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礼拝メッセージ:中通りコミュニティ・チャーチ

ダマスコのエリエゼル

助演男優シリーズ3

創世記24章1節〜10節

(2022年3月13日)

ダマスコのエリエゼルはアブラハムが信頼するしもべで、アブラハムの子イサクの妻捜しを任され、見事その任務を達成しました。彼は神のしもべである私たちのモデルです。

礼拝メッセージ音声

参考資料

1節に、「アブラハムは年を重ねて、老人になっていた」と書かれていますが、このとき彼の年齢は140歳でした。亡くなるのは35年先の175歳です。

9節の、「ももの下に手を入れ」とは、生殖器に触れることの婉曲表現です。「もし誓いを破ったら、あなたから復讐されてもかまわない。たとえあなたが死んだとしても、あなたの子孫によって復讐されてもいい」という意味を持ちます。それだけ厳粛な誓いだということです。

10節の「アラム・ナハライム」は、メソポタミア(チグリス川とユーフラテス川に挟まれた地域)の北部地域のこと。

10節の「ナホルの町」はハランのこと。そこには、アブラハムの兄弟であるナホルの一族が住んでいました。 アブラハム一族の家系図は、こちらをご覧ください。

イントロダクション

今日は、アブラハムの最年長のしもべが主人公です。今回の箇所に彼の名前は記されていません。

一方、別の箇所に「ダマスコのエリエゼル」というしもべがいます。「【神】、主よ、あなたは私に何を下さるのですか。私は子がないままで死のうとしています。私の家の相続人は、ダマスコのエリエゼルなのでしょうか」(創世記15:2)。この当時、子どもが生まれない夫婦は、奴隷の中から養子を迎えて財産を相続させました。エリエゼルがアブラハムに大変重んじられていたことが分かります。

今回の箇所のしもべも大変信頼されていますから、両者は同じ人物だと考えられています。今回のメッセージでも、エリエゼルと呼ぶことにします。

今日は、アブラハムが息子イサクのために妻を探すため、エリエゼルをナホルの町に遣わした箇所を取り上げます。ここから、私たちが神さまのしもべとして神さまに信頼され、神さまに大いに用いられるために必要な態度について教わりましょう。

まずは、エリエゼルの働きについて、聖書から順を追って見ていきましょう。

1.エリエゼルの働き

拝命

まず、エリエゼルがアブラハムから命令を受けたところです。今回の箇所で描かれています。

このとき、アブラハムは140歳、息子イサクは40歳になっていました(25:20)。3年前には、妻のサラが亡くなっています(23:1-2)。アブラハムは息子のために妻を迎えようと考えます。そして、エリエゼルが呼び出されて、嫁捜しの任務が与えられました。

アブラハムは、嫁探しに関する条件をエリエゼルに伝えました。また、エリエゼルの方も、はっきりしない点に関しては自分の方から質問して、自分に与えられている任務がどのようなものかを明確にしていきました。
エリエゼルが受け取った嫁探しの条件
そうして明らかになった嫁探しに関する条件は、以下の3つです。
  1. カナン人の中から嫁をもらってはならない
  2. ナホルの町で、すなわちナホルの一族の中から嫁を見つけなければならない
  3. イサクがナホルの町に行くのではなく、嫁がここに来なければならない
イサクを移住させない
まず、3つめの条件から見ていきましょう。このような条件が出されたのは、イサクを今住んでいる場所から移住させるわけにはいかない事情があったからです。

神さまは、世界中の人間の中からアブラハムという一人の人物を選び出し、彼と特別な契約を結ばれました。その契約はアブラハム契約と呼ばれています。アブラハム契約によれば、神さまはアブラハムとその子イサク、またイサクから出る多くの子孫に、今のパレスチナを中心とする広大な土地を与えると約束なさいました。7節でもそのことについて触れられています。

ですから、イサクには約束の地に留まって、そこで子孫を増やし、繁栄させるという使命が与えられていました。

エリエゼルがこれから嫁探しに出かけようとしているハランは、約束の地の外にありましたから、イサクがそこに住むわけにはいきません。そのようなわけで、アブラハムはエリエゼルに、嫁の方がこちらに来なければならないと言ったのです。
まことの信仰を持つ嫁でなければならない
そして、1つめと2つめの条件は、まことの神さまを信じる娘をイサクの妻にしたいという思いから出ています。

