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礼拝メッセージ:中通りコミュニティ・チャーチ

レア

聖書の女性シリーズ4

創世記2章20節〜25節

(2021年8月1日)

レアはユダヤ人の先祖ヤコブの妻(第一夫人)ですが、その生涯は悩み苦しみに満ちていました。そんなレアの生涯を通して、神の慰めと励ましについて学びましょう。

礼拝メッセージ音声

参考資料

レアの家系図はこちらをご覧ください。

レアの出身地(ハラン)については、こちらのサイトの地図をご覧ください。

イントロダクション

レアはイスラエル民族の先祖ヤコブの妻です。ヤコブには2人の妻と2人の側室がいました。その中でも最もヤコブに愛され、後にエジプトの宰相になるヨセフを産んだラケルが有名です。しかし、今回はあえてレアを取り上げます。

レアの生涯は悩み苦しみに満ちていました。そんな彼女の生涯を通して、神さまの慰めと励ましを受け取りましょう。

1.レアの生涯

結婚

レアとヤコブの結婚生活は、スタートから異常なものでした。

前回学んだように、母リベカにそそのかされて目が見えない父イサクをだまして祝福の祈りを受けたヤコブは、兄エサウの恨みを買ってしまいます。そこで、花嫁捜しを名目に外国にいるリベカの兄、すなわち伯父であるラバンの元に身を寄せました。そのとき、ラバンの娘であるラケルに一目惚れしたヤコブは、彼女との結婚を望みました。

ところが、花嫁捜しの旅が名目にもかかわらず、父イサクとの関係が悪化したせいでしょう、ヤコブはイサクから花嫁料を受け取らずに家を出ました。そこで、愛するラケルと結婚するために、ラバンの下で7年間ただ働きをすることで花嫁料に替える約束を取り付けました。

そして、ようやく7年間の年季が明け、ヤコブは晴れてラケルとの結婚の日を迎えました。ところが、ここで伯父のラバンはとんでもないことを企てました。披露宴に送り込んだのはラケルではなく姉のレアだったのです。

披露宴の時、花嫁はベールをかぶっているので顔がよく見えません。夜は暗いので顔が見えません。当然相手はラケルだと思い込んでいるヤコブはすっかりだまされてしまいました。そして、朝になってだまされていることに気づきます。

それにしても、なぜレアはこんな企てに加わったのでしょうか。たとえ披露宴や初夜を乗り切ることができても、朝になればヤコブにバレることは最初から分かりきっていますし、そんな形で結婚したとしても幸せな結婚生活になるはずがないということも分かりきっています。また、ラケルが披露宴に現れて「私が本当のラケルだ」と言い立てたら企ては台無しになります。しかし、古代は家長の権限は絶対的なものでしたから、レアもラケルもラバンの決定に従うしかなかったでしょう。

結局、ヤコブは愛するラケルとの結婚も認めてもらう代わりに、さらに7年間のただ働きを受け入れました。ラケルは7年後ではなく、レアとの披露宴の期間(当時は1週間続きました)が終わってすぐにヤコブの妻となりました。しかし、一旦妻として一夜を明かしたレアを捨てることは、法的にもまたヤコブの律儀な性格上もできません。その結果、ヤコブは2人の妻の夫となりました。

伯父のラバンは、ヤコブのラケルへの愛情を利用して14年間彼をただ働きさせることに成功しました。そして、14年後、ヤコブが家に帰りたいと申し出ると、無一文でそのままでは家族を養うことができないヤコブが一財産築くまでさらに6年間自分の元にヤコブを起き続けました。しかも、そう簡単にヤコブが自分の財産を手に入れられないよう、あの手この手で邪魔をしました。非常に悪辣ですね。

ついにヤコブがラバンの元をこっそり去ることを決意したとき、レアもラケルもまったく反対せずむしろ賛成しました。2人とも、自分たちが父親から娘として愛されたのではなく、ただ道具として利用されただけだということが分かっていて、悲しみと怒りを感じていたからです。

ラケルとの争い

さて、結婚したレアは、その後ヤコブの愛情を巡って、妹ラケルと激しい争いを繰り広げることになります。といっても、勝負は最初から付いていました。

今回の箇所にはこう書かれています。「レアは目が弱々しかったが、ラケルは姿も美しく、顔だちも美しかった」(17節)。新改訳で弱々しいと訳されている言葉は優しいという意味も持っていて、新共同訳ではそう訳しています。ただ、「が」という言葉が示しているとおり肯定的な意味ではなさそうです。ただ、それが肯定的な意味であれ否定的な意味であれ、より重要なのは次の節です。「ヤコブはラケルを愛していた」(18節)。

