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礼拝メッセージ:中通りコミュニティ・チャーチ

ツィポラ

聖書の女性シリーズ6

出エジプト記4章18節〜26節

(2021年8月15日)

ツィポラはモーセの妻です。ツィポラに関するエピソードから、「心の割礼」とは何か、そして心の割礼と私たちの関係について解説します。

礼拝メッセージ音声

参考資料

ツィポラ(以前の訳ではチッポラ)はミディアン人イテロ(レウエル)の娘で、モーセの妻です。ミディアン人はアブラハムの側室ケトラが産んだミディアンの子孫です。

当時、イスラエルの民はエジプトで奴隷としてこき使われていました。今回の箇所の直前で、モーセは神さまから声をかけられ、イスラエルの民を解放するようエジプト王に言えと命ぜられました。自信がなかったモーセは何度も言い訳を並べて断りましたが、そのたびに神さまに励まされ、最終的にその召しを受け入れました。今回の箇所は、当時モーセが住んでいたミデアンからエジプトに向かう途中の出来事です。
20節に「息子たち」と書かれています。モーセとツィポラの夫妻には2人の息子が産まれ、長男がゲルショム、次男がエリエゼルという名です(18:3-4)。
ゲルショムとは「寄留者」という意味で、モーセが「私は異国にいる寄留者だ」という思いを込めて名付け、エリエゼルとは「主は助け主」という意味で、「私の父の神は私の助けであり、ファラオの剣から私を救い出された」という思いを込めて名付けました。

25節で、ツィポラが火打ち石で息子(おそらく次男エリエゼル)の包皮を切り取ったというのは、割礼のことです。
割礼とは、ユダヤ人の男子が生後8日目に受ける儀式で、火打ち石のナイフを使って外性器の皮を切り取ります。これは生まれた子どもが、神さまがアブラハム、イサク、ヤコブと結ばれた契約の元にあるユダヤ人であることを表わしています。

イントロダクション

ツィポラに関するエピソードから、「心の割礼」について学びましょう。

ツィポラに関する聖書の記事

モーセと出会い結婚する

モーセが40歳の時、エジプト人がユダヤ人を打ち叩いているところに行き会いました。そこで、周りに人がいないのを確認したモーセは、そのエジプト人を打ち殺して死体を埋めました。後日、ユダヤ人同士が争っているのをモーセが仲裁すると、悪い方のユダヤ人が「一体誰がお前を我々の指導者にしたのか。あのエジプト人のように俺を殺すつもりか」と罵りました。モーセは、エジプト人を殺したことが世間に広まったと思って恐れ、エジプトを脱出してミディアンに逃れました。

すると、7人の羊飼いの娘たちが羊たちに水を飲ませようとしたのに、他の羊飼いに邪魔されているところに行き会いました。モーセが娘たちを助けてやると、それを聞いた娘たちの父イテロ(別名レウエル)が彼を家に招きます。こうしてモーセは、そのまま彼の家に滞在し、羊飼いとして働くことになりました。

粗野な羊飼いたちを追い払うだけの腕力。しかも単なる脳筋ではなく、エジプトの王宮で世界最高の教育を受けたインテリ。おそらく7人の娘たちは全員モーセにポーっとなったことでしょうが、モーセの妻となったのはそのひとりであるツィポラでした。

その後、モーセは40年間イテロの仕事を手伝いました。そして、その間ツィポラはモーセとの間に2人の息子をもうけました。子どもの名前は、参考資料にも書きましたが、ゲルショムとエリエゼルです。

瀕死のモーセを救う

次にツィポラが登場するのは、モーセが神さまの命令を受け入れて、義父イテロの元からエジプトに向かう時です。それが今回皆さんと一緒に呼んだ箇所に書かれています。ツィポラは2人の息子と共にモーセに同行しました。すると、途中で神さまはモーセを殺そうとなさいました。おそらく重い病気にかかったのでしょう。

