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礼拝メッセージ:中通りコミュニティ・チャーチ

ザカリヤ

助演男優シリーズ14

ルカによる福音書1章5節〜14節

(2022年6月12日)

ザカリヤは祭司で、バプテスマのヨハネの父です。彼は神によって訓練されたことで、より大きな信仰を持つようになりました。

礼拝メッセージ音声

参考資料

5節の「アビヤの組」は、24に分れた祭司の組の第8番目です。当時、2万人いたと言われる祭司は24の組に分けられていて、1週間交代で順番に神殿の奉仕をしました。

6節の「主のすべての命令と掟」は、モーセの律法のことです。

イントロダクション

今回取り上げるのは、バプテスマのヨハネの父親である祭司ザカリヤです。
  • 妻の名はエリサベツで、「聖書の女性シリーズ」で取り上げました。こちらの記事をご覧ください。
ザカリヤは立派な信仰者でした。そして、神さまによって訓練を受けて、さらに大きな信仰を持てるようになりました。私たちもザカリヤに神さまがしてくださったことを学ぶことで、より大きな信仰をいただき、それに見合う祝福を刈り取れるようになりましょう。

1.ザカリヤの行動

忠実な生活

モーセの律法の実行
ザカリヤは祭司でした。彼とその妻エリサベツは、神さまに忠実な生き方をしていました。「二人とも神の前に正しい人で、主のすべての命令と掟を落度なく行っていた」(5節)。
ザカリヤもエリサベツも、神さまに忠実な生き方をしていました。具体的には、神さまがイスラエルに与えたモーセの律法を守って生活していたということです。

ただし、これは2人に罪がなかったという意味ではありません。モーセの律法には、罪を犯した場合にどうすべきかも定められています。具体的には、罪が赦されるためにいけにえをささげることです。いけにえの動物が自分の身代わりとして死んで血を流すことによって、神さまが罪を赦してくださるのです。

ザカリヤとエリサベツは、極力モーセの律法に違反しないよう努めましたし、図らずも違反してしまった場合には、それをごまかすことなく神さまに告白し、いけにえをささげて赦しを受け取っていました。これが「主のすべての命令と掟を落ち度無く行っていた」という意味です。
妻の不妊
ところが、そんなゼカリヤとエリサベツには子どもが与えられませんでした。「聖書の女性シリーズ」で何度かお話ししたように、古代において子どもが与えられないということは、大変な恥だと考えられていました。ですから、2人はきっと長いことそのために祈ってきたはずです。

それでもエリサベツが妊娠することはありませんでした。こうして2人は年を取り、もう人間的に考えれば妊娠の可能性がなくなってしまいました。それは彼らが不信仰だったからではありません。祈りが聞かれたり聞かれなかったりするのは、その人の信仰深さとは関係ありません。神さまには神さまのご計画があるのです。

特にザカリヤ夫妻に関しては、神さまには特別なご計画がありました。それは、年を取ってから、人間的な可能性が全くなくなってから、神さまに奇跡によって妊娠出産させるというご計画です。

天使の告知とザカリヤの不信仰

香をたく奉仕
ダビデ王は、祭司を24の組に分けました(第1歴代誌24章)。それぞれの組のリーダーが、福音書によく登場する祭司長たちです。24の組は、1週間交代で神殿の奉仕を行いました。ですから、1年に2回のペースで奉仕が回ってきます。ザカリヤは8番目の組であるアビア組に属していました。

一般の祭司が行う神殿での奉仕の一つが、神殿の聖所で香をたくというものでした。神殿の聖所と、証しの箱が置いてある至聖所の間は、分厚い垂れ幕で隔てられていました。香をたく祭壇(香壇)はその垂れ幕の前に置かれました。高さが約91cm、縦と横が約46cmの台で、四隅には角のような突起物が取り付けてあります(出エジプト30:1-8)。

この香壇の上で朝晩2回香がたかれましたが、香のかぐわしい煙は神さまへの祈りを象徴しています。「私の祈りが御前への香として手を上げる祈りが夕べのささげ物として立ち上りますように」(詩篇141:2)。
アロンの祝福
香をたき終えた祭司は、聖所の外に出てイスラエルの民を祝福しました。その際は「アロンの祝福」と呼ばれる祈りがささげられます。「【主】があなたを祝福し、あなたを守られますように。【主】が御顔をあなたに照らし、あなたを恵まれますように。【主】が御顔をあなたに向け、あなたに平安を与えられますように」(民数記6:24-26)。

