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礼拝メッセージ:中通りコミュニティ・チャーチ

フル

助演男優シリーズ5

出エジプト記17章8節〜16節

(2022年3月27日)

フルはアロンと共にモーセの働きを脇から支えた人物です。この記事では、フルのエピソードから力ある祈りについてお話しします。

礼拝メッセージ音声

参考資料

今回のできごとは、イスラエルの民が律法を授かるシナイ山の麓にある、レフィディムという場所で起こりました。前回取り上げたイテロが尋ねてきたのも同じ場所です。

8節の「アマレク」は、アブラハムの子イサクの子エサウの孫アマレクから出た民族(創世記36:12)。死海の南のエドム地方を中心に住んでいました。今回の記事が、イスラエルとの初めての戦闘を描いていますが、その後も両者はたびたび戦いを交えます。
14節の約束は、紀元前8世紀に実現します。アマレク人は士師ギデオン、サウル王、ダビデ王などの軍勢によって打ち負かされていきます。そして、南王国ヒゼキヤ王の時代、エドムのセイル山にいたアマレクの残党が、イスラエルに敗れて滅亡しました(第1歴代誌4:42-43)。

15節の「アドナイ・ニシ」は、直訳すると「主は私の旗」です。

イントロダクション

今回登場するフル、そして彼が登場する場面を描いた聖書箇所については、割合とよく知られています。しかし、彼もまた天国の助演男優賞にふさわしい人物ですので、じっくりと解説していきます。また、今回の以外の箇所でどのように取り上げられているかも触れます。

そして、今日はフルの姿を通して、力のある祈りについて学びましょう。祈りがますます聞かれるようになり、私たちの祈りを通して、神さまがすばらしいわざを見せてくれるようになるために必要な態度を、フルから教えてもらいましょう。

まずはフルについて、聖書がどのように記しているか見てみましょう。

1.フルについての聖書の記述

モーセのサポート

事件現場
エジプトを脱出したイスラエルの民は、海を渡ってシナイ半島に渡りました。そして、半島を南下してシナイ山の麓、レフィディムという場所にやってきました。すると、イスラエルの民は、水が手に入らないことに腹を立て、モーセに対して不平を鳴らし始めます。そして、それが高じてモーセが殺される恐れが出てきました。

そこで神さまはモーセに、海を真っ二つに分けるときに使った杖で岩を打つようお命じになりました。モーセが言われたとおりにすると、岩から水があふれ出るようになりました。そこで、このレフィディムは、「マサ」(試み)、あるいは「メリバ」(争い)と呼ばれるようになります。
アマレク人の攻撃
そして、イスラエルがまだレフィディムに留まっていたとき、アマレク人が攻めてきました。参考資料に書いたとおり、彼らはユダヤ人の先祖であるヤコブの双子の兄、エサウから出た民族です。彼らがいたのは、死海の南からアカバ湾にいたる地域、エドムと呼ばれる場所です。ただ、前回登場したミディアン人と同じように、アマレク人の中にはシナイ半島の広い地域で遊牧生活する人たちも多かったでしょう。

そこに約200万人にも及ぶイスラエル人がやってきました。別にイスラエルの側は、アマレクに敵意を抱いていたわけではありません。親戚の民族ですし。ところが、アマレク人たちはこれを脅威に思い、攻撃を仕掛けてきたのでしょう。

攻められれば迎え撃たなければなりません。イスラエル軍を率いたのは、後にモーセの跡を継いでリーダーとなるヨシュアです。
モーセの祈り
リーダーであるモーセは、戦場を見渡せる小高い丘に登りました。そして、あの海を真っ二つにし、岩から水を出した杖を持って手を上に上げました。

手を上げるという行為は、祈りと関係しています。聖書の箇所を2箇所紹介しましょう。
  • 「私の願いの声を聞いてください。私があなたに助けを叫び求めるとき。私の手をあなたの聖所の奥に向けて上げるとき」(詩篇28:2)。
  • 「そういうわけで、私はこう願っています。男たちは怒ったり言い争ったりせずに、どこででも、きよい手を上げて祈りなさい」(第1テモテ2:8)。
つまり、モーセはヨシュア率いるイスラエル軍が、アマレク軍を打ち負かして勝利を得られるよう、神さまに祈ったということです。実際、モーセが手を上げて祈っている間は、イスラエル軍が優勢でした。

