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礼拝メッセージ:中通りコミュニティ・チャーチ

中風の人の友だち

助演男優シリーズ19

ルカによる福音書5章17節~26節

(2022年7月17日)

中風の人の友だちは、イエス・キリストにこの病人をいやしてもらうために連れて行きました。その際、家の屋根をはがして病人をつり下ろしました。

礼拝メッセージ音声

参考資料

当時の家の構造は以下の通りです。
「家の構造は、石の土台の上にレンガや石を積み上げた壁、絨毯を厚く敷いた床、木のはりを通して、わらと粘土でふさいだ真っ平な屋根、といったものです。
屋根や壁にはしっくいを塗って雨をはじくようにしていますが、雨が降らない乾季には、屋上にのぼって軽作業をすることも多くありました。基本的には二階建ての家が多く、その場合、一階が家畜や作業用のスペース、風通しが良い二階が寝室などのプライベート空間となりました。
(月刊いのちのことば2013年09月号より)
18節の「男たち」は4人(マルコ2:3)。

18節の「中風」は、体の一部がマヒしてしまうこと。原因の多くは脳血管障害や脊髄の損傷などです。

イントロダクション

今回注目するのは、イエスさまによっていやされた中風の人、ではなく、彼をイエスさまの元まで運んできた4人の友だちです。私たちは自分自身がイエスさまから祝福されることも嬉しいです。しかし、他の人が祝福されるのを見ることも素晴らしい体験ですね。まして、その人が祝福されるのを自分がお手伝いできたとしたら、どんなにか感動的でしょうか。

今日は、4人の友だちを通して、他の人の祝福のためにお手伝いすることで大きな感動を味わうことができるということを確認しましょう。

1.中風の人のいやし

大勢の人々

今回の出来事が起こったのはカペナウムの町です(マルコ2:1)。イエスさまがある家に滞在しているという話が伝わると、大勢の人が集まってきました。その中には病気の人たちがいて、イエスさまによっていやしていただいていました(17節)。
そして、パリサイ人や律法学者たちもそこにいました。「彼らはガリラヤとユダヤのすべての村やエルサレムから来ていた」(17節)と書かれています。つまりたくさん来ていたということです。

フルクテンバウム博士によると、当時は救い主(メシア、キリスト)ではないかと思われる人物が登場した場合、ユダヤの最高法院であるサンヘドリンから人が使わされて調査が行なわれました。その調査は2段階で行なわれたそうです。

第1段階では外から言動を観察するだけで、本人と直接やり取りすることは許されていません。そして、さらなる調査が必要だと判断されたら次の段階に進みます。第2段階の調査では直接相手と話をしました。

サンヘドリンはイエスさまの正体を見極めようと、パリサイ人たちを送ってきたのですが、まだ第1段階の調査だったようです。というのも、彼らは心の中であれこれ考えるだけで、イエスさまと直接やり取りをしていないからです。

とにかく、大勢の人たちがその家を取り囲んでいて、とても人が出入りできる状態ではありませんでした。

中風の人の登場

さて、カペナウムに中風を煩っている人がいました。脳血管障害や脊髄損傷などで、体の一部がマヒしてしまう症状です。この人も自力では歩くことができませんでした。

そこで、いやしの力を持つイエスさまがカペナウムにいらっしゃると聞いた4人の友だちが、この中風の人をイエスさまがいる家まで寝床ごと運んできました。しかし、先程申し上げたとおり大勢の人が家の中にも外にもあふれていたために、中に入ることができませんでした。

しかし、4人の友だちはあきらめませんでした。ユダヤの一般的な家は、外の階段を伝って屋上に上がることができました。彼らは屋上に上がると、イエスさまがいらっしゃると思われる場所の屋根を剥がし始めました。
当時の屋根は簡単な造りになっていました。壁同士を太い梁でつなぎ、その上に細い梁を網目状に乗せます。さらにわらを敷いて粘土をかぶせます。その上に漆喰やアスファルトを塗って水はけを良くする場合もありました。そんな屋根ですから、私たちが想像するよりは穴を開けるのが困難ではありませんでした。

屋根に穴が空くと、4人の友だちは中風の人を寝床に乗せたまま部屋の中につり下ろしました。
彼らの信仰を見て
それにしても、いくら自分たちの大切な友だちを癒やしてもらうためとはいえ、人の家の屋根に大穴を開けるだなんてとんでもない行動です。器物破損の罪で逮捕されてもおかしくありません。

ところが、イエスさまは彼らをとがめませんでした。それどころか聖書には「イエスは彼らの信仰を見て」(20節)と書かれています。どんな信仰でしょうか。イエスさまにはいやしを行なう力があると信じる信仰です。その信仰の通り、この後中風の人はイエスさまにいやしていただくことになります。