簡単なのは、アブラハムが住んでいる場所に近いところから嫁を迎えることです。しかし、約束の地に元々住んでいたカナン人たちは、異教の神々を礼拝し、道徳的にも退廃していました。そんなところから嫁を迎えるわけにはいきません。

配偶者がどのような信仰、道徳観念、価値観を持っているかというのは、とても大切です。夫婦は互いに強く影響し合うからです。

以前学んだように、ソロモン王やアハブ王は、外国からめとった妻たちの影響を受けて、異教の神々を礼拝するようになり、国を傾けてしまいました。アブラハム契約を引き継ぐイサクが、妻の悪影響を受けて信仰を失っては大変です。そこで、アブラハムは、まことの信仰を持っているということを、嫁の条件としたのです。

幸い、アブラハムの兄弟ナホルの一族が、ずっと北のハランという場所に住んでいました。ナホルはアブラハムと同じく神さまを信じていましたから、ナホルの一族の中に、まことの信仰を持つ娘がいるはずだとアブラハムは考えたのです。
厳粛な誓い
アブラハムの命令をすべて理解したエリエゼルは、アブラハムのももの下に自分の手を差し入れ、アブラハムが命じたとおりにすると約束しました。ももの下に手を差し入れるというのは、参考資料にも書いたとおり厳粛な誓いです。

移動

こうして、エリエゼルはナホルの町ハランに向けて旅立ちました。

ところが、聖書にはその道中のことはほとんど記されていません。分かっていることは、まず彼が10頭のラクダを連れて行ったことです(10節)。これは、花嫁となる女性の家族に贈る、いわゆる花嫁料を運ぶためです。それから、32節には他のしもべたちが従者として同行していたということが書かれています。道中について分かることはそれだけです。
道中の苦労
当時アブラハムが住んでいたマムレからハランまで、直線距離で800kmもあります。実際にはまっすぐ移動できませんからもっと距離があります。ラクダに乗っていましたから、徒歩よりは早かったでしょうが、それでも2週間近くかかったことでしょう。

その間、さまざまな苦労があったことでしょうが、聖書には一切触れられていません。ただ「彼は立って、アラム・ナハライムのナホルの町へ行った」(10節)と書かれているだけです。なんだか、隣町にでも行ったかのような軽い書きっぷりですね。
天使による守り
また、アブラハムがエリエゼルに使命を与えたとき、彼に励ましの言葉をかけています。「天の神、【主】は、私の父の家、私の親族の地から私を連れ出し、私に約束して、『あなたの子孫にこの地を与える』と誓われた。その方が、あなたの前に御使いを遣わされるのだ。あなたは、そこから私の息子に妻を迎えなさい」(7節)。

そして、エリエゼルは、アブラハムが願ったとおりの女性、リベカに出会ったとき、次のように祈って神さまに感謝しています。「私の主人アブラハムの神、【主】がほめたたえられますように。主は、私の主人に対する恵みとまことをお捨てになりませんでした。【主】は道中、この私を導いてくださいました。主人の兄弟の家にまで」(27節)。

ところが、神さまがご自分のしもべである天使を用いて、どのようにエリエゼル一行をハランの町まで守り導いてくださったかについては、聖書には一切書かれていません。

聖書は、エリエゼルの苦労や天使のサポートのことよりも、エリエゼルがハランの町に着いてからどのようにしてリベカをイサクの妻に迎えたかということに、たっぷりと字数を費やしています。

任務の達成

ハランの町に着いたエリエゼルは、神さまにお願いの祈りをささげます。それはとんでもない願いでした。

「私の主人アブラハムの神、【主】よ。どうか今日、私のために取り計らい、私の主人アブラハムに恵みを施してください。ご覧ください。私は泉のそばに立っています。この町の人々の娘たちが、水を汲みに出て来るでしょう。私が娘に、『どうか、あなたの水がめを傾けて、私に飲ませてください』と言い、その娘が、『お飲みください。あなたのらくだにも水を飲ませましょう』と言ったなら、その娘こそ、あなたが、あなたのしもべイサクのために定めておられた人です。このことで、あなたが私の主人に恵みを施されたことを、私が知ることができますように」(12-14節)。