ところが、腕をずっと上に上げ続けるのは大変です。疲れたモーセは腕を下ろしてしまいます。すると、アマレク軍が盛り返してきて、イスラエル軍が押されてしまいました。こりゃ大変だとまた腕を上げると、イスラエル軍が優勢になります。こんなことが何度も繰り返されました。
アロンとフルによる助け
丘の上のモーセの元には、少なくとも他に2人の人物がいました。モーセの兄アロンと、今回の主人公であるフルです。2人はモーセを石の上に座らせると、両脇に立ってそれぞれ腕を持って支えてやりました。こうして、モーセがずっと杖を上に掲げて祈れるようにしたのです。
こうして、イスラエル軍はアマレク軍を打ち破りました。
アドナイ・ニシ
神さまはモーセに今回のできごとを文書にさせました。そして、大勝利を収めたヨシュアに、それを読んで聞かせるようお命じになりました。また、祭壇を築いて、それをアドナイ・ニシ、すなわち「主は私の旗」と名付けました。

神さまが旗だというのはどういうことでしょうか。昔の戦いでは旗を大切にしました。旗の下に兵士たちは集合し、旗の合図と共に動きます。本陣を落としてそこに自分たちの旗を立てることは、その戦いに勝利したことを表しました。

主が私の旗、あなたの旗だというのは、神さまご自身が、私たちの敵と戦ってくださることを意味します。
ヨシュアへの効果
これらのことを聞かされたヨシュアは、神さまが今回の勝利をもたらしてくださったのだということを知りました。そして、その神さまの働きの背後に、必死でとりなしの祈りをしてくれていた人がいたこと、さらにその人を支える人もいたということも知りました。

フルは、ヨシュアのように戦いの現場にいたわけではありません。また、モーセのように祈りの戦いの最前線にいたわけでもありません。しかし、フルがいなかったら、イスラエル軍は負けていたかもしれません。彼は、目立たないけれども、なくてならない渋い役どころを演じたのです。

実際に軍隊を率いて戦ったヨシュアは、自分たちだけで戦うのではない、神さまが共に戦ってくださり、また自分たちを陰で支えてくれる人たちがいるということを学んで、大いに励まされたことでしょうね。

後にヨシュアは、11人の仲間と共に約束の地を偵察してきます。10人は約束の地に住むカナン人は強力だから、自分たちはあそこに入れないと言いましたが、ヨシュアとカレブだけは神さまが付いているから絶対に大丈夫と主張します。彼がそんなふうに主張できた理由の一つが、きっとアマレク人との戦いで神さまが働いてくださったことだったはずです。

アロンのサポート

次にフルが登場するのは、モーセが律法を受け取るため、シナイ山に登ったときです。

「【主】はモーセに言われた。 『山のわたしのところに上り、そこにとどまれ。わたしはあなたに石の板を授ける。 それは、彼らを教えるために、 わたしが書き記したおしえと命令である』。そこで、モーセとその従者ヨシュアは立ち上がり、モーセは神の山に登った。彼は長老たちに言った。『私たちがあなたがたのところに戻って来るまで、私たちのために、ここにとどまりなさい。 見よ、 アロンとフルがあなたがたと一緒にいる。 訴え事のある者はだれでも彼らのところに行きなさい』」(24:12-14)。

フルが、モーセを助けてイスラエルの民を導いたリーダーだったということが分かりますね。彼はモーセが不在の時、アロンを助けて民をさばきました。
その後のフル
その後、イスラエルは40年間荒野を放浪します。出エジプトの時点で大人だった世代は、ヨシュアとカレブの2人を除いてみんな死にました。フルも、荒野で命を落としたはずです。

カレブの息子?

