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礼拝メッセージ:中通りコミュニティ・チャーチ

イテロ

助演男優シリーズ4

出エジプト記18章1節~11節

(2022年3月20日)

イテロ(レウエル)はモーセの妻ツィポラの父親です。彼はイスラエルの民のために忙しく働くモーセに有益なアドバイスをしました。

礼拝メッセージ音声

参考資料

1節の「ミディアン」は、アカバ湾の東の地域だと考えられています。そこに住んでいたミディアン人は、アブラハムの六男(三人目の妻ケトラの第四子)であるミディアンの子孫です。
1節の「イテロ」は、レウエルとも呼ばれています(2:18、民数10:29)。一説では、レウエルが本名で、イテロは閣下のような尊称だと言われます(イテロには「卓越」という意味があります)。モーセは、40歳でエジプトを逃れてから、80歳で神さまにエジプトからイスラエルの民を脱出させるよう命ぜられるまで、40年間イテロの家に住み、彼の羊を飼う仕事をしていました(3:1)。

8節の「ファラオ」は、エジプト王の称号。以前の訳ではパロ。

今回のできごとの後、イテロはモーセの元を去り、ミディアンの地にある自分の宿営地に戻っていきました。
しかし、翌年イテロの息子であるホバブという人が、イスラエルの宿営地にやってきました。おそらくイテロに言われて、姉妹であるツィポラと義兄弟のモーセ、そして甥っ子たちに会いに来たのでしょう。ホバブは用が済んだら自分の家に帰るつもりでしたが、モーセにお願いされてその後もユダヤ人と行動を共にして、シナイ半島の案内人を務めました(民数記10:29-33)。
その後もホバブはユダヤ人たちの元に留まったようで、彼の子孫であるケニ人が、約束の地に住むようになったことが士師記に書かれています(士師記1:16、士師記4:11)。

イントロダクション

今回取り上げるのは、あのモーセのしゅうと、すなわちモーセの妻の父親であるイテロです。彼は、「他の人に対して良いものを与える人」でした。私たちも、他の人に悪いものではなく良いものを与えられる人になりたいですね。そのために必要な態度を、イテロから学びましょう。

1.イテロに関する聖書の記録

モーセとの同居

モーセについて
イテロについて話す前に、モーセについて触れておきます。モーセが生まれた頃、イスラエルの民はエジプトに住んでいて、奴隷としてエジプト王にこき使われていました。ものすごく話を圧縮すると、モーセはイスラエル人でありながら、エジプト王の娘の子どもとして王宮で育てられました。

40歳になったあるとき、彼はイスラエル人を痛めつけているエジプト人を殺してしまいました。事件の発覚を恐れたモーセは、エジプトを脱出して東に向かい、ミディアンの荒野に逃れました。ミディアンは、アカバ湾の東の地域です。
ミディアンの祭司
モーセが逃れていったミディアンに住んでいたミディアン人は、ユダヤ人と同じくアブラハムを先祖としています。アブラハムには全部で8人の息子が産まれますが、その6番目のミディアンから出たのがミディアン人です。一方ユダヤ人は、アブラハムの次男イサクの次男、ヤコブから出た民族です。

そのミディアン人の祭司だったのがイテロです。彼がどんな神を礼拝していたか分かりません。ただ、ミディアン人は同じアブラハムを先祖としていますから、ユダヤ人が信じていたのと同じ、全地万物をお造りになった聖書の神さまを礼拝していたかもしれません。

イテロには7人の娘がいました。彼女たちは井戸にイテロが飼っていた羊たちを連れて行き、に水を飲ませようとしていました。ところが、後から別の家に仕える羊飼いたちがやってきて、彼女たちを追っ払おうとしました。

すると、ちょうどそこにモーセがやってきます。モーセは羊飼いたちを逆に追い払い、イテロの娘たちと羊たちを守ってやりました。そればかりか、娘たちの代わりに水を汲んでやります。それを聞いたイテロは、モーセを家に招いて歓迎しました。
モーセとツィポラとの結婚
そればかりか、イテロは行く当てのないモーセに、家に留まるよう勧めました。モーセもそれをありがたく受け入れ、イテロの羊飼いとして働くようになりました。

モーセは、生まれてしばらくはユダヤ人の家庭で育ちましたが、その後30数年間はエジプトの王宮で過ごしました。大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で、田舎育ちの北条政子が、都育ちの佐殿(すけどの)こと源頼朝にぽーっとなってしまうシーンが描かれていました。きっと、7人の娘たちも、強くて、しかし粗野なところが一切ない、インテリで優しいモーセに、心を奪われてしまったことでしょう。

