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礼拝メッセージ:中通りコミュニティ・チャーチ

サマリアの女

聖書の女性シリーズ19

ヨハネによる福音書4章1節〜10節

(2021年11月14日)

サマリアの女は井戸のそばでイエス・キリストと出会い対話しました。それによって、人生が180度造り変えられます。私たちの人生も変わります。

礼拝メッセージ音声

参考資料

イエスさまの3年半に渡る公生涯の最初期で、まだ12弟子が全員そろっていない頃の出来事です。イエスさまは過越の祭りを祝うため、初期の弟子たちと家族を連れてエルサレムに登りました(その時最初の宮きよめを行ない、ニコデモと対話しました)。その帰り道、ユダヤとガリラヤの間にあるサマリア地方を通ったときの出来事です。

今回の場面は、スカルという町の外にあった井戸で、イスラエルの族長やコブが掘ったものです。スカルは旧約聖書のシェケムの東にあった町だという説が有力です。ヤコブはシェケム近くに土地を手に入れました(創世記33:18-20)。そして、ヤコブの娘がシェケムに住む族長の息子に強姦され、その報復のために、ヤコブの息子シメオンとレビがシェケムの男たちを皆殺しにするという事件が起こりました(創世記34章)。

サマリア地方に住んでいたのはサマリア人で、ユダヤ人とは別の民族です。より正確に言うと、ユダヤ人と異邦人が雑婚してできた民族です。歴史的な経緯から、両者は非常に仲が良くありませんでした。ですから、ユダヤとガリラヤを行き来するユダヤ人は、通常は遠回りでもヨルダン川東岸の道を迂回するルートを選びました。

イントロダクション

以前牧師の研修会で、講師が教会の活動をビジネスにたとえて話されました。教会がビジネスなら、提供している商品は何でしょう。講師は「変えられた人生」であるとおっしゃいました。

今回登場したサマリア人の女性は、5回結婚して5回離婚しました。そして、今は夫ではない男性と同棲しています。そのため、町の人たちから後ろ指を指されながら肩身の狭い暮らしをしていました。そんな彼女がイエスさまと出会って人生が180度変わりました。

イエスさまがこの女性を変えてくださった方法は、イエスさまが私たちを変える際にも用いてくださる方法です。そして、私たちがイエスさまを他の人に伝えて、変えられた人生を提供する際にも参考になる方法です。 それはどんな方法でしょうか。

1.謙遜に飛び込む

心の壁を突破した

最初の会話
今回の話は、イエスさまがエルサレムからガリラヤに戻る途中に起こりました。弟子たちが町に食料を買い出しに出かけている間、イエスさまは井戸の所に座っておられました。すると、そこに1人のサマリア人の女性が通りかかります。イエスさまは、イエスさまはご自分の方から彼女に声をかけ、「わたしに水を飲ませてください」(7節)とお願いしました。

すると、彼女は答えました。「あなたはユダヤ人なのに、どうしてサマリアの女の私に、飲み水をお求めになるのですか」(9節)。「いいですよ」とも「嫌です」とも言わずに、こんな言い方をしたのには理由があります。歴史的な事情で、ユダヤ人とサマリア人は非常に仲が悪かったからです。

イエスさまとこの女性の間には、高い高い心の壁があったというところに注目しましょう。まずは民族的な壁です。
民族的な壁
昔、イスラエルの国が北王国と南王国に分れていた頃、神さまに逆らい続けた北王国は、神さまのさばきによってアッシリア帝国に滅ぼされてしまいました。アッシリア帝国は北王国の政治家や技術者、若者たちを捕らえて自分たちの国に連れて行き、代わりに他の支配地域から異民族を連れてきました。そして、残された北王国国民と異民族が雑婚するようにしました。混血によって民族的アイデンティティを失わせて、反逆の意思を取り除くためです。こうして生まれたのがサマリア人です。