フルについては、以上の2箇所に登場します。しかし、実はこのほか、フルと同時代に、もう一人フルという名前の人が聖書に登場します。

それはあのカレブの長男です。名前もフルと言います。「カレブの子孫は次のとおりである。エフラテによる長子フルの子は、キルヤテ・エアリムの父ショバル、」(第1歴代誌2:50)。

そして、このカレブの子フルは、ベツァルエルという人の祖父です。ベツァルエルは、神さまを礼拝するための施設である幕屋や、その中の調度品を造った技術者たちの監督です。「見よ。わたしは、ユダ部族に属する、フルの子ウリの子ベツァルエルを名指して召し、彼に、知恵と英知と知識とあらゆる務めにおいて、神の霊を満たした」(31:2-3)。
ヨセフスの見解
1世紀に活躍したユダヤ人の歴史家ヨセフスは、モーセを助けたフルと、カレブの子フルは同一人物だと語っています。私も、それは大いにあり得る話だと考えています。
  • もっとも、ヨセフスは「フルはモーセの姉妹ミリヤムの夫だった」とも語っています。こちらには聖書的な根拠がありません。
もしモーセを助けたフルがカレブの息子なのだとすれば、きっとカレブの強力な信仰の影響を受けていたことでしょう。

腕をずっと上げ続けるモーセは大変ですが、それを支えるフルもなかなか腰に来そうです。そんな苦労をものともせずモーセを支え続けたのは、彼もまたモーセと同じように、そして父であるカレブと同じように、神さまの守りを信じていたからでしょう。

では、ここから、特にアマレクとの戦いの記事から、祈りについて私たちが学べることは何でしょうか。

2.祈りの力を体験するために

信仰の戦いを意識しよう

今回見たように、突然イスラエルをアマレク人の軍勢が襲いました。すると、ヨシュアはアマレク軍と戦いました。そして、モーセはイスラエル軍が勝利するよう祈ります。

フルは、モーセが祈っている間はイスラエルが優勢で、祈りをやめると押され始めるのを見ました。彼は、この戦いは実際の戦闘だけでなく、霊的な世界での戦いでもあるということを知りました。ですから、アロンと協力して、モーセがずっと祈っていられるよう助けたのです。

私たちは、別にアマレク軍に攻め込まれているわけではありません。しかし、霊的な戦いの最前線にいることは、いつも意識していましょう。フルがそうしたように。
霊的な戦いとは
私たちが霊的な戦いの最前線にいるとは、一体どういうことでしょうか。それは、私たちの信仰を弱らせて、私たちを愛しておられる神さまから引き離そうとするサタン(悪魔)の軍勢との戦いに置かれているということです。

聖書もそのことをはっきりと教えています。「悪魔の策略に対して堅く立つことができるように、神のすべての武具を身に着けなさい。私たちの格闘は血肉に対するものではなく、支配、力、この暗闇の世界の支配者たち、また天上にいるもろもろの悪霊に対するものです」(エペソ6:11-12)。
サタンやその手下の悪霊たちは、私たちが巻き込まれるさまざまな問題を用いて、時には祝福さえも用いて、私たちの信仰を弱らせようとします。
  • 問題に巻き込まれると、「この世に神も仏もあるものか」という気分になってしまうことがあります。
  • あるいは逆に、何事も順風満帆な状態が続くと、何だか神さまに頼らなくても幸せになれそうな気になってしまいがちです。
それは、私たちを神さまから引き離そうとする力が、常に働いているためです。

ですから、私たちはいつも自分たちの信仰が試されており、神さまとのつながりをより強く、より太くすることを願い、求め続けなければなりません。問題解決のために、あるいはさらに祝福を求めて祈る際は、私たちの信仰が強められ、このことを通してますます強められることも求めましょう。
霊的な戦いを意識した祈り
Aさんは、知人のBさんからいつも馬鹿にされたり批判されたりするのに心を乱されていました。心の中に怒りが渦巻き、枕を悔し涙で濡らしたことも一度や二度ではありません。

しかし、そんなあるとき、イエスさまの十字架上の祈りに目を留めました。イエスさまは、自分を十字架につけた人たち、また自分のことをあざけっている人たちを見下ろしながら祈られました。「父よ、彼らを赦してください。彼らは何をしているのか分からないでいるのです」。

Aさんは、Bさんについて同じ祈りをささげようと思い立ちました。「父よ、Bさんを赦してください。Bさんは何をしているのか分からないのです」。その時、Bさんのことを許したい気持ちなんて毛ほどもありませんでした。しかし、それでもそう祈ることが正しいとAさんは感じました。

