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礼拝メッセージ:中通りコミュニティ・チャーチ

プリスキラ

聖書の女性シリーズ32

使徒の働き18章24節〜28節

(2022年2月20日)

プリスキラ(プリスカ)は夫アキラと共にテント作りの仕事をしていた女性です。2人は使徒パウロや伝道者アポロの働きを助けました。

礼拝メッセージ音声

参考資料

背景

使徒パウロは、紀元49〜52年、第2回伝道旅行に出かけました。小アジア、マケドニア、さらにアカイアのアテネで伝道した後、コリントに入ります。そこでアキラとプリスキラ夫妻に会いました。パウロは彼らの家に宿泊し、一緒に働きながら伝道し、誕生した教会を指導しました。

1年半後、パウロはエペソに向かいますが、プリスキラとアキラも同行しました。パウロはエペソの会堂で話した後、すぐにエルサレムに向かって出発しました。しかし、プリスキラとアキラはエペソに留まります。今回の話は、その後の出来事です。

用語

26節の「プリスキラ」は愛称で、正式な名は「プリスカ」です(ローマ16:3、第2テモテ4:19)。ローマ人の名前ですが、当時外国に住むユダヤ人は、ヘブライ語の名前とローマ風の名前の両方を持っていました。パウロもローマ風の名で、ヘブライ名はサウロです。

イントロダクション

これまでずっと聖書に登場する女性を取り上げてきましたが、今回で一区切りにしたいと考えています。エバから始まった女性シリーズ、最後を飾るのはプリスキラです。これは愛称で、正式な名前はプリスカです。パウロの手紙の中では正式名称の方で呼ばれています。ただ、今回の箇所では愛称の方で記されているので、このメッセージではプリスキラと呼ぶことにします。

プリスキラは、普通の主婦でした。しかし、彼女は神さまに大いに用いられました。

私たちの多くも何か特別なスーパースターではなく、普通の妻、普通の夫、普通の親、普通のサラリーマン、普通の学生、普通のご隠居さんです。そんな普通の一般人に神さまがさせてくださることを見ていきましょう。

1.プリスキラの信仰生活

パウロとの出会い

プリスキラが最初に登場するのは、使徒パウロが第2回伝道旅行でギリシアのコリントを訪れたときです。

「その後、パウロはアテネを去ってコリントに行った。そこで、ポントス生まれでアキラという名のユダヤ人と、彼の妻プリスキラに出会った。クラウディウス帝が、すべてのユダヤ人をローマから退去させるように命じたので、最近イタリアから来ていたのである。パウロは二人のところに行き、自分も同業者であったので、その家に住んで一緒に仕事をした。彼らの職業は天幕作りであった」(使徒18:1-3)。

プリスキラと夫のアキラはユダヤ人で、元々はローマで暮らしていました。ところが、時の皇帝クラウディウスが、反ユダヤ主義の政策をとるようになり、ローマの都からすべてのユダヤ人を追放しました。これが紀元49年のことです。

そこで、プリスキラとアキラはコリントに移り住みました。それから1年ほどたって、パウロがやってきたのです。当時、聖書の教師が町に来たとき、家に招いてもてなしたり、宿泊させたりするのは、ユダヤ人として素晴らしい行為だと考えられていました。そこで、2人はパウロを家に招き、そこに留まるようパウロに勧めました。
テント職人の妻
プリスキラの夫アキラは、テント職人でした。3節に「彼らの職業」と書かれていますから、プリスキラもそれを助けていたということです。そして、かつてパウロも同じ仕事をしていました。

パウロがクリスチャンになる前、律法学者ガマリエルの元で訓練を受けていました。当時のユダヤ教の教師は、聖書を教えるのにお金を取りませんでした。自分で働いて生活の糧を得ていたのです。ですから、パウロも手に職を持っていました。それがテント職人の仕事です。パウロは、プリスキラ夫妻の厚意に一方的に甘えることをせず、彼らと一緒に働きながら伝道しました。

そのうち、マケドニアに残って教会を指導していたシラスとテモテがコリント入りして、マケドニアの諸教会からの献金を持ってくると、パウロは伝道活動に専念できるようになりました。しかし、それからもパウロはプリスキラ夫妻の家に滞在したようです。
元々クリスチャンだったのか
パウロと出会った時点で、プリスキラ夫妻がクリスチャンになっていたのかどうかは、聖書には書かれていません。
  • エルサレムで教会が誕生してから20年の時がたっています。そして、迫害によってたくさんのクリスチャンがエルサレムやイスラエルの外に逃げ出しました。そこでローマに移住したクリスチャンから伝道されて救われたということも考えられます。
  • あるいは、パウロがコリントにやってきて、会堂で最初に語った説教で信じたのかもしれません。
  • もしくは、パウロと一緒に暮らすようになってから救われたのかもしれません。
いずれにしても、プリスキラとアキラはパウロを歓迎して、パウロがコリントに留まった1年半の間生活を共にしました。

