(2022年8月14日)
伝道者ピリポは、初期のエルサレム教会に発生した問題を解決するために選ばれた役員の一人です。後に伝道者としてサマリアや地中海沿岸地域で活動しました。
礼拝メッセージ音声
参考資料
1節の「ギリシア語を使うユダヤ人」は、長らく外国で生きていたユダヤ人家庭の出身で、最近になってイスラエルに帰国して住むようになった人たちです。彼らの主言語は、当時の公用語だったギリシア語でした。一方、「ヘブル語を使うユダヤ人」は、バビロン捕囚からの解放以降、ずっとイスラエルに住み続けているユダヤ人です。両者は仲が悪かったわけではありませんが、文化の違いからあまり交流がありませんでした。
1節の「毎日の配給」について。誕生したばかりのエルサレム教会では一種の共産制をとっていて、メンバーが自分の財産を持ち寄り、必要に応じて分け合っていました(2:44-45、4:34-35)。他の町の教会では、共産制は行なわれなかったようですが、貧しい人たちに進んで分け与えることは良いこととして勧められています(エペソ4:28など)。
5節に登場する7人の奉仕者は、皆ギリシア語の名前ですから、「ギリシア語を使うユダヤ人」だったのでしょう。特に「ステパノ」は様々な奇跡を行なってみことばを宣べ伝え、教会最初の殉教者となりました(6:8-7:60)。
5節の「改宗者」は、異邦人(非ユダヤ人)でありながら聖書の神さまを信じ、ユダヤ教に改宗した人のことです。ニコラオはそこから福音を信じてクリスチャンになりました。
ちなみに、当時のクリスチャンたちは、自分たちがユダヤ教からキリスト教に「改宗」したとは思っていませんでした。ただ、自分たちがユダヤ教徒としてずっと待ち望んできた救い主がイエスさまだと知ったのだと思っているだけです。
イントロダクション
助演男優シリーズは、今日から使徒の働きに入ります。最初に取り上げるのは、伝道者ピリポです。十二使徒の中にもピリポがいますが、別の人です。この人は使徒ではありませんが、初期の教会の発展になくてならない働きをしました。そして、多くの人の人生に喜びをもたらしました。
私たち一人ひとりにも、神さまはそれぞれ働きの場を用意してくださいます。そして、私たちの行動を通して他の人たちの人生に喜びをもたらしてくださいます。そのことは私たち自身にも充実感や幸福感を与えるでしょう。
今日はピリポから、他の人にも自分自身にも喜びをもたらす生き方について学びましょう。
1.ピリポに関する聖書の記録
7人の食卓の奉仕者
ピリポが最初に登場するのは、使徒6章です。2章で教会が誕生していますが、これが紀元30年のことです。同じ年にイエスさまが十字架にかかり、復活し、天に昇られました。使徒6章は32年頃のことと考えられていますから、教会が誕生して2年後ということですね。
参考資料にも書きましたが、エルサレムに誕生した最初の教会は一種の共産制を敷いていて、人々は自分の持ち物を教会にささげて、教会が必要な人にお金を分け与えていました。そこで、
「彼らの中には、一人も乏しい者がいなかった」(4:34)と記されています。
配給のミス
ところが、今回の箇所には次のように書かれています。
「そのころ、弟子の数が増えるにつれて、ギリシア語を使うユダヤ人たちから、ヘブル語を使うユダヤ人たちに対して苦情が出た。彼らのうちのやもめたちが、毎日の配給においてなおざりにされていたからである」(6:1)。
ギリシア語を使うユダヤ人は、何世代も外国で生活していたユダヤ人で、あるときからイスラエルに戻ってきた人たちです。一方、ヘブル語を使うユダヤ人は、500年以上前からイスラエルに住み続けている人たちです。普段使っている言葉だけでなく常識やものの考え方や文化がまったく異なり、両者はあまり交流がありませんでした。
といっても、ユダヤ人とサマリア人の仲が悪かったのと違って、両者は別に対立していたわけではありませんから、悪意を持って配球に差をつけていたわけではありません。教会が誕生して2年の間に、救われるクリスチャンの数が爆発的に増えていました。急激にメンバーが増えれば、12人の使徒たちだけでは十分に目配りすることができなくなってしまいます。
そういうわけで、配給を必要としている人がいるのにその人のことが認知されていなかったり、必要な分より少ない配給しかなされなかったりするケースが起こってしまったのでしょう。
使徒たちの対応
配給で問題が起こっていることを知った使徒たちは、弟子たちを集めて言いました。