ユダヤ人と同じルーツを持つサマリア人たちは、ユダヤ人と同じく聖書の神ヤハウェを信じていました。ただし、モーセ五書だけを聖典として受け入れて、預言書などは受け入れていませんでした。また、礼拝の中心地はエルサレムではなく、サマリアにあるゲリジム山だと考えていました。

ユダヤ人とサマリア人は、歴史的に様々な対立を経験しました。たとえば、ユダヤ人がバビロン捕囚から解放されて約束の地に戻ってきたとき、ユダヤ人たちは最初に神殿再建をしようとしました。その際、サマリア人が妨害をしました。また、後にネヘミヤがエルサレムの城壁を修復しようとしたときにも、サマリア人が妨害しました。一方、ユダヤ人もサマリア人のことを、純粋なイスラエルの民ではないとして差別しました。そして、サマリア人がゲリジム山に建てた神殿を破壊しました。

こうして、ユダヤ人とサマリア人はとても仲が悪くなりました。聖書にはサマリアの女がイエスさまに最初に語った言葉の後に、「ユダヤ人はサマリア人と付き合いをしなかったのである」(9節)と書かれています。ここで「付き合いをしなかった」と訳されている言葉は、直訳すると「ものを共有しなかった」です。それなのにイエスさまが、サマリア人が使っている井戸、サマリア人が使っている水瓶から水を飲もうというのですから、この女性は驚き怪しんだわけです。
男女の壁
もう一つは男女の壁です。江戸時代、今の福島県にあった会津藩には、武士の子どもたちに対する教訓「什の掟」がありました。「ならぬものはならぬものです」で有名ですね。その一節に「戸外で婦人と言葉を交えてはなりませぬ」というものがありました。中東でも同様で、当時、男性が公の場で女性に話しかけることはありませんでした。

しかも、男性が女性にものを頼んで、自分の弱さをさらけ出すことなど考えられないことです。特に、ラビ(聖書の教師)の方から女性に声をかけてものを頼むなんて、あり得ないことでした。

水を飲ませて欲しいと願ったイエスさまに向かって、この女性が「サマリア人の、しかも女の私になぜ?」と尋ねた気持ちはよく分かりますね。

下る愛

そもそも、イエスさまがサマリア地方にやってきたこと自体が異例です。今回、イエスさまは祭りに参加するために訪問していたエルサレムから、本拠地であるガリラヤ地方に戻る途中でした。サマリア地方はエルサレムがあるユダヤ地方とガリラヤ地方の間にあります。ですから、途中でサマリアを通るのは当然のように思えます。

しかし、先程申し上げたようにユダヤ人とサマリア人は仲が悪かったため、ユダヤ人がユダヤとガリラヤを行き来する際には、遠回りを覚悟でわざわざヨルダン川沿いの道を迂回したのです。それが普通でした。ところが、聖書にはこのように書かれています。「しかし、サマリアを通って行かなければならなかった」(4節)。

この言葉が意味するところは、天の父なる神さまのみこころにより、イエスさまはわざわざサマリアを通るルートを選ばれたということです。それは、この女性に会って話をするためです。
神の謙遜
イエスさまは救い主です。すなわち、天地万物を造られた神さま、全宇宙の支配者である王の王、主の主であるお方が、人となってこられたお方です。それは、私たち人間が犯した罪の償いをするため、私たちの罪が赦されて救われるため、私たちが神さまの敵から神さまの愛する子どもに変えられるためです。そのためにイエスさまはこの地上に来てくださいました。

遠い天の高みから私たちを見下ろして、「もし救われたければここまで登ってきて、必死にお願いしてみろ」とおっしゃったのではなく、本来被害者である神さまの方から私たちのところに下ってきてくださり、一方的なプレゼントとして救いを差し出してくださったのです。

水瓶を担いで井戸にに向かっていたこの女性は、井戸のそばに座っているのがユダヤ人で、しかも宗教家だということは一目見て分かっていたはずです。近づけばどんな嫌みを言われるか分かりません。無視してさっさと水を汲んで家に戻ろうと考えていたに違いありません。つまり、完全無視を決め込んでいました。