ここで、エリエゼルが挙げている、イサクの妻にふさわしい女性を見つけるためのしるしに注目してみましょう。
  1. 水を飲ませてくれるようお願いしたとき、自分たち人間に水を飲ませてくれる。
  2. そればかりか、ラクダにも水を飲ませてくれる。
  3. しかも娘の方から自発的に、「ラクダに水を飲ませましょう」と申し出る。
どこがとんでもない願いなのか
1頭のラクダがどれくらい水を飲むかご存じでしょうか。平均して一度に80リットル、最高で136リットル飲んだという記録があるそうです。エリエゼルたちは10頭のらくだを連れていましたから、全部のラクダに飲ませるには800リットルも必要でした。

当時の女性が運んでいた水瓶が、いったいどれくらい水を入れられたのかは分かりませんが、仮に10リットル入る水瓶を運んでいたとして、水だけで10キログラム。そこに水瓶の重量が加わります。井戸から水を汲み、水瓶に移し替え、重たい水瓶を頭の上に載せて運び、ラクダのための水桶に移す。これを延々と80回も繰り返さなければならないのです。

それを自分の方から申し出る女性など、普通に考えればいるはずがありません。もしいたとしたら、その人の優しさは比類無く、また体力十分の健康的な女性に違いありません。それこそまさしく、主人の息子イサクの妻にふさわしい女性でしょう。
さっそく応えられた祈り
エリエゼルの祈りはすぐにかなえられました。それどころか、まだ彼が祈っている最中に、一人の若い女性が現れて、まさにエリエゼルが祈ったとおり、自発的にラクダに水を汲んでくれたのでした。

しかも、その女性は、アブラハムの兄弟ナホルの孫だというではありませんか。まさしく、アブラハムが願ったとおりの娘です。感激したエリエゼルは、神さまに感謝の祈りを捧げました。
家族との交渉
リベカというこの女性こそ、神さまがイサクの妻として選ばれた人に違いないと、エリエゼルは考えました。そして、リベカの実家に招かれると、出された食事も後回しにしてさっそく嫁取り交渉を始めました。

すると、リベカの父ベトエルも、兄ラバンも快くリベカをイサクの妻とすることを了承してくれました。家族は、10日ほど後に出発させたいと言いましたが、エリエゼルはすぐに出発したいと言いました。リベカもそれを受け入れたため、エゼキエルと従者たち、リベカと彼女の世話をする侍女たちはすぐにイサクの元に旅立ちました。

約束の地に入ったリベカはイサクの妻となり、20年後にエサウとヤコブを生みます。このヤコブからイスラエル人、すなわちユダヤ人が増え広がっていきます。こうしてエリエゼルは見事に任務を達成しました。

では、ここから神さまに信頼され、大いに用いられるしもべとなるために、どんな態度が必要なのか学びましょう。

2.神のしもべに必要な態度

よく聞く

何を? 神さまの命令を、です。

エリエゼルがアブラハムからイサクの妻を探してくるようにと命ぜられたとき、彼は注意深くアブラハムの話に耳を傾けました。そして、不明確なところはそのままにせず、自分の方からも質問して理解を深めました。彼は、アブラハムの考えを十分に理解しようと、積極的に聞いたのです。

私たちも、神さまに信頼され、大いに用いられるしもべとなるために、まず神さまが自分に何をお望みか、しっかり心の耳を傾けて聞きましょう。
聖書を通しての語りかけ
この時代、神さまは主に聖書を通して私たちに語りかけてくださいます。聖書を読めば、神さまが私たちクリスチャンにどういう行動を取って欲しいと思われるか、知ることができます。

聖書の他にも、祈りの中で言葉が浮かんできたり、映像が浮かんできたり、強い促しを感じたりすることがあります。また、他の人の言葉に強く心が反応することがあります。たまに天使が現れて神さまの命令を取り次ぐこともあるようです。それでも、そういったものが聖書全体の教えに矛盾していないか、最終的にはしっかりチェックする必要があります。

神さまからの語りかけを聞くために、聖書に親しみましょう。その際、「聖書を通して語りかけてください」と祈り、またそう祈りながら聖書を読みましょう。最初のうちはよく聞き取れなくても、それを続けていれば必ず神さまの語りかけを受け取ることができるようになります。
マザー・テレサの転機
マザー・テレサのことは、皆さんよくご存じだろうと思います。アルバニアの裕福な商人の家に生まれた彼女は、12歳の時に将来インドに渡り、修道女になることを決意したそうです。そして、18歳でアイルランドの修道会に入会してシスター・テレサと呼ばれるようになり、21歳の時にインドに渡りました。その後は、コルカタのミッションスクールで、裕福な家の子どもたちに歴史や地理を教え、やがて校長にまでなりました。