ですから、香をたく行為は、祭司の奉仕の中でも特に栄誉あるものとされていました。この香をたく奉仕をする人は、くじ引きによって決められました。歴史家ヨセフスによると、当時は祭司が2万人近くいたと言われているので、一生のうち一度も担当できない祭司もいました。しかし、今回祭司ザカリヤはその栄誉ある奉仕に当たることができました。

イスラエルの人々も、ザカリヤから祝福を受けるために、大勢神殿に集まって祈っていました(10節)。
天使の登場
さて、ザカリヤが香をたく奉仕を始めると、香をたくための祭壇の右側に天使が現れました。聖書には固有名詞が挙げられている天使が2人登場しますが、その1人であるガブリエルです(ちなみにもう1人はミカエル)。

ガブリエルは聖書の中では神さまのメッセンジャーとして登場し、預言者ダニエルに幻の意味を解説したり、乙女マリアに受胎告知をしたりしています。そのガブリエルがザカリヤの前に現れました。
すると、ザカリヤは震え上がりました。聖書の中で天使が現れると、ほとんどの人は恐れおののいています。しかも、香壇の右に天使が立ったというところがポイントです。

モーセの律法は、神さまが定めた調合以外で作った香を聖所でたいたり、神さまが定めた調合の香を聖所以外で用いたりしてはいけないと教えています(出エジプト30:9, 34-38)。そしてレビ記10:1-2には、聖書が定めていない方法で香をたいた祭司たちが、神さまのさばきによって焼き尽くされるという事件が起こっています。

またユダヤ教の伝承では、祭司が間違った方法で香をたいてしまうと、さばきを行うために天使が香壇の右に立つと考えられていました。ですから、ザカリヤは間違いを犯してしまったと思っておののいたのです。
エリサベツ懐妊のお告げ
しかし、天使ガブリエルはそのような伝承とは無関係に、むしろザカリヤに祝福の宣言をしました。子どもを持つことを諦めてしまっていたザカリヤ夫妻に、これから子どもが生まれるというのです。「恐れることはありません、ザカリヤ。あなたの願いが聞き入れられたのです。あなたの妻エリサベツは、あなたに男の子を産みます。その名をヨハネとつけなさい」(13節)。
男の子が与えられるばかりか、神さまがその名付け親になってくださるという祝福の宣言です。
信じなかったザカリヤ
ところが、ザカリヤはガブリエルに次のように答えています。「私はそのようなことを、何によって知ることができるでしょうか。この私は年寄りですし、妻ももう年をとっています」(18節)。

これは、自分には到底信じられないという意味です。神さまの教えを忠実に守る信仰者だったザカリヤですが、神さまの奇跡を信じることができませんでした。

聖書には、神さまの奇跡によって年を取った夫婦に子どもが生まれたという例が書かれています。アブラハムとサラの夫婦がそうですね。ザカリヤは祭司ですから、当然その話を知っていましたし、その通りのことが起こったと信じていたでしょう。しかし、奇跡がかつて起こったと信じていたとしても、実際に今奇跡が起こると信じられるとは限らないようです。
一時的なさばき
そこで、神さまのさばきがザカリヤにくだりました。天使ガブリエルは言いました。「見なさい。これらのことが起こる日まで、あなたは口がきけなくなり、話せなくなります。その時が来れば実現する私のことばを、あなたが信じなかったからです」(20節)。

ザカリヤはしゃべることができなくなってしまいました。62節では、人々がザカリヤに身振り手振りで質問していますから、おそらく耳も聞こえなくなってしまったのでしょう。ザカリヤはものを言うことができなくなり、イスラエルの人々を祝福するという栄誉に満ちた奉仕もできなくなってしまいました。

ただし、このさばきは恒久的なものではありません。20節でガブリエルは「これらのことが起こる日まで」と語っています。すなわち、ヨハネが生まれるまでの一時的な懲らしめだということです。

回復

ザカリヤは、まさか自分たち年寄りに子どもが生まれるはずがないと思っていましたが、それでも神さまは男の子が生まれるという約束は反故になさいませんでした。ザカリヤの妻エリサベツは間もなく妊娠し、やがて男の子を産みました。

