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礼拝メッセージ:中通りコミュニティ・チャーチ

ラハブ

聖書の女性シリーズ7

ヨシュア記2章1節〜7節

(2021年8月22日)

ラハブは旧約聖書ヨシュア記に登場する遊女です。ラハブのエピソードから、聖書の神は救いを与える神だということを学びます。

礼拝メッセージ音声

参考資料

40年間イスラエルの民を導いてきたモーセが亡くなりました。そして、ヨシュアがリーダーとなっていよいよ約束の地に入るところです。

1節のシティムは、ヨルダン川の東にある土地で、エリコの対岸に当たります。

6節の亜麻はあま科の一年草で、種からはアマニ油が採れ、繊維から採れる糸は亜麻布やランプの芯に用いられました。

イントロダクション

今回登場するのは、エリコの町に住んでいた女性で、名前はラハブです。神さまがラハブにしてくださったことを通して、私たちは大きな慰めや励ましを受け取りましょう。まずは、聖書がラハブについてどのように描いているかを見ていきましょう。

1.聖書の中のラハブ

イスラエルの偵察兵を助ける

出エジプト後、イスラエルの民は神さまを信頼しなかったため、すぐに約束の地に入ることができず、40年間荒野で生活しました。そして、古い世代がヨシュアとカレブ以外みんな死んでしまったとき、ついに約束の地に入るときがやってきました。最初に攻略するのは、交通の要所にあるエリコの町です。

リーダーであるヨシュアは、まずエリコの町の様子を探るため、先に2人の偵察兵を送りました。そのエリコの町にはラハブが住んでいました。

今回の箇所に、 ラハブの仕事は遊女であったと記されています。 13節でラハブは自分の家族について、「私の父、母、兄弟、姉妹、また、これに属するもの」と語っていて、夫や子どものことは触れられていません。ですからずっと独身だったか、あるいは子どもが生まれる前に夫を亡くしたかしたのでしょう。普通そういう境遇の娘は父親か兄弟が養うものですが、何らかの事情で彼女自身も働かなければ生活できない状況だったのでしょう。それが遊女の仕事でした。
偵察兵がラハブの家に泊まる
さて、うまく町の中に潜入できた偵察兵たちは、その遊女ラハブの家に泊まることにしました。ユダヤ人に与えられているモーセの律法では姦淫が厳しく禁じられていますから、偵察兵たちは自分たちが遊ぶためにラハブの元に行ったのではありません。おそらくラハブは宿屋をやりながら、求められれば春も売るということをしていたのでしょう。その宿屋に泊まったわけです。

15節にこう書かれています。「彼女の家は城壁に建て込まれていて、彼女はその城壁の中に住んでいた」。ですから、町中に泊まるより目立たないと偵察兵たちは考えたのでしょうね。

ところがそうは問屋が卸しません。イスラエル兵がヨルダン川を渡ってエリコの町に潜入したことはすでに発覚していて、エリコの王の耳にもその情報がもたらされていました。さっそくエリコ王に遣わされた兵たちは、潜入したイスラエルのスパイを捕まえるため、ラハブの元にやってきます。そして、イスラエル人を出すようラハブに命じました。
ラハブが偵察兵をかくまう
ところが、ラハブはイスラエル兵をかばいました。確かにあなたたちがおっしゃるような人たちはうちに来たけれども、イスラエルの人たちだなんて分かりませんでした。それに、もうとっくに町を出てしまいましたよ」と、エリコ兵に答えたのです。

そして、それを信じたエリコ兵たちが町の外に出て行くと、ラハブはイスラエルの偵察兵を逃がしてやりました。彼女の家は城壁の中にあったので、窓から城壁の外にロープを垂らし、それを伝って町の外に出られるようにしてやったのです。

そして、その際彼らからある約束を取り付けました。それは、イスラエルがエリコの町を滅ぼす際、自分と家族の命は助けてくれるようにということです。イスラエル兵はその願いを聞き入れました。
ラハブは命を救われる
そして、ついにイスラエル全軍がエリコにやってきました。エリコは高い城壁に守られた町です。どんなふうに攻略したのでしょうか。それは大変常識外れな方法です。神さまの命令通り、ヨシュア率いるイスラエルは、毎日1回黙ってエリコの周りを回りました。そして、それを6日間続け、7日目には7回城壁の周りを回りました。そして、イスラエルの祭司たちが角笛を吹き鳴らし、兵士たちがときの声を上げると、何とあの堅牢なエリコの城壁が勝手に崩れ落ちてしまいました。
  • もし城壁全部が崩れ落ちたとしたら、その中にあるラハブの家も崩れ、ラハブと家族も死んでしまったでしょうから、イスラエル兵が町に侵入できる程度の、一部の破壊だったはずです。
こうして、イスラエル兵たちはエリコの町を徹底的に破壊し、住民をすべて殺害しました。しかし、偵察兵たちがラハブに誓ったとおり、ラハブとその家族・親族は殺されることがありませんでした。