この中風の人がいやされたのは、もちろんイエスさまがこの人をあわれまれたからです。しかし、同時にイエスさまは彼ら、すなわち中風の人と4人の友だち、特に4人の友だちの信仰をご覧になって、評価なさいました。

あなたの罪は赦された

4人の友だちは、イエスさまが中風の人に向かって「あなたをいやしてあげよう」とおっしゃるのを期待していました。ところが、イエスさまの口から出た言葉は、期待とはまったく違った内容でした。「友よ、あなたの罪は赦された」(20節)。

この中風の人が、何か罪を犯したから神さまからの罰として体がマヒしてしまったと考える必要はありません。イエスさまは生まれつき目の見えない盲人について、この人の罪のせいでも親の罪のせいでもないとおっしゃいました(ヨハネ9:3)。

ただ、アダムが罪を犯すまで、地上には病気がありませんでした。現在、この世界に様々な問題や矛盾があるのは、人間の罪が根本原因です。あるときイエスさまは「人は、たとえ全世界を手に入れても、自分のいのちを失ったら何の益があるでしょうか」(マタイ16:26)とおっしゃいました。人は皆、神さまに罪を赦していただき、神さまとの良い関係を取り戻す必要があります。
冒涜だ!
ただ、それに反応したのは中風の人でも4人の友だちでもありませんでした。一部始終を見守っていたパリサイ人たちです。彼らは直接イエスさまと対話することはまだ許可されていませんでしたから、心の中で考えました。「神への冒瀆を口にするこの人は、いったい何者だ。神おひとりのほかに、だれが罪を赦すことができるだろうか」(21節)。

罪とは神さまを無視してその命令に違反することです。そして、その罪を赦すことができるのは、絶対的な権威者である神さまだけです。それなのに単なる人間に過ぎない者が罪の赦しを宣言するならば、自らを神とするに等しい冒涜です。パリサイ人たちはそのように考えました。

ただし、イエスさまは救い主、神が人となられたお方ですから、罪の赦しを宣言したとしても冒涜には当たりません。その場にいたパリサイ人や律法学者たちは、みんなイエスさまのことを救い主だとは信じていなかったのですね。

どちらがやさしいか

すると、イエスさまはパリサイ人たちの思いを見抜いて質問されました。「『あなたの罪は赦された』と言うのと、『起きて歩け』と言うのと、どちらが易しいか」(23節)。そして、彼らの答えを待たずにおっしゃいました。「しかし、人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを、あなたがたが知るために──」(24節)。

口で言うだけなら、「罪が赦された」と言う方が簡単でしょう。罪の赦しは目に見えませんが、いやしは目で見て確認できます。「起きて歩け」と言って歩けなかったら恥をかくことになります。

もしもイエスさまがこの中風の人を歩かせることができないなら、罪の赦しの宣言も口先だけの言葉だと思われてもしかたがありません。そして、パリサイ人たちが考えたとおり、神しかできない罪の赦しを口先だけで宣言した冒涜者ということになります。

しかし、イエスさまはパリサイ人たちに、ご自分に罪を赦す権威があることを示すために、中風の人に向かっておっしゃいました。「あなたに言う。起きなさい。寝床を担いで、家に帰りなさい」(24節)。
いやし
すると、中風の人はすぐに立ち上がりました。そして、今まで横たわっていた寝床を自分で抱えると、自分の家に戻っていきました。神さまをほめたたえながら。彼は罪の赦しといやしという2つの祝福をいただくことができました。

それを目撃した4人の友だちのことは書かれていません。しかし、「人々はみな非常に驚き、神をあがめた」(26節)と書かれていますから、4人もまた喜び賛美しながら帰って行ったはずです。彼らは大切な友だちがいやされたこと、そして自分たちがそのお手伝いをできたことで、大きな感動を味わいました。

では、私たちはこの4人の友だちから何を学ぶことができるでしょうか。

2.取りなし手となろう

他の人の幸せのために行動する喜び

私たち人間は、自分が幸せになることだけ考えて生きるよりも、他の人の幸せのことも考えて行動した方が、ずっと生きる力を発揮できるよう造られています。

私自身の話をしましょう。
私は牧師のかたわら、心悩んでいる方々の心理カウンセリングも行なってきました。 一昨日、もう10年近く前に関わらせていただいた方たちから、それぞれ手紙とメールが届きました。一人は息子さんが引きこもってしまわれた母親のAさん。もう一人は大変な家庭環境に生まれ育ったために、大人になってからうつ病になられた女性のBさんです。