「私たちが神のことばを後回しにして、食卓のことに仕えるのは良くありません」(6:2)。使徒たちの優先順位は教会の人たちに聖書の教え、イエスさまのみことばを伝え、その意味を教え、どのように実践すべきか指導すること、また教会全体のために祈ることです(6:4)。細々した事務的な問題に関わっている余裕がありません。
さりとて、日々の配給が一部の人に十分行なわれていないという問題は、このまま放置するわけにはいきません。下手をすると不満のあまり教会内に深刻な分裂をもたらしかねません。
そこで、使徒たちは食卓のこと、すなわち日々の配給の問題を専門に取り仕切るリーダーを7人選出することを教会員たちに提案しました。リーダーの条件は、
「御霊と知恵に満ちた、評判の良い人たち」(6:3)です。
こうして選ばれた7人は、
「信仰と聖霊に満ちた人ステパノ、およびピリポ、プロコロ、ニカノル、ティモン、パルメナ、そしてアンティオキアの改宗者ニコラオ」(6:5)でした。今回の主人公であるピリポは、リストの2番目に名前が挙がっています。ですから、彼は御霊と知恵に満ちており、その言動や性質が素晴らしいと教会の人々から認められていた人だったということです。
彼らが使徒たちに代わって配給のことを取り仕切るようになってどうなったでしょうか。
「こうして、神のことばはますます広まっていき、エルサレムで弟子の数が非常に増えていった。また、祭司たちが大勢、次々と信仰に入った」(6:7)。7人の奉仕者たちが忠実に気配りをしたおかげで、12使徒たちは自分の使命に専念できるようになりました。その結果、ますます教会が成長していきました。イエスさまに敵意を抱いていた祭司たちのグループの中からも、福音を信じて救われる人たちが大勢与えられたというのですから驚きです。
サマリア伝道
ところが、エルサレム教会にまたもや試練が訪れます。7人の奉仕者の1人であるステパノが、イエスさまを救い主だと信じたくない人たちによって殺されてしまったのです。それを皮切りに、多くのクリスチャンたちが捕らえられ、投獄されたり殺されたりするようになりました。その急先鋒だったのが、サウロ、後のパウロです。
サウロの迫害によって、多くのクリスチャンがエルサレムを離れて、あちこちに逃れていきました。ピリポもまたエルサレムを離れた1人です。彼が向かったのはサマリア地方でした。ピリポはサマリアで奇跡を行ないながら、イエスさまのことを宣べ伝えました。その結果、多くのサマリア人がイエスさまの福音を信じました。
報告を聞いたエルサレムの使徒たちは、ペテロとヨハネをサマリアに派遣しました。そして、2人を通してさらに多くの人々が救われます。
イエスさまが天にお帰りになる前、使徒たちに言い残された約束の言葉があります。
「しかし、聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリアの全土、さらに地の果てまで、わたしの証人となります」(1:8)。ピリポの活動から始まったサマリア伝道の結果、イエスさまのこの約束が3/4実現したことになりますね。
エチオピアの宦官への伝道
サマリアでの伝道が大いに成功している最中に、神さまがピリポにある命令を下されました。
「さて、主の使いがピリポに言った。『立って南へ行き、エルサレムからガザに下る道に出なさい』。そこは荒野である」(8:26)。
荒野ですから町のようにたくさん人がいるわけではありません。そこで一体何をすればいいのでしょうか。分からないままでしたが、ピリポは神さまの命令を実行しました。すると、エチオピアの女王に仕える宦官に出会いました。
彼はエルサレムで礼拝した帰りでした。この人は割礼を受けてモーセの律法を守ることを誓約した完全な改宗者ではありませんが、イスラエルの神さまこそ唯一絶対の神だと信じ、敬うようになった人です。
この人が馬車に乗ってイザヤ書を朗読しているのがピリポの耳に届きました。すると神さまがまたもやピリポに命じました。
「御霊がピリポに「近寄って、あの馬車と一緒に行きなさい」と言われた」(8:29)。
見ず知らずの人、ましてや身分の高そうな人に突然話しかけるのは勇気がいります。しかし、ピリポはこの命令にも忠実に従い、エチオピアの宦官に「読んでいることが分かりますか?」と声をかけました。すると宦官はピリポを馬車の中に招き、意味を解説してくれるよう頼みました。