信仰をほめられる

ラハブについては、新約聖書にも記述があります。ヘブル書11章には、旧約聖書に登場する信仰深い人々がリストアップされています。アベル、エノク、ノア、アブラハム、サラ、イサク、ヤコブ、モーセといった人々に続いて、ラハブが立派な信仰者として名を連ねているのです。「信仰によって、人々が七日間エリコの周囲を回ると、その城壁は崩れ落ちました。信仰によって、遊女ラハブは、偵察に来た人たちを穏やかに受け入れたので、不従順な者たちと一緒に滅びずにすみました」(ヘブル11:30-31)。

ここに「滅び」という言葉があります。エリコを攻めるイスラエルの民に対して、ヨシュアはエリコを聖絶せよと命じました。聖絶せよという言葉は、新共同訳では「滅ぼし尽くして主にささげよ」、口語訳では「主への奉納物として滅ぼされなければならない」と訳しています。

通常、戦いに勝利した軍隊は、敵の戦闘員である男は殺したとしても、女性や子どもは生かして奴隷にしましたし、家畜や食料や宝物も奪って自分たちのものにしました。ところが、それをしないで徹底的に破壊して全滅させろというのです。しかも、それは神さまがお命じになったことでした。

そこだけ見ると残酷ですが、イスラエルによる約束の地侵略は、そこに住んでいるカナン人に対する神さまのさばきという側面があります。神さまは、アブラハム、イサク、ヤコブを通してカナン人たちにご自分の存在と救いについて語ってこられましたし、その後も400年以上彼らが悔い改めてまことの神さまを信じるようになるのを待ってこられました。しかし、カナン人たちはその悔い改めのチャンスを生かさなかったのです。

ところが、ラハブは違いました。宿屋を営んでいた彼女は、旅人たちがもたらす噂話を耳にしていました。彼女は、偵察兵たちをかくまった後、彼らにそうした理由を次のように語っています。

「【主】がこの地をあなたがたに与えておられること、私たちがあなたがたに対する恐怖に襲われていること、そして、この地の住民がみな、あなたがたのために震えおののいていることを、私はよく知っています。あなたがたがエジプトから出て来たとき、【主】があなたがたのために葦の海の水を涸らされたこと、そして、あなたがたが、ヨルダンの川向こうにいたアモリ人の二人の王シホンとオグにしたこと、二人を聖絶したことを私たちは聞いたからです。私たちは、それを聞いたとき心が萎えて、あなたがたのために、だれもが気力を失ってしまいました。あなたがたの神、【主】は、上は天において、下は地において、神であられるからです」(9-11節)。

一般のエリコ人は震え上がり、意気消沈してしまっただけですが、ラハブはさらに一歩進んで、イスラエルの神こそ全人類の神、そして自分の信じるべき唯一まことの神だと信じ、この方に従うことを決心したのでした。周りに一人の信仰者もいない環境で、限られた情報の中でまことの神さまを見いだし信じ、それに基づいて行動したラハブの信仰を、ヘブル書は高く評価して信仰者のリストに入れています。

有名人の先祖になる

ラハブがやったことは、エリコの人々からすれば敵のスパイを助け、国の安全保障を脅かす利敵行為です。もしバレたらひどい拷問の末に殺されることになったでしょう。ラハブは命をかけて彼らをかくまいました。それは、まことの神さまは、神の民であるイスラエルの民を助けた自分もまた、必ず守ってくださると信じていたからです。

神さまは、そんなラハブの命がけの信仰に応えてくだささいました。それはただ滅びを免れさせただけではありません。ラハブはイスラエルの民に加えられ、イスラエルの民と共に生活するようになりました(もちろん、彼女の家族・親族も一緒でしょう)。

その後、ラハブはイスラエルの男性と結婚しました。その男性はユダ族に属するサルマ(サルモン)という人です。二人には男の子が生まれました。名前をボアズと言います。ん? どこかで聞いたことのある名前ですか? そうです。ルツ記に登場する優しく信仰的な農場主で、ルツと結婚することになるあのボアズです。