その前の箇所で、モーセはあれこれ理由を並べて神さまの命令を拒否し続けました。そのときに殺されそうになったというなら分かるのですが、すでに神さまの命令を受け入れて、エジプト王の元に向かっているときに殺そうとするというのは、ちょっと理解に苦しみます。

ただ、ツィポラが息子の一人に割礼を施したことで、モーセの命が救われたことを考え合わせると、神さまがモーセを殺そうとなさったのは、モーセが息子に割礼を施していなかったことが原因だったと考えられます。
割礼とは
割礼というのは、ユダヤ人の先祖であるアブラハムが神さまによって命ぜられた儀式です。ユダヤ人の家庭に男の子が生まれた場合、生後8日目にその子の外性器を覆っている包皮を、火打ち石のナイフで切り取ります。

この儀式は、アブラハム、イサク、ヤコブと、その子孫であるユダヤ人と神さまとの契約(アブラハム契約)のしるしでした。

「次のことが、わたしとあなたがたとの間で、またあなたの後の子孫との間で、あなたがたが守るべきわたしの契約である。あなたがたの中の男子はみな、割礼を受けなさい。あなたがたは自分の包皮の肉を切り捨てなさい。それが、わたしとあなたがたとの間の契約のしるしとなる。あなたがたの中の男子はみな、代々にわたり、生まれて八日目に割礼を受けなければならない。家で生まれたしもべも、異国人から金で買い取られた、あなたの子孫ではない者もそうである。あなたの家で生まれたしもべも、金で買い取った者も、必ず割礼を受けなければならない。わたしの契約は、永遠の契約として、あなたがたの肉に記されなければならない。包皮の肉を切り捨てられていない無割礼の男、そのような者は、自分の民から断ち切られなければならない。わたしの契約を破ったからである」(創世記17:10-14)。

最後に「自分の民から断ち切られる」と書かれていますが、これは死刑を意味しています。それくらい重要な儀式だということです。

ところが、モーセとツィポラは、息子の一人に割礼を施していませんでした。この箇所の息子は単数形で表わされています。ですから、長男ゲルショムには割礼を施したのに、何らかの理由で次男エリエゼルには割礼を施さなかったということでしょう。
考えられる事情
これははっきりと聖書に書かれていませんが、おそらく次のような事情だったのでしょう。モーセ夫妻に最初の息子ゲルショムが産まれたとき、モーセはユダヤ人として当然のように割礼を施しました。ところが、ミディアン人であるツィポラはそれをおぞましいと感じました。

ミディアン人の先祖であるミディアンは、アブラハムがサラの死後めとったケトラが産んだ6人の息子の一人です。そして、アブラハムはミディアンを、イシュマエルや他の5人の兄弟と同じように、約束の地から遠く離れた場所に住まわせて、正統な跡継ぎとなったイサクから分離しました。

ミディアン自身はアブラハムの子ですから、アブラハム、イサク、ヤコブと同じ神さまを信じていたでしょうし、割礼も受けていました。ところが、約束の地を離れて5百年以上の時が流れるうちに、ミディアンの子孫たちの正しい信仰が変質してしまったと思われます。少なくとも、ミディアン人は割礼を息子に施す習慣を失っていました。

40年モーセと連れ添っている間に、ツィポラはまことの神さまを信じるようになりました。しかし、どうしても割礼は受け入れられません。大切な息子に傷をつけて血を流すわけですから。そこで、次男エリエゼルが誕生したときには、ツィポラは頑として割礼を拒否したのでしょう。