ヤコブが愛していたのはあくまでも妹のラケルです。さらに、ヤコブにとっては、レアは自分をだました伯父ラバンサイドの人間に思えたことでしょう。そんなわけで、レアは圧倒的ハンデを抱えての結婚生活のスタートを切ることになりました。

そんなレアがヤコブに振り向いてもらえる希望は、ヤコブとの間に子どもを産むことでした。ヤコブは普段は愛するラケルの天幕で暮らしていましたが、夫としての務めは忠実に果たしました。レアを放ったらかしにしていたわけではないということです。父ラバンは結婚した娘たちにそれぞれ1人ずつ女奴隷を与えた以外、日々の生活の面倒はまったく見てくれませんでした。しかし、ヤコブは愛するラケルだけでなくレアの生活もしっかり支えましたし、時々レアの天幕に宿泊もしました。

その結果、レアは次々と子どもを産みました。そのことについて、聖書は次のように述べています。「 【主】はレアが嫌われているのを見て、彼女の胎を開かれたが、ラケルは不妊の女であった」(29:31)。ヤコブに愛されていたラケルは、まったく妊娠することができなかったのです。

最終的にヤコブには息子が12人生まれますが、その子どもたちの誕生の経緯を簡単に見ていきましょう。
  1. まず、レアが4人の息子を産みました。
  2. すると、なかなか子どもが生まれないラケルが、アブラハムの妻サラと同じ戦略をとりました。自分の女奴隷ビルハを側室として与えたのです。ビルハは2人の息子を産みました。
  3. すると、レアはそれに対抗して自分の女奴隷ジルパを側室として与え、ジルパは2人の子どもを産みます。
  4. それから、レア自身が2人の子どもと1人の娘を産みました。
  5. ようやくラケルに子どもが与えられ、さらに2人目を産んだ後にラケルは死んでしまいました。
なんと、レアはヤコブに嫌われていると聖書に書かれているにもかかわらず、6人の息子と1人の娘を産みました。4人の妻たちの中で最もたくさんの子どもを産んだことになります。
子どもたちの名前
ヤコブの12人の子どもたちから、後にイスラエル12部族が出ます。その子どもたちの名前には、ヤコブの愛を巡ってのレアとラケルの対抗心が表れています。今回改めてそれを学び直して、彼女たち、特にレアの気持ちを慮ってちょっぴり切なくなりました。最初の10人の息子たちの名前とその意味、またそれを名付けた際のレアやラケルの発言を見ていきましょう。
  1. レアが産んだルベン(この子を見よ):レア「【主】は私の悩みをご覧になった。今こそ夫は私を愛するでしょう」。
  2. レアが産んだシメオン(聞く):レア「【主】は私が嫌われているのを聞いて、この子も私に授けてくださった」。
  3. レアが産んだレビ(結びついた):レア「今度こそ、夫は私に結びつくでしょう。私が彼に三人の子を産んだのだから」。
  4. レアが産んだユダ(ヤハウェを賛美する):レア「今度は、私は【主】をほめたたえます」。
  5. ラケルの女奴隷ビルハが産んだダン(審判):ラケル「神は私をかばってくださり、私の声を聞き入れて、私に男の子を与えてくださった」。
  6. ラケルの女奴隷ビルハが産んだナフタリ(我が戦い):ラケル「私は姉と死に物狂いの争いをして、ついに勝った」。
  7. レアの女奴隷ジルパが産んだガド(幸運):「幸運が来た」。
  8. レアの女奴隷ジルパが産んだアシェル(幸せ):「なんと幸せなことでしょう。女たちは私を幸せ者と言うでしょう」。
  9. レアが産んだイッサカル(報酬):「私が女奴隷を夫に与えたので、神は私に報酬を下さった」。
  10. レアが産んだゼブルン(共に住む):「神は私に良い賜物を下さった。今度こそ夫は私を尊ぶでしょう。彼に六人の子を産んだのですから」。
背後にある意味を知るとそれもこれも切ないですが、特に10人目のゼブルンの名前が泣けます。ずっとヤコブはラケルの天幕で生活していました。しかし、いつかヤコブが自分を愛してくれるようになり、たまに訪問するのではなく一緒の天幕で生活してくれるようになることをレアが望んでの命名です。