そんな中、イテロがモーセの妻としたのは、ツィポラでした。
  • ツィポラについては、昨年「聖書の中の女性シリーズ」でお話ししました(こちらの記事です)。

こうして、イテロとモーセは、その後40年間家族として一緒に生活します。
モーセとの別れ
同居が解消されたのは、モーセが神さまから召し出されて、エジプトからユダヤ人を脱出させ、約束の地に導くよう命ぜられたからです。モーセから「家を出てエジプトに行かせて欲しい」と頼まれたイテロは、快く彼を送り出しました。

モーセとの再会

イテロがモーセと再会したのは、見事に出エジプトが成功して、ユダヤ人たちがシナイ山の近くで宿営していたときです。参考資料の地図をご覧いただくと、レフィディムと書かれているあたりです。その時の場面が、今回皆さんと一緒に交読した箇所に書かれています。

イテロは、神さまがモーセとユダヤ人のためにさまざまな奇跡を起こして、到底不可能としか思えないエジプト脱出を成功させてくださったことを聞きました。
出エジプトにおける神のみわざ
当初ファラオ(エジプト王)は、ユダヤ人をエジプトから去らせるようにというモーセの言葉に、まったく耳を傾けようとしませんでした。すると、神さまは10の災害を次々とエジプトに下しました。頑なだったファラオはとうとう根を上げて、ユダヤ人たちの出国を認めざるを得なくなりました。

ところが、その後ファラオは心変わりをします。ユダヤ人たちを連れ戻すため、戦車隊を差し向けたのです。絶体絶命のピンチのとき、神さまは目の前の海を真っ二つに裂いて、ユダヤ人たちが無事に向こう岸に渡れるようにしてくださいました。それどころか、後を追ってきたエジプトの戦車隊は、戻ってきた海水に飲み込まれてしまいました。

そのようなニュースが、イテロの元にもたらされました。この頃のミディアン人たちは、北はヨルダン川東岸、西はエジプト国境までと、広い地域で放牧生活をしていました。ですから、エジプト国境近くにいた人から祭司であるイテロの元に、ユダヤ人脱出のニュースがもたらされたのでしょう。
感動の再会
イテロは、自分の娘で、モーセの妻となったツィポラ、そしてモーセ夫妻の息子たち、ゲルショムとエリエゼルを連れてきました。モーセはイテロと再会したとき、身をかがめて礼をし、口づけしました。40年間の二人の関係が、とても良好だったことが分かります。
当事者からの証言
イテロと再会したモーセは、実際にエジプトでどんなことが起こったのか、また、エジプトを脱出してからこの場所に来るまでにどんなことが起こったのか、つぶさに語りました。

私が東京にいたころ、祈祷会のメッセージを担当した時のことです。メッセージの中で、1939年(昭和14年)の大相撲で双葉山の70連勝を阻止した、安藝ノ海という力士の話を例話として語りました(その例話全文は当サイトのショートエッセイをご覧ください)。

すると、集会の後に年配の男性が話しかけてこられました。自分は実際にあの相撲をラジオで聞いた、とおっしゃるのです。普段は穏やかで無口な方でしたが、その時は双葉山対安藝ノ海の相撲の様子を、身振り手振りを交えて熱っぽく語ってくださいました。いや、それの面白いこと、興奮すること! 自分もその方と一緒に、リアルタイムでラジオ観戦したような気持ちになりました。

私のは他の人から聞いた話。しかし、その方のは自分が体験した話。もちろん後者の方が臨場感あふれているに決まっています。イテロも、まさに神さまのさまざまな奇跡を体験した当事者から話を聞かされて、まるで自分自身がその場にいたかのように興奮、感動したことでしょう。

先程申し上げたように、元々イテロが、まことの神さまに仕える祭司だったかどうかは分かりません。そうであってもなくても、モーセから話を聞いたイテロは次のように語っています。