当時のモーセは必殺仕事人シリーズの中村主水のような「婿殿」であり、妻とその実家に対してあまり強くものを言える立場ではありませんでした。さらに、信仰的にも低空飛行の時期でしたから、ツィポラの意見に逆らうことができなかったのでしょう。そうしたわけで、次男エリエゼルには割礼を施さないままでした。
神がモーセを殺そうとした理由
しかし、神さまがイスラエルの民をエジプトから救い出し、約束の地カナンに連れ戻すというのは、アブラハム契約の約束に基づいています。「主はアブラムに言われた。『あなたは、このことをよく知っておきなさい。あなたの子孫は、自分たちのものでない地で寄留者となり、四百年の間、奴隷となって苦しめられる。しかし、彼らが奴隷として仕えるその国を、わたしはさばく。その後、彼らは多くの財産とともに、そこから出て来る』」(創世記15:13-14)。

その約束の実現のためにモーセは選ばれました。にもかかわらず、モーセ自身がアブラハム契約の命じている割礼を息子に施さないということは許されません。ですから、神さまは警告の意味でモーセを重い病気にして瀕死の状態になさったのです。
ツィポラの悔い改め
ここでツィポラは、夫モーセが死に瀕したのが、次男エリエゼルに割礼を施さなかったためだということを正確に理解しました。また、夫を救うためには、神さまのみこころに立ち返るしかないことを理解しました。それは次男エリエゼルに割礼を施すことです。そして、それを行動に移しました。こうして、モーセは命を守られました。

このとき、ツィポラが感情的には納得していなかったことが、その後の行動から分かります。ツィポラは切り取った息子の包皮を夫モーセの足に張り付けて言いました。「まことに、あなたは私には血の花婿です」(25節)。

一時実家に戻る

モーセの病気と次男の割礼の出来事を通して、ツィポラは夫モーセが担おうとしている働きが生半可なものではないことを思い知りました。そして、とても自分と子どもたちは夫と一緒にその働きの現場にいることはできないと考えたのでしょう。その後、ツィポラは2人の息子と共に実家に戻っていきました。

再びツィポラがモーセと再会するのは、イスラエルの民がエジプトを脱出した後のことです。「さて、モーセのしゅうと、ミディアンの祭司イテロは、神がモーセと御民イスラエルのためになさったすべてのこと、どのようにして【主】がイスラエルをエジプトから導き出されたかを聞いた。それでモーセのしゅうとイテロは、先に送り返されていたモーセの妻ツィポラと彼女の二人の息子を連れて行った」(18:1-3)。

その間、神さまはモーセとイスラエルにどんなすばらしいみわざを見せてくださったでしょうか。
  • 神さまはエジプトに10の災害を引き起こし、 エジプト王がイスラエルの国外退去を認めざるを得ないようになさいました。
  • 心変わりした王が戦車隊を派遣すると、目の前の海を真っ二つに分けてイスラエルの民を無事に向こう岸に渡らせ、さらにエジプト軍が後を追おうとすると水を元に戻して全滅させました。
  • 苦くて飲むことができない水の性質を変えて、飲むことができるものに変えました。
  • 食べ物がない荒野で、毎日天からマナという不思議な食べ物が降るようになさいました。
  • 水の無い場所で、岩から水を湧き出させました。
  • アマレク人が襲ってきたときに、勝利させてくださいました。
これらのすばらしい神さまのみわざを、ツィポラは実際に目撃することができませんでした。後から話を聞くことも素晴らしいことですが、本来であればツィポラは自分自身の目でそれらの奇跡を見ることができたはずだったのです。神さまの働きを恐れて実家に戻ってしまったことで、ツィポラはその祝福を受け取ることができませんでした。

こうして、ツィポラに関する記録は聖書から消えてしまいます。あの偉大なモーセの妻なのですから、もっともっと取り上げられても良さそうなものなのに、先週学んだようにミリアムとアロンがモーセを非難するネタに使われたくらいです。
  • 非難のネタとなった「クシュ人の女」はツィポラとは別人だという説もあります。
ツィポラは、最初は割礼を軽視していましたが、モーセが神さまに殺されそうになってその重要性に気づかされました。ただ、心から割礼の重要性を受け入れていたわけではなかったため、神さまの驚くべき奇跡のわざを目の前で体験するという祝福を受け取り損ねました。

