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礼拝メッセージ:中通りコミュニティ・チャーチ

エバ

聖書の女性シリーズ1

創世記2章20節〜25節

(2021年7月11日)

エバ(イブ)は最初の人間アダムの妻です。エバについてのエピソードから神が私たちの救いのために何をしてくださったのか学びます。

礼拝メッセージ音声

参考資料

24節に「これを女と名づけよう。男から取られたのだから」とあります。ヘブル語で男はイシュ、女はイシャといいますので、これは言葉遊びですね。
なおこのことから分かるように、バベルの塔の事件(創世記11章)によって人類が様々な言語をしゃべるようになる前は、みんなヘブル語を話していました(他にも、バベルの塔以前の人名や地名などもヘブル語でつけられています)。

イントロダクション

今回から聖書に登場する女性に焦点を合わせて解説します。といっても女性向けのメッセージというわけではありません。老若男女にかかわらず、彼女たちの生き方や神さまとの関係から、今を生きる私たちが大切なことを学んでいきたいと思います。

第1回目の今日は、創世記に登場するエバです。まずは、エバがどんな女性だったのかということを聖書から見ていきましょう。

1.エバとは

アダムの妻

エバはアダムの次に神さまによって創造された人間です。アダムとエバ以降の人類は、私たちと同じように父親の精子と母親の卵子の結合によって誕生しますが、アダムとエバの2人だけは神さまが直接創造なさいました。

アダムは、地のちりを原料として形作られ、鼻に神さまの息が吹き込まれて生きた者となりました(2:7)。そしてエバは、今回皆さんと一緒に交読した箇所に書かれていたとおり、アダムの体の一部を使って創造されました。

21節には「あばら骨」と書かれていますが、これは骨だけでなくその周りの肉も含んでいます。いわゆるスペアリブです。アダムが史上初めてのラブソングの中で、エバのことを「私の骨からの骨、私の肉からの肉」と呼んでいることからも分かります。

助け手

今回の箇所には、アダムの妻であるエバが創造された理由が書かれています。「人はすべての家畜、空の鳥、すべての野の獣に名をつけた。しかし、アダムには、ふさわしい助け手が見つからなかった」(20節)。

動物たちの中にはアダムの助け手、パートナーになる存在がいなかったので、エバが創造されました。ですから、エバはアダムのパートナーとして創造されたということです。

人間が2人以上集まれば、誰かがリーダーシップを取らなければ物事が進みません。アダム一家の場合には最初に創造されたアダムがリーダーでした。しかし、それはアダムが元請け企業でエバはその指示に従って働く下請け企業ということではありません。アダムとエバの2人は対等の立場で話し合い、助け合いながら神さまの望まれる働きを進めていったのです。

この話をお読みください。
クリスチャン漫画家のみなみななみさんが外国であるクリスチャン夫婦に出会いました。2人は熱烈な恋愛の末に結婚しましたが、結婚すると夫は妻に冷たくなりました。妻が妊娠して身重なのに、水くみなどの大変な家事を一切手伝おうとしません。

妻が少し手伝って欲しいとお願いすると、夫は言いました。「聖書に、妻エバは夫アダムの助け手として創造されたと書いてある。だから、お前が俺を助けて家で働くのは当然だ」。

こういうのは、聖書の言葉の悪用ですね。妻が「助け手」だということは、夫がその前に働いているというのが前提になります。アダムはまだエバが創造される前に、エデンの園を耕し、生物たちを管理する仕事をしていました。まして聖書の他の箇所に、「夫たちよ。キリストが教会を愛し、教会のためにご自分を献げられたように、あなたがたも妻を愛しなさい」(エペソ5:25)と書かれています。

聖書の言葉を、自分の都合のいいように読み替えることは避けなければなりません。
(当サイト「ショートエッセイ」より)
本来男性と女性の間に、身分的な上下関係、質的な上下関係はありません。互いに助け合いながら目標を達成するパートナーです。
夫婦に限らない
本来上下関係がないというのは、別に男と女、夫と妻の関係だけに留まりません。親と子ども、上司と部下、教師と生徒、支援する人とされる人なども、立場の違いはあるにしても人間としての質の違いはありません。