というのも、Bさんに言われたりされたりしたことを、Aさんは何度も頭の中で再生し、そのたびに悔しい思いや怒り・怨みを感じ続けています。その間、神さまのことはすっかり心の外に追いやってしまっています。Bさんの赦しを求め、Bさんについては神さまにお任せすることは、実は自分と神さまとの関係を回復するために、必要な祈りだとAさんは考えたのです。

そして、繰り返しBさんの赦しを求める祈りをささげていると、神さまの愛が心の中に注ぎ込まれていくのを感じました。そして、いつの間にか、Bさんの意地悪のことはどうでも良くなったそうです。

また、AさんがBさんの言動に振り回されなくなると、Bさんも面白くなくなったのでしょう。だんだんとAさんの相手をしなくなっていったとか。

祈りの力を知りたいですか? ならば、信仰を巡る戦いが背後にあるということを意識して祈りましょう。

神の働きを期待しよう

戦いに勝利した後に築かれた祭壇は、アドナイ・ニシ、主は我が旗と名付けられました。それは、神さまがアマレク軍と戦い、これを打ち破ってくださったということを記念しています。神さまが働いてくださることを期待して祈ることは大切です。

神さまに問題解決を祈り求めるのだから、神さまが働いてくださることを期待しているはずじゃないかと思われますか? しかし、私たち人間は、祈りながらも心のどこかで「どうせダメだろうな」と思い込んでしまうことが、往々にしてあるものです。

以前聖書の女性シリーズで、ロデという人について学びました。その時、使徒ペテロが王さまに捕えられ、処刑されようとしていました。ですから、教会の人々はペテロの救出を祈り求めました。ところが、実際に神さまが天使を遣わしてペテロを救出したのに、門の外にいるペテロの声を聞いたロデ以外の人たちは、誰もそれを信じませんでしたね。

神さまの働きを心から期待して祈りましょう。そして、神さまの働きを信じ切れていない自分に気がついたときは、神さまにそのことについて助けてくださるよう、神さまが自分の信仰を増し加えてくださるよう祈りましょう。

誰かと共に祈ろう

神さまは、モーセの祈りを通してイスラエルに勝利をもたらしてくださいました。また、フルはアロンと共に祈るモーセを支えることで、間接的に祈りに参加し、勝利を引き寄せました。これを現代の私たちクリスチャンに当てはめるとどうなるでしょう。

イエスさまが私たちの罪を赦すために十字架にかかり、死んで葬られた後に復活してくださったことにより、私たちと神さまを隔てる罪の壁は取り除かれました。ですから、今の時代、イエスさまを信じるクリスチャンなら、モーセのような偉大なリーダーや、アロンのような祭司でなくても、誰でも神さまに向かって祈りをささげることができます。

そして、モーセをフルたちが支えたように、私たちはお互いの祈りを祈りによって支えることができます。他の人と祈りの課題を共有して、心を合わせて神さまに祈るのです。そうするならば、私たちは神さまが祈りを聞いてくださり、働いてくださるのを頻繁に体験することができるでしょう。

それは聖書の教えでもあります。「まことに、もう一度あなたがたに言います。あなたがたのうちの二人が、どんなことでも地上で心を一つにして祈るなら、天におられるわたしの父はそれをかなえてくださいます。二人か三人がわたしの名において集まっているところには、わたしもその中にいるのです」(マタイ18:19-20)

他の誰かのために祈りましょう。また、他のクリスチャンに心を開き、自分が抱えている課題を伝えて、一緒に祈ってもらいましょう。そうするならば、私たちは神さまが私たちの祈りを聞き、すばらしい力を使ってくださるお方だということを体験的に知ることになるでしょう。

まとめ

今日はフルという助演男優に注目しました。そして、祈りの力を体験する秘訣について教えていただきました。そのために私たちは、
  1. 信仰の戦いを意識して祈りましょう。
  2. 神さまの働きを信じて祈りましょう。信じ切れていないことに気づいたら、信仰を増し加えてくださるよう祈りましょう。
  3. 他のクリスチャンと一緒に祈りましょう。

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