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礼拝メッセージ:中通りコミュニティ・チャーチ

柔和

御霊の実シリーズ8

詩篇37篇1節〜11節

(2021年6月27日)

礼拝メッセージ音声

参考資料

ガラテヤ書の御霊の実のリストで「柔和」と訳されている言葉は、原語のギリシア語では「プラーユス」です。英語訳では、「gentleness」(優しさ、親切、穏やかさ、寛大さ)の他、「humility」(謙遜)という訳を採用しているものもあります。

イントロダクション

現在、「御霊の実」に登場する9つの良い性質について、1つ1つ解説しています。今回は、8番目の「柔和」についてです。

柔和というのは、人の性質や態度や言葉に角がなく、温かみがあって穏やかな様子を表わす言葉です。原語であるギリシア語の「プラーユス」も同様の意味を持ちます。

いわゆる山上の説教で、イエスさまは柔和な人には特別な祝福が与えられるとおっしゃっています。「柔和な者は幸いです。その人たちは地を受け継ぐからです」(マタイ5:5)。そして、その引用元が今回皆さんと一緒に交読した詩篇37篇です。聖書は、柔和な人たちがやがて地上に救い主イエスさまが実現してくださる理想的な王国である神の国(別名千年王国)に招き入れられ、そこで大きな喜びを味わいながら住むことができると約束しています。

今回、聖書が教える柔和について学んで、私たちの生活の指針とすると共に、神さまの大きな慰めをいただきましょう。

1.求められる状況

聖書が私たちに「柔和でありなさい」、すなわち他の人に対して角々しく接するのではなく、温かく穏やかに接するように命じているのは、どのような状況ででしょうか。大きく分けて3つの状況があります。

(1) 他人を指導する状況

まず、他の人を指導している場面で柔和さが求められています。特に、相手が間違ったことをしていてそれを指摘するような場合です。

「兄弟たち。もしだれかが何かの過ちに陥っていることが分かったなら、御霊の人であるあなたがたは、柔和な心でその人を正してあげなさい。また、自分自身も誘惑に陥らないように気をつけなさい」(ガラテヤ6:1)。
怒りによる指導の副作用
相手がこちらの期待に添わない行動をしたとき、私たちはがっかりします。特にこちらが迷惑を被るようなことをしでかしたときには、嫌な気持ちになります。そうすると、私たちの内側には怒りがこみ上げてきます。

怒りという感情は他の感情とは少し性質が違います。心理学では怒りは「二次感情」であると説明されています。最初に別の嫌な感情が生じて、続けてその後に怒りが出てくるからです。
  1. まず、相手が何かをしたり逆にしなかったりしたことによって、こちらが嫌な気持ちになります。たとえば、夫が結婚記念日をすっかり忘れて何もしてくれなかったとか、子どもがすぐに宿題をする約束なのにやらないで遊んでいるとか、疲れて帰ってきた早々延々と愚痴を聞かされるとか……。そして、がっかりしたり、子どもの将来が心配になったり、疲れが倍増したりします。
  2. すると、そういう嫌な気持ちを起こさせた相手に復讐するため、罰を与えたくなります。そのために湧き上がってくる攻撃的な感情が怒りです。
怒りは攻撃的な感情ですから、受けた相手は攻撃されたと感じます。すると、相手も嫌な気持ちになります。そして、逃げ出すか、心をシャットダウンしてダメージを受けないようにするか、それとも「攻撃は最大の防御」とばかりにさらなる怒りで応戦するかです。

いずれにしても、こちらが本当に伝えたいこと、たとえば「記念日は忘れないでお祝いして欲しい」とか、「すぐに宿題を始めて欲しい」とか、「10分休ませて欲しい。それから話を聞かせて欲しい」とかいうメッセージは相手の心に届きません。そうすると、相手の行動は変わらないでしょう。

仮に、こちらのあまりの剣幕に相手の行動が変わったとしても、それは恐れからの行動であり、自発的なものではありません。すなわち心がこもった行動にはなりませんから、いつも監視していないと手を抜くことでしょう。

そして、誰も脅されて行動したくはないですから、怒りによって動かそうとすると、人間関係は悪化します。
穏やかに伝えよう
ですから、聖書は「柔和な心で正してあげなさい」と勧めています。

相手のことを心配したり、がっかりしたり、悲しい思いをしたりしているのですから、ニコニコしながら伝える必要はありません。しかし、怒鳴りつけたり、暴力を振るったりすることは避けて、相手の言動のどこが間違っていて、なぜ間違いなのか、そしてこれからどうして欲しいのかということを穏やかに、そして明確に伝えましょう。