ところが、イエスさまは、このサマリアの女性に対しても、上から目線で非難したのではなく、謙遜に話しかけました。それによって、このサマリアの女性は心をつかまれます。そして、つい会話を始めてしまいました。その後もしばらくは、この女性は棘のある話し方を続けますが、とにかくイエスさまと会話を始めたことが、後に彼女自身の生き方が変わるきっかけとなりました。

上から目線になっていないか

私たちは、他の人に接する際、特にその人を指導したり問題点を指摘したりする際、あるいは伝道する際、上から目線の話し方をしてこなかったでしょうか。
  • 「私は神さまを信じて赦されたきよい人間。あなたはまだ信じていない罪人。きよい私が、どうしようもない邪悪なあなたを正してあげましょう」。
  • 「私は正解を知っている賢い人間。あなたは正解を知らない愚かな人間。賢い私が愚かな私に正解を教えてあげましょう」。
  • 「私は何でもできる有能な人間。あなたは人の助けを借りなければ何もできない無能な人間。有能な私が無能なあなたを助けてあげましょう」。
そんな上から見下ろすような接し方をしてこなかったでしょうか。

「愛は謙遜というパイプを通して流れる」という言葉があります。この私に対して、イエスさまは謙遜に接してくださったのですから、私もまた他の人に対して謙遜な態度で愛を伝えたいと思います。 それが人の心を開く秘訣、あなたの愛の語りかけや善意を受け取ってもらえる秘訣です。

今日は児童祝福式ですが、子どもに対して孫に対して、上から目線で関わっていなかったか振り返ってみましょう。

2.相手を知る

水の話

ユダヤの教育法の特徴の一つは、「知っているところから始めて、知らないところに導く」というものです。サマリアの女性の心をつかみ、とにもかくにも会話を始めたイエスさまは、この女性が興味を持っているところから始めます。

この女性はイエスさまがいるところまで何をしに来たのでしょうか。そう、水を汲みに来たのでしたね。そこでイエスさまは、いきなり罪からの解放だとか、永遠のいのちだとか、死後に味わう祝福だとかいう霊的な話はしないで、水の話から始めました。それが「水を飲ませてください」という語りかけでした。その後も、しばらく水の話を続けます。しかし、次第に霊的なテーマに彼女を引っ張っていかれました。
2回目の会話
イエス:「もしあなたが神の賜物を知り、また、水を飲ませてくださいとあなたに言っているのがだれなのかを知っていたら、あなたのほうからその人に求めていたでしょう。そして、その人はあなたに生ける水を与えたことでしょう」(10節)。

生ける水とは、ため池などに貯めてあるよどんだ水ではなく、泉からとうとうと湧き出る新鮮な水のことです。イエスさまは別のことを意味しておられますが、この段階では女性は通常の意味で捉えました。

女性:「主よ。あなたは汲む物を持っておられませんし、この井戸は深いのです。その生ける水を、どこから手に入れられるのでしょうか。あなたは、私たちの父ヤコブより偉いのでしょうか。ヤコブは私たちにこの井戸を下さって、彼自身も、その子たちも家畜も、この井戸から飲みました」(11-12節)。

「あなた何様?」って感じの棘のある言葉ですね。しかし、イエスさまに対する呼びかけが「主よ」に変わりました。その前は「ユダヤ人」でしたが、これはサマリア人にとっては軽蔑的な響きのある言葉です。それがちょっぴりランクアップして、棘は残っていながらも少し丁寧な語り口になりました。この人は普通のユダヤ人と違うぞと感じたからでしょう。
3回目の会話
イエス:「この水を飲む人はみな、また渇きます。 しかし、わたしが与える水を飲む人は、いつまでも決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人の内で泉となり、永遠のいのちへの水が湧き出ます」(13-14節)。

