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礼拝メッセージ:中通りコミュニティ・チャーチ

アンデレ

助演男優シリーズ17

ヨハネ福音書1章35節〜42節

(2022年7月3日)

アンデレはイエス・キリストの十二使徒の一人で、ペテロの兄弟です。彼は人々とイエスをつなぐ働きが得意でした。

礼拝メッセージ音声

参考資料

35節の「その翌日」とは、ユダヤの指導者たちが祭司やレビ人をヨハネの元に遣わして、「あなたは何者か」と尋ねさせた次の日のことです。ヨハネは、自分は救い主(メシア、キリスト)ではなく、預言者イザヤが語った「主の道をまっすぐにせよ、と荒野で叫ぶ者の声」だと答えました。

35節の「ヨハネ」は、バプテスマのヨハネのことです。2人の弟子のうち、1人の名は記されていませんが、この記事を書いた使徒ヨハネかもしれません。

39節の「第十の時」は、ユダヤ式の時の数え方だと午後4時頃になります(口語訳や新共同訳はそう訳しています)。ローマ式なら朝10時です。「その日、イエスのもとにとどまった」と書かれていますから、おそらく朝10時のことでしょう。

42節の「ケファ」は、アラム語で岩を表す言葉です。ギリシア語のペテロ(ペトロス)も同じ意味です。

イントロダクション

今回取り上げるのは、使徒ペテロの兄弟である使徒アンデレです。ペテロに比べれば有名ではありませんが、彼もまたすばらしい信仰の持ち主です。今回はアンデレから、イエスさまと人とをつなぐ架け橋になるための方法と、そうできるようになる秘訣を教わりましょう。

1.アンデレが登場する箇所

ヨハネの弟子からイエスの弟子に

アンデレが最初に登場するのは、今回ご一緒に読んだ箇所です。アンデレは元々はバプテスマのヨハネの弟子でした。彼には漁師の仕事がありましたから、いつもヨハネと行動を共にしていたわけではなく、手の空いたときにヨハネを手伝ったり教えを受けたりしていたのでしょう。

アンデレがもう一人の弟子と共にヨハネの元にいたとき、ヨハネがイエスさまを見かけて「見よ、神の子羊」(36節)と言いました。

あるとき、イエスさまはヨハネからバプテスマ(洗礼)をお受けになりました。そのとき、聖霊さまが天から鳩のようにくだってきてイエスさまの上に留まりました。それを見たヨハネは、イエスさまが神の子、すなわち聖書が登場を約束してきた救い主(キリスト、メシア)だという確信を深めました。そして、周りの人々に、イエスさまこそ救い主だと語り始めました。

ヨハネが語った「神の子羊」とは、救い主が世の罪を取り除く救い主だということを表しています。そこで、アンデレともう一人の弟子はヨハネの元を離れてイエスさまの元に向かいました。そして、イエスさまに話しかけ、どこに泊まっておられるかを尋ねました。これは単に宿泊場所を尋ねているわけではなく、教えを受けたいというお願いの言葉です。

イエスさまは「来なさい。そうすれば分かります」(39節)とお答えになりました。これはアンデレたちの願いを聞き届けて、一緒に話をしようという許可の言葉です。その日1日イエス様と過ごしたアンデレは、「この方はヨハネ先生がおっしゃるとおり救い主に違いない」と思いました。
兄弟シモンを連れてくる
そこで自宅に飛んで帰ると、兄弟であるシモンを見つけてイエスさまのところに連れてきました。こうしてシモンもイエスさまに出会います。このとき、イエスさまはシモンにケファ(すなわち岩)というあだ名をおつけになりました。ケファはアラム語ですが、ギリシア語だとペテロで、こちらの方が有名ですね。

ただし、このときはアンデレもその兄弟シモン・ペテロも、フルタイムでイエスさまと行動を共にするようになったわけではありません。時々イエスさまと行動を共にする、いわばパートタイムの弟子ですね。イエスさまがカナの婚礼に参加したり、エルサレムで祭りに参列して、ニコデモやサマリアの女との対話した旅に同行したりはしたかもしれません。もちろん、漁師の仕事は続けていました。
人間を捕る漁師
アンデレがフルタイムの弟子になったのは、最初の出会いから約1年たってからです。そのときの場面がマタイ・マルコ・ルカの福音書に記されています。

「イエスはガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、二人の兄弟、ペテロと呼ばれるシモンとその兄弟アンデレが、湖で網を打っているのをご覧になった。彼らは漁師であった。イエスは彼らに言われた。『わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしてあげよう』。彼らはすぐに網を捨ててイエスに従った」(マタイ4:18-20)
こうしてアンデレはイエスさまのフルタイムの弟子になりました。続けてイエスさまはアンデレの漁師仲間だったヤコブとヨハネの兄弟にも声をかけ、彼らもイエスさまのフルタイム弟子になりました。

その後、アンデレは十二使徒にも選ばれて、イエスさまと寝食を共にしながら、教えを聞いたり人々に奉仕したりしました。

5千人の給食でのアシスト

ある日、各地に派遣していた弟子たちが戻ってきました。さらにバプテスマのヨハネが殺されたというニュースがイエスさまの元にもたらされました。すると、イエスさまは弟子たちを連れて、静かな場所に退かれました。休息のためです。ところが、大勢の人々がイエスさまの後を追って荒野にやってきます。イエスさまは彼らをあわれんで、病気の人たちをいやされました。

夕方になったので、弟子たちはイエスさまに「群衆を解散させて、おのおのが食事を取れるようにしましょう」と提案しました。するとイエスさまは、弟子たちが食事を用意するようにとおっしゃいます。ところが、そこにいた群衆の数は、男性だけで5000人でした。女性や子どもを入れれば軽く1万人を超えていたことでしょう。

使徒ピリポはささっと計算して、「200デナリ(すなわち労働者200日分の日当に相当する額のお金)あっても足りません」と言いました。第一彼らがいたのは荒野ですから、1万人分のパンを買ってくるのも大変です。
行動したアンデレ
一方、アンデレは1人の少年をイエスさまの元に連れてきました。アンデレは言いました。「ここに、大麦のパン五つと、魚二匹を持っている少年がいます」(ヨハネ6:9a)。
もっとも、アンデレはこのお弁当が何かの足しになると思っていたわけではありません。続けて彼はこう語っています。「でも、こんなに大勢の人々では、それが何になるでしょう」(ヨハネ6:9b)。それはもっともな話です。たったこれだけでは1万人分どころか、10人のおなかを満たすことさえできません。

そこだけ見ると、アンデレは不信仰だったということになるでしょう。ただ、アンデレは「あなた方で食べ物を用意しなさい」というイエスさまの命令を聞いて、実際に人々の間を巡って食べ物を探しました。バプテスマのヨハネからイエスさまの話を聞いたときも、すぐに行動を起こしてイエスさまの元に向かいました。アンデレは見聞きしたことをすぐに行動に移せる素直な人物だったのです。
5千人の給食の奇跡
それでもイエスさまは5つのパンと2匹の魚を祝福すると、弟子たちに分け与え、弟子たちが群衆に次々と分け与えるようになさいました。すると、そこにいた全員がおなかいっぱい食べることができるようになさいました。すなわち、イエスさまの手から弟子たちに食べ物が手渡されたとき、そして弟子たちから人々に手渡していったとき、次々と食べ物が湧いて出てきたのです。いわゆる5千人の給食です。

アンデレもまた、人々にパンと魚を配る働きを担いました。彼は、自分の手の中でどんどん食べ物が増えていくのを体験しました。そして、それによって人々が大喜びする様子を目撃しました。それは非常に大きな驚きをアンデレや他の弟子たちに与えたことでしょう。そして、いかにイエスさまというお方がすばらしい力と愛をお持ちかということも、改めて実感させられたことでしょう。

そのせいか、この奇跡は4つの福音書すべてに記されています。4福音書すべてに記録されている奇跡は、イエスさまの復活を除けばこの5千人の給食だけです。それだけ弟子たちの心に強烈な印象を与えた奇跡だったのです。

ギリシア人を仲介

それから、イエスさまが十字架にかけられる直前のエピソードにも、我らがアンデレは登場します。エルサレム入城の翌日、すなわち受難週の月曜日のできごとです。

イエスさまが十字架につけられるのは、ユダヤで毎年春に行なわれていた過越の祭りの日です。その祭りに参加するために、世界中から多くのユダヤ人がエルサレムに集まってきていました。そして、ユダヤ人だけでなく、ユダヤ教に改宗した異邦人もたくさん来ていました。

改宗者の中の何人かのギリシア人は、イエスさまのことを知っていました。そして、なんとしても直接お目にかかりたいと思いました。そこで、使徒ピリポに取り次ぎを願います(ヨハネ12:20-21)。