では、ここから私たちはどんな教訓を学ぶことができるでしょうか。

心に割礼を施す

クリスチャンと割礼

元々割礼は、その人がユダヤ人であって、アブラハム契約の下にあることを示すしるしでした。ですから、今でもユダヤ人は生まれた男子に生後8日目の割礼を施していますし、イエス・キリストを信じるようになったユダヤ人クリスチャン(いわゆるメシアニック・ジュー)もそうしています。

さらに、モーセの律法でもユダヤ人に男の子が生まれたら、生後8日目に割礼を授けるよう命じています(レビ12:3)。そして、外国人がイスラエルの神を信じるようになった場合、その人が割礼を受ければ、ユダヤ人と同じように祭りに参加できるようになると定められています(出エジプト12:44,48など)。
モーセの律法の役割は終わった
しかし、イエス・キリストが十字架にかかって血を流されたとき、モーセの律法は完了してその役割を終えました。それが書かれている箇所を3つ紹介します。

「キリストが律法を終わらせられたので、信じる人はみな義と認められるのです」 (ローマ10:4 新改訳第三版)。

「こうして、律法は私たちをキリストに導く養育係となりました。それは、私たちが信仰によって義と認められるためです。しかし、信仰が現れたので、私たちはもはや養育係の下にはいません」 (ガラテヤ3:24-25)。

「実に、キリストこそ私たちの平和です。キリストは私たち二つのものを一つにし、ご自分の肉において、隔ての壁である敵意を打ち壊し、様々な規定から成る戒めの律法を廃棄されました」 (エペソ2:14-15)。

そこで、ユダヤ人ではない異邦人がイエス・キリストを信じて救われたとき、もはや新たに割礼を受ける必要はありませんし(使徒15章)、むしろそんなことをしてはいけません(第1コリント7:18など)。

心の割礼

では、クリスチャンはまったく割礼とは関係がなくなったのでしょうか。いいえ、肉体的に割礼を受ける必要はありませんが、心に割礼を受けるよう命ぜられています。

次の使徒パウロの言葉は、イエスさまを信じようとしないユダヤ人、自分たちは割礼を受けた契約の民だからそれだけで救われているのだと思い込んでいるユダヤ人に向けて語られたものです。「外見上のユダヤ人がユダヤ人ではなく、また、外見上のからだの割礼が割礼ではないからです。かえって人目に隠れたユダヤ人がユダヤ人であり、文字ではなく、御霊による心の割礼こそ割礼だからです。その人への称賛は人からではなく、神から来ます」(ローマ2:28-29)。

この「心の割礼」については、すでにモーセの律法の中で語られています。

「あなたがたは心の包皮に割礼を施しなさい。もう、うなじを固くする者であってはならない」(申命記10:16)。

「あなたの神、【主】は、あなたの心と、あなたの子孫の心に割礼を施し、あなたが心を尽くし、いのちを尽くして、あなたの神、【主】を愛し、そうしてあなたが生きるようにされる」(申命記30:6)。


また預言者エレミヤは、罪を犯して神さまに逆らい続けるユダヤ人たちに対して、次のように警告しました。 「ユダの人とエルサレムの住民よ。【主】のために割礼を受け、心の包皮を取り除け。そうでないと、あなたがたの悪い行いのゆえに、わたしの憤りが火のように出て燃え上がり、消す者もいないだろう」(エレミヤ4:4)。

心に割礼を受けるとは、神さまを心から愛し、そして神さまの教えに素直に従うことだと分かりますね。

現代の私たちは、ユダヤ人であれ異邦人であれ、恵みの福音を信じるだけで救われ、神さまの子どもにしていただけ、永遠に続く祝福が与えられる身分となります。恵みの福音とは、「この自分の罪を赦すためにイエスさまが十字架にかかって血を流し、死んで葬られたけれど、3日目に復活なさった」ということです(第1コリント15:1-8)。