ピリポがイザヤの預言の意味を解説しながら、イエスさまの福音を宣べ伝えました。その結果、宦官はイエスさまを信じ、水のある場所に来るとそこでピリポから洗礼を受けました。
その直後に起こったことについて、次のように書かれています。
「二人が水から上がって来たとき、主の霊がピリポを連れ去られた。宦官はもはやピリポを見ることはなかったが、喜びながら帰って行った。それからピリポはアゾトに現れた。そして、すべての町を通って福音を宣べ伝え、カイサリアに行った」(8:39)。
「主の霊がピリポを連れ去れた」という表現は面白いですね。普通に宦官と別れて去って行ったとも考えられますが、もしかしたらテレポーテーションのように目の前からパッと消えて、アゾトに瞬間移動したのかもしれないなどと想像が膨らみます。
その後のピリポ
紀元58年頃、これまでの話からの26年後のことです。第3回目の伝道旅行を終えたパウロ一行は、エルサレムに向かっていました。その途中でカイサリアに立ち寄り、ピリポの家に滞在しました(21:8-9)。このときピリポには未婚の娘が4人いたと書かれています。ですから、配給の奉仕者に選ばれた26年前、ピリポは結構若かったのかもしれません。
使徒1:8のイエスさまの約束をもう一度思い出してください。
「しかし、聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリアの全土、さらに地の果てまで、わたしの証人となります」(1:8)。
ピリポはサマリア伝道のきっかけを作った伝道者です。一方パウロは、ご存じの通り異邦人に福音を宣べ伝えるために選ばれた使徒です。そしてパウロは3回の伝道旅行を行ない、地の果てにまで福音が宣べ伝えられるきっかけを作りました。この2人が出会ったのには、神さまの不思議な導きを感じます。
しかもこの2人、26年前は片や命を狙う側、方やその手を逃れてエルサレムを離れた側です。そんな二人が親しく交わることができたのは、神さまの奇跡です。
その後パウロはエルサレムで捕らえられ、最終的にローマで皇帝の裁判を受けて釈放されますが、その前に2年間カイサリアの牢に入れられました。24:23によると、カイサリアの牢にいる間、仲間の者がパウロに会って世話をすることについては許可されています。ですから、おそらくこのときもピリポはパウロの世話を買って出たことでしょう。
それでは、ここから私たちは何を学ぶことができるでしょうか。
2.神に忠実に生きよう
どんな状況でも従うことを選択しよう
ピリポは、配給のことを取り仕切る7人の奉仕者の1人に選ばれました。それはピリポが「御霊と知恵に満ちた、評判の良い人」だったからです。それは彼が、神さまのみこころに忠実に従おうとした結果です。ピリポは、リーダーに選ばれる以前から神さまに忠実に従おうとした人でした。
また、サウロによる迫害が起こってエルサレムを脱出しなければならなくなると、逃げた先、すなわちサマリアで奇跡を行ないながら福音を語って伝道しました。何らかの形で福音を伝えることは、私たちクリスチャンがしなければならないことだからです。迫害がひどいから、今は控えておこうかななどとは考えず、ひたすら神さまに忠実であろうとしたのです。
そして、自分の働きがきっかけで、サマリアで多くの人々が救われていたのに、その華々しい活躍をし続けることにこだわりませんでした。大成功の真っ最中に「エルサレムからガザに向かう道に行け」と神さまが命じると、ピリポはこれまでの働きをあっけなく手放してサマリアを去りました。
その後荒野に出て「エチオピアの宦官の馬車に近づいて一緒に行け」と語られると、これにも素直に従いました。そして、宦官がイザヤ書を朗読しているのを聞くと、大胆にも声をかけ、その結果福音を語って宦官を救いに導くことに成功しました。聖霊なる神さまが直接下した命令は「馬車と一緒に行け」というだけのものです。しかし、ピリポは状況から判断して、この宦官に福音を語ることを神さまはお望みだと結論づけ、神さまのみこころに忠実に応答して福音を語ったのです。
エチオピアの宦官に洗礼を授けた後、聖霊さまがピリポをそこから立ち去らせました。そのまま宦官と一緒にいれば、相応のお礼をしてもらえたかもしれませんが、ピリポにとって最も大切なのは神さまのおっしゃること、お考えになっていることに従うことでした。
私たちもピリポのように、どんな状況に置かれたとしても、神さまに従う道を選び続けましょう。時には従いにくい状況の場合もあるでしょう。しかし、それでも神さまに従う方を選ぶのです。それによって他の人にも、また自分自身にも喜びを与えることができます。
