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礼拝メッセージ:中通りコミュニティ・チャーチ

メフィボシェテ

助演男優シリーズ9

第2サムエル記9章6節〜11節

(2022年5月1日)

メフィボシェテダビデの親友ヨナタンの忘れ形見です。彼の体験は神の恵みがどういうものか私たちに教えてくれます。

礼拝メッセージ音声

参考資料

7節の「恵み」は、ヘブライ語で「ヘセド」。1節の「真実」と3節の「恵み」も同じです。これは、契約の当事者が契約によって生じた義務を行なうに当たって示す、熱心さ、誠実さ、優しさ、忠実さ、愛などを表しています。日本の民法第1条第2項には、「権利の行使及び義務の履行は、信義に従い誠実に行わなければならない」と定めてられいます(信義則)。この「信義に従う誠実」と似ていますが、より熱心さの意味合いが強い言葉です。

イントロダクション

今回取り上げるのは、メフィボシェテという人物です。これまたマイナーですね。しかし、私にとってはとても思い入れのある人物でもあります。実は、今から35年前、牧師を目指して神学校に通うようになり、最初に教会で聖書のメッセージを語ったときに今回の聖書箇所を取り上げたのです。金曜日の夜に行なわれていた賛美集会でした。

指導してくださったのは、当時通っていた教会の牧師であり、名説教者として名高い中川健一先生(現ハーベスト・タイム・ミニストリーズ代表)。先生のお墨付きもいただいたので、内容的には特に問題が無かったはずなのですが、ものすごく緊張していた私はしどろもどろになってしまいました。そして、一刻も早くその場を離れたい私は、うつむいたまま早口でぼそぼそとしゃべり、30分の予定を15分で終えて講壇を降りました。

その後中川先生がバトンタッチして場を盛り上げてくださったので、集会自体は祝福されましたが、私の説教としては、まあ大失敗だったわけです。

今日は、その時のリベンジというわけではありませんが、メフィボシェテを取り上げたいと思います。彼を通して学ぶのは、神さまが私たちに何をしてくださったのかということ、そしてそれを知った私たちが何をすべきかということです。

まずは、いつものようにメフィボシェテのプロフィールを見てみましょう。特に注目したいのが、メフィボシェテとダビデ王の関係です。

1.メフィボシェテとダビデ

思わぬ恵み

身体障がい
メフィボシェテは、前回取り上げたダビデの腹心の友、ヨナタンの息子です。すなわち、ダビデを妬んでその命を狙ったサウルの孫に当たります。祖父サウルも父ヨナタンも、ペリシテ人との戦いで命を落としてしまいました。このとき、メフィボシェテは5歳でした。

その時のことが聖書に記されています。「さて、サウルの子ヨナタンに、足の不自由な息子が一人いた。その子が五歳のときのこと、サウルとヨナタンの悲報がイズレエルからもたらされ、彼の乳母は彼を抱いて逃げた。そのとき、あまりに急いで逃げたので、彼を落としてしまった。そのために足の萎えた者になったのであった。彼の名はメフィボシェテといった」(4:4)。

その後、メフィボシェテはヨルダン川の東にあったと考えられている、ロ・デバルという町に逃れました。そして、マキルという人に引き取られて成長します。
ヨナタンとの契約
一方、サウルが死んだ後、ダビデが王となりました。イスラエルの国は、サウル時代やその前の士師記の時代には、異民族からの侵略に苦しめられました。しかし、ダビデが王になってからは、周辺の異民族との戦いで次々と勝利を収め、ある程度の平和が訪れます。すると、ダビデも、これまで手を付けられなかった問題について考える余裕が生まれました。

かつて、ダビデはサウル王に命を狙われていました。しかし、王子であるヨナタンは終始ダビデの味方でいてくれ、ダビデが無事にサウルの元から脱出できるよう計らってくれました。前回のメッセージでも触れましたが、その時ヨナタンはダビデに次のように願いました。