プリスキラとアキラは、パウロの伝道活動を陰で支えた功労者です。
なぜ妻の名が先?
ところで、今回の聖書箇所である使徒18:26では、「プリスキラとアキラ」というふうに、妻の名前の方が先に書かれていますね。聖書の他の箇所でもプリスキラ、あるいはプリスカの方がアキラより先に名前が挙がっています。女性の地位が低かった古代において、これはちょっと珍しい書き方です。

おそらく、教会の奉仕においてはプリスキラの方が積極的で、目立っていたからでしょう。現代の教会も、女性たちのさまざまな奉仕や祈りによって成り立っています。

アポロとの出会い

さて、1年半に渡ってコリントの町で伝道し、教会を指導する働きをしたパウロは、コリントを去ることにしました。エルサレムに向かった後、自分たちを派遣したシリアのアンティオキア教会に戻ることにしたのです。その旅にプリスキラ夫妻も同行しました。そして、その途中でエペソに立ち寄ります。

パウロは、一度ユダヤ人の会堂に入って説教しただけで、すぐにエルサレムに向けて旅立っていきました。ところが、プリスキラ夫妻はそのままエペソに留まりました。

そして、しばらくすると、エペソの町にアポロという人物がやってきます。それが今回の箇所です。
アポロという人
24節を見ると、アポロはアレキサンドリア生まれだと書かれています。アレキサンドリアはエジプトの海岸沿いにあった町で、大学、図書館、博物館があり、文学や芸術が盛んな文化都市でした。アポロもそこで弁証法を学んだのでしょう。非常に雄弁でした。

しかも、アポロは旧約聖書に精通していました。おそらくパウロと同じように、律法学者としての訓練を受けているのでしょう。

そして、「この人は主の道について教えを受け」(25節)と書かれています。主の道というのは、キリスト教のことです。彼は多くの律法学者たちと異なり、イエス・キリストが救い主だということを受け入れていました。

そしてアポロは「霊に燃えてイエスのことを正確に語ったり教えたりしていた」(25節)と書かれています。
  • この「燃える」と訳されている言葉は「沸騰する」とも訳せます。彼は非常に情熱的に語りました。
  • しかも、ただ感情的になっているのではなく、非常に理性的でもありました。

アポロは根っからの説教者です。私もうらやましいです。

しかし、ルカはアポロの問題点を指摘しています。それは「ヨハネのバプテスマしか知らなかった」(25節)ということです。この問題点については、プリスキラたちも気づきました。
ヨハネのバプテスマしか知らなかった
これはどういう意味でしょうか。

19章に行くと、第3回伝道旅行で、パウロがエペソに戻ってきた記事が載っています。パウロがエペソに着いて、12人ほどのクリスチャンと出会ったとき、こんなやり取りをしました。

「彼らに『信じたとき、聖霊を受けましたか』と尋ねると、彼らは『いいえ、聖霊がおられるのかどうか、聞いたこともありません』と答えた。『それでは、どのようなバプテスマを受けたのですか」と尋ねると、彼らは「ヨハネのバプテスマです』と答えた。そこでパウロは言った。『ヨハネは、自分の後に来られる方、すなわちイエスを信じるように人々に告げ、悔い改めのバプテスマを授けたのです』(19:2-4)。

その後12人は主イエスの名によってバプテスマを受け、パウロが彼らに手を置くと聖霊が降り、彼らを満たしました。

かつてバプテスマのヨハネは言いました。「私は水であなたがたにバプテスマを授けています。しかし、私よりも力のある方が来られます。私はその方の履き物のひもを解く資格もありません。その方は聖霊と火で、あなたがたにバプテスマを授けられます」(ルカ3:16)。

ですから、「ヨハネのバプテスマしか知らない」というのは、聖霊さまに満たされるということについて教えられていないし、体験もしていないということだと理解できますね。

アポロはイエス・キリストのことを、旧約聖書がやがて現れると預言していた救い主だと信じていました。そして、この方を信じ、この方に従うのにふさわしくない罪を悔い改めなければならないと教えていました。それは間違いではありません。