さて、ボアズとルツにも男の子が生まれます。名前はオベデ。そのオベデの子どもがエッサイ、そのエッサイの8男坊が、あの有名なダビデ王です。そう。ラハブはダビデ王の「ひいひいおばあちゃん」なんです。

さて、ダビデ王が登場したということは、その子孫に誰がいるかもうお分かりですね。そうです。救い主として地上に来られたイエスさまです。遊女で外国人だったラハブを通して、神さまは救い主をこの世に送ってくださったのです。

「アブラハムの子、ダビデの子、イエス・キリストの系図。(中略)サルマがラハブによってボアズを生み、ボアズがルツによってオベデを生み、オベデがエッサイを生み、エッサイがダビデ王を生んだ」(マタイ1:1,6)。

ラハブがいなければイエスさまの系図は途切れてしまいます。ラハブの命がけの信仰によって、私たちがイエスさまと出会い、救いを体験できたともいえます。やがて死んで天国に行ったら、ラハブ先輩に感謝しないといけませんね。

では、ここから私たちは何を学ぶことができるでしょうか。

2.聖書の神は救いの神である

神は救いを願っておられる

あの織田信長が桶狭間の戦いで海道一の弓取りと呼ばれた今川義元に勝利したとき、戦後の論功行賞で、義元を討ち取った武将よりも、今川軍がどこで野営しているかという情報をもたらした武将の方がより高く評価されました。なぜなら、戦いにとって正確な情報が非常に重要だということを信長は知っていたからです。

優れた戦術家であるヨシュアが、 エリコ攻撃を前にして敵の内情を探るために偵察兵を送ったのは至極当然のことでした。そして、ここが重要なところなのですが、神さまもそれをお止めになりませんでした。

しかし、考えてみてください。40年前、12人の偵察兵たちが同じようにカナンの地に派遣され、そのうちの10人が散々カナン人の強さを猛烈にアピールして、自分たちは絶対に勝てないと言ったため、イスラエルの人々は信仰が萎えてしまい、結局そのときはカナンの地に入ることができませんでした。今回もそうなる恐れがなかったとは言えません。

しかも、イスラエル軍がエリコの城壁を突破できたのは、偵察兵たちがもたらした情報に基づいて立てられた作戦のおかげではなく、神さまの奇跡によってでしたね? じゃあ、なぜ神さまは偵察兵の派遣をお止めにならなかったのでしょうか。

それは、偵察兵たちとラハブを出会わせるためです。そして、それによってまことの信仰を持つようになっていたラハブを滅びから救い出し、神の民、神の家族であるイスラエルの中に加えるためです。

神さまの願いは人の救いです。神様はあなたを愛し、あなたと深い交わりを持ちたいと願っておられます。そして、神さまはあなたの大切なあの人のことも救いたいと願っておられます。それを信じましょう。

神は恵みによって救われる

神様が救おうとお決めになったラハブは、アブラハム、イサク、ヤコブの子孫であるユダヤ人(イスラエル人、ヘブル人)ではありません。神さまが全滅させよとおっしゃるほど罪深いカナン人です。そして、その仕事は娼婦でした。

しかし、神さまはそんなことと関係なく、ラハブの信仰をご覧になって彼女を救い、神の家族として受け入れてくださいました。救いは人の良い行ないに対するごほうびとして与えられるものではなく、一方的な神さまからのプレゼントとして与えられます。これを恵みと言います。聖書の神さまは恵みの神です。

ただし、ラハブが神さまの家族となり、神さまと深い交わりを体験することができるようになるためには、イスラエルの民に加えられる必要がありました。ラハブは女性でしたから割礼を受ける必要はありませんが、それでも他のイスラエルの民と同じようにモーセの律法に従った生活をしなければなりませんでした。つまり、ユダヤ人にならなければいけなかったのです。

しかし、今の時代はそうする必要はありません。イエスさまが救い主として来られ、私たちの罪の罰を身代わりに受けて、それによって私たちの罪が赦されるために十字架にかかって血を流されたとき、私たちはユダヤ人にならなくても、日本人のままで救われ、神さまの子どもにしていただき、神さまと親子の交わりを持つことができるようになりました。

「ですから、思い出してください。あなたがたは、以前は肉において異邦人でした。すなわち、肉において人の手による、いわゆる割礼を持つ人々からは、無割礼の人々と呼ばれる者であって、そのころのあなたがたは、キリストから離れ、イスラエルの国から除外され、約束の契約については他国人であり、この世にあって望みもなく、神もない人たちでした。しかし、以前は遠く離れていたあなたがたも、今ではキリスト・イエスの中にあることにより、キリストの血によって近い者とされたのです」(エペソ2:11-13)。

