(2021年5月2日)
礼拝メッセージ音声
参考資料
8節の「そのとき」とは、ヨシヤ王が宗教改革の一環として神殿の修繕を行なわせていたときのことです。
10節で見つかった書物は、11節に「律法の書」と書かれているとおりモーセ五書の一部または全部です。
イントロダクション
現在、歴代のイスラエル王について学んでいます。
今回取り上げるのは、南王国第16代の王ヨシヤです。彼は、南王国に登場した最後の信仰的な王です。彼の生き方から、私たちは自分に与えられた責任を果たすとはどういうことかを学びましょう。
1.ヨシヤの治世
宗教改革
前回登場した第14代の王マナセは、アッシリア帝国に従う政策をとり、異教の神々を礼拝しました。そして、多くの人を殺したため、神さまは南王国がやがてバビロニア帝国(バビロン)によって滅ぼされ、多くの国民がバビロンの都に捕らえ移されるというバビロン捕囚を、避けることのできない決定事項となさいました。しかし、マナセが晩年に悔い改めて、異教の神々の偶像や祭壇を取り除いたため、マナセの時代にバビロン捕囚が起こることはありませんでした。
ところが、マナセの跡を継いだアモンは、かつての父のように異教礼拝を推し進めました。このアモンは即位の2年後に一部の家臣の反乱に遭って殺されます。その反逆者たちもすぐに国民によって倒されて、アモンの子ヨシヤが王位に就きます。この時、ヨシヤはわずか8歳でした。
その後、ヨシヤは31年の間、王として南王国を治めました。その治世について聖書は次のように評価しています。
「彼は【主】の目にかなうことを行い、父祖ダビデのすべての道に歩み、右にも左にもそれなかった」(22:2)。
ヨシヤは15歳頃から本格的に宗教改革に乗り出しました。マナセやアモンの時代に建てられた偶像を次々と破壊していき、まことの神であるアブラハム・イサク・ヤコブの神、聖書の神さまを礼拝するよう国民にも求めました。
律法の書の発見
さて、宗教改革の一環として、ヨシヤが神殿の修繕を命じた時、たまたまモーセの律法が書かれた書物が発見されました。そのことが今回の箇所に書かれています。
これまで南王国では、異教礼拝を広めて、まことの神さまへの礼拝を禁止して信仰者たちを迫害する悪い王が何人も登場しました。そこで、どの時代かは分かりませんが、祭司たちが律法の書を王の手から守るために隠しておいたのかも知れません。
ここで発見されたのが創世記から申命記までのモーセ五書全部なのか、それとも一部なのかは分かりませんが、少なくとも申命記は発見されていたと思われます。それは、この律法の書の内容についてヨシヤが問い合わせをした預言者フルダの言葉から分かります。預言者フルダはヨシヤへの伝言の中でこう語っています。
「あなたは、わたしがこの場所とその住民について、これは恐怖のもととなり、ののしりの的となると告げたのを聞いた」(19節)。これは、申命記28:37に書かれている言葉です。
申命記28章に書かれている内容をまとめると次の通りです。
- モーセの律法に書かれている命令をイスラエルの民が守るなら祝福が与えられ、逆に命令に従わないなら呪いが与えられる。
- イスラエルに対する神さまの祝福とは、たとえば人間や家畜の子どもが次々生まれて増え広がる、収穫が多くなる、敵が襲ってきても打ち破られる、国が経済的に富み栄えて外国に資金を貸し出すようになる、などです。
- 一方呪いとは、疫病が蔓延する、収穫が少なくなる、国全体が貧しくなる、敵が攻めてきて略奪を受けたり民が外国に連れ去られたりする、などです。
これを読み聞かせられたヨシヤは、自分が行なってきた改革は不十分だったということに気づかされます。自分が考える信仰深さ、道徳的正しさを追い求めるだけで、イスラエルの民に与えられていたモーセの律法を具体的に守るという改革になっていなかったからです。
そして、このままでは申命記で警告されているとおりイスラエルに神さまのさばきがくだり、イスラエルの民は国を失うことになると考え、恐れました。実際、同じイスラエルの民である北王国は、偶像礼拝を続けた結果、アッシリアに滅ぼされ、多くの国民がアッシリアに捕囚されてしまったではありませんか。このままでは、自分たち南王国も、北王国と同じ運命をたどるとヨシヤは恐れたのです。そして、着物を引き裂き、自分の国の罪を認めて神さまの前にへりくだりました。
また、預言者フルダも、ヨシヤの理解通り神さまの怒りが南王国に向けられていると警告しました。