願いを受けたピリポは戸惑ったようです。というのも、当時のユダヤでは、偏狭な民族主義が広まっていて、異邦人のことを軽蔑する風潮がありました。弟子たち自身の心の中にも、いまだ異邦人に対する抵抗が残っていたのかもしれません。

イエスさまはサマリア人やカナン人の女性と対話したり、ローマ人の百人隊長の信仰を絶賛したり、悪霊に取りつかれたゲラサ人の男性をいやしたりして、そのような差別的な考えとは無縁でした。それでも積極的に異邦人と交わろうとはしていらっしゃいません。まずユダヤ人の信仰を立て直すというのがイエスさまの基本戦略だったからです。
アンデレの行動
そこで、どうしたものか決めかねたピリポは、アンデレに相談しました。するとアンデレはピリポを連れてイエスさまの元に行き、事の次第をそのままイエスさまに話しました(ヨハネ12:22)。するとイエスさまは、「人の子が栄光を受ける時が来ました」(ヨハネ12:23)とおっしゃいました。栄光とは、イエスさまが十字架にかかり、死んで葬られて3日目に復活なさり、その後天にお帰りになることです。

イエスさまが十字架にかかると、モーセの律法は完成して破棄されます。そして、ユダヤ人である弟子たちと同じように、異邦人もイエスさまを信じて救われる時代がやってきます。改宗者とはいえ異邦人が自分に面会を求めてきたことを知ったイエスさまは、ユダヤ人でも異邦人でも、イエスさまの十字架と復活を信じるだけで救われる時代が間もなく到来するとおっしゃっているのです。
このときのアンデレは、イエスさまがおっしゃっていることを十分理解したわけではありません。後にペテロが幻を見せられ、異邦人コルネリオの家に赴き、コルネリオ一家が救われて聖霊さまに満たされました。そのときまで、弟子たちは誰も異邦人がユダヤ人である自分たちと同じように、ただイエスさまの十字架と復活を信じるだけで救われるなどとは思いもしていませんでした。

それでも、アンデレは自分で事の善し悪しを判断しようとせず、イエスさまに判断していただくために行動しました。このエピソードでも、アンデレが行動の人だったということがよく分かりますね。

では、私たちはアンデレから何を学ぶことができるでしょうか。

2.イエスと人とをつなぐ架け橋になろう

人をイエスにつなげる

アンデレは、よく人をイエスさまの元に連れてきて両者を橋渡ししました。まずは自分の兄弟であるシモン、後のペテロ。それから5つのパンと2匹の魚を持っていた少年。そして、ギリシア人の改宗者たちです。

アンデレは、それをしたらどうなるか、そうすることにどんな意味があるのかを十分理解していたわけではありません。それでも、イエスさまと人とをつなぐと何かすばらしいことが起こるだろうと期待していたのでしょう。そして、行動の人であったアンデレは実際に行動を起こしました。

私たちもアンデレのようにイエスさまと人とをつなぐ架け橋になりたいと思います。といっても、今の時代イエスさまは天にいらっしゃって、地上に見える形では存在していらっしゃいません。私たちにできることは何でしょうか。
教会の集会に誘う
イエスさまは天にお帰りになりましたが、イエスさまの体である教会が地上に残されました。つまり、私たちクリスチャンの群れです。最初、エルサレムにしかなかった教会は、今や全世界に広がり、この須賀川にも中通りコミュニティ・チャーチが存在しています。今の時代の私たちは、教会の集まりに人を呼んでくることで、人とイエスさまとをつなぐことができます。

「伝道」と聞くと、ゼロから神さまのことやイエスさまのことや罪のことを説明して、相手を説得し、信じられるよう導くことだと思いがちです。しかし、教会の集会に人をお誘いすることだけでも立派な伝道です。
救いのために祈る
また、私たちは他の人のために祈ることで、その人たちとイエスさまをつなぐことができます。折に触れて誰かの名前を挙げて、その人がイエスさまのことを知り、やがてイエスさまを慕うようになり、イエスさまを信じて救われ、人生が根本から造り変えられる体験をしますようにと、祈りを積み重ねましょう。

この話をお読みください。
伝道者の羽鳥明先生が、三重県の小さな教会で伝道説教のご奉仕をなさいました。そこで一人の高校生が救われましたが、その子を連れてきたのも同じ学校の高校生でした。

