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礼拝メッセージ:中通りコミュニティ・チャーチ

御霊に満たされなさい

2022年ペンテコステ礼拝

黙示録2章1節〜7節

(2022年6月5日)

御霊に満たされなさいと聖書は命じています。どういう意味でしょうか?

礼拝メッセージ音声

参考資料

1節の「星」は教会を見守る天使、「燭台」は教会のことを指しています。

6節の「ニコライ派」についてはよく分かっていませんが、聖書に反する異端の教えを広めるグループのことだと考えられます。

エペソ教会に関する年表(伝承含む)
・51年 パウロによるエペソ伝道(短期間)
・53-55年 パウロによるエペソ伝道(2年3カ月)
・57年 パウロがミレトスにエペソ教会の長老たちを招く
・62年 パウロが「エペソ人への手紙」を執筆
・65年 テモテがエペソ教会の監督になる
・67年 パウロ殉教
・80年 テモテ殉教
・96年 ヨハネが「黙示録」を執筆
・100年頃 ヨハネがエペソで昇天

イントロダクション

今日はキリスト教三大祭りの一つ、ペンテコステです。イースター(復活祭)から7週間後、50日目に当たります。

ペンテコステとはどんな祭りなのか。そして、今の私たちにとってどういう意味があるのか。それを小アジアにあったエペソ教会に関する記事から解き明かしていきましょう。

1.エペソ教会

まず、エペソ教会がどのような教会だったかを聖書から解説します。

パウロとエペソ教会

第2回伝道旅行
パウロは第2回伝道旅行の帰りに、エペソに立ち寄りました。このときは短期間留まっただけで、後のことをアクラとプリスキラの夫妻に任せて、エルサレムに向かいました(使徒18:19-21)。
第3回伝道旅行
第2回伝道旅行の翌年から始まった第3回伝道旅行では、 パウロは少なくとも2年3カ月の間エペソに留まって伝道や教育を行なっています。そのため、非常に多くの人々が救われました。特に、魔術を行う人たちが悔い改めて、高価な魔術書を次々と火の中に放り込んだことが記されています(使徒19章)。
その後、エペソを離れてギリシアに渡ったパウロは、帰り道ではエペソに立ち寄ることができませんでした。そこでミルトスというところまでエペソ教会のリーダーたちを呼び寄せて、彼らを励まし教えています(使徒20:16-38)。

特にパウロがリーダーたちに強調したのは、間もなく異端の教えを広める偽教師たちがやってくるという警告です。だから、エペソ教会の信徒たちが間違った教えに惑わされないよう、リーダーたちは教会全体に気を配らなければなりません。
エペソ人への手紙
後にパウロは、エペソ教会に宛てて手紙を書きました。「エペソ人への手紙」です。ミルトスでエペソ教会のリーダーたちに語ったように、エペソを中心とする小アジアの諸教会には、様々な異端の教えが忍び込んでいました。ですから、改めて健全な教えに立つよう励まそうとしたのでしょう。

しかしながら、この手紙の中でパウロはエペソ教会のことを高く評価しています。

「こういうわけで私も、主イエスに対するあなたがたの信仰と、すべての聖徒に対する愛を聞いているので、祈るときには、あなたがたのことを思い、絶えず感謝しています」(エペソ1:15-16)。

パウロが見るところ、エペソ教会は正しい信仰の知識を保っており、そればかりか愛を実践するなど行ないが伴う健全な信仰生活を送っていました。

アポロとエペソ教会

アポロによる伝道
第2回伝道旅行でパウロが去った後、アポロという人がエペソにやってきました。彼は旧約聖書の内容に通じており、また非常に優れた説教者でもありました。アポロはイエスさまが救い主だということを、ユダヤ人の会堂で力強く説明しました。

しかし、アクラとプリスキラはその教えの問題点に気づきました。それはアポロがバプテスマのヨハネの洗礼しか知らなかったことです。そこで、2人はアポロにより正確な情報を伝えました(使徒18:24-28)。
ヨハネのバプテスマ
バプテスマのヨハネは、救い主イエスさまが登場する前に活躍していた預言者です。ヨハネが教えたのは、間もなく救い主が現れるから、一人ひとりが罪を悔い改めてこの方を受け入れる準備をしなさいということです。そして、悔い改めたしるしとして、ヨルダン川で洗礼を授けていました。これがヨハネのバプテスマです。