「もし、私が生きながらえておれば、【主】の恵みを私に施してください。たとい、私が死ぬようなことがあっても、あなたの恵みをとこしえに私の家から断たないでください。【主】がダビデの敵を地の面からひとり残らず断ち滅ぼすときも」(20:14-15・新改訳第三版)。

ヨナタンはサウルの嫡男ですから、本当なら彼が次の王になるはずです。いわば王座を巡るライバルであるはずのダビデをヨナタンは助けました。それどころか、次の王は自分ではなくダビデだとヨナタンは信じていました。

外国では、王朝が変わると、新しい王は前の王の一族をことごとく殺して、反乱の芽を摘もうとしました。ヨナタンは、ダビデが王になった場合にはそのようなことをせず、自分や自分の家族を殺さないでくれと願っているのです。ダビデはその願いを受け入れ、ヨナタンと契約を結びました。
ダビデは、そのヨナタンとの契約を思い出し、ヨナタンの子孫がいれば良くしてやりたいと考えたのです。
メフィボシェテの召還
そこで、ダビデはかつてサウル王家に仕えていたツィバという人を呼び出し、ヨナタンの子孫について尋ねました。するとツィバは、マキルの家にメフィボシェテがいるという情報を伝えました。

ダビデはさっそくメフィボシェテを呼び出しました。今回皆さんと一緒に交読した箇所がその場面を描いています。7節でダビデは、「恐れることはない」とメフィボシェテに語りかけています。すなわち、メフィボシェテは恐れていたのです。外から見てもそれが分かるほど震えていたのでしょう。それは、サウル王家の生き残りということで、殺されるかもしれないと考えていたからです。

もっとも、ダビデ自身はサウル一族に対して、常に寛容でした。
  • 自分の命を狙うサウルを逆に殺すチャンスが2度もあったのに、そのたびにサウルに手を下しませんでした。
  • サウルの死後、ユダ族の人々はダビデが次の王であると認めましたが、他の部族の人々はサウルの息子であるイシュボ・シェテを担ぎ上げます。そして、両者2年間に渡って対立しました。ダビデ軍は常にイシュボ・シェテ軍を圧倒していましたが、ダビデは積極的にイシュボ・シェテを倒そうとはしませんでした。むしろ、イシュボ・シェテが味方の裏切りで殺されると、殺した犯人たちをダビデは処刑しています。
  • サウル王家の他の生き残りも、ダビデは処刑しようとしませんでした。 生かしておいたら、イシュボ・シェテのように、反乱の旗頭にされてしまうかもしれないにもかかわらずです。
そのようなことは、5歳から7歳だったメフィボシェテは知らなかったでしょう。たとえ知っていたとしても、人は変わるものです。以前王さまシリーズのメッセージでも取り上げたように、どんなに良い王さまでも晩年になると傲慢になって罪を犯してしまいます。ダビデだって心変わりして、自分を殺そうとしているのかもしれません。メフィボシェテが恐れたのは当然でした。
ダビデの処置
ところが、ダビデがメフィボシェテに施したのは、実に恵み深い行為でした。ダビデは少なくとも3つのことをしました。
  1. サウル一族が所有していた土地をメフィボシェテに相続させました。
  2. メフィボシェテを王宮に住まわせて、まるで王子のように王宮で食事をさせました。
  3. ツィバをメフィボシェテのしもべとして、彼がメフィボシェテの土地や財産を管理し、その生活を支えるようにしました。
メフィボシェテの反応
これに対して、メフィボシェテは感激し、恐縮しました。そしてこう言いました。「いったい、このしもべは何なのでしょうか。あなた様が、この死んだ犬のような私を顧みてくださるとは」(8節)。

「死んだ犬」とは、役立たずという意味です。古代イスラエルでは、モーセの律法の定めにより、犬は食用にできませんでした。ペットや番犬や牧羊犬としての利用価値はありましたが、死んでしまえばその役にも立ちません。