(2) 攻撃を受けている状況

もう一つ、聖書が柔和であることを求めている状況は、攻撃を受けているときです。悪し様に罵られたり、迫害を受けたりするような場面ですね。

「たとえ義のために苦しむことがあっても、あなたがたは幸いです。人々の脅かしを恐れたり、おびえたりしてはいけません。むしろ、心の中でキリストを主とし、聖なる方としなさい。あなたがたのうちにある希望について説明を求める人には、だれにでも、いつでも弁明できる用意をしていなさい。ただし、柔和な心で、恐れつつ、健全な良心をもって弁明しなさい。そうすれば、キリストにあるあなたがたの善良な生き方をののしっている人たちが、あなたがたを悪く言ったことを恥じるでしょう」(第1ペテロ3:14-16)。

柔和と柔弱は違います。相手を恐れて何も言わないのではありません。相手の誤解に対してはしっかりと弁明していいし、相手の間違った態度については毅然と抗議してかまいません。ただし、罵られた際にの罵り返したり、暴力を受けたときに暴力を仕返したりしないということです。

パウロとシラスがピリピの町で伝道していたとき、占いをする女奴隷から悪霊を追い出してやりました。その結果、占いができなくなったため、彼女の主人がパウロたちを訴えて、2人は逮捕されました。そして、取り調べも無しにムチを打たれ、一晩牢に入れられます。

翌朝、町の長官が役人たちを牢に遣わして釈放を告げると、パウロは役人たちに言いました。「しかし、パウロは警吏たちに言った。『長官たちは、ローマ市民である私たちを、有罪判決を受けていないのに公衆の前でむち打ち、牢に入れました。それなのに、今ひそかに私たちを去らせるのですか。それはいけない。彼ら自身が来て、私たちを外に出すべきです』」(使徒16:37)。

ローマ市民権を持っている人には様々な特権が与えられていました。そのひとつが裁判を受ける権利です。裁判で有罪にならない限り、ローマ市民は罰を受けることがありません。さらに、仮に有罪であってもムチを打つことは禁止されていました。このことがローマ当局にバレたら、長官が重い罰を受けることになりかねません。そこで、長官が飛んできてパウロとシラスに謝罪しました。

このようにパウロは、間違った対応をされたことについて抗議したわけですが、さりとて悪し様に長官のことを罵ったわけでも、天から火を下して復讐したわけでもありません。パウロたちはあくまでも柔和に振る舞いました。

(3) ねたましい状況

今回皆さんと一緒に交読した聖書箇所にこのように書かれています。「悪を行う者に腹を立てるな。不正を行う者にねたみを起こすな」(1節)。ということは、ねたみもまた怒りを引き起こし、柔和な態度を取れなくさせがちだということです。

他人が成功しているのを見ると、特に不正なことをして成功しているのを見ると、私たちの心の中に「私を差し置いて成功するのはずるい」というねたみが生じます。そして、その人に対して「ずるい奴には私が天に変わって罰を与えなければならない」という思いがわき上がってきます。怒りは処罰のための感情だと申し上げましたね。こうして、実際に苦々しい態度で接してしまうのです。

しかし、聖書はねたみを持たないように、そして人に対して柔和に接するように勧めています。人を妬んで足を引っ張ったからといってこちらが成功するわけではありません。むしろ「【主】に信頼し善を行え。地に住み誠実を養え」(3節)と命ぜられています。すなわち私たちが行なうべき、神さまが喜ばれる行ないを一生懸命に行なうことに集中しなさいということです。

しかし、指導している状況であれ、攻撃されている状況であれ、妬ましい状況であれ、相手に対する怒りを抑えて柔和に振る舞うことは難しいことです。しかし、聖書はそうすることを私たちに求めています。 では、どうしたら他の人に対して柔和な人になれるのでしょうか。

2.柔和であるためには

謙遜であること

参考資料にも書きましたが、英語訳の聖書の中には、柔和を「humility」(謙遜)と訳してあるものがあります。御霊の実である柔和には、謙遜という側面があるのです。

パウロがテモテに宛てて書いた手紙の中に、次のような言葉があります。「しかし、神の人よ。あなたはこれらのことを避け、義と敬虔と信仰、愛と忍耐と柔和を追い求めなさい」(第1テモテ6:11)。

避けるよう言われている「これらのこと」とは、
  • 高慢になっていて、そこから、ねたみ、争い、ののしり、邪推、絶え間ない言い争いを生じさせること
  • 満ち足りる心を伴う敬虔こそ大きな利益を得る道なのに、金銭を愛して信仰から迷い出ること
です。柔和な生き方の反対側に、高慢さがあると聖書は言うのです。