女性:「主よ。私が渇くことのないように、ここに汲みに来なくてもよいように、その水を私に下さい」(15節)。

イエスさまは、心の渇きを潤す霊的な水の話にシフトしておられます。この永遠のいのちへの水とは、救い主イエスさまが信者の元に送ってくださる聖霊なる神さまのことです。聖霊さまは、私たち人間が抱える心の飢え渇き、魂の飢え渇きをいやしてくださいます。

しかし、まだこの女性は物理的な水のことだと思っています。この当時、水くみは女性の仕事でした。スカルの井戸は30mもの深さが合ったと言われますが、そんな深い井戸から水を汲み上げ、水瓶に移し替え、それを担いで家に戻るのは大変な重労働です。もしも、自動的にこんこんと湧き出る水を手に入れられたら、大変な思いをして汲みに来なくてもよくなります。そんな便利な水ならぜひ欲しいというわけです。

私たちもいるところから始めてもらった

私たちはいろいろなところからイエスさまと出会います。病気、人間関係の挫折、経済的問題、失恋、「教会に行けばかわいい女の子がいるかもしれない」等々……。しかし、きっかけはどうでもいいのです。イエスさまは、あなたの興味や重荷が何であれ、あなたのいるところから始めてくださいます。

皆さんは、どんなきっかけで教会に行こうと思いましたか? 聖書を読んでみたいと思いましたか? イエスさまについて知りたいと思いましたか? 改めて振り返ってみましょう。イエスさまは今私たちがいるところをバカにしないで真剣に向き合ってくださり、そこから始めて私たちの人生を造り変えてくださいます。これからもそうです。

相手を知ろう

そして、あなたが伝道したいと思っている相手、助けたいと思っている相手、大切なことを教えたいと思っている方は、今何に悩んでいますか? 何に興味を持っていますか? 何を考え、何を感じていますか? 私たちは、こちらが何を話すかだけでなく、相手が何を考えているのか、何を感じているのかに意識を向けなければなりません。

スクールソーシャルワーカーになったばかりの頃、スーパーバイザーから次のような言葉を教えてもらいました。「困った子ども、困った親ではなく、困っている子ども、困っている親だというふうに考えよう」。

あなたが指導しようとしている人、助けようとしている人、非難しようとしている人。その人は困った人でなのはなく、困っている人なのかもしれません。一体何に困っているのでしょうか。あなたが相手に向かって何を語るか、何を伝えるかを考える前に、相手を知ることから始めてみましょう。

おととい、週日働いているスクールソーシャルワーカーの研修で、ケース検討を行ないました(以下、個人が特定されないよう、内容を改変して紹介します)。それは、小学生が休みがちになっているというケースでした。

学校では、家庭の状況をよく探ろうとしないまま、保護者、特に母親に対して、昼夜逆転しないよう指導して欲しい、朝ご飯を食べさせてから登校させて欲しい、宿題をちゃんとやるよう家庭で協力して欲しいなど、様々な要望をしました。

ところがこの家庭は、ローンを組んで家を建てた矢先に父親の会社が倒産して失業。再就職したものの、シフト制の派遣社員でした。そのため、母親も昼と夜にパートで仕事を入れなければならなくなっていました。それでも生活費が足りず、それぞれの実家や友人知人から借金をした結果、関係が破綻して、もう誰からも助けてもらえない状況になっていました。子どもは、夜遅くに帰ってくる母親と会うために夜中に起き出すため、朝起きられなくて学校に行けない日があるわけです。

そのうち、ストレスから父親から母親へのDVが起こるようになり、ついに父母が離婚。母親はとにかく夫から逃れたい一方で、慰謝料や養育費のことを取り決めずに離婚しました。このためさらに経済的に大変になり、余裕がなくなったために家はゴミ屋敷。しかし、学校からは、「お子さんの臭いがひどいです。ちゃんとお風呂で洗うよう指導してください」というお願いが届きました。

子どもたちは完全不登校。誰も信用できなくなった母親は、ますます精神的に追い詰められて、子どもに暴言を吐くようになりました。そして、ついには子どもと一緒に心中しようと考えるようになってきた……というケースです。