「 今、私は、【主】があらゆる神々にまさって偉大であることを知りました。彼らがこの民に対して不遜にふるまったことの結末によって」(11節)。

イテロは、イスラエルの神こそ全人類の神であり、全知全能のすごいお方だと知って感動しました。
主なる神への礼拝
こうして、モーセから話を聞いたイテロは大いに喜び、神さまを賛美しました。「【主】がほめたたえられますように。主はあなたがたをエジプト人の手とファラオの手から救い出し、この民をエジプトの支配から救い出されました。 今、私は、【主】があらゆる神々にまさって偉大であることを知りました。彼らがこの民に対して不遜にふるまったことの結末によって」(10-11節)。

彼は、元々モーセやイスラエルの民と共に神さまを礼拝するために、いけにえの動物やささげものの品々を用意していました(12節)。しかし、当事者であるモーセからリアルな神さまのみわざの話を聞いて、彼の礼拝はより感動に満ちたものになったはずです。

エジプトを脱出してからここまで、イスラエルの民は、やれ肉が食べたい、やれ水がないと、不平不満をならしてばかりでした。そんな民を導いていたモーセにとって、イテロの純粋な感動や心からの礼拝は、どんなに大きな慰めや励ましを与えたことでしょうか。

モーセへの助言

3番目に登場するのは、2番目の続きです。感動の再会をし、心からの礼拝をささげた翌日のことでした。イテロは、義理の息子であるモーセが、イスラエルの民からの訴えを、自ら一件一件さばいているのを目撃しました。

大勢が集団で移動したら、あちこちでトラブルが起こるはずですし、生活する上でいろいろな困りごとも起こることでしょう。そんな人たちが次々とモーセのところにやってきて、訴訟ごとや相談ごとを持ち込んでいたのです。

この頃のユダヤ人の数はどれくらいだったでしょうか。翌年に行なわれた人口調査で、戦闘可能な男性が60万3千人ちょっとと言われています(民数記2:30)。ですから、女性や子どもやお年寄りなどを含めると、全体で200万人はいただろうと言われています。

200万人というと、だいたい長野県や岐阜県の人口に相当します。わが福島県は183万人です。1つの県に住む人たちが、次々と県知事のところに来て、面会を求めている状態を想像してみてください。
イテロのアドバイス
イテロは、こんなことをしていたら、モーセも忙しさのあまり燃え尽きてしまうし、裁判や相談に時間がかかって民も困ってしまうと考えました。そこで、イテロはモーセにアドバイスすることにしました。

それは、「民全体の中から、神を恐れる、力のある人たち、不正の利を憎む誠実な人たちを見つけ、千人の長、百人の長、五十人の長、十人の長として民の上に立てなさい」(21節)というものです。細々した裁判や相談は、彼らに任せてしまいなさいというのです。

そして、民全体のリーダーであるモーセは、イスラエルの民全体に対してなすべきことやしてはならないことを教え、モーセ自らが民と話すのは、彼らリーダーたちでは判断が付かないときだけにしなさいと、イテロはモーセに言いました。

至極もっともで有益なアドバイスですね。イテロからのアドバイスを聞いたモーセは、直ちにその通りにしました。

では、現代の私たちは、イテロから何を学ぶことができるでしょうか。

2.良いものを与える人になろう

具体的なアドバイス

ここまで見てきたように、イテロはモーセに対して良いものを与えてきました。
  1. エジプトから逃亡してきたモーセを保護して、その生活が成り立つように配慮しました。
  2. 心からの礼拝をささげて、不信仰な民の間で奮闘するモーセを慰め、励ましました。
  3. リーダーシップに関する具体的なアドバイスを与えました。

特に注目したいのは、3つ目のアドバイスです。

イテロから見れば、モーセがやっていた裁判のやり方は、とても非効率的で見ていられないものだったことでしょう。しかし、それを単に批判するだけでなく、代わりにどうしたらいいかをイテロは具体的に伝えました。

子どもをしつけたり、部下を教育したりする際、私たちはしてはいけないことを指摘するだけになってしまうことがないでしょうか。あるいは抽象的なアドバイスに留まってしまうことはないでしょうか。たとえば、
  • 弟を叩いちゃダメ。
     → 弟に嫌なことを言われたりされたりしたとき、どうしたらいいのでしょうか?
  • 友だちには優しくしなさい。
     → 優しくするって、具体的に何をどうすることでしょうか?
  • 何度同じミスをしたら気が済むんだ?
     → 同じミスをしないためには、どんな工夫をしたらいいのでしょうか?
私たちも、何をどうしたらいいか、具体的に伝えられるようになりたいですね。