そしてヨハネは、洗礼について次のように語っています。「私はあなたがたに水でバプテスマを授けましたが、この方は聖霊によってバプテスマをお授けになります」(マルコ1:8)。

イエスさまも、復活した後弟子たちに同じことをおっしゃいました。「ヨハネは水でバプテスマを授けましたが、あなたがたは間もなく、聖霊によるバプテスマを授けられるからです」(使徒1:5)。
聖霊によるバプテスマ
聖霊によるバプテスマを受けるとどうなるのでしょうか。聖霊さまが私たちの内に住んでくださるようになります。「あなたがたは、自分が神の宮であり、神の御霊が自分のうちに住んでおられることを知らないのですか」(第1コリント3:16)。

その結果、イエスさまのことを伝える力が与えられます。イエスさまは先程の言葉に続いてこうおっしゃいました。「しかし、聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリアの全土、さらに地の果てまで、わたしの証人となります」(使徒1:8)。

また、私たちの人格を麗しいものに造り変えてくださいます。昨年の5月9日から9回にわたって、「御霊の実」について学びましたね。御霊の実とは、聖霊さまが私たちの内側に形作ってくださるすばらしい性質のことです。具体的には、「愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です(ガラテヤ5:22-23)。

そして、聖霊さまは「聖霊の賜物」と呼ばれる、特別な奉仕の能力を与えてくださいます。それによって、聖霊さまによって与えられた良い性質を具体的に行動に表して、神さまを礼拝したり人を助けたりすることができるようになります。
アポロに欠けていた知識
アポロは、聖霊によるバプテスマに関する知識を持っていなかったのです。すなわち、悔い改めてイエスさまによる赦しを受け取ったら、後は自分の努力で正しい行ないをするという理解です。

もちろん努力は必要ですが、それだけでは不十分です。私たち人間は不完全で、自分の決心と努力では神さまが望まれるような正しい生き方ができません。だからこそ、イエスさまによる赦しが必要でした。そして地上の命が尽きて天国に引き上げられるその日まで、聖霊さまによる助けが必要なのです。

アポロは、聖霊なる神さまが私たちを内側から造り変えてくださるという真理を手に入れました。それからアポロはさらに優れた伝道者となって、エペソ教会やコリント教会ですばらしい働きをしました。
ペンテコステのできごと
聖霊によるバプテスマが最初に起こったのは、紀元30年のペンテコステの祭りの日です。元々この日は、イスラエルの人々が小麦の初穂をささげる日です。

イエスさまの言いつけ通り、120人ほどの弟子たちはエルサレムに留まって、聖霊さまがくだってこられるのを祈りながら待っていました。ペンテコステの日もそうでした。そのときの場面を、聖書は次のように記しています。

「五旬節の日になって、皆が同じ場所に集まっていた。すると天から突然、激しい風が吹いて来たような響きが起こり、彼らが座っていた家全体に響き渡った。また、炎のような舌が分かれて現れ、一人ひとりの上にとどまった。すると皆が聖霊に満たされ、御霊が語らせるままに、他国のいろいろなことばで話し始めた」(使徒2:1-4)。
そして、使徒ペテロのメッセージによって、その日3千人の人がイエスさまを信じ、仲間に加わりました。こうして、地上に教会が誕生しました。それ以降、弟子たちの伝道によってイエスさまを信じる人たちが続々と起こされて、今も世界中で宣べ伝えられています。

伝承のエペソ教会

ついでにキリスト教会の伝承で、エペソ教会についてどのように語られているか紹介しておきます。聖書には書かれているわけではありませんので、正しい情報かどうかは分かりませんが参考までに。

パウロがエペソ人への手紙を書いたのは、ローマの獄中でした。しかしその後釈放されたパウロは、紀元65年にテモテをエペソ教会の監督に任命しました。監督というのは、地域教会のトップリーダーです。

しかし、67年にパウロはローマ皇帝ネロの迫害によって命を落とし、テモテも80年に殉教の死を遂げました。

そして、おそらく90年代に使徒ヨハネがエペソに移り住みました。しかし、間もなく迫害によってヨハネはパトモスという島に流されてしまいました。そして、96年に「黙示録」を執筆しました。その前後にヨハネは釈放されてエペソに戻っています。

エペソでのヨハネは、口を開くと「兄弟たち。愛し合いましょう」と語り続けたそうです。そして、ヨハネは紀元100年頃に昇天しました。他の使徒たちはみんな殉教しましたが、ヨハネだけは違いました。