36歳になったある日、汽車に乗って移動していたときに、心の中に神さまからの語りかけが響いてきます。それは「貧しい人々の中の、最も貧しい人たちの中で神に仕えよ」という言葉でした。貧しい人たちのことを心に留め、その人たちのために良い行動をすることは、聖書が繰り返し教えていることでもあります。また、主イエスさまご自身が、王侯貴族の家ではなく、貧しい大工の家に生まれ、貧しい人たちと共に過ごしておられたではありませんか。

シスター・テレサは、さっそくローマ法王に、修道院を出て町に住み、貧しい人たちのために働きたいと願い出ました。すぐに許可されたわけではありませんが、粘り強い請願は2年後に聞き届けられます。さっそく、シスター・テレサはインドの女性が着るサリーに身を包み、貧しくて学校に行けない子どもたちを教え始めました。そして、やがて貧しくて医療を受けられない人々を治療したり看取ったりするようになりました。

私たちは、マザー・テレサのように世界中の人々に知られるような働きをすることはできないかもしれません。しかし、私たち一人ひとりに、神さまは大切な使命を与えてくださいます。祈りながら聖書を読み、神さまの語りかけに耳を傾け続けましょう。しかも、エリエゼルが質問を交えながら積極的にアブラハムの話を聞いたように、私たちも積極的に神さまに尋ねましょう。

よく見る

何を? 自分に与えられた任務を、です。

エリエゼルに与えられた任務は、イサクの妻にふさわしい女性を見つけて、イサクの元に連れて戻ることです。そのために道中経験した苦労などは、彼にとってはどうでもいいことでした。

また、彼は長々とリベカの実家でもてなしを受けて、時を無駄にしませんでした。彼はできるだけ早く約束の地に戻って、与えられた任務を完了したいと願い、行動しました。任務を与えられたしもべにとって、その任務を全うすることこそ大切なことだからです。

私たちは、エリエゼルが自分自身の栄誉よりも、主人から与えられた任務を全うする姿勢を学ばなければなりません。彼のように、自分がほめられるとか、報われるとかいうことを脇に置いて、しなければならないことに集中しましょう。
任務に集中すると起こること
そうすると、すばらしいことが起こります。それは、人間の知恵や力を越えて神さまが働き、すばらしい結果をもたらしてくださるということです。

自分から進んでラクダ10頭のために水を汲もうと言い、実際に80回も重い水瓶を持って行ったり来たりしてくれる女性が現れる。しかも、その人がアブラハムが願ったとおり親族の娘だなんて、神さまを信じていなければ都合のいい作り話にしか聞こえません。

しかし、神さまの働きを率先して行なう人は、そのような神さまの奇跡や摂理のわざを実際に体験することができるのです。
マザー・テレサの祈り
何年か前まで、クリスマス礼拝の中で、マザー・テレサが祈ったという祈りの言葉を一緒に朗読していました。次のような祈りです。
イエスよ、わたしを解放してください。
尊敬されたいという望みから、愛されたいという望みから、
名誉を得たいという望みから、称賛されたいという思いから、
他の人より好かれたいというという望みから、
相談されたいという望みから、
認められたいという望みから、人気者になりたいという望みから、
侮辱されるという恐れから、軽蔑されるという恐れから、
非難されるという恐れから、中傷されることへの恐れから、
忘れられることへの恐れから、誤解されるという恐れから、
嘲笑されるという恐れから、疑われるという恐れから。
マザー・テレサはそのような祈りを積み重ねながら、自分中心の望みや恐れから解放され、神さまが与えた「最も貧しい人たちの中で働け」という使命に集中し続けました。その結果、コルカタの片隅で始まった小さな働きは、世界中に感動と共感を生み始めます。

そして、マザー・テレサのことをドキュメンタリー映画で取り上げたマッグリジ監督は、マザーの生き様に感動して、クリスチャンになる決心をしました。また、イスラエルとパレスチナが激しく戦闘を繰り返していたとき、ベイルートにある病院の患者やスタッフが取り残されていました。マザー・テレサが両軍の指導者に掛け合ったところ、不可能と思えた一時停戦が成立して、患者やスタッフは全員無事に安全な場所に逃れることができました。