と同時に、フルダはヨシヤに励ましも語りました。それは、ヨシヤが国の罪を認めてへりくだったので、ヨシヤの時代に外国の軍隊が南王国を滅ぼすことはないという約束です。
預言者フルダの励ましを受けて、ヨシヤはさらに神さまに忠実に生きようと決意します。そして、国民にもモーセの律法を読み聞かせ、彼らもまたこの命令を守ることを誓わせました。
さらに、ヨシヤはこれまで以上に厳格に宗教改革を推し進めます。彼は、南王国だけでなく、かつて北王国の首都であったサマリアにまで出向いていって、そこにあった偶像や祭壇も破壊することまでしています。2つの国に分れてしまったとはいえ、北も南も元々はアブラハム、イサク、ヤコブの子孫であるイスラエル民族の国だからです。
そして、モーセの律法に書かれているにもかかわらず、長い間実行されていなかった過越の祭りをヨシヤは復活させました。
バビロン捕囚自体は取り消されなかった
このように、ヨシヤは神さまに忠実に歩もうとし、実際にそれを行動に起こしました。その結果について聖書は次のように評価しています。
「ヨシヤはイスラエルの子らのものである全地から、忌み嫌うべきものを取り除き、イスラエルにいるすべての者を自分の神、【主】に仕えさせた。彼の生きている間、彼らはその父祖の神、【主】に従う道から外れなかった」(第2歴代誌34:33)。
それでも、祖父であるマナセの罪のために将来起こると警告されていたバビロン捕囚が取り消しになることはありませんでした。それはもう確定してしまったさばきだからです。
戦死
さて、生涯神さまに忠実だったヨシヤですが、39歳の若さでこの世を去ります。
この頃、かつてはアッシリアに臣従していたバビロニア帝国(バビロン)が急速に力をつけていました。反乱によってナボポラッサルがバビロンの王になると、アッシリアに反旗を翻して独立を勝ち取り、逆にアッシリア領に侵攻するようになります。そして、紀元前612年にはアッシリアの首都ニネベを陥落させました。アッシリアの残党はその後も抵抗を続けていましたが、3年後の609年には完全に平定され、アッシリア帝国は名実ともに滅びてしまいます。
- ちなみに、バビロンによる支配が70年続くというエレミヤの預言、いわゆる「エレミヤの70年」はこの紀元前609年を起点とします。詳しくはこちらの記事をご覧ください。
その紀元前609年に、エジプトが軍隊をアッシリアに送りました。アッシリアを助けるためというよりも、バビロンが力をつけてきたのを脅威に感じたからでしょう。
エジプト軍がアッシリアに行くためには、途中南王国の領内を通らなければなりません。外国の軍隊を我が物顔で素通りさせたのではではメンツが丸つぶれだと思ったのでしょう、ヨシヤはエジプト軍に対して迎撃態勢を整えました。
すると、エジプトのファラオであるネコ2世は、ヨシヤに「あなた方を攻撃するために出陣したわけではない。このまま何もせずに通して欲しい」と依頼しますが、その言い草が「たとえ戦ったとしても勝ち目はないぞ」というような上から目線でした。さすがにカチンときたのでしょう、ヨシヤはネコ2世の依頼を聞き入れずに、エジプト軍に対して戦いを挑みました。
その結果、南王国軍は敗北し、ヨシヤも敵の矢が当たって戦死してしまいました。
ヨシヤの死後
まだまだ若くして死んでしまったヨシヤ王は、南王国最後の信仰的な王でした。彼の死後に王位に就いた4人の王たちは、ことごとく神さまに逆らい続け、偶像礼拝や不道徳な生き方を続けました。神さまはエレミヤなどの預言者を遣わして王や国民を戒めましたが、彼らはまったく悔い改めませんでした。こうしてついに第20代ゼデキヤ王の時代、バビロンによって国が滅んでしまいます。
今回で王さまシリーズは最後にする予定なので、簡単にヨシヤ以降の歴史を解説しておきます。
第17代エホアハズ
ヨシヤの跡をエホアハズが継ぎますが、ヨシヤがエジプト軍に戦いを挑んで負けたことで、南王国はエジプトの干渉を受けるようになります。そして、エホアハズは即位後たった3ヶ月でエジプトに連れて行かれ、王位を失います。
第18代エホヤキム
エジプトによって次の南王国になったのが、エホアハズの異母兄弟であるエホヤキムです。元の名をエルヤキムと言いましたが、エジプトは彼の名をエホヤキムに変えさせました。名前をつけるというのは相手に対して支配的な立場だということを表しています。たとえば、神さまから動物たちに対して支配権が与えられたアダムは、彼らに名前をつけました(創世記2:19)。
