国を征服してやろうという野心が芽生えます。

そして、この時から100年以上経った紀元前586年、バビロンの攻撃によってエルサレムと神殿が破壊され、多くの王族や国民がバビロンに連れ去られてしまいました。
ヒゼキヤの反応
では、バビロン捕囚の預言を聞いたヒゼキヤの反応はどうだったでしょうか。歴代誌にはこう書かれています。「しかし、ヒゼキヤがその心の高ぶりを捨ててへりくだり、彼もエルサレムの住民もそうしたので、【主】の御怒りは、ヒゼキヤの時代には彼らの上に臨まなかった」(第2歴代32:26)。

ところが、ヒゼキヤの反省が不十分だったと思わせる記述が今回の箇所に書かれています。「ヒゼキヤはイザヤに言った。『あなたが告げてくれた【主】のことばはありがたい』。彼は、自分が生きている間は平和と安定があるだろう、と思ったのである」(8節)。

彼自身は、高慢になってバビロンの使者に自分の富を誇ったこと悔い改めました。その結果、自分が生きている間はバビロン捕囚が起こることはないという保証を得ました。そこでヒゼキヤはホッとして喜びました。

ところが、バビロン捕囚自体が取り消しになったわけではありません。ヒゼキヤの子孫がそういうひどい目に遭うとイザヤは警告しています。それなのに、その点についてヒゼキヤは全く無頓着でした。自分自身がさばきを受けず祝福されるならば、子孫がどうなろうと関係ないという、自己中心的と言われても仕方のない態度です。
後継者マナセ
ヒゼキヤの子孫のことを考えない態度は、後継者であるマナセの時代に早速花開きます。ヒゼキヤが死んでマナセが次の王になったとき、マナセは12歳でした。すなわち、今回病気がいやされたあとで生まれた王子だということです。

ヒゼキヤ自身は立派で信仰的な王でしたが、彼は自分の子どもたちや子孫にその信仰をどう伝えていくかということについては、上述の通り真剣に考えていませんでした。ですから、マナセは父の信仰を全く受け継ぎませんでした。

即位したマナセは、父が取り除いた偶像礼拝や占い、まじないの類いを復活させ、、自分の子どもを犠牲として偶像の神にささげ、聖書の神さまのための神殿の中に異教の神の祭壇を設けます。悪王だった祖父アハズがやったことをそのまま復活させたのです。そして、ユダヤの伝承によると彼は自分を批判する預言者イザヤをのこぎり引きで殺すなど、多くの残虐行為を行ないました。

そのため神さまは、南王国をバビロンによって滅ぼすという計画を、もう取り消し不可能な決定事項となさいました(第2列王記21:10-15)。事実、やがてバビロン捕囚が現実のものとなります。麗しい都エルサレムは占領され、ソロモンが建てた神殿も破壊されてしまいます。そして、多くの民がバビロンの都に引かれていきました。
ヒゼキヤが自分だけでなく子孫のことも考えて、マナセをしっかり教育しなかったことが悔やまれますね。ヒゼキヤがいやされたおかげでマナセが生まれたのだということを考えれば、こう言ってはなんですが、いやされたことが良かったのかどうかとさえ……。

では、ここから私たちは何を学ぶことができるでしょうか。

2.恵み主義で行こう

成果主義に陥らないようにしよう

ヒゼキヤの高慢の理由は、本来一方的に与えられた神さまの祝福を、自分が立派だから与えられたのだと誤解したところから生まれました。もしも、救いや祝福が良い行ないに対する報酬、ご褒美だとしたら、自分自身を誇ることもできるでしょう。しかし、神さまからの救いや祝福はあくまでも神さまの恵み、すなわち一方的な選びと施しによって与えられます。

ということは、様々な問題や苦しみを、自分が悪いから、あるいは劣っているからだと捉えることもまた、高慢の一種だということです。なぜなら、人間の行動によって神さまから祝福を引き出せると思う成果主義と同じように、人間の行動によって神さまから苦しみを引き出すことができると考えているからです。
罪の結果与えられる苦しみの場合
ただし、罪や失敗のせいで問題や苦しみがやってくることもあります。たとえば暴飲暴食を繰り返して健康を害したとしたら、それは自分の行動が招いた苦しみです。

そのような罪の結果与えられる苦しみの場合には、罪を犯しているということに気づかせ、悔い改めに導く教育的指導が神さまの目的です。そこで、どんな行動や態度が問題なのかということを私たちがはっきり分るようにしてくださいますし、代わりにどうしたらいいかということも教えてくださいます。

たとえばバビロン捕囚は、南王国の王や国民が神さまの命令を無視し、神さまを捨てて異教の神々を礼拝して、それを悔い改めなかった結果与えられました。バビロンに捕囚されたユダヤ人たちは、自分たちがこうなったのはそのような罪を犯したせいだと正しく理解し、悔い改めます。そして、神さまの恵みによって約束の地に戻ることができるようになったとき、彼らは神さまの命令を熱心に学び、それを守ることを第一とするようになりました。