今問題になっているDV、虐待、体罰、パワハラなどは、相手を自分よりも下の人間だと思うところから発生します。

また、カウンセラーやソーシャルワーカーの研修でたびたび注意喚起されますが、援助や支援の際も、気をつけていないと上下関係になってしまいます。支援するこちらが上で、される相手は下という関係です。
  • 私は必要な知識を持っていて、あなたは知らない。だから知っている賢い私が愚かなあなたを助けてあげましょう。
  • 私は力があって、あなたには力がない。だから力のある私が弱いあなたを助けてあげましょう。
そのような関わり方をされたら、せっかく支援されても惨めな気持ちになってしまいかねませんね。

子育てもそうです。子どもは親である自分よりも劣っているという思いを持って関わると、子どもの主体性を無視して、親が正しいと思うことを「あなたのためよ」と言いながら押しつけることになります。そうすると子どもを反発させたり、一人では何も決められず行動できない依存的な存在にさせてしまったりすることになります。

アダムとエバの関係は、本来主人と奴隷の関係ではなく対等なパートナーの関係でした。私たち人間の価値は、本来平等だということを忘れないでいたいですね。

2.罪

神の命令

アダムが創造されたとき、神さまは彼に使命と禁止命令を与えました。学者たちはこれを「エデン契約」と呼んでいます。その内容は、2箇所に書かれています。

「神は彼らを祝福された。神は彼らに仰せられた。『生めよ。増えよ。地に満ちよ。地を従えよ。海の魚、空の鳥、地の上を這うすべての生き物を支配せよ』。神は仰せられた。『見よ。わたしは、地の全面にある、種のできるすべての草と、種の入った実のあるすべての木を、今あなたがたに与える。あなたがたにとってそれは食物となる。また、生きるいのちのある、地のすべての獣、空のすべての鳥、地の上を這うすべてのもののために、すべての緑の草を食物として与える』。すると、そのようになった」(1:28-30)。

「神である【主】は人を連れて来て、エデンの園に置き、そこを耕させ、また守らせた。神である【主】は人に命じられた。『あなたは園のどの木からでも思いのまま食べてよい。しかし、善悪の知識の木からは、食べてはならない。その木から食べるとき、あなたは必ず死ぬ』」(2:15-17)。


すなわち、
  • 子どもを生み育てて、やがて人類が地上に満ちあふれるようにすること。
  • 他の生き物を支配すること。それは、思うままに殺したり虐待したりしていいということではなく、彼らが幸せに生きられるよう心を配るという意味。
  • エデンの園を耕して守ること。
  • 植物を食べ物とすること。
  • 善悪の知識の木の実だけは食べてはならない。食べると死ぬ。
先ほど見たようにエバはアダムのパートナーとして創造されましたから、これらの使命や禁止命令はアダムだけでなくエバも守らなければなりません。

違反

しかし、エバは神さまの命令に違反して、禁断の木の実を食べてしまいました。

神さまの敵であるサタン、すなわち悪魔が蛇に乗り移って、エバを誘惑しました。サタンはエバに言いました。「その実を食べても死にはしない。むしろ、それを食べると神のように賢くなれる。神はそれを知っているから、食べると死ぬなどと脅してあなたたちに食べさせないようにしているのだ」。要するに、人間に制限を与える神さまはケチだという主張です。

すると、エバは見事にだまされて、禁断の木の実を食べてしまいます。そして、アダムにもそれを与えたのでアダムも食べてしまいます。こうして、人類は罪を犯して堕落してしまいました。

というと、何だかアダムは悪くなくてエバが悪いように思えますが、そうではありません。聖書は、エバが悪魔に誘惑されているときアダムもその場所にいたとしっかり記しています。一家と世界のリーダーであるアダムは、当然サタンの誘惑をやめさせ、エバが禁断の木の実を食べるのを止めなければならなかったのに、それをしなかったどころか一緒に食べてしまったのです。

ですから、聖書は人類の最初の罪のことをエバの罪とは呼ばず、アダムの罪と呼んでいます。

罪の結果

さて、アダムとエバが罪を犯した結果、人類はそれまで与えられていた祝福を失ってしまいました。

まず、25節に書かれているとおり、元々彼らは裸の自分を恥ずかしいと思いませんでした。すなわちあるがままの自分のことをそのまま受け入れることができていたのです。ところが、罪を犯したとき、恥ずかしいと思うようになりました。自分が受け入れられなくなったのです。