神さまの恵みをいつも思い起こして感謝しましょう。

神は救いに必要な情報を与えてくださる

そして、神さまは偶像礼拝にまみれ不道徳な生活が当たり前だったエリコの町の中で、ラハブがまことの神さまについて知り、またそれだけでなくこの方に人生を委ねて信頼する決心ができるよう、必要な情報をもたらしてくださいました。

アブラハム、イサク、ヤコブとその子孫であるユダヤ人の神さまは、海を真っ二つに分けてエジプト軍からイスラエルを守られたということ、またイスラエルに対して戦いを挑んだアモリ人が全滅させられたことを知りました。

しかし、その情報はラハブだけでなく、エリコの王も他の民もみんな知っていたことです。ただ、他の人々はただ意気消沈して震え上がるだけでした。そこから一歩進んで、この強い神さまこそ本当の神さまであり、私はこの方に信頼し、また従わなければならないと考えたのはラハブだけでした。

神さまは、私たちにご自分のことを様々な方法で教えてくださいます。たとえば、この宇宙、この自然を見ると、それを設計し創造しまた今も動かしている知的な存在がいるということに気づくことができます。

そして、それに気づいてもっとその存在について知りたいと願う人には、ラハブのところに偵察隊を送られたように、さらに救いに必要な情報を送ってくださいます。

もしあなたがまだクリスチャンでないとしたら、このサイトを訪問してメッセージの音声を聞いておられることが、神さまによる情報提供です。どうかしっかりと受け止めて、イエスさまを通して与えられる救いをご自分のものにしてください。

あるいは、あなたはすでにイエス・キリストの福音を信じて救われたクリスチャンでしょうか。であれば、すでにあなたに与えられている救いを、もっともっと味わうことができるようにと願いましょう。神さまは、そのために知らなければならないこと、また信じなければならないことを必ずあなたに教えてくださいます。

ラハブはただ滅びを免れただけでなく、イスラエルの中に住むことができるようになり、神の民の一員として神さまとの交わりを体験できるようになりました。それと同じように、私たちに与えられている救いとは、ただ単に地獄で滅ぼされることがなくなったということだけではありません。天のお父さまになってくださった神さまから、様々な祝福を永遠にいただき続けることができるということです。それをもっともっと味わうことができます。私も、そしてあなたも。
1980年のミス・アメリカであるシェリル・ブレウィットさんの話を読みました。シェリルさんは、11歳の時に交通事故に遭い、左足を粉砕骨折してしまいました。切断は免れたものの、左足が右足より5センチ短くなってしまいます。17才になるまで、シェリルさんはこの事実を友だちに隠してきました。恥ずかしかったからです。

そんなある時、教会の礼拝式で、イエス・キリストは今も奇跡の力をお持ちであるというメッセージが語られました。そこで、シェリルさんは、自分もイエスさまに左足をいやしてもらいたいと思いました。

しかし、同時に心の中にこんな思いも浮かんできます。「もしいやしが行なわれたとしても、ただ単に自分がハッピーになるだけでは不十分だ。いやしを通して、イエスさまのすばらしさがみんなに伝わらなければならない」と。そのためにはどうしたらいいかしらと、シェリルさんは一生懸命考えました。

考えた末、いいアイディアが浮かびました。いやしの前に、自分の左足が短いということを友だちに知っておいてもらう必要があることに気づきかされたのです。そこで、足の長さがはっきり分かる服装で、一日中学校のホールに立っていることにしました。

その一日が終わってみると、シェリルさんは、足のいやしのことなどどうでも良くなっていました。それよりももっとすばらしいことを知ったからです。シェリルさんは、イエスさまの素晴らしさを現すためにホールに立ち続けました。そのシェリルさんと共に、イエスさまは確かに一緒にいてくださいました。シェリルさんは、イエスさまが自分のことを命がけで愛しておられ、自分もまたイエスさまのことを愛しているということを強く実感したのです。

「天のお父さま」。シェリルさんは祈りました。「あなたが私に与えようとしていらっしゃるものを、それが何であったとしても、私はすべて受け取ります」。すると、シェリルさんの内と外とが、神さまの圧倒的な臨在と愛とで満たされました。そして、ふと気がつくと、左足が5センチ伸びていました。

いやされたこともすばらしいですが、それよりも神さまとの深い深い愛の交わりを体験したことの方が、もっとすばらしいことです。神さまは、イエスさまを通して私たちにもすばらしい交わりを与えてくださいます。
(当サイト「ショートエッセイ」より)

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