その後、妹のラケルはようやく11男ヨセフを産みます。さらに一家で伯父のラバンの元を離れた後、旅の途中で12男ベニヤミンを産みますが、産後の肥立ちが悪く死んでしまいました。それでも、結局ヤコブの心がラケルからレアに移ることはありませんでした。

こういう記事を読むと、またアブラハムの妻であるサラとハガルの確執の記事を読むと、一夫多妻制というのはトラブルの元だなと感じます。イスラム教では一夫多妻を認めていて、最大4人まで妻を持つことが認められているといわれますが、実際には王族でもない限り複数の妻を持つ人はまずいないそうです。というのは、複数の妻や産まれた子どもたちを分け隔てなく平等に愛し、また経済的に支えることすることが条件だからです。それは経済的に大変ですし、そうでなくてもみんな平等に大切にするというのは難しいことが分かっているからでしょう。

子や孫

さらに、その後のレアは子どもや孫のことでいろいろと悲しい思いをさせられることになります。
  1. 自分が産んだ長男ルベンが、父の側室であったビルハと姦通しました。その結果、ルベンはヤコブに疎まれるようになります。
  2. 自分が産んだ娘ディナが、土地の男に強姦されるという事件が起こります。そして、その報復として、同母兄であるシメオンとレビが犯人の男だけでなく、彼が住む町の男たちを皆殺しにし、女性や子どもたちを奴隷として略奪しました。
  3. 自分が産んだ4男ユダが、異教礼拝をしているカナン人の娘と結婚しました。そして、生まれた孫たち2人が罪を犯して次々と神さまのさばきによって死んでしまいました。
  4. さらに、ユダは死んだ息子たちの妻と姦通して子どもをもうけました。
  5. また、ライバルが生んだ子とは言え、11男ヨセフが野獣に襲われて遺体も見つからないという痛ましい事件が起こりました。実際は10人の兄たちがエジプトに売り飛ばしたのですが、ヤコブやレアは兄たちの言葉を信じて、ヨセフは死んだものと思い込んでいました。

死後

こうしてレアは波瀾万丈の生涯を閉じました。後にヤコブ一家はエジプトの宰相となっていた11男ヨセフの招きによってエジプトに移住しますが、それ以前にレアは亡くなっています。彼女は、ヨセフが生きていたことも知らず、また他の息子たちが悔い改めて別人のように生まれ変わったことも知ることなく死んでいきました。

そして、その遺体はマクペラという場所にある墓地に葬られました。その墓地には、ヤコブの祖父アブラハムとその妻サラ、またヤコブの父イサクとその妻リベカが葬られています。いわばアブラハム一族の代々の当主とその正妻が葬られている墓でした。ちなみに、妹のラケルは旅の途中で亡くなったため、別の場所に葬られましたし、ビルハとジルパは側室ですからこの墓に葬られる資格がありません。4人の妻の中で、ただレアだけがマクペラの墓地に葬られたのです。

そして、エジプトで寿命を迎えたヤコブは、自分が死んだらその遺体は必ず約束の地のマクペラの墓地、レアが眠っているあの墓地に葬るように遺言を残しました。その遺言通り、息子たちは彼の遺体をマクペラの墓に葬りました。

ずっと一緒の天幕で暮らしたいと願いなからかなわなかったレアでしたが、死後にようやくその願いがかなえられることになりました。

そして、レアが死んでずっとずっと後の時代、彼女が産んだユダの家系から救い主イエスさまが誕生なさることになります。

生きている間は、何かと心が安まらなかったレアの生涯から、私たちは何を学ぶことができるでしょうか。

2.神は私たちの痛みを見て対処してくださる

神から来る慰め

妻として愛されていないことでレアは惨めで悲しい思いをしていました。しかし、そんな彼女が妹よりもまた側室たちよりもたくさんの子どもを産みました。子どもを産めないことは大変な恥であり、逆にたくさんの子どもを産むことが女性の誉れと考えられていた古代の中東において、ささやかながらレアを慰める出来事でした。

一方、ヤコブが最も愛したラケルは、なかなか子どもを産むことができませんでした。ヤコブはその点について、神さまがラケルの胎を閉ざして妊娠できないようにしておられるのだと理解していました。