ダビデは、メフィボシェテが自分の役に立つ有能な人物だから、あるいはかつて自分に良くしてくれた恩義のある人物だから彼を助けたわけではありません。自分に良くしてくれた友、ヨナタンとの約束に基づいてメフィボシェテに考えられないような恵みを施したのです。

(画像引用元:ja.eferrit.com
こうして、その後メフィボシェテは幸せに暮らしましたとさ。めでたしめでたし……にはなりませんでした。その後起こったことを見てみましょう。

誤解

アブサロムの反乱
あるとき、ダビデの三男であるアブサロム王子が反乱を起こしました。今回、彼がどうして反乱を起こしたのかについて詳しくは述べませんが、とにかく反乱は成功しかけて、ダビデは首都エルサレムを脱出して、かつてサウルに命を狙われたときと同じように放浪生活を余儀なくされました。

アブサロム王子は周到に反乱を準備し、彼を支持する国民も非常に多くいましたが、中にはあくまでもダビデを支持するという人々も多く残されていました。かつてメフィボシェテを保護してくれていたマキルもその一人です。彼は、ダビデや彼に従っていた人々のために食糧を提供しました(17:27-29)。そうした支援者たちのおかげで、ダビデは再び王座に戻ることができたのです。
ツィバによる中傷
さて、ダビデを支援したのは、メフィボシェテのしもべとなったツィバもそうでした。ダビデが、アブサロム王子から逃れて都落ちしたとき、ツィバは2頭のロバと多くの食糧をダビデに贈りました。そのとき、ダビデはツィバの主人であるメフィボシェテはどうしたのかと尋ねます。すると、ツィバはこう言いました。

「今、エルサレムにとどまっております。あの方は、『今日、イスラエルの家は、父の王国を私に返してくれる』と言っておりました」(16:3)。

すなわち、メフィボシェテは、今回の混乱を機に、王権が自分の元に帰ってくることを願っていますよという密告です。後で見るとおり、これは真っ赤な嘘なのです。アブサロムの反乱が早晩失敗すると睨んだツィバは、間もなくダビデが復権すると予想しました。そして、メフィボシェテを裏切り、メフィボシェテのことを中傷することによって、将来自分が有利になるよう狙ったのです。
ダビデの処置
そして、その狙いはうまくはまりました。ダビデはすっかりツィバにだまされて、次のような宣告をしました。「見よ、メフィボシェテのものはみな、あなたのものだ」(16:4)。

ダビデは立派な王さまでしたが、バテ・シェバとの姦通と、その夫ウリヤの殺害以外にも多くの失敗を犯しています。今回の処置もその一つです。モーセの律法には、人を罪に定める際の手順について、次のように定められています。「いかなる咎でも、いかなる罪でも、すべて人が犯した罪過は、一人の証人によって立証されてはならない。二人の証人の証言、または三人の証人の証言によって、そのことは立証されなければならない」(申命記19:15)。

ダビデはこの命令を無視して、メフィボシェテやそれ以外の人たちの証言は聞かないまま、メフィボシェテの財産をすべてツィバに与えてしまいました。

メフィボシェテにとっては、なんとかわいそうな処置でしょうか。こんなことなら、ヨルダン川の東で、贅沢はできないながらもひっそりと穏やかに暮らしていた方が、どんなに良かったことでしょうか。

復権

ダビデ放浪中のメフィボシェテ
ところがメフィボシェテは、ひどい裁定を下したダビデをまったく恨みませんでした。それどころか、実の息子に命を狙われ、王座から追われてしまったダビデのことを、その後も心配し続けました。

アブサロムがダビデ軍の将軍ヨアブに殺されたことで、反乱は鎮圧されます。その後、ずっとエルサレムに留まっていたメフィボシェテは、エルサレムに戻ってくる途中のダビデを喜びいっぱいで出迎えました。