マザー・テレサが、自分の栄誉のために働いていたのなら、そのような奇跡は起こらなかったでしょう。あくまでも神さまの働きに集中したことで、神さまが大いに助けてくださったのです。

しかし、神さまに用いられる神のしもべは、スーパーマンでなくてかまいません。欠けの多い、弱い器でいいのです。むしろ弱い器が用いられるからこそ、神さまの素晴らしさが際立ちます。

家内が最初にマザー・テレサの解放の祈りを読んだとき、ぽつりとつぶやきました。「マザー・テレサも、そういう誘惑と戦っていたのね」。弱いからダメなのではなく、弱いから神さまに深くより頼み、依り頼むから神さまの助けがやってきます。
ディボーション日記
以前、うつ病の方のカウンセリングを引き受けました。Aさんと呼ぶことにしましょう。Aさんはうつ病のつらさの中で教会に導かれてクリスチャンになりましたが、その後もうつ病で苦しみ続けました。しかし、カウンセリングや病院での治療を続け、だんだんと回復していきます。そんな中で、ディボーションで感じたり考えたりしたことを日記に書くようになりました。

私も一度その日記を見せてもらったことがありますが、Aさんの思いが、肯定的なものも否定的なものもすべて正直に書かれていました。喜びや希望や平安だけでなく、悲しみも、疑問も、弱音も、不安も、愚痴も、怒りも、殺意も、自殺願望も、すべてです。

そして、その日記を牧師夫人にも見せたそうです。すると、牧師夫人は感激して、これを教会の若い人たちにも読ませたいと言いました。牧師夫人は、「最近は、【間のクリスチャン】がいなくなった」とおっしゃったそうです。「ハレルヤ!感謝しまーす!」という全開バリバリの熱いタイプのクリスチャンか、嫌になって教会に行かなくなるか、どっちかしかいないということです。

いえ、実は間のクリスチャンはたくさんいます。本当は、悲しみや疑問や弱音や不安を抱えているのに、それでは教会にいられない気がして、無いことにしてしまう。そして、喜びでいっぱいな振りをして、「喜びいっぱいのクリスチャン」を演じるわけです。でも、そんな無理がいつまでも続くはずがありません。いつかどこかで緊張の糸が切れてしまい、突然教会を離れてしまうのです。

不安なまま、悲しいまま、疑問を感じたまま、怒りや怨みを抱いたまま。それでもいい。それでもイエスさまに赦され、愛され、守られ、祝福されているんだということを、Aさんの日記によって若い人たちに知って欲しい。牧師夫人はそうおっしゃったそうです。
私たちも助けを求めよう
私たちもまた、自分を優先させたい誘惑にさらされており、そのような誘惑に簡単に負けてしまう弱い器です。また、自分の否定的な感情一つコントロールできない弱い器です。マザー・テレサがそうしたように、Aさんがそうしたように、神さまの助けを祈り求めましょう。そして、エリエゼルのように神さまの働きを行なうことに集中しましょう。

よく信じる

何を? 神さまの約束を、です。

エリエゼルはハランの町に着くと、ラクダのために自ら進んで水を汲んでくれる女性と出会わせて欲しいと祈りました。すでに解説したとおり、それはあり得ないようなとんでもない祈りです。

どうして彼は、そんな大胆な祈りをささげることができたのでしょうか。それは、神さまが必ずこの任務の旅を成功させてくださると信じていたからです。
アブラハム契約に基づく信仰
エリエゼルは、自分勝手な思い込みや願望でそう信じていたのではありません。神さまの契約に基づく約束として信じたのです。

神さまは、アブラハムと契約を結び、イサクを通して多くの子孫を彼に与えると約束なさいました。もしもイサクが結婚して子どもをもうけることができなければ、この約束が嘘になってしまいます。

神さまは契約を守られる誠実な方です。実際、子どもがいなかったアブラハムに子どもが与えられるという神さまの約束通り、アブラハムが100歳のとき、90歳の妻サラがイサクを生みました。今よりも人が長生きだった当時としても、100歳と90歳の夫婦に子どもが生まれることはあり得ないことでした。神さまは、いったん約束なさったことは、奇跡を起こしてでも実現なさいます。