このエホヤキムの時代に、ナボポラッサルと皇太子ネブカドネツァル(ネブカドネザル2世)に率いられたバビロン軍は、今のトルコとシリアの国境付近にあったカルケミシュでアッシリアとエジプトの連合軍と戦いました。ナボポラッサルはその前後に死にましたが、跡を継いだネブカドネツァルは戦いに勝利しました(前605年)。
こうして中東の支配者となったバビロンは南王国にも軍隊を送り、降伏したエホヤキムはその後3年間バビロンに従いました。預言者ダニエルと3人の友人たちは、このときバビロンに連れ去れれて王位を継いだネブカドネツァルに仕えることになります。
ところが、後に反逆したため、南王国はバビロンに従う周辺の国々から略奪を受けるようになります。さらに前597年にはバビロン軍が攻めてきて、エホヤキムは多くの国民や財宝と共にバビロンに連れて行かれました(前597年)。
いわゆるバビロン捕囚と呼ばれる出来事で、預言者エゼキエルも、この時にバビロンに連行されました。バビロン捕囚はこの時1回限りの事件ではなく、小規模なものを含めるとこの前後に何度も繰り返し行なわれました。
第19代エホヤキン
エホヤキムの子で、聖書の他の箇所ではエコンヤとも呼ばれています。バビロン軍が攻めてきてエルサレムを取り囲むと、彼はすぐに降伏してしまい、バビロンに連行されてしまいました。王位に就いていたのはたった3ヶ月でした。
その後、37年間も幽閉されていましたが、ネブカドネツァルに代わってバビロン王となったエビル・メロダク(アメル・マルドゥク)によって釈放され、高い位を与えられてバビロンから日々の生活費を支給されるようになりました。
ちなみに、救い主イエスさまの地上の父であるヨセフは、このエホヤキン(エコンヤ)の子孫です(マタイ1:11-12)。
第20代ゼデキヤ
エホヤキンが捕囚され、代わりにバビロンによって王にされたのがゼデキヤです。この人も、元はマタンヤという名前でしたが、バビロンにゼデキヤという新しい名を与えられました。
ゼデキヤは最初はバビロンに対して従順でしたが、前586年に反逆し、報復のために襲ってきたバビロン軍によってエルサレムの町や神殿を徹底的に破壊されてしまいます。そして、またもや多くの国民や財宝がバビロンに連れて行かれました。ゼデキヤは目の前で息子たちを殺されたあげく、目をえぐられてバビロンに捕らえ移され、死ぬまで足かせをはめられて過ごしました。
こうして、南王国は滅亡してしまいました。
前641年 |
ヨシヤ、南王国第16代の王となる。 |
前625年 |
ナボポラッサルが反乱を起こしてバビロンの王となり、アッシリアからの独立を宣言。 |
前612年 |
バビロン軍、アッシリアの首都ニネベを陥落させる。 |
前609年 |
アッシリアに向かうエジプト軍と南王国軍が戦い、ヨシヤが戦死する。 |
エホアハズ、南王国第17代の王となる。 |
エジプトによってエホアハズが在位3ヶ月で廃され、エジプトに連行される。代わりにエホヤキムが第18代の南王国王となる。 |
前605年 |
カルケミシュの戦いで、バビロン軍がエジプト軍を打ち破る。 |
ネブカドネツァルがバビロン王となる。 |
バビロン軍に攻撃された南王国が降伏、バビロンに臣従する。 |
前602年 |
南王国がバビロンに反逆。 |
前597年 |
南王国がバビロン軍に攻められ、多くの国民や財宝が奪われて、エホヤキム王もバビロンに連行される。 |
エホヤキン(エコンヤ)、南王国の第19代の南王国の王となる。 |
バビロン軍が攻めてきて、エホヤキンは在位3ヶ月でバビロンに捕囚される。 |
バビロンによって、ゼデキヤが第20代の南王国王となる。 |
前586年 |
南王国がバビロンに反逆を試み、報復のためにエルサレムの町と神殿を破壊される。ゼデキヤ王もバビロンに捕囚され、南王国が滅亡。 |
こうして、バビロン捕囚の預言が現実のものとなります。
では、ここから私たちは何を学ぶことができるでしょうか。
2.私たちの責任を果たそう
変えられないものと変えられるもの
ヨシヤは熱心に宗教改革を行ない、自分自身や南王国の民の信仰や道徳を立て直そうと努めました。しかし、バビロン捕囚自体を取り消すことはできませんでした。
この世には、変えられるものと変えられないものがあります。私たちに問われている責任は、変えられないものを変えることではありません。変えられるものを変えることです。