商店やレストランなどで、店員さんに対して荒々しい口調で命令する人がいますが、確かにその人たちは店員さんたちより客である自分の方が偉いと思っているはずです。「お客様は神さまです」というわけです。
  • ちなみに、三波春夫さんがこの言葉を用いたのは、「歌う時には、あたかも神の前で祈るときのように、雑念を払って、心をまっさらにしなければ完璧な芸をお見せすることはできない」という、歌手としての心意気を表わしたものでした(詳しくはこちら)。ですから、客=神だからどんな理不尽でも許されるという意味ではないし、そもそも客の側が使っていい言葉ではありません。
およそ柔和ではない荒々しい攻撃的な態度は、相手が子どもであれ、配偶者であれ、部下であれ、店員であれ、下請け会社の社員であれ、自分の方が相手よりも偉いと思う高慢さから生じます。

ですから、他の人に対して柔和な接し方ができるためには、私たちは謙遜でなければなりません。 聖書は私たちクリスチャンが人間関係において謙遜であるようにと勧めます。「何事も利己的な思いや虚栄からするのではなく、へりくだって、互いに人を自分よりすぐれた者と思いなさい」(ピリピ2:3)。

この話をお読みください

神の前に出ること

ただ、いつも申し上げていますが、謙遜というのは獲得するのが非常に難しい徳性です。自分のことを謙遜だと思ったら、それはもう傲慢です。

私たちが謙遜でいられるとしたら、絶対的に正しく誰よりも偉大な神さまの前に立つことです。完全にきよい神さまの前では、私たちは何も誇ることができません。

クリスチャン作家の三浦綾子さんが子どもの頃、弟が茶碗を割ったのでそれを厳しく非難したら、お母さんがおっしゃったそうです。「綾ちゃん。生まれてこの方、自分が何一つ壊したことがないかのような叱り方をするものではありませんよ」。

相手は不完全かも知れませんが、私たちもまた神さまの前では不完全です。それどころか罪人であって、本来なら神さまのさばきを受けて滅ぼされるべき存在でした。そんな私たちが、イエスさまの十字架と復活によって、一方的に赦されました。私たちが受けるべき罪の罰を、イエスさまが代わりに受けてくださったからです。

さらに、私たちは罪を赦されたばかりか、神さまの子どもにしていただき、永遠に続く祝福を与えられる身分にしていただきました。

相手も自分も神さまに赦していただいた存在だということ、そして命がけで愛されている存在だということ、そのことをいつも思い起こし、イエスさまへの感謝、神さまへの感謝の思いを育てていきましょう。そうするなら、私たちは本当の謙遜さを身につけ、他の人に対して自然と柔和な接し方になるはずです。

神に委ねること

そして、今回の聖書箇所は、私たちが他の人に対して柔和に接することができる秘訣は、一切を神さまに委ねることだということを教えてくれます。

私たちが人に対して柔和な態度を取れなくなるのは、相手に対する怒りをコントロールできなくなるときです。怒りは、先ほど申し上げたように、相手から被害を受けたという被害感情やねたみから生じます。この自分が、不十分な相手、こちらに損害を与えた相手、ずるいことをしている相手に罰を与えなければならないという処罰感情が怒りです。そして、実際に攻撃的な態度で接してしまいます。

しかし、今回の聖書箇所は、自分で復讐する必要がないことを教えてくれます。本当に罰を受けなければならない悪事であれば、私たちではなく神さまがそれをなさいます。だから、私たちは私たちが今しなければならないことに意識を向けて、それを一生懸命に行なうだけでいいのです。

イエス・キリストの十字架と復活を信じて救われ、そればかりか神さまの子どもにしていただいた私たちは、神さまに深く深く愛されています。神さまは私たちを本当の幸せに導こうと決めておられます。ですから、今回の箇所で次のように約束されています。「【主】に信頼し善を行え。地に住み誠実を養え。【主】を自らの喜びとせよ。主はあなたの心の願いをかなえてくださる。あなたの道を【主】にゆだねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる」(3-5節)。

神さまの守りや導きを信じて、怒りは神さまにおゆだねし、今しなければならないことに集中して取り組みましょう。そして、人に対して柔和に接することができるよう、それもまた神さまにおゆだねしましょう。

あなた自身への適用ガイド

  • 他人を指導する状況で、どれほど柔和に接することができてきたでしょうか。
  • 他人から被害を受けた状況で、どれほど柔和に接することができてきたでしょうか。
  • 他人を妬ましく思う状況で、どれほど柔和に接することができてきたでしょうか。
  • 今日のメッセージを通して、誰に対してどのように態度を変えようと決心しましたか?
  • 最近、謙遜さをどのようにして学びましたか?
  • 最近、神さまの愛の深さをどのように体験しましたか?
  • 今日の聖書の箇所を読んで、どんなことを決断しましたか?

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