そんなメフィボシェテにダビデは言いました。「メフィボシェテよ、あなたはなぜ、私とともに来なかったのか」(19:25)。これは皮肉の言葉です。

このときのダビデは、ツィバの中傷をすっかり信じ切っていました。メフィボシェテはせっかく恵みを施したのに自分を裏切った恩知らず。それなのに、反乱を鎮圧して王座に戻ろうとしているダビデに、今になって媚びを売ろうとする図々しい人間にしか見えません。
弁明
しかし、メフィボシェテは静かに弁明しました。「わが君、王様。家来が私をたぶらかしたのです。このしもべは『ろばに鞍を置き、それに乗って、王と一緒に行こう』と言ったのです。しもべは足の萎えた者ですから。彼がこのしもべのことを王様に中傷したのです」(19:26-27a)。

このときのメフィボシェテは、ひどい姿をしていました。「彼は、王が出て行った日から無事に帰って来た日まで、自分の足の手入れもせず、ひげも剃らず、衣服も洗っていなかった」(19:24)。その姿を見れば、メフィボシェテが口先だけの偽りではなく、本当のことを言っているとしか思えません。
ダビデの処置
ところが、ツィバが都を落ち延びたダビデを、王として認め、経済的に支えてくれたのも事実です。そのおかげもあってダビデは生き延びることができたのですから、ツィバの功績をないがしろにすることはできません。そこで、何とも歯切れの悪い決断をせざるを得ませんでした。

すなわち、以前の裁定では、メフィボシェテが相続した土地のすべてがツィバのものとされたわけですが、ダビデは土地をメフィボシェテとツィバで半々にすると言いました。

ただ、メフィボシェテの立場に立てば、これは納得できる裁定ではないはずです。ツィバは自分を裏切り、ダビデをだまして土地を手に入れたわけで、ツィバの証言が嘘だと分かった以上、ダビデは以前の裁定を無効にして、土地はすべてメフィボシェテのものだと宣言すべきです。

それどころか、モーセの律法の定めを無視して、ただツィバの証言だけで先走った裁定を下したことに関して、ダビデは反省してメフィボシェテに謝罪しなければなりません。しかし、ダビデはそのようにせず、これまた一方的に土地を半々にせよと宣言しました。
メフィボシェテの返答
歯切れの悪いダビデに対して、メフィボシェテの態度はすがすがしさに満ちています。客観的には再びひどい裁定を下したダビデに対して、メフィボシェテは言いました。「王様が無事に王宮に帰られた後なら、彼が全部取ってもかまいません」(19:30)。

メフィボシェテは前の王朝の一族、しかも王の嫡男の一人息子です。今のイギリス王家にたとえれば、ウィリアム王子に相当します。すなわち、世が世なら三代目の王になっていたはずの存在です。新しい王であるダビデによって、真っ先に殺されても仕方が無かった存在でした。

そんな自分が命を救われ、それどころかダビデ王の王子の一人のように遇されている。そのような考えられない恵みに比べたら、そしてその恵みを施してくれたダビデ王が無事に戻ってきた喜びに比べたら、土地を全部奪われるなんて何でもありません。メフィボシェテはそう語っているのです。
その後のメフィボシェテ
後に、イスラエルが3年間の飢饉に見舞われました。ダビデが神さまにお伺いを立てると、かつてサウルがギブオンという町で犯した罪のせいだということが分かりました。そこに住んでいたのは異邦人でしたが、ヨシュアの時代、イスラエルは彼らと契約を結んで、彼らを滅ぼさないと約束していました。ところが、サウルはそれを破ってギブオンの人々を虐殺したのです。

ダビデがギブオンの人々に謝罪すると、ギブオンの人々はサウルの一族7人の命を求めました。そこで、ダビデはサウル一族の生き残り、息子7人を彼らに引き渡しました。この7人は殺されてさらし者になります。しかし、ダビデはサウルの孫であるメフィボシェテは引き渡しませんでした。それについて、聖書は次のように記しています。