そこで先生は、その二人に「あなたたちは学校でたった一人のクリスチャンではなくなりました。今週から昼休みに5分でも3分でも、学校で一緒に聖書を読んでお祈りしたらどうでしょうか」とおっしゃったそうです。

2年後、羽鳥先生は同じ教会に呼ばれました。行ってみると、何と15、6人の高校生が教会に来るようになっていました。2年前に友だちを連れてきた高校生が「先生のおっしゃった通りに、昼休みに祈り会を始めました。そうしたらこうなりました」。(羽鳥明「心に触れる説教とは」いのちのことば社より)

イエスさまは、聞いて行なう人が賢い人で、聞いても行わない人は愚かだとおっしゃいました(マタイ7:24-27)。知的な説明が重んじられ、インスタントが重んじられ、TVのバラエティやスポーツなどのショービジネスが全盛の現代にあって、実際に自分が体を動かし、時間をかけて体得するなどという世界はあまり人気がありません。

あなたは、神さまが共にいるという実感を味わい、聖書に約束されているような、すばらしい神のお働きを実際に体験したくはないですか? 私は体験したいです。

聖書に書かれている約束は、同時に命じられていることを実行しなければ体験できません。ただ聞くだけでなく、犠牲を恐れず実践してみましょう。祈れというなら祈り、愛を示せというなら具体的に示し、語れというなら語りましょう。
(当サイト「ショートエッセイ」より)
変えられた人生を見せる
そして、イエスさまは聖霊なる神さまを通して私たちの内に住んでいてくださいます。私たちが聖霊さまによって造り変えられ、だんだんとイエスさまに似たものになっていくことによって、周りの人たちは私たちの内側に折られるイエスさまと出会います。

この話をお読みください。
これは、アルゼンチンのバンジョニという牧師の話です。

バンジョニ師は、ある時女子大生に個人伝道する機会を得ました。しかし、ああ言えばこう言う、こう言えばああ言うで、その心は石のように固く、いかなる言葉も反発して受け入れません。さすがのバンジョニ師も「話はこれくらいにしましょう」と言って、議論を打ち切り、別れようとしました。

その時、ふと心に迫るものを感じた彼は、「私は、しばらくここであなたのために祈らせてもらいます」。そして、床の上でひざまずいて祈り始めました。すると、神さまの愛が彼の心を包み込み、祈りながら涙があふれてしようがありません。

何分祈ったか、ふと顔を上げると、まだあの女子大生がそこに立っていました。しかも、目にいっぱい涙をためて。「先生。今まで私は、私のために涙を流してくれる人を一人も知りませんでした。私も、先生をそんなふうにさせるイエスさまのことをもっと知りたいです。どうか教えてください」。

人は、愛の説明ではなく、実体を求めています。
(当サイト「ショートエッセイ」より)
私たちもアンデレのように、人とイエスさまをつなぐ架け橋になりたいですね。そして、イエスさまに出会った人たちが人生を造り変えられる奇跡を目撃したいと思います。

自分がイエスにつながる

では、人をイエスさまに紹介する行動を続けたアンデレに、力を与えていたものは何でしょうか。そして、私たちに力を与えるものは何でしょうか。そのヒントが今回の聖書箇所に書かれています。

アンデレはバプテスマのヨハネからイエスさまのことを紹介されました。そして、直接会いに行きました。彼は数分間立ち話をすることを求めたのではありません。イエスさまの宿泊場所を訪ねました。それは、長い時間イエスさまと共に過ごし、イエスさまと話をしたいという思いからです。その結果、アンデレはイエスさまこそ約束のメシア、救い主だと確信し救われました。

ちなみに、この時点でイエスさまは十字架にかかっていませんし、当然復活もしていません。ですから、今の私たちのようにイエスさまの十字架と復活を信じることが救いの条件だったわけではありません。イエスさまが復活なさる前は、イエスさまこそ聖書が登場を約束してきた救い主だと信じる信仰によって人は救われました。アンデレは救いを経験したのです。

その後アンデレは、イエスさまといつも一緒に過ごすようになりました。そして、ますますイエスさまの愛の深さや力強さを体験しました。その感動が、人をイエスさまの元に連れて行こうという原動力になったのです。
イエスさまとの交わりを深めよう
聖書を読み、祈りを深め、集会で他のクリスチャンたちと一緒に賛美をささげたり祈ったり話したりすることで、イエスさまとの交わりを深めましょう。

まとめ

イエスさまとの交わりを深めることにより、イエスさまと人とをつなぐ架け橋になりましょう。

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