ユダヤ人は、男の子が生まれると8日目に割礼を施します。そして、そのときに名前も付けます。親戚の人々は、この子に父であるザカリヤと同じ名前を付けようと言いました。今の日本だと出生届を出すときに受理されませんが、当時のユダヤでは珍しいことではありませんでした。
その子の名はヨハネ
ところが、母親であるエリサベツは、「いいえ、名はヨハネとしなければなりません」(60節)と主張しました。天使ガブリエルはザカリヤに、子どもが生まれたらヨハネと名付けるよう命じました。おそらくその話を、エリサベツはザカリヤから筆談などで知らされていたのでしょう。

父と同じ名前を付けないとしても、親戚や先祖の名前を付けるのが一般的でしたから、親戚の人々は不思議に思いました。しかし、最終判断はザカリヤに委ねられました。身振り手振りで子ども名前をなんと付けるか尋ねられたザカリヤは、筆談で「その子の名はヨハネ」と書きました(63節)。
すると、その途端ゼカリヤの口と耳が開きました。ザカリヤは神さまのほめたたえると、生まれたばかりの我が子の使命について預言しました。このヨハネはやがて預言者となり、神さまの約束通り登場する救い主より先に活躍します。そして、人々が救い主を信じるよう準備をします。

これがザカリヤの物語です。ここから私たちは何を学ぶことができるでしょうか。

2.信仰の高みを目指そう

救われるための信仰

聖書には、「信仰がなければ、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神がご自分を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです」(ヘブル11:6)と書かれています。

単に神が存在するということを信じるだけでなく、この神さまが報い、すなわち祝福を与えてくださるお方だということを信じなければなりません。

特に、私たちが期待しなければならないのは、神さまが私たちを救ってくださるということです。救いとは、私たちがお金持ちになるとか、健康になるとか、社会的に成功するとかいうことではありません。救いとは神さまとの関係回復です。神さまは私たちの罪を赦し、あるがままで受け入れてくださり、子どもとして愛し親しくしてくださいます。

私たちが罪を赦されて救われるのは、何か良い行ないをしたご褒美ではありません。「この恵みのゆえに、あなたがたは信仰によって救われたのです。それはあなたがたから出たことではなく、神の賜物です」(エペソ2:8)。

信仰の内容、すなわち何を信じるかは時代によって変わります。たとえばアブラハムは、神さまが契約に基づいて彼に子孫を与えることを信じて救われました。しかし、いつの時代も神さまの約束を信じて救われます。
今の時代に救われるための信仰
今の時代は、恵みの福音を信じる信仰によって救われます。

「兄弟たち。私があなたがたに宣べ伝えた福音を、改めて知らせます。あなたがたはその福音を受け入れ、その福音によって立っているのです。私がどのようなことばで福音を伝えたか、あなたがたがしっかり覚えているなら、この福音によって救われます。そうでなければ、あなたがたが信じたことは無駄になってしまいます。私があなたがたに最も大切なこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書に書いてあるとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、また、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおりに、三日目によみがえられたこと、また、ケファに現れ、それから十二弟子に現れたことです」(第1コリント15:1-5)。

すなわち、イエスさまの十字架と復活を信じて私たちは救われました。
ザカリヤの救い
ザカリヤの時代には、まだ救い主イエスさまは登場していません。ですからイエスさまの十字架と復活を信じて救われることはできませんね。ザカリヤは、そのときまでに神さまが示してくださった約束を信じて救われました。すなわち、神さまがアブラハム契約などの祝福の約束をユダヤ人に与えてくださっていることです。
信仰が生み出す良い行ない
モーセの律法は、ユダヤ人が救われるための条件ではありませんでした。神さまは一方的にアブラハム契約をユダヤ人に与え、その契約に基づいてエジプトの奴隷状態から解放なさいました。そんな彼らに、あなた方は神さまに愛され守られているのだから、これこれの命令を守りなさいと言われて与えられたのがモーセの律法です。

ザカリヤはモーセの律法を守っていました。それは、彼が神さまの恵みを信じ、その感謝と喜びによってそうしたいと強く願っていたからです。ザカリヤは、神さまからの一方的な愛、一方的な恵み、一方的な救い、一方的な祝福を信じていました。彼に信仰があったのは間違いありません。