もしも初期の段階で、誰かがこの家庭の経済的な問題に気づき、両親の精神的なサポートや、借金の清算や様々な福祉的援助を紹介するなどできていれば、心中を考えるまでこの親子を追い詰めることはなかったかもしれません。しかし、私たちも「この問題はあなたのせい。だからあなた自身が何とかすべきだ」と上から目線で突き放すことがないでしょうか。

相手を知ることから始めましょう。こちらが何を伝えたいかだけでなく、相手が何に悩み、何にこだわり、何に躓いているのかを知ることに心を向けましょう。

3.根本問題に触れる

夫を呼んできなさい

決して渇かない水が欲しいと言う女性に対し、「行って、あなたの夫をここに呼んで来なさい」(16節)とイエスさまはおっしゃいました。永遠のいのちに至る生ける水を手に入れるためには、どうしても避けて通れない問題だったからです。いやむしろ、この問題があったために、彼女は神さまがすべての人に与えようとしておられる祝福を、自ら台無しにしていたのです。

この女性は、理由は分かりませんが、結婚に5回も失敗していました。そして、結婚そのものに疲れてしまい、さりとて一人でいることもできなくて、正式な結婚関係にない男性と同棲していました。きっと町でいろいろ噂の種になっていたことでしょう。
代償行為
この女性は、裏切られても裏切られても、それでもなぜ男に走り続けるのでしょう。それは、「心の渇きをいやしたい」という代償行為です。

パスカルは「人の心には、神の形をした穴が開いていて、神以外のものではこれを埋めることはできない」と言いました。ところが、彼女はこの穴を男によって埋めようとしたのです。そして案の定失敗するのですが、代わりになるものも見つからないので、ずるずると不健全な関係を続けていました。

神さま以外のものを神さまの代わりにすることを、聖書は偶像礼拝の罪と呼びます。この女性の場合には男性で心の穴を埋めようとしましたが、他の人は別のもので埋めようとします。たとえば、社会的成功、他人からの賞賛、お金、お酒、薬物など。

ある人は、他の人のお世話をして、感謝されることを代償行為にしています。もちろん他の人に愛の行為をすることはよいことですが、感謝されること自体が目的になってしまうと、相手にとって本当にそれが必要かを考えずに善意を押しつけて、かえってよけいなお世話になってしまうことにもなりかねません。

心の穴は、神さましか埋めることができません。神さまからのすばらしい祝福をいただくためには、まずそれを受け取ろうとしていなかった自分の姿に気がつくことが大切です。そして、「神さま、どうかあなたが私を満たしてください」と祈り求めましょう。

あなたの言うことはもっともです

さて、夫を連れてこいと言われた女性は、「夫はいません」と答えました。するとイエスさまは「自分には夫がいない、と言ったのは、そのとおりです」(17節)とおっしゃいます。これは「よく言いましたね」というニュアンスの言葉です。

イエスさまは、たとえ女性が告白しなくても、その生活はお見通しでした。しかし、あえてそれを自分で告白させました。それは、彼女の罪を糾弾して責めるためではなく、赦すためであり、はっきりと自分の意志で神の愛を無視してきた罪を悔い改め、神の愛に目を向けて欲しかったからです。だから最後まで告白しなくても「よく言えたね」とほめてくださったのです。

イエスさまは、あなたのことも責めないで、罪からの赦しを宣言してくださいます。 あなたがイエスさまを救い主と信じたその瞬間、過去の罪も、現在の罪も、これから死ぬまでに犯すであろう未来の罪も、全部、完全に赦されました。そして、あなたは神さまの大切な子どもとして養子に迎え入れられて、神さまからの無限大の祝福をいただく存在に生まれ変わりました。

どこで礼拝したら?