「王は、サウルの子ヨナタンの子メフィボシェテを惜しんだ。それは、ダビデとサウルの子ヨナタンの間で【主】に誓った誓いのためであった」(27:7)。

ヨシュアとギブオンの人々が契約を結んだのは、ダビデの時代から430年ほども前です。それでも契約は守らなければならないことを、神さまは3年間の飢饉を通して教えておられます。ダビデも、ヨナタンとの契約は40年ほど前の話になりますが、それでも忠実に守ってメフィボシェテを守りました。

2.私たちと神

神がなさったこと

メフィボシェテは、本来であればダビデに殺されても文句の言えない立場でした。しかし、ダビデは彼の命を狙わなかったどころか、王宮で共に食事をするという、王子の一人であるかのような待遇を与えました。

しかも、その祝福は、メフィボシェテがダビデの役に立ったご褒美ではなく、父であるヨナタンとダビデの間に交わされた契約によります。
神の恵みと契約
私たちも、本来であれば神さまを無視し、逆らった罪の責任を問われて、直ちに滅ぼされても仕方の無い存在でした。そんな私たちの罪を神さまはすべて赦してくださいました。それどころか、神さまの子どもとして受け入れ、子どもとして祝福し、これから永遠に祝福してくださると約束してくださいました。

そして、それは私たちが神さまに喜ばれるようなすばらしいことを行なったご褒美ではなく、イエスさまの十字架と復活を信じれば救われるという約束、すなわち契約によります。
救いは契約である
冒頭で中川先生の話をしました。かつてビジネスマンとしてバリバリ働いていた経験がある中川先生は、日本人は契約の厳粛さについての理解が乏しい。そして、だからなかなか聖書の救いが理解されないのではないかとおっしゃっておられました。

いったん契約が結ばれれば、感情的にはどうであれ、それは徹底して守られなければなりません。神さまの契約もそうです。何か失敗をしてしまうと、いったん受け取った罪の赦しや、神さまとの愛の親子関係が失われて締まったのではないかと考えて不安になってしまうことがあります。

しかし、救いは契約です。私たちがイエスさまの十字架と復活を信じた以上、すでに救いの契約は成立しました。ダビデがヨナタンとの契約を守り続けたように、神さまも契約を守り続けてくださいます。安心ですね。

私たちがすべきこと

ダビデの恵みを受けたメフィボシェテは、大いに感激しました。そして、ダビデへの感謝の思いを抱きました。そして、ダビデを愛し、父親のように慕いました。後にアブサロムの反乱によってダビデが都落ちすると、苦しい思いをしているダビデを思い、着替えもせず体の手入れもしないでひたすらダビデの帰りを願い続けました。きっと毎日祈っていたことでしょう。

私たちはいつも、自分が罪を赦され、神さまの子どもにしていただいたことを意識して、感謝を捧げ続けなければなりません。私たちがクリスチャンでいるのは当たり前のことではありません。以前、感謝の反対語は「当たり前」だと申し上げました。当たり前だと思っていたら感謝は生まれません。意識して感謝しましょう。
苦難でさえも感謝する
そして、 ツィバの陰謀で、財産を半分没収されてしまっても、それでもメフィボシェテはダビデを恨みませんでした。それどころか、全部ツィバに取られてたっていいのだとさえ言いました。これは本心からの言葉でしょう。本来殺されても仕方がないところ、命を救ってもらえただけでありがたいと本気で思っていたのです。

ダビデは律法の教えを無視してメフィボシェテの財産をツィバに与えてしまいました。ツィバの嘘だったと分かった後も、完全に前言を撤回しませんでした。これはダビデの失敗です。