よく、「過去と他人は変えられない。しかし、自分の考え方や行動は変えられる」と言いますね。ビクトール・フランクルという精神科医も「私たちはどんな状況に置かれたとしても、それに対する自分の反応を決定する自由があり、それは自分以外の何者によっても奪い去られることはない」と語っています。
ユダヤ人だったフランクルは、ナチスによって妻子や両親を殺されました。そして、自分自身も収容所に入れられてしまいます。しかし、非人間的な扱いを受ける収容所の中で、フランクルはなお人間としての誇り、神の民としての誇りを失わず、また生きる希望を保ち続けました。そうすることを自分で選び、選び続けたのです。
そして、彼よりもはるかに体力のある人たちが次々と死んでいく中で、彼は生き延びました。また、彼と同じように、希望を持つことを選び続けた人たちも、また生き延びることができました。その中には、いかにもひ弱で、この過酷な環境では真っ先に死んでしまうだろうと思われた人もいました。
見分ける知恵
アメリカの神学者、ラインホルド・ニーバー(1892-1971年)が書いたとされる、「ニーバーの祈り」としてよく知られている詩があります。私たちの教会では、最近のクリスマス礼拝の中で一緒に朗読しています。今、改めてこの祈りを朗読しましょう。
神よ、変えることのできないものを
静かに受け入れる力を与えてください。
変えるべきものを変える勇気を、
そして、変えられないものと変えるべきものを
区別する賢さを与えてください。
一日一日を生き、
この時をつねに喜びをもって受け入れ、
困難は平安への道として受け入れさせてください。
これまでの私の考え方を捨て、
イエスさまがなさったように、この罪深い世界を
そのままに受け入れさせてください。
あなたのご計画にこの身を委ねれば、
あなたが全てを正しくされると信じています。
そして、この人生が小さくとも幸福なものとなり、
天国のあなたのもとで
永遠の幸福を得ると知っています。
アーメン
私にも、また皆さんにも、この祈りがいつも実現しますように。
聖書による変化
そして、変えることができないものを受け入れる力、変えるべきものを変える勇気、そしてそれらを区別する知恵は、聖書を通して神さまが私たちに与えてくださるものです。
国全体が罪の方向に傾いている困難な時代に、ヨシヤ王が南王国の民の信仰や道徳の回復のために働き続けることができた大きな原動力のひとつは、神殿で発見されたモーセの律法の書でした。そこには、神の民であるユダヤ人がどのように生きればいいかという指針が書かれていると共に、多くの約束、そして警告が書かれています。ヨシヤはそれを読んで自ら悔い改め、そして悔い改めにふさわしい行動を取ろうと決心しました。
私たちにも旧新約聖書が与えられています。今の時代、聖霊なる神さまは、ほとんどの場合聖書を通して私たちに大切なことを教えてくださり、また慰めや励ましや戒めを与えてくださいます。
ですから、聖書を読みましょう。つまみ食いではなく、できれば通読していった方がいいです。40人の聖書記者たちによって聖書は書かれましたが、その背後で働かれたのは聖霊なる神さまです。ですから、聖書の本当の著者は聖霊さまです。聖霊さまに「どうか意味を教えてください」と祈りながら読みましょう。
そして、聖書に書かれていることを、今の自分の生活に当てはめて考えてみましょう。そうでなければ、聖書は単なる古典の本に過ぎなくなります。アメリカのリック・ウォーレン牧師は、著書の中で聖書を読むときに行なうといい12の自問自答を紹介しています。
- 変えるべき態度は?
- 主張すべき約束は?
- 変える優先順位は?
- 学ぶべき教訓は?
- 解決すべき問題は?
- 従うべき命令は?
- 避けるべき、あるいは止めるべき行動は?
- 信じるべき真理は?
- 捨てるべき偶像は?
- 赦すべき攻撃は?
- 進むべき新しい方向は?
- 告白すべき罪は?
この話をお読みください。
あなた自身への適用ガイド
- 今、改めてあなたが理解した「変えられないこと」は何ですか?
- 神さまの助けによって「変えられること」は、今のあなたにとって特に何ですか?
- 最近、聖書を通して励ましや慰めをどのように受け取りましたか?
- 最近、聖書を通して、今の生き方、行動を具体的にどのように変えるよう促されましたか?
- 今日の聖書の箇所を読んで、どんなことを決断しましたか?