謙遜で柔和な態度

また、モーセに対するイテロの態度は、とても謙遜で柔和でした。イテロはモーセがやっていたことにあきれましたが、だからといって高圧的に批判したわけでも、上から目線で一方的に命令したわけでもありません。

イテロは、モーセにアドバイスをした後、次のように語っています。「もし、あなたがこのことを行い、神があなたにそのように命じるなら、あなたも立ち続けることができ、この民もみな、平安のうちに自分のところに帰ることができるでしょう」(23節)。

「神があなたにそのように命じるなら」とイテロは言いました。彼は自分のアドバイスに自信がありましたが、それでも自分を絶対視せず、最終的には神さまの声を聞きながらモーセ自身が判断しなさいと勧めています。

私たちが他の人を指導したりアドバイスしたりするとき、相手に対してイライラしてしまうことはないでしょうか。その結果、言い方がとげとげしくなったり、命令口調になったり。私たちは他の人からそんなふうに接して欲しくありませんね。ならば他の人も同じです。

私たちもイテロのように、柔和で謙遜に指導やアドバイスをすることを目指しましょう。

神へのあふれる賛美

元々イテロは心優しく、柔和で謙遜な人物だったのかもしれません。その証拠に、彼は逃亡者だったモーセの身柄を引き受けてくれました。また、モーセが羊飼いの仕事を放り出して、同胞イスラエルのためにエジプトに行きたいと言ったときも、快く送り出してくれました。

それでも、モーセへのリーダーシップに関するアドバイスが、今回ご一緒に読んだ記事の直後に書かれていることは注目に値します。すなわち、イテロがモーセと再会し、彼から出エジプトの体験談を聞いて礼拝した翌日の話だということです。

イテロが偶像礼拝者だったのか、それとも、アブラハムの子孫としてまことの神さまを元々信じていたのかは分かりません。しかし、まことの神さまへのいけにえとささげものを持ってモーセの元を訪れていますから、少なくとも聖書の神の存在は知っていたし、このお方には力があるということは信じていたのでしょう。

しかし、たとえそうであったとしても、モーセから出エジプトの驚くべき体験談を聞かされたとき、彼の信仰は劇的に変化しました。イテロの心の中には、聖書の神さまに対する純粋な驚き、感動、そして賛美が満ちあふれました。
謙遜の徳
謙遜の徳は、そう簡単には身につけることができません。自分では結構謙遜になってきたと思っても、実は単なる自己満足に過ぎなかったり、謙遜というよりも自己卑下になってしまったりするものです。

私たちが本当の意味で謙遜になる秘訣は、神さまの偉大さに触れることです。
ビル・バーネット師
南アフリカの聖公会の主教に、ビル・バーネット(1917–1994)という方がいらっしゃいました。彼は、あるとき次のような体験をします。その頃のビル先生は神学、すなわち神さまについての真理についてはよく知っていましたが、神さまご自身のことは知らなかったそうです。実質的には無神論者と同じであり、要するに良い行ないをすれば神さまに認められて救われると思っていたのだそうです。

そのため、語る礼拝メッセージは、「これは罪です」「こういう行動をしなさい」というような、道徳的な義務の話ばかりでした。

そんなある日、仕事終わりでくつろいでいたビル先生は、何となく「祈りなさい」という促しを受けたような気がしました。そこで、教会堂に行ってひざまずきました。すると、心の中に「わたしはあなたの体を必要としている」という声が響いたような気がすると、突然雷に打たれたように、神さまの愛が全身に駆け巡りました。そして、「お前は、私の息子だ!」 そんな声が強烈に心の中に響いてきたそうです。

天地万物をお造りになった偉大な神さま。そのお方が、イエス・キリストの十字架によってこの私の罪を赦し、神さまの子どもにしてくださった。そんなことは神学の基本的知識として知っていました。しかし、今やその真理が、我がこととなったのです。神さまは、この私、他の誰でもないこの私を赦し、子どもとして愛してくださっているのだ!

その日以来、ビル先生はすっかり変わりました。先生が語るイエスさまによる赦しのメッセージは、多くの人々を救いに導き、その人生を造り変えました。
神の偉大さに触れるために
そのために、
  • もっともっと神さまの偉大さ、素晴らしさに触れられるよう祈りましょう。
  • イテロが出エジプトの当事者であるモーセの話を聞いて感動したように、他の人の信仰の体験談を聞きましょう。
  • 今知っている神さまの素晴らしさを、言葉や音楽やその他の方法で表して賛美しましょう。

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