しかし、私たちの信じる天の神さまは間違いを犯されません。神さまは常に最善を行なわれます。ですから、私たちはたとえ問題がやってきたとしても、それでも神さまに恨み言を言うのではなく、むしろ神さまの愛を信じて感謝し続けましょう。
例話1
この話をお読みください。
現在、視覚障がい者の方々が文章を読み書きする際、六点式の点字が多く用いられています。この点字は、1825年にフランスのルイ・ブライユ氏によって開発されたものです。しかし、ムーンタイプと呼ばれる線文字も、最近まで広く用いられていました。これは、略式アルファベットを紙の上に浮き上がらせるもので、読字のスピードは点字に勝るとのこと。中途失明者には特に学びやすいと言われていますが、幼児や指先が敏感でなくなった高齢者、あるいは知的障がい者にも有効ではないかということで、最近改めて注目されているそうです。

このムーンタイプを開発したのは、イギリスのウィリアム・ムーン博士です。実は、博士自身が中途失明者でした。

目が見えなくなったとき、博士は一時絶望に沈みました。しかし、その苦しみの中でキリストと出会い、クリスチャンとなります。そして、喜びに満たされたムーン博士はこう祈りました。

「主イエスさま。私は中途失明という苦しみを受けましたが、これをあなたからの賜物として受け入れます。ですから、この見えない目をあなたの栄光のためにお用いください。そして、あなたが再臨なさる時には、永遠に朽ちることのない目を、その報いとして与えくださいますように」。

イエスさまはその祈りに応えてくださいました。1845年に開発されたムーンタイプは、さっそく視覚障がい者向けの聖書に応用されました。こうして、多くの目の不自由な人たちが聖書を自分で読むことができるようになりました。

苦しみなど遭わないに越したことはありません。しかし、私たちが苦しみに遭うことを神さまがお許しになるとすれば、神さまは愛に満ちたお方なのですから、必ず素晴らしいご計画があるはずです。私たちも苦しみに遭ったとき、ムーン博士のような祈りができるといいですね。
(当サイト「ショートエッセイ」より)
例話2
この話もお読みください。
ラジオ伝道者の高原剛一郎先生が、イスラエルを旅行した時の話をしておられました。先生が、イスラエルの国会議事堂を見学した時のこと、ロビーの壁に不思議な文様があるのを見つけました。様々な色の石が壁に埋め込んであるのですが、何が描かれているのか分かりません。そこで、近寄ってじっと見つめるのですが、全く見当もつきません。

すると、案内の人が言いました。「近すぎます。もっと壁から離れて見てください」。先生がその指示に従って、遠く離れてから壁を眺めると、イスラエルの地図が描かれているのが分かりました。

西日本で、数十年に一度という大雨の被害が起こりました。読者の中には、大切な人や家を失ったという方もおいでかも知れません。こちら東北でも、7年前にひどい震災を経験しました。昨日は、立て続けに、子育ての問題で悩んでおられる方々から相談の電話をいただきましたし、うつ病の恋人が自殺したという方からメールもいただきました。人間関係の問題、経済的な問題、仕事上の問題、心身の健康の問題……。私たちは、生きている間に様々な苦しみを体験します。

一体どうして自分がこんな経験をしなければならないのだろうか。神がいるというのならなぜこんな問題が起こるのだろうか。考えても答えが見つかりません。それは、モザイク画の一つの石だけを見つめているようなものです。しかし、すべてを見通しておられる神さまの目には、美しい絵が見えています。有限な目しか持たない私たちがすべきことは、それを信じることです。

「神を愛する人たち、すなわち、神のご計画にしたがって召された人たちのためには、すべてのことがともに働いて益となることを、私たちは知っています」(ローマ8:28)。
(当サイト「ショートエッセイ」より)

まとめ

イエス・キリストの十字架と復活を通して与えられた救いは、決して私たちから取り去られません。それは、イエスさまの血によって署名された契約だからです。それをいつも意識して、神さまに感謝し続けましょう。たとえ問題がやってきたとしても、なおも神さまの愛を信じ、必ずこの苦しみを通してすばらしいことを神さまはしてくださると信じて感謝しましょう。

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