エリエゼルは、今回の嫁探しは、神さまの契約に基づくものだということをアブラハムから聞かされました。そして、神さまが必ず守ってくださると励まされました。だからこそ、エリエゼルは今回の任務が必ず成功すると信じることができたのです。
私たちへの約束
聖書には、私たちがしなければならないこと、神さまの命令だけでなく、神さまから私たちに与えられている約束もたくさん書かれています。聖書を読みながら、それを見つけ出し、信じましょう。そして、神さまが誠実で約束を守られるお方だということを体験し、エリエゼルが感動してひれ伏して礼拝したように、私たちも感動と喜びに満たされましょう。

自分に向かって語られている約束が見つからないとおっしゃる方は、少し視点を変えてみましょう。まず神さまの命令を探すのです。というのは、神さまの命令は約束と表裏一体だからです。

たとえば神さまは敵を赦し、祝福しなさいと教えていらっしゃいます。その命令には、神さまが人を赦し、祝福する力を与えてくださるという約束が伴っています。神さまは不可能なことをやれとおっしゃる意地悪な方ではありません。命ぜられているということは、それを実行する力が私たちの中にすでにあるか、そうでなければ神さまが助けてくださるということです。
子どもを愛せなかった母親
Bさんはどういうわけか、生まれて間もない自分の子どものことをかわいいと思えませんでした。別に暴力を振るったり、育児放棄をしたりするわけではありません。お乳もちゃんとあげるし、オムツだって替えてあげます。しかし、どうしても愛の感情が伴わないのです。クリスチャンなのに、いやそれ以前に人間なのに、なぜ自分の子を愛せないんだろうか。Bさんはずいぶんと苦しまれました。

ある日、聖書を読んでいたら、あなたの敵を愛し、祝福しなさいというあの箇所が目に飛び込んできました。我が子のことは好きにはなれないけれど、別に敵じゃない。だったら、なおさら愛し、祝福しなければならないはずだ。Bさんはそう思いました。

自分ではどうがんばっても愛の感情は湧き出てこないけれど、少なくとも愛の行為はできる。子どものことを大切にすることはできる。人はそれを偽善だというかもしれないけれど、少なくとも子どもを虐待するよりはずっといい。だから、感情が伴わない愛の行為を精一杯がんばろう。Bさんはそう決意しました。

そして、子どもを愛する親ならば、きっと必要が無くても子どものことを抱きしめて、「大好きよ」と声を掛けるに違いないと思いました。別に自分はそうしたいわけではないけれど、神さまがこの子を祝福するように命じておられるのだからと意識して、赤ちゃんを抱き上げぎゅーっと抱きしめ、「大好きだよ」……。すると、まだ生後間もないその子が、にっこり笑ったような気がしました。「かわいい」。Bさんは思わずつぶやいていました。

私たちには神さまの約束が与えられています。エリエゼルが神さまの約束を信じ、約束に期待しながらて任務を全うしたように、私たちも神さまの約束を探し出し、それを信じ、期待しましょう。

まとめ

今日は、アブラハムに信頼されたしもべ、ダマスコのエリエゼルを取り上げました。そして、神さまに信頼され、大きなことを行なうことができるしもべとなるために必要な態度を確認しました。それは「よく聞く」「よく見る」「よく信じる」です。
  1. 神さまの命令をよく聞きましょう。
  2. 自分に与えられた神さまの使命をよく見て、他に逸れないようにしましょう。
  3. 神さまの約束、あるいは命令の背後にある約束をよく信じましょう。
今週も、あなたと共に働いてくださる神さまの働きを、たくさん体験できますように。

あなた自身への適用ガイド

  • 今、あなたに神さまが語っておられる命令、あなたに与えられている使命は何だと思いますか?
  • その命令の背後にある約束は何だと思いますか?
  • その命令を遂行するに当たって、マザー・テレサが解放の祈りで語ったような望みや恐れがあなたの中にあることに気づきませんか?
  • マザー・テレサの解放の祈りを何度も自分で祈ってみて、どんなことを感じたり気づいたりしましたか?
  • 今日の聖書の箇所を読んで、どんなことを決断しましたか?

連絡先

〒962-0001
福島県須賀川市森宿辰根沢74-5

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