私たちが置かれている状況は、レアとはまったく違います。しかし、それぞれ悩んだり苦しんだりすることがあります。そんな私たちを神さまはご覧になっています。しかも、ただ眺めておられるだけでなく、手を差し伸べ、慰めや励ましを与えてくださいます。全知全能の神さまが自分の苦しみを知っておられ、そのあふれる愛に基づいて何かしようとしてくださっているという事実は、私たちをどれほど勇気を与えられるでしょうか。レアの生涯は、そのことを私たちに思い出させてくれます。

死後の大逆転

そうは言っても、結局ヤコブの心がレアに向くことはなく、レアが根本的に慰められることは生きている間はありませんでした。第一夫人にふさわしい扱いを受けたのは死んだ後です。そして、夫ヤコブが自分がいる場所に留まり続けるという彼女の切なる願いがかなえられたのも死んだ後です。

それでは意味がないじゃないですか! しかし、私たちの人生はこの地上で終わるものではないということを忘れてはなりません。たとえ地上ではまったく報われない人生だったとしても、私たちの人生はその先も続きます。

死んだ後魂が天に挙げられて安らかに過ごす第2の人生、また復活して新しい栄光の体が与えられて地上の千年王国で過ごす第3の人生、そして新しく創造される天地で永遠に幸せに過ごす第4の人生が待っています。それは先に行けば行くほどよりすばらしくなる人生です。

若い頃に所属していた教会には、脳性マヒの女性がいらっしゃいました。頭脳明晰でユーモアもあるすてきな女性でしたが、移動は車椅子で言葉もなかなかうまく出てきません。この方がおっしゃって心に残っている言葉があります。それは、やがて自分が死んで復活したら、自分の足で歩くことができる。そして、今は独身だけれど、そのときには真っ白なウェディングドレスを着て花婿であるイエスさまの前に進み出るのだという言葉です。

地上では報われないように見えても、ちゃんと神さまは私たち一人ひとりにすばらしい祝福を用意してくださっています。それは生きている今、地上でハッピーな暮らしをしている人たちが味わっている幸せよりも、もっともっとすばらしい祝福です。

摂理のわざ

そして、レアの生涯は神さまの摂理の不思議を私たちに教えてくれています。摂理とは、神さまがご自分の目的を達成するために、この世のあらゆるものをうまく動かされることです。私たちの目には、偶然の出来事が起こっているように見えても、すべては神さまの緻密な計画と計算に基づいて起こっています。そして、その意味は後になってから分かることがほとんどです。

貪欲な父親の道具とされて、偽の花嫁として結婚させられてしまったレア。そして、夫の愛を巡ってどちらがたくさんの子どもを持てるかという争いを実の妹と繰り広げたレア。子どもたちや孫たちのことで悲しい思いをさせられたレア。しかし、そういったことを通して、ヤコブ一家は大所帯になり、12人の子どもたちからイスラエル12部族が誕生することになります。

さらに、4男ユダは息子の妻と姦通して子どもをもうけるという破廉恥な真似をしてレアの悲しみを増し加えましたが、なんとその家系から救い主イエスさまが誕生なさいます。

有名なあの聖書のみことばを思い出しましょう。「神を愛する人たち、すなわち、神のご計画にしたがって召された人たちのためには、すべてのことがともに働いて益となることを、私たちは知っています」(ローマ8:28)。

レアの場合には、結果が明らかになったのは数千年後でした。しかし、私たちが生きている間に摂理の結果を見せていただくこともあります。

たとえば私は、教師になるという夢を捨てて伝道者になることを神さまから命ぜられました。夢を捨てることは当時の私にとっては大変痛いことでした。しかし、巡り巡って、現在週日は学校でスクールソーシャルワーカーとして子どもたちや保護者と接しています。一度捨てたはずの学校で働いているのです。それは考えれば考えるほど不思議です。

地上で起こる一つ一つの出来事に、私たちの心は一喜一憂してしまいますが、最後は必ずすばらしいことが待っているのだということを信じましょう。そして、ワクワクしながら期待しましょう。

あなた自身への適用ガイド

  • 神さまが私たちの苦しみを知っておられるという話を聞いて、あなたが真っ先に思い浮かべたのはどのような問題ですか?
  • 死んだ後、あなたはどのような祝福を味わいたいですか?
  • 神さまの摂理のわざを実感したことがこれまでありましたか?
  • 今日の聖書の箇所を読んで、どんなことを決断しましたか?

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