2.黙示録のエペソ教会

さて、使徒ヨハネが書いた黙示録でも、エペソ教会について書かれています。今回、皆さんと一緒に交読した箇所です。ここには当時の、すなわち紀元90年代半ばのエペソ教会の、長所と短所が1つずつ挙げられています。

長所

当時のエペソ教会の優れている点は、正しい教理を保っていた点です。かつてパウロがエペソ人への手紙の中でほめた良い性質を、30年以上たっても彼らは保ち続けていました。

パウロが手紙の中で警告したとおり、エペソ教会には異端の教えを広める偽教師が入り込んでいました。6節に出てくる「ニコライ派」もエペソに入り込んでいた異端グループのひとつなのでしょう。

しかし、エペソ教会の人々は異端の教えに対して徹底的に抵抗しました。そして、教会のメンバーが誤った教えに惑わされないよう心を配りました。

パウロから直接教えを聞いた初期のリーダーたちや、監督として赴任してきたテモテは、もちろん異端の教えを徹底的に排除し、健全な教えをメンバーに伝え続けたはずです。ヨハネが黙示録を書いた頃には、初期のリーダーたちやテモテはもう死んでしまいましたし、ヨハネもパトモス島に流されて不在です。それでも、エペソ教会は健全な教えを保ち続けました。

イエスさまは彼らの異端との戦いのことを、「労苦と忍耐」と表現しておられます(2節)。エペソ教会の人々にとって、ものすごく大変な戦いだったということが分かりますね。イエスさまはそれを認めて、エペソ教会の人々のことをほめていらっしゃいます。

短所

しかし、エペソ教会には非難すべき点もあると、イエスさまはおっしゃいました。パウロが手紙の中でほめたもう一つの良い性質を、黙示録が書かれた頃のエペソ教会は失ってしまっていました。それは愛です。

イエスさまはおっしゃいました。「けれども、あなたには責めるべきことがある。あなたは初めの愛から離れてしまった」(4節)。

初めの愛とは、エペソ教会が誕生した頃のメンバーたちが持っていた愛です。彼らは、イエスさまによる救いを体験し、大きな喜びに満たされました。そして救ってくださった神さまに対する強い感謝に満たされ、心から神さまに礼拝をささげました。初期のエペソ教会の人々の心には、神さまに対する愛が満ちあふれていました。
神を愛するとは
ヨハネの手紙の中に、神さまを愛するとはどういうことかが書かれています。「神の命令を守ること、それが、神を愛することです。神の命令は重荷とはなりません」(第1ヨハネ5:3)。さらにこうも書かれています。「神を愛する者は兄弟も愛すべきです。私たちはこの命令を神から受けています」(第1ヨハネ4:-21)。

しかし、初期のリーダーたちが死に、テモテが死に、ヨハネもいなくなったエペソ教会は、知識の正しさばかりを追い求め、愛の実践においては不十分でした。

よく用いるたとえで言うと、店の表に飾られている食品サンプルやメニューの写真は立派なのに、いざテーブルに着くと待てど暮らせど食事が出てこないレストランのようなものです。

そこでイエスさまはおっしゃいました。「だから、どこから落ちたのか思い起こし、悔い改めて初めの行いをしなさい」(5節)。神さまへの愛、人への愛を思い出して、それを実践しなさいと。

では、ここから私たちは今日、何を学ぶことができるでしょうか。それは……

3.聖霊に満たされなさい

パウロの勧め

パウロはエペソ教会のことを高く評価していました。第2回・第3回伝道旅行の際には、パウロはコリント教会の様々な問題に悩まされていましたから、それと比較してエペソ教会のすばらしさがよけいに印象づけられていたことでしょう。

そんなすばらしいエペソ教会の人たちに、パウロはこう勧めました。「また、ぶどう酒に酔ってはいけません。そこには放蕩があるからです。むしろ、御霊に満たされなさい」(エペソ5:18)。
アポロのところで触れたように、聖霊さまは私たちの内に住んでくださり、私たちを内側から造り変えてくださいます。エペソ教会の人たちが聖霊さまに満たされていたときには、彼らは正しい教えを保っていただけでなく、神さまと人とに対する愛の思いを抱き、そしてそれを行動に表していました。

聖霊によるバプテスマと満たし

では、聖霊によるバプテスマと聖霊の満たしとはどう違うのでしょうか。

聖霊によるバプテスマは、1回限りの体験です。イエスさまの十字架と復活を信じて救われたとき、聖霊さまは私たちの内に入ってこられ、それ以降ずっと私たちの内に住んでくださいます。これが聖霊によるバプテスマです。