Aさんの手紙には、あれから息子さんは外で働くようになり、最近ステキな女性と結婚なさったと書かれていました。そして、Bさんからのメールには、あれから結婚し、最近妊娠が分かったと。

同時に二人の方から近況を知らせていただき、それぞれの幸せを喜ぶ気持ちと共に、自分がほんの少しだけその幸せにつながるお手伝いをさせていただいたことを思い出して、私自身がとても幸せな気持ちになりました。

牧師やカウンセラーに限らず、援助職というのは、働きの結果がすぐに出るわけではないし、その結果も完成品とか数字とかの分かりやすいものではありません。ですから、なかなか労苦に見合った達成感を味わえない仕事です。「母親業」「父親業」「妻業」「夫業」などもそうかも知れませんね。そこで、気をつけていないと、いつの間にか自分の気持ちが焼き切れて、モチベーションを失ってしまいそうになることがあります。

しかし、こつこつ地道に、そしてイエスさまのみことばに極力忠実に働いていると、時々こうしてイエスさまからの励ましがやってきます。すると、もうちょっとくらいは続けてみようかという気持ちになるものです。今回も、「その道でいいんだよ」と、イエスさまが励ましてくださったような気がしました。そして、連絡をくださったお二人と共に、神さまにも感謝しました。
(当サイト「ショートエッセイ」より)
科学的な実験でも、他の人の幸せのために行動することで、自分自身に力が与えられることが確認されています。

この話もお読みください。
空気椅子というのをご存じでしょうか。椅子に座っていないのに座っているような姿勢を保持することです。空気椅子を行なうと、太ももの前後、ふくらはぎ、腹筋、背筋などの筋肉が刺激され、長く続けるとそれらの筋肉に疲労や痛みを覚えます。この空気椅子を使い、人がどれだけ痛みに耐えられるかを調べた実験があります。

この実験は、条件を変えて複数回実施されました。その条件とは、以下の2つです。
  1. 空気椅子に耐えた時間の分だけ、自分にお金がもらえる。
  2. 空気椅子に耐えた時間の分だけ、友だちにお金が支払われる。
実験の結果、後者の方がより長く空気椅子に耐えられることが判明しました。私たち人間は、自分の幸せのことばかり考えて生きるより、他の人の幸せのことも考え他の人に奉仕する生き方をする方が、より力が湧いてくるように造られているようですね。

聖書にこんな言葉があります。「それぞれ、自分のことだけでなく、ほかの人のことも顧みなさい」(ピリピ2:4)。そして、イエスさまは、私たちの救いのために、体・心・魂の大きな痛みに耐えてくださいました。そうして救われた私たちも、イエスさまを模範とした生き方がしたいですね。
(当サイト「ショートエッセイ」より)
自分の祝福ばかりを願い、自分が欲しいものばかり祈り求めていても、本当の幸せを手に入れることは難しいでしょう。もちろん、自分の幸せと願い求めることがいけないわけではありません。ただ、そればかりではいけないということですね。

私たちクリスチャンは、他の人の幸せのことも考え、それを求めなければなりません。

他の人の幸せのための具体的な行動

4人の友だちは、ただ中風の人の回復を願っただけでなく、彼がいやされるために具体的に行動しました。その方法は必ずしも賢いやり方ではなかったでしょう。家の持ち主に損害を与えましたし、イエスさまが人々を教えたりいやしたりするのを中断させています。しかし、大切な友人を助けるために、彼らは行動を起こしました。

では、私たちは大切な家族や友人やその他の人たちのために何ができるでしょうか。できないことをやるようにとは、イエスさまは決しておっしゃいません。みんながマザー・テレサのようになれるわけではありません。それでも、何かはできるはずです。できないことを数え上げるのではなく、できることを考えて実践しましょう。
  • まず祈ることができます。いわゆる「とりなしの祈り」です。
  • また、本当に相手にとってためになることを考えて、それを提供することもできます。お金であったり、食べ物であったり、何か手伝いをしたり。
  • 相手の話にじっと耳を傾けて聴くというのも素晴らしい援助です。
自分のことだけでなく、他の人の幸せのことも考え、ほんのちょっと知恵や力を使って行動するなら、その人だけでなく私たち自身が喜びや感動を感じられます。

もちろん、相手のためを思ってした行動が、相手にとってはよけいなお世話になってしまうことがあります。また、それをすることで相手が依存的になったり無責任になったりするばあいもあります。それでは意味がありませんから、何をするかはよく吟味しなければなりませんね。

それでも、何かはできるはずです。神さまが良い知恵を与えてくださるよう祈りながら考え、実行しましょう。

まとめ

他の人の幸せのためにも祈り、行動しましょう。

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