しかし、彼はエペソに来たばかりの頃のアポロも12人の人たちと同じで、「イエスの名による聖霊と火のバプテスマ」について、体験的に知ってはいませんでした。

バプテスマには「水などの液体に浸す」という意味があります。イメージとしては、染色液の中に布を浸すというものです。浸された布は染色液と一つになって色が付きます。それと同じように、主イエスの名によってバプテスマを受けると、私たちはイエスさまと一つになります。その神秘的な出来事は、聖霊さまが私たちの内に住んでくださることによって起こります。

しかし、アポロはイエスさまが救い主だということについては正確に理解していましたが、自分の罪がイエスさまによって赦されていること、そしてそれどころか神さまの子どもとされて祝福されていることを、自分自身の体験として味わっているわけではありませんでした。それを教えてくださるのは、私たちの知性ではなく、聖霊なる神さまのお働きだからです。
アポロを整えたプリスキラ夫妻
そこで、プリスキラ夫妻は、アポロを自分の家に招きました。そして、イエスさまの救いに関するより正確な教えを伝えました。

それを素直に受け入れたアポロは、その後コリントに渡ります。その際、アキラ夫妻はコリント教会の人たちが、アポロを快く迎え入れてくれるよう、紹介状を書いてやりました。そして、エペソにいた他のクリスチャンたちと共に彼を励まし、送り出しました。

コリントに着いたアポロは、以前のように自分の燃える霊、自分の情熱によってではなく、内に住んでくださっている聖霊さまがくださる情熱で、イエスさまのことを伝えました。その結果、コリント教会は大いに助けられました。

後にパウロはコリント教会のことを、自分が植えてアポロが水を注ぎ、神さまが育ててくださったと語っています(第1コリント3:6)。それほどまでにアポロは大きな働きをしました。

そして、その背後に、アポロに正しい情報を伝えたプリスキラ夫妻がいました。

ローマへの帰還

ローマ人への手紙は、パウロによって56〜57年に書かれたと言われています。第3回伝道旅行で、3年に渡ってエペソに滞在していたときです。この手紙の中にプリスキラ夫妻の名が上げられています。

「キリスト・イエスにある私の同労者、プリスカとアキラによろしく伝えてください。二人は、私のいのちを救うために自分のいのちを危険にさらしてくれました。彼らには、私だけでなく、異邦人のすべての教会も感謝しています。また彼らの家の教会によろしく伝えてください」(ローマ16:3-5)。

この文面から、少なくとも3つのことが分かります。
(1) ローマに戻っていた
この手紙が書かれた頃、プリスキラたちは、かつて追放されたローマに戻っていました。54年にクラウディウスが死んでネロが皇帝になると、ユダヤ人追放令は取り消されました。そこで間もなくローマに戻ったのでしょう。
(2) パウロを命がけで守ったこと
これは第2回伝道旅行のコリントでのことなのか、第3回伝道旅行のエペソでのことなのか分かりません。しかし、プリスキラとアキラは、パウロを命がけで守ろうとしました。
(3) 家の教会を主催していたこと
以前も申し上げましたが、この頃の教会は大きな会堂にみんなが集まって集会を開いていたわけではありません。信者の家に分れて集まり、そこで祈ったり聖書を学んだりしていました。その一つをプリスキラたちは牧師として導いていたのです。

コリントで家を開放してパウロを招いたように、エペソでアポロを招いたように、プリスキラとアキラはローマでも他のクリスチャンたちを家に招いて、イエスさまのことを教え、祈り、礼拝していました。

当時は今以上に男女の格差が大きかった時代です。人を家に招いた場合、そのお世話をするのはもっぱら主婦の仕事です。夫のテント作りの仕事を手伝いながら、さらに招いた人を遺漏なくもてなし、その上神さまの教えを伝えていたわけですから、プリスキラは大変な働き者ですね。

その後、紀元64年から、皇帝ネロによるクリスチャンに対する迫害が始まります。その結果、ペテロは逆さ十字架にかけられて死に、さらにパウロも斬首刑で殺されてしまいます。プリスキラとアキラがどうなったかは分かりません。天国に行ったら、ぜひその後のプリスキラの体験談を聞かせたもらいたいと思います。

では、ここから私たちは何を学ぶことができるでしょうか。

2.自分は神の働き人だという意識で生きていこう

置かれているところでできることをしよう

プリスキラは主婦でした。そして自営業の夫の手伝いをしていました。パウロやアポロのように専門的な聖書教育を受けていたわけではありません。

しかし、彼女は自分にできることで神さまのお手伝いをしようと考えていました。それが、巡回伝道者としてやってきたパウロを家に招くことでした。また、アポロのために紹介状を書き、他の信者たちと共に励まして送り出すことでした。パウロたちは、プリスキラ夫妻のもてなしや励ましに、どれほど勇気づけられたことでしょうか。