それから、アダムは、自分が罪を犯したのは「神さまが自分に与えたこの女」のせいだと言い訳しました。エバと神さまに責任転嫁したのです。エバはエバで蛇のせいにしました。一致し愛し合っていた人間関係がおかしくなってしまいました。

また、神さまとの関係もおかしくなりました。それまで、神さまと何の罪責感もわだかまりもなく会うことができていたのに、神さまに近づきたいという思いが消えて、遠ざかりたいという思いになってしまったのです。神さまとの愛の関係が切れてしまうこと、これが警告されていた死、いわば霊的な死です。

さらに、自然との関係もおかしくなりました。地上の支配者であるアダムが堕落して罪ののろいを受けたとき、彼の支配下にあった他の全被造物ものろわれてしまいました。今の自然界はすばらしく見えますが、実は元々の素晴らしさを失っている状態です。今のコロナ禍や様々な自然災害も、元々は人類の罪のために起こるようになったことです。

最終的に、アダムとエバはエデンの園を追い出されて、のろわれた世界の中で苦労して食を手に入れなければならなくなりました。しかし、エデンの園での労働は楽しく、また100%努力が報われていたのに、今の世界は努力がかならずしも報われなくなってしまいました。

そして、人類は肉体的にも死ぬ者になりました。

エバに対する宣告

女性の代表であるエバには、さらに次のような罰が下りました。神さまは彼女に次のようにおっしゃいました。「わたしは、あなたの苦しみとうめきを大いに増す。あなたは苦しんで子を産む。また、あなたは夫を恋い慕うが、彼はあなたを支配することになる」(3:16)。

ここで、「苦しみとうめきを大いに増す」とは、2つのことを言っています。
  1. 女性の月経周期が短くなり、妊娠・出産のチャンスが増えました。人は死ぬようになったので、たくさん子を産まないと、すぐに滅びてしまうからです。
  2. 月経・妊娠・出産が大変苦しいものになりました。月経痛、つわり、陣痛などです。
そして、「あなたは夫を恋い慕うが、彼はあなたを支配することになる」と宣告されています。これは、妻は夫が好きでたまらないのに、夫は横暴に妻を虐げるという意味ではありません。

ある方が外国を旅行したときの話です。妻が夫に奴隷のように扱われている国がありました。しかし、そこの国の人たちは、そのようにするのは当然だと男性だけでなく女性も思っていました。というもは、女性が男性に虐げられるのは神さまが女性に与えた罰なのだから、それでいいのだというのです。

しかし、「あなたは夫を恋い慕うが、彼はあなたを支配することになる」とはそういう意味ではありません。

恋い慕うというのは、創世記4章でカインがアベルに嫉妬して殺意を抱いたとき、神さまが彼におっしゃった言葉の中にも出てきます。この言葉の意味は、「支配しようとする」ということです。ですから「妻は夫を支配しようとするが、夫も妻を支配しようとする」ということですね。

すなわち、家庭内で誰が支配者になって他の人を思い通りにコントロールするかという支配合戦が勃発するようになるという意味です。元々は対等のパートナーとして創造された人間同士なのに、どちらがご主人さまとなって相手を奴隷にできるかを巡って争うライバルになってしまったのです。

夫婦だけではありません。親子でも、友人同士でも、職場でも、ネット上でも、相手よりも上になろうとする(最近の言葉で「マウントを取る」)争い、そして互いに相手を思い通りに動かそうとする争いがあちこちで見られます。主導権争いをする性質が、私たち人間の中にあるのです。

しかし、それは本来の人間関係の姿ではありません。ですから聖書は次のように勧めています。「何事も利己的な思いや虚栄からするのではなく、へりくだって、互いに人を自分よりすぐれた者と思いなさい」(ピリピ2:3)。

3.救い主誕生の希望

女の子孫の預言

アダムとエバに罪の罰を宣告なさった神さまでしたが、同時に深いあわれみを示されました。本来であれば、その場で2人を殺して人類の歴史をそこで中断させてもおかしくありません。しかし、神さまは隠れていた2人を生かしてくださいました。

また、救い主がやがて地上に生まれて、罪の問題を解決するという預言もなさいました。神さまはサタンに対して次のように宣告なさっています。「わたしは敵意を、おまえと女の間に、おまえの子孫と女の子孫の間に置く。彼はおまえの頭を打ち、おまえは彼のかかとを打つ」(3:15)。