神さまの恵みによって救われた私たちクリスチャンにとっては、罪に対する罰としての苦しみでさえも、神さまの愛が失われたしるしではなく、むしろ愛されている証拠です。
恵み主義で行こう
成果主義の信仰ではなく、恵み主義の信仰を保ち続けましょう。そうすれば、私たちは神さまや他の人に対して高慢で鼻につくような態度を取ることも、逆に罪責感や劣等感にさいなまれたり卑屈な態度を取ったりすることもありません。

感謝を忘れないようにしよう

成果主義ではなく恵み主義で生きるようになった人は、神さまに向かって、そして他の人に向かって、感謝の言葉をたくさん使うようになります。

自分が一番上の存在なら、神さまや他の人がどんなに自分に良いことをしてくれたとしても、それはそうするのが当然のことです。感謝の言葉をかける必要などありません。むしろ、あれもしてくれない、これも不十分と、不平不満を抱くようになり、自分の思い通りに動かない周りの人たちを責めたくなってくるでしょう。

しかし、恵み主義に生きる人は、今置かれている状況や、自分が体験した様々な良いことを、起こって当然、してもらって当たり前だとは思いません。そして、感動し、喜びに満ちあふれます。

この話をお読みください

そして、「当たり前ではない」感動を知った人は、神さまや人に向かって感謝の言葉を口にします。

意識して当たり前ではない祝福を探し出し、感動して、神さまや他の人に向かって感謝の言葉を述べましょう。くれぐれも「言わなくても伝わるはずだ」なんて思わないで、はっきりと具体的に表現しましょう。

他の人のことも考えよう

感謝は、あり得ないようなことをしていただいたという感動から生まれると申し上げました。恵みを体験し、感動したならば、それを他の人にも伝えたいという思いが生まれてきます。恵みに感動している人は、他の人の幸せや永遠の運命について、無頓着ではいられなくなります。

ところが、ヒゼキヤはいつの間にか高慢になってしまい、自分が祝福を体験すること、奇跡さえも体験できることは、立派な自分にとっては当然のことだと思い込んでしまっていました。そこでヒゼキヤは、恵みを体験した感動を自分の子どもたちや国民に伝える意欲を持てませんでした。

教会の携挙後の混乱した世界を描いた「レフトビハインド」という小説や、それを原作とした映画をご存じでしょうか。原作者の一人は数年前に亡くなったティム・ラヘイというアメリカの牧師です。ラヘイ先生は聖書学者としてだけではなく、大変熱心な伝道者としても知られていました。伝道したいという強い思いが湧き上がってくる理由について、ラヘイ先生は、若い頃から聖書の預言について興味を持ち、それを専門的に研究したせいだとおっしゃったそうです。

世の終わりが来ると、世界は大変悲惨な状態になります。そして、最終的に多くの人々が火の池と呼ばれるゲヘナという場所に落とされ、永遠に逃れることができない苦しみを受けることになります。それを免れる唯一の手段は、イエス・キリストを信じて罪を赦されることだけです。失われようとしている魂に対する深い愛が、ラヘイ先生を伝道に駆り立てました。

しかも、ラヘイ先生は、信じないと地獄行きだぞと脅して伝道したわけではありません。ラヘイ先生の原動力は、本来なら罪の故に将来火の池に落とされるはずの自分を、神さまがわざわざ選び出し、愛し、赦し、救ってくださったという事実、そしてそのためにイエスさまが自ら進んで命をささげてくださったという事実に対する感動です。すなわち、イエスさまに対するあふれる感謝が、ラヘイ先生の思いを他の人へと向かわせました。

私たちも、自分がどんなに大きな愛と恵みによって今の神さまの子ども、クリスチャンとしての立場を与えられているのかということについて、もっともっと学んで感動し、感謝と喜びに満ちあふれましょう。それが、自分の家族や友だちやまだ知らない人たちにも幸せをもたらしたい、特に救いを味わってもらいたいという愛の想いを生み出します。

まとめ

心が高ぶらないよう、いつも自分の内面や行動に気をつけ、恵み主義に立ち続けることを意識しましょう。

あなた自身への適用ガイド

  • ヒゼキヤの残念な部分について学び、どんなことを感じましたか?
  • 自分が成果主義に陥って、高ぶったり落ち込んだりしていたなと気づいた部分がありますか?
  • 神さまに対して、感謝を忘れていたと気づいたことがありますか? また、人に対する感謝はどうですか? あるとすれば、これからどのように感謝を表しますか?
  • 他の人の幸せや救いについて、無頓着になっていたと気づかされた部分がありましたか?
  • 今日の聖書の箇所を読んで、どんなことを決断しましたか?

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