夫に関する話が終わると、唐突に礼拝の話が始まります。「主よ。あなたは預言者だとお見受けします。私たちの先祖はこの山で礼拝しましたが、あなたがたは、礼拝すべき場所はエルサレムにあると言っています」(19-20節)。

しかし、ここまで学んでこられたみなさんにはその理由がおわかりでしょう。彼女は、神さまではなく男によって心の渇きをいやそうとしてきました。それが今や神さまに直接目を向け、神さまによって渇きをいやしてもらおうとするようになりました。

しかし、神さまに目を向けるといっても、どんなふうに神さまを愛し、礼拝したらいいのか分からなかったのです。この疑問に対して、イエスさまは次のようにお答えになりました。

「女の人よ、わたしを信じなさい。この山でもなく、エルサレムでもないところで、あなたがたが父を礼拝する時が来ます。救いはユダヤ人から出るのですから、わたしたちは知って礼拝していますが、あなたがたは知らないで礼拝しています。 しかし、まことの礼拝者たちが、御霊と真理によって父を礼拝する時が来ます。今がその時です。父はそのような人たちを、ご自分を礼拝する者として求めておられるのです。神は霊ですから、神を礼拝する人は、御霊と真理によって礼拝しなければなりません」(21-24節)。

イエスさまは、場所や方法は最も大切なことではなく、心が大切なんだと教えてくださいました。あなたの真実な心で礼拝しなさい。あなたのその感謝の心を、神さまにストレートに告白しなさい。生活の中で、素直にその喜びを表現してみなさい……と。

女性はだんだんどきどきしてきました。もしかしたらこの人は、単なる預言者以上の方、昔からユダヤ人とサマリア人が待ち続けてきた救い主、メシアではないかしら……。すると、イエスさまはそうだとおっしゃいました。

「女はイエスに言った。『私は、キリストと呼ばれるメシアが来られることを知っています。その方が来られるとき、一切のことを私たちに知らせてくださるでしょう』。イエスは言われた。『あなたと話しているこのわたしがそれです』」(25-26節)。

弟子たちにもまだ教えていないことを、半分外国人の、ユダヤ人からは嫌われ、同国人からもさげすまれていたこの女性に明らかにされたのです。

女性は、自分が神さまに赦されていること、それどころか愛されていることを知って感動しました。そして、それを約束のメシアが直接自分に教えてくださったことにさらに感動し、おもわずも水瓶を置いたまま駆け出しました(結局、イエスさまは最後まで水を飲ませてもらえませんでした!)。

そして、今までは避けていたの人たちのところに飛んでいき、避けていた話題について話し始めたのです。「来て、見てください。私がしたことを、すべて私に話した人がいます。もしかすると、この方がキリストなのでしょうか」(29節)。

こうして、今度は町の人々がイエスさまと出会うことになるのです。イエスさまは、彼女の人生を全く別のものに造り変えてくださいました。その結果、他の人たちの人生も変わりました。

同じように、イエスさまにかかれば、あなたやわたしの傷も痛みも恥も、全部祝福の種にしてくださいます。あなたにはどんな傷や痛みや恥がありますか? イエスさまは、それを祝福に変えてくださいます。そして、それによってあなたの人生をますます輝きに満ちたものに変えてくださいます。

そして、人生が変えられた私たちが人々に語るべきは、罪に対する神さまの恐ろしいさばきではありません。神さまの愛、神さまの恵み、神さまの祝福です。私たちが、人々に神さまの祝福を語り、人々を慰め励ます器となれるよう祈りましょう。

あなた自身への適用ガイド

  • 謙遜こそが、人の心を開く鍵です。この点について何か思い当たることはありますか?
  • あなたが教会に来るようになったきっかけ、イエスさまを信じるようになったきっかけは何ですか?
  • あなたが伝道したいと思っておられる方は、何に興味を持っておられますか? そのことを通して、イエスさまのことをお話しできるでしょうか。
  • 神さま以外のもので「心の穴」をふさごうとするということに関して、何か思い当たることはありますか?
  • 今日の聖書の箇所を読んで、どんなことを決断しましたか?

連絡先

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