女の子孫と呼ばれる存在が現れて、サタンは彼を傷つけるけれども、逆に致命傷を負わされることになるという預言です。

この女の子孫が、後の時代にメシアとかキリストとか呼ばれるようになる救い主です。この時点では、女の子孫すなわち人間の男の子として誕生するということくらいしか分かりませんが、時代が進むに従って、だんだんと救い主がどういうお方かということが明らかになっていきます。

アダムとエバがエデンの園を追い出されてから、最初の子供が産まれました。そして、その子はカインと名付けられました。その際、エバがこう語っています。「私は、【主】によって一人の男子を得た」(4:1)。この言葉を直訳風に訳すとこうなります。「私は一人の男子、主を得た」。すなわち、エバはカインのことを主である神さまが人となって来られたお方、つまり救い主だと信じたということです。

ただ、間もなく彼女の期待は裏切られることになります。カインが成長するに従って、とてもこの子は救い主にふさわしい人格の持ち主ではないということが分かったからです。

しかし、救い主誕生の約束それ自体が無くなったわけではありません。アダムとエバへの約束から何千年もたって、ユダヤのベツレヘムの馬小屋で救い主イエスさまが誕生なさいました。

皮の衣

さて、神さまのあわれみはまだあります。裸の自分、あるがままの自分が恥ずかしくなり、アダムとエバはいちじくの葉っぱで身を隠そうとしました。しかし、葉っぱの衣ではすぐに枯れてダメになってしまいます。そこで神さまは、ずっと2人の裸の恥を覆うことができるように、皮の衣を用意してくださいました。

皮の衣が用意されたということは、少なくとも一頭の動物が死んだということです。アダムとエバの代わりに動物が血を流したのです。

そして、この時から血の犠牲の制度が始まりました。すなわち、罪のある人間が神さまに近づいて礼拝し、神さまからの祝福をいただくために、動物の血をささげるという制度です。

この血の犠牲は、アダムとエバの時代の後、ノアの時代も、アブラハムの時代も、モーセの時代も、王国時代もずっと続きました。そして、今から約2千年前、神の御子であるイエスさまが私たち人類の身代わりとして十字架にかかって、完全な血の犠牲をささげてくださいました。

ですから、今の私たちは、この自分の罪を許すためにイエスさまが十字架にかかり、死んで葬られたけれど3日目に復活なさったと信じるだけで、罪を赦され、それどころか神さまの子どもにしていただいて、永遠に続く祝福を受け取る身分となることができます。

そればかりか、イエスさまは私たちクリスチャン一人ひとりの心の中に、助け主である聖霊なる神さまを送ってくださいました。聖霊さまは私たちを内側から造り変えてくださり、罪によって損なわれてしまった人間本来の姿を少しずつ取り戻させてくださいます。
  • 私たちは神さまと親しく交わることができるようになっていきます。
  • 自分や他の人のことをありのままに受け入れ大切にすることができるようになっていきます。
  • 謙遜さを身につけ、マウントを取りたいという欲求を手放すことができるようになっていきます。
それでも、まだサタンの頭が踏み砕かれて完全に滅ぼされてはいません。やがてイエスさまはもう一度地上に帰ってこられます。そして、完全に悪を滅ぼして、永遠に続く祝福を私たちに与えてくださいます。

エバは、非常に限られた情報しか与えられていない中でも、救い主誕生の希望を持ちました。今の私たちには、聖書を通してたくさんの救い主に関する情報が与えられています。私たち一人ひとりは信仰を持ったエバの子孫なのですから、私たちも救い主イエスさまによる罪の赦しを信じ、聖霊さまによるきよめを信じ、また将来用意されている様々な祝福への希望を持ち続けましょう。

あなた自身への適用ガイド

  • 人の価値は同じだということを学んで、どのようなことを感じたり考えたりしましたか?
  • 主導権争いをする性質が私たちの中にあるということを学んで、どのようなことを考えたり感じたりしましたか?
  • 神さまから遠ざかりたいという性質が私たちの中にあるということを学んで、どのようなことを考えたり感じたりしましたか?
  • あなたはどのようにしてイエスさまを救い主と信じるようになりましたか?
  • 今日の聖書の箇所を読んで、どんなことを決断しましたか?

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