しかし、聖霊に満たされることは1回限りの経験ではありません。それはプロセスです。何度も何度も繰り返し経験しなければならないことです。聖霊の満たしとは、私たちの内に住んでくださっている聖霊さまが、私たちのあらゆる部分に影響を与えてくださることです。

聖霊さまは紳士ですから、私たちがおゆだねしなければ影響力を行使しようとはなさいません。これだけは神さまに触られたくない、自分の好きにしたいという部分がなかったでしょうか。

この話をお読みください。
ある青年医師が、町一番の金持ちの娘と結婚しました。彼には年老いた母親がいました。彼女は、早くに夫を亡くし、貧乏の中で苦労して彼を育て、その上医大に息子を送り出してくれました。しかし、田舎暮らしで学もなく、苦労のためにすっかり老けこんだ母を、この息子は恥じていました。そこで、ついに花嫁に母親を紹介しませんでした。母はもうこの世にはないと言って。

が、新妻との生活が、明るく楽しく豊かなものであればあるほど、彼は心苦しくなっていきました。苦労して自分を育ててくれた母親を田舎に残し、自分一人だけが幸せな生活をしていることに耐えられなくなってきたのです。ついに彼は妻にこう言いました。「ねえ、君。故郷に、僕を本当の子どものようにかわいがってくれた乳母がいるんだが、身寄りもなく暮らしているんだ。この家に引き取ってもいいだろうか?」

心優しい妻は、二つ返事で承諾しました。が、彼は、実の母親を召使い待遇で、屋根裏部屋に住まわせました。すると、前よりももっともっと心が痛みました。ついに耐え切れなくなった彼は、すべてを妻に打ち明けました。そして、二人して屋根裏に駆け上がり、母に深くわびるとこう言いました。

「お母さん。この家はお母さんのものです!」

この日、この家に初めて、本当の平和と喜びが訪れました。

聖書は、私たちの体は聖霊の宮であると言っています。あなたの体は誰のものですか? あなたの心の王座を占めているのは誰ですか?
(当サイト「ショートエッセイ」より)
もし自分で握りしめている部分に気がついたら、すぐに神さまに告白して赦しを受け取りましょう。あるいは、自分ではどうしても変えられない部分を自覚したら、それを神さまに申し上げましょう。そして、「聖霊さまにお渡しします。私の全部を支配して、あなたの好きなように私を造り変えてください」と祈りましょう。

そうすると聖霊さまは喜んで私たちを満たし、私たちを内側から造り変えてくださいます。そして、イエスさまを証しする力を与え、御霊の実を結ばせ、賜物を与えて用いさせてくださいます。そうして、愛を実践できるようにしてくださるのです。

この話をお読みください。
「私の父は、とてもヒステリックな人でした。自分の機嫌が悪いときには、ちょっとしたことで、私のことを、『ばか』とか『ろくでなし』とののしりました」。Yさんはそうおっしゃいました。

お父さんのこの声は、Yさんが大人になった今も、Yさんの心の中に響いてきます。そして、自分は役立たずで、愚かで、力がなくて、誰からも相手にされない人間だという思い込みから、どうしても抜け出すことができません。

牧師はYさんと共に祈って言いました。「イエスさま。今、あなたの権威によって、あの否定的な言葉を縛り付け、その影響力を取り去ってください。そして、聖霊によって満たし、父なる神さまがYさんをどのように呼んでいらっしゃるか教えてください。『ばか』とか『ろくでなし』などというとんでもない呼び名ではなく、神の子どもとしての新しい名前を教えてください」。

Yさんは、言いました。「新しい呼び名……それは『わたしの愛する子』です。『神の国の王子』です。『神の宝物』です」。その後、Yさんはすっかりあの古い呼び名の影響力から解放されました。
(当サイト「ショートエッセイ」より)

まとめ

今日はペンテコステの祭りの日。聖霊さまがくだってこられて教会が誕生したこと、そしてそのときから聖霊さまはクリスチャンの内に住んでくださるようになったことを記念し、お祝いします。

あなたの内にも聖霊さまが住んでくださっています。その聖霊さまに改めて満たしていただきましょう。そして、喜びと感謝にあふれ、神さまと人への愛にあふれさせていただきましょう。

連絡先

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福島県須賀川市森宿辰根沢74-5

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