神からの促しにすぐ応答しよう
ピリポは、神さまが何か命じると、すぐに応答して行動に移しました。きっと葛藤したり躊躇しそうになったりすることもあったでしょうが、それでもいつまでも迷って時を浪費することをせず、すぐに従うことを選んでいます。
また、最終的に何をすればいいか分かっていなくても、今分かっている命令にすぐ応答しました。エルサレムからガザに至る道に出て行くよう命ぜられたときがそうですね。
この話をお読みください。
Aさんは小学生の息子さんをひどく怒鳴りつけてしまいました。学校から帰ってきたらすぐに宿題をしなさいと言っても、夕食ができたからすぐに食卓に来るよう言っても、ゲームに夢中ですぐに言うことを聞かなかったからです。
翌朝神さまに祈っていたら、ふと自分自身のことを考えさせられたそうです。自分は、子どもに何か指示したらすぐに従って欲しいと思っている。すぐに従ってもらえないと嫌な気持ちになる。しかも、すぐ従って欲しいのは自分自身のためではなく、あの子の幸せのためだ。では、私は私の幸せを願っていろいろな命令をなさる神さまに、すぐに従ってきただろうか……。
私は神さまの命令をすぐに実行せずにグズグズ迷ったり、反発して実行しなかったりすることがある。それなのに神さまは、私が命令を実行するのを忍耐強く待ってくださっている。感激したAさんは神さまに感謝の祈りと、これからはすぐに命令に従いますという悔い改めの祈りをささげました。
私たちも自分自身と神さまとの関係をいつも見直して、神さまの忍耐、すなわち神さまの愛にに感謝しましょう。そして、すぐに命令を実行することをいつも意識し続けましょう。
神だけでなく人にも仕えよう
ピリポに関する記録を見ると、彼は神さまの命令にいつも忠実であろうとしましたが、その結果他の人を助ける働きをし続けています。
- エルサレムでは、ピリポは日々の配給が問題なく実行されるよう努めました。これは、生活が貧しくて援助が必要な人を助ける働きです。
- サマリアで様々な奇跡を行ないましたが、それは自分自身が注目され、尊敬され、ほめたたえられるためではありません。あくまでも病気や障がいや悪霊によって苦しんでいる人を助けるためです。
- エチオピアの宦官に語りかける際、宦官が聖書の箇所を理解できずに困っていたことに注目し、その悩みを解消するような方法で関わり始めました。
- 使徒パウロ一行がカイサリアにやってくると、進んで彼らにもてなしをしました。
イエスさまは、モーセの律法は2つの命令に要約されるとおっしゃいました。神さまを愛することと他の人を愛することです(マタイ22:37-40)。そして、小さい者の1人にしたのはイエスさまにしたことと同じだともおっしゃいました(マタイ25:40)。神さまを愛することと、他の人に愛を示すことは実は表裏一体のことです。
教会やクリスチャンが、自分自身の利益や成功や名声などを求め始めると、他の人の人生に喜びをもたらす力を失います。その結果、他の人の喜ぶ姿を見て自分も喜び、充実感や幸福感を味わう機会を失ってしまいます。
トマス・アクイナス
中世の神学者にトマス・アクイナスという人がいます。この人が時の教皇インノケンティウス2世の元を訪れた際のエピソードです。中世のカトリック教会は世俗的になっていて、多くの金銀を集めていました。教皇はトマスにたくさんの金貨を見せながら言いました。「どうだね博士。もはや教会は『金銀は我にない』とは言わない」。するとトマスは静かに言いました。「はい、その通りでございます。そして、教会は『イエス・キリストの名によって歩け』と言うこともできなくなりました」。
ピリポはイエスさまの愛、父なる神さまの愛、聖霊なる神さまの愛を受けて感激していました。それ故に神さまを深く愛し、またそれ故に人々に仕える生き方を続けました。その結果、彼は喜びに満ちた充実した人生を送ることができました。
私たちもまた自分のことだけでなく、他の人たちの幸せを願い、その実現のために何かしましょう。ピリポは奇跡を行なう力が与えられていたのでそれを使って人に仕えましたが、奇跡を行なう力が与えられていなくても、自分にできることがあるはずです。
まとめ
ピリポはどんな状況に置かれていても、神さまの命令を受け取るとすぐに応答して、愛を実践しました。私たちもそういう生き方を目指しましょう。聖霊さまが私たちを助けてくださいますように。