しかし、一旦イエスさまを信じた私たちは、心の割礼を受け、また一生涯受け続けなければなりません。すなわち、神さまを愛し、神さまに素直に従う心を持ち続け、それを育て続けなければなりません。

神のことばをすべて受け入れる

しかも、私たちは神さまの教え、神さまのみことばの一部ではなく全体を受け入れ、従う必要があります。すべての命令に従うというだけでなく、約束をすべて信じるということにおいてもそうです。

私たちの内側には、それが神さまの喜ばれないこと、罪であると分かっていても、自分の欲望を満足させたいという性質、あるいは神さまの約束についてもすんなりとは信じないで疑ってしまう性質があります。聖書はこの不信仰な性質を肉と呼んでいます。

私やあなたの内にある肉の性質は、ツィポラのように神さまのみことばを選り好みしてしまうのです。

戦国時代、宣教師が豊臣秀吉にキリストの福音を伝えました。すると、秀吉は興味を示したもののこう言ったそうです。「まったく結構な教えだが、あの『姦淫するな』という教えだけは困る。あれさえなければ信じても良いのだが」。女好きで知られた秀吉は、妻以外の女性と関係を持ってはいけないという命令が受け入れられなかったわけです。

しかし、そうはいきません。神さまは、ツィポラが神さまの言葉の都合のいい部分だけ受け入れて、自分にとって嫌だなと思う部分は従わないという態度をお許しになりませんでした。
キリストの割礼
パウロはクリスチャンと割礼の関係について、次のようにも述べています。「キリストにあって、あなたがたは人の手によらない割礼を受けました。肉のからだを脱ぎ捨てて、キリストの割礼を受けたのです。バプテスマにおいて、あなたがたはキリストとともに葬られ、また、キリストとともによみがえらされたのです。キリストを死者の中からよみがえらせた神の力を信じたからです」(コロサイ2:11-12)。

私たちクリスチャンが受けたキリストの割礼とは、私たちがイエスさまと共に死んで葬られ、また復活したことと関係しています。私たちが死んだというのは罪に対して死んだということであり、よみがえったというのは神さまに従う者として新しく生まれたということです(ローマ6:11など)。

私たちの肉の体の一部だけが死んだのではなくて、全部が死にました。一部だけ復活したのではなくて、全部が復活しました。私たちは、神さまに生活の一部だけ従う者になったのではなく、全面的に従う者になりました。

福島に来る前、ハワイのウェイン・コデイロ先生が来日されて語られたメッセージで、おもしろいことをおっしゃいました。それは、「皆さんはパートタイムで救われたいですか? パートタイムで天国に入りたいですか? いいえ。神さまはフルタイムで私たちを愛してくださっています。だから、私たちもフルタイムで神さまに仕えるのです」。すなわち、「神さまは私たちの一部だけ救われたわけでなく、全部を救ってくださったのだから、私たちは人生の全部を神さまにささげなければならない」ということです。

とはいえ、私たちは弱い存在です。神さまのみことばは選り好みしないで全部受け入れ実行しなければならないと分かっていても、それでもツィポラのように選り好みしてしまいます。

そんなときは、イエスさまの十字架と復活を思い出しましょう。イエスさまによって、私たちはすでに赦されています。しかも、完全にです。ですから、うなじを固くしないで素直に自分の過ちを認め、ツィポラのように神さまに従う決心をし直して実際の行動に移しましょう。

あなた自身への適用ガイド

  • あなたにとって感情的に受け入れるのが大変な神さまの命令がありますか?
  • あなたにとって感情的に信じるのが難しい約束がありますか?
  • それらの命令や約束はどうして受け入れるのが難しいのでしょうか?
  • 今回のメッセージを通して、守るように促された命令や信じるように励まされた約束がありませんでしたか? そして、神さまはあなたに具体的にどういう行動を取って欲しいと思っておられますか?
  • 今日の聖書の箇所を読んで、どんなことを決断しましたか?

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