私たちも、イエスさまのおかげで一方的に救われ、愛されていることをいつも思い起こしましょう。そして、感謝と喜びに満たされ、それを原動力として、神さまのみこころに従っていきたいという思いを育てましょう。

それ以外の信仰

ザカリヤは救われていました。彼には救いのために必要な信仰がありました。しかし、天使ガブリエルが告げたヨハネ誕生の知らせを信じることができませんでした。彼には信仰があり、同時に信仰がなかったのです。

神さまが私たちに求めておられるのは、救われるための信仰だけではありません。たとえば、
  • 神さまには不可能がなく、必要とあれば通常の物理法則を曲げることができる、すなわち奇跡を行うことができるという信仰もそうです。
  • あるいは、神さまはこの世界のあらゆるものを上手に動かして、何があっても私たちを必ず祝福してくださるという信仰もそうです。
  • 神さまは私たちの祈りを聞いてくださるということ、そして、祈ったとおりにならない場合にもさらにすばらしいことを行ってくださるという信仰もそうです。
  • 神さまはいろいろな方法で私たちに道を示し、正しい方向に導いてくださるという信仰もそうです。
  • 神さまが私たちと共に働いてくださり、この地上ですばらしいことを行わせてくださるという信仰もそうです。
私自身のことを語ると、私もまたザカリヤと同じように、神さまは不可能を可能にする奇跡の神であるという信仰が薄いなと自覚しています。聖書の時代に奇跡があったとか、今もどこかで奇跡が行われているとか信じることはできても、私の目の前で奇跡が起こるとどれだけ期待しているだろうかと、今回改めて反省させられました。

信仰の成長

神さまは様々な方法を使って、私たちの信仰の欠けているところを教えてくださいます。時にはザカリヤのように、不信仰のために一時的に苦しむことがあるかもしれません。しかし、ザカリヤは神さまに見捨てられたわけではありませんね。彼が一時的に聾唖になったのは、彼が奇跡を信じる信仰を手に入れるためでした。

実際ザカリヤは、天使の告げたとおりに息子にヨハネという名前を付けることによって、神さまの奇跡を信じる信仰を手に入れたことを示しました。だから神さまは、彼を聾唖から解放なさって、神さまをほめたたえることができるようにしてくださいました。

一度神さまを信じて救われた人を、神さまは決してお見捨てになりません。ですから、自分が不信仰に陥っていたな、聖書が教えていることを全部信じられないでいたなと気づいたなら、すぐに悔い改めて信じるべきことを信じましょう。

また、私たちの内に住んでくださっている聖霊なる神さまに、私たちが信じなければならない真理を教えてくださるよう、そしてそれを信じる力が与えられるよう祈りましょう。

この話をお読みください。
クリスチャンで国際弁護士の佐々木満男さんが、シリアからインドに向かう飛行機に乗ったときの話です。突然、ドンという不気味な音が聞こえました。佐々木さんが窓の外を見ると、エンジンから黒い煙が出ているのが見えました。驚いた佐々木さんがそのことを客室乗務員に伝えると、その人はにっこり笑って「心配いりません。大丈夫です」と答えました。

間もなく飛行機は急降下を始めました。そして、機長からサウジアラビアの空港に不時着するというアナウンスが流れました。乗客は騒然としましたが、あの客室乗務員は微笑みを絶やさず、「大丈夫ですから安心してください」と乗客を励まし続けました。

引火爆発の危険もありましたが、不時着は成功しました。そして、乗客乗員は全員無事に地上に降り立ちました。脱出後、佐々木さんはあの客室乗務員を見つけてこう訪ねました。「どうして、あんな状況で冷静でいられたのですか?」 すると、その人はまたも笑顔を浮かべてこう答えました。「それは、イエス・キリストを信じているからですよ」。

あなたにもそのような喜び、感動、希望、勇気、平安が用意されています。イエスさまはそのためにこの地上に生まれてくださいました。
(当サイト「ショートエッセイ」より)

まとめ

信仰の世界は、これで十分ということはありません。上には上があります。神さまがザカリヤに対してしてくださったように、私たちのことも新たな信仰のステージに引き上げてくださいますように。

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