私たちも、自分にできることで神さまのお手伝いをしたいですね。
神の働きの手伝い
神さまは今この瞬間も精力的に働いていらっしゃいます。私には、天体を秩序だって動かす働きの手伝いはできそうにありません。しかし、神さまが実現したいと願っておられる、いくつかの事柄については、私たちも何か少しでもお手伝いができそうです。神さまの願いとは、たとえば、
  • できるだけ多くの人が、イエスさまを救い主だと信じて救われること。
  • できるだけ多くの人が、神さまを心から愛し、その素晴らしさをほめたたえるようになること。
  • 神さまが望まれる正義が、人間の社会の中で実現すること。
  • 人が互いに愛し合うようになること。
プリスキラたちがやったように、神さまのために働いている人を祈りによって、あるいは精神的・物理的に助けることによって、間接的に神さまの働きに加わることもできます。

19世紀のイギリスで、説教のプリンスと呼ばれたチャールズ・スポルジョンという牧師がいました。彼は27歳のときにロンドンのメトロポリタン・タバナクル教会を作り、やがて彼が語る聖書の言葉によって、6000人の会衆が集会に集まるようになりました。

ある人が、スポルジョンに成功の秘訣を尋ねました。すると、スポルジョンはその人を教会の地下室に案内しました。そこでは400人のクリスチャンたちが、聖書のメッセージを語る牧師のために祈っていたのです。

他のクリスチャンと同じことができなくてもかまいません。今のあなたにできることを見つけて、それを心を込めて実践しましょう。イエスさまはその小さな奉仕や犠牲を、神さまの目には大きな奉仕や犠牲だと喜んでくださいます。

神と人のために行動しよう

神さまと共に働く働き人になりたい人は、いつも目的を見失わないようにしなければなりません。私たちが神さまが喜ばれる行ないをするのは、自分の素晴らしさを証明したり、見せびらかしたりするためではありません。

プリスキラは、アポロの足りない点を見つけたとき、それを放置することはしませんでした。それは、アポロにとっても、また彼の教えを受ける多くの人々にとっても良くありません。ですから、より正確な教えをアポロに伝えました。

しかし、プリスキラはアポロの間違いを、他の人がいる会堂の中で指摘しませんでした。自分たちの家に招き、他の人が見聞きしていないところで、じっくりとアポロと話し合ったのです。おそらくその語り口はていねいで、柔和で、礼儀をわきまえたもののはずです。

それは、プリスキラたちの目的が、自分たちの方がアポロよりも真理を知っているとか、よりきよいとか、より神さまに祝福されているとかいうことを証明するためではなかったからです。彼らの願いは、あくまでも神さまのみこころが実現すること、そして神さまが愛し用いようとしておられるアポロが、より効果的に奉仕できるようにということでした。

私たちが他の人に何かを教えてあげたくなるとき、あるいは間違いを指摘したくなるとき、ちょっと立ち止まって今回のプリスキラたちの態度を思い出しましょう。

いつでも動けるように備えていよう

プリスキラ夫妻は、パウロがエペソに行くと決めたとき、自分たちもついていくと決めました。そして、エペソに到着すると、パウロと離れてエペソに留まり続けました。さらに、皇帝が代わってユダヤ人追放令が解除されると、ローマに戻っていきました。

なぜ折々にそのような決断をしたのか、聖書にははっきりとは書かれていません。しかし、書かれている部分から読み取れるプリスキラ夫妻の性質を考えると、とにかくイエスさまのお役に立ちたいという思いで決めたことでしょう。

神さまのために何かがしたい。神さまが愛しておられる他の人のために何かがしたい。そんなふうに強く願い、そして神さまにチャンスを与えてくださるよう祈っていると、聖霊なる神さまがその時々に語りかけ、道を示してくださいます。

私たちも、プリスキラのように、神さまと人とにのために何かがしたいといつも願い、神さまに「その方法を教えてください」と祈っていきましょう。

あなた自身への適用ガイド

  • 今置かれているところで神さまのみこころを実現するというのは、今のあなたにとってどういう行動をすることだと思いますか?
  • 神のため、人のためと言いながら、実は自分の素晴らしさをアピールするために行動していたと気づかされたことがありますか?
  • 神さまや人のために何かしたいと願っていたら、突然新しい道が示され開かれたという経験がありますか?
  • 今日の聖書の箇所を読んで、どんなことを決断しましたか?

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