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礼拝メッセージ:中通りコミュニティ・チャーチ

エパフロディト

助演男優シリーズ28

ピリピ人への手紙2章25節〜30節

(2022年9月18日)

エパフロディトはピリピ教会員で、ローマに軟禁されていたパウロの元で彼を助けました。

礼拝メッセージ音声

参考資料

ピリピ人への手紙は、エペソ書・コロサイ書・ピレモン書と同じく、パウロがローマ(カイサリアという説もあり)の獄中で書いたものです。そこでこれら4通を獄中書簡と呼びます。

エパフロディトは、ローマで軟禁生活を送るパウロにピリピ教会からの贈り物を届けるため遣わされてきました。

イントロダクション

今日はピリピ教会に所属するエパフロディトを取り上げます。パウロがローマで軟禁状態に遭ったとき、エパフロディトはパウロの世話をし、伝道活動を助けました。

エパフロディトはピリピ書にしか名前が出てこないマイナーな人です。しかし、パウロがピリピ教会の人たちにぜひ彼を模範にして欲しいと願うほどの、素晴らしい信仰者でした。私たちも彼を模範としたいと思います。エパフロディトから、私たちは何を学ぶことができるでしょうか。

1.エパフロディトのプロフィール

パウロの元にいる理由

エパフロディトが登場するのは、「ピリピ人への手紙」の中です。この手紙は、パウロがローマで軟禁状態にあるときに書かれました。まずはパウロがローマで鎖につながれている経緯をザッとお話しします。
  1. 紀元52〜57年、パウロは第3回伝道旅行に出かけました。エペソを拠点として伝道しましたが、ピリピも訪問しています。
  2. 伝道旅行が終了すると、小アジアやギリシアの諸教会からの募金を携え、エルサレム教会を訪問します。
  3. その際に誤解からユダヤ人たちに殺されそうになり、ローマ軍に保護される形でカイサリアのローマ総督府に送られます。
  4. ユダヤの大祭司たちはパウロの罪を言い立てましたが、ローマ法に違反しているという証拠が出せません。通常ならそこで無罪放免のはずですが、総督フェリクスはパウロから賄賂を取ろうと企んで2年間獄中に留めました(ピリピ書がカイサリアで書かれたとする説もあり、その場合にはこの時期です)。
  5. 2年後に総督がフェストゥスに交代すると、ユダヤの指導者たちはパウロの暗殺を企てます。総督フェストゥスも大祭司たちの味方をしそうだと感じ取ったパウロは、ローマ皇帝に上訴しました。
  6. パウロはローマ到着2年後に皇帝による裁判で無罪を勝ち取ることになりますが、それまでローマ市で軟禁されていました。鎖につながれてはいましたが(エペソ6:20、ピリピ1:17)、牢ではなく自費で借りた家に住み、人の出入りも自由でした(使徒28:30-31)。
    なお、ピリピ書がローマで書かれたとするとこの時期です。ピリピ書の中で、パウロは間もなく釈放されてピリピを訪問できると考えているところから(24節)、軟禁期間の終わり頃に書かれたと思われます。
ピリピ教会による贈り物
パウロがローマで軟禁状態にあることを知ったピリピ教会の人々は、パウロに贈り物をしようと考えました。彼らは決して裕福な暮らしをしていたわけではなく、むしろ迫害の中で苦労をしていました。しかし、これまでもたびたびパウロにお金や物を送って伝道活動を支えました。

このたび、パウロに贈り物を届ける役割を担ったのがエパフロディトです。彼は任務を達成しますが、そのままパウロの元に留まりました。そして、外に出られないパウロの手足となって伝道活動を支えました。
重病
そんな中、エパフロディトは病気にかかってしまいました。それは非常に重く、危うく死ぬところでした。しかし、幸いなことに回復して元気を取り戻します。

「本当に、彼は死ぬほどの病気にかかりました。しかし、神は彼をあわれんでくださいました。彼だけでなく私もあわれんでくださり、悲しみに悲しみが重ならないようにしてくださいました」(27節)。

パウロによる評価

パウロはエパフロディトのことを高く評価しています。そして「私の兄弟、同労者、戦友」(25節)と呼んでいます。
兄弟
兄弟というのは、クリスチャン同士がお互いに呼ぶ際に用いられます。同じ神の家族という意味です。ここではそれに加えて、肉親のように近しい間柄という意味が込められているでしょう。

パウロのそばには、マルコ、アリスタルコ、デマス、ルカといった人たちが一緒にいて、パウロの生活の世話をしたり伝道活動を手伝ったりしました(ピレモン24)。エパフロディトもその1人です。大変なときにそばにいて助けてくれたエパフロディトのことを、パウロはとても信頼し親しみを覚えていました。
同労者
同労者というのは、自分と同じ働きをしている人のことを指します。パウロがイエス・キリストに仕え、イエスさまの恵みの福音をこの世に広める働きをしているように、エパフロディトも同じ働きをしていました。

エパフロディトがピリピ教会からの贈り物を届けた後、そのままパウロの世話をすることが最初から決まっていたのか、後になって決めたのかは分かりません。いずれにしても、エパフロディトは自由に家を出入りできないパウロの代わりに、ローマの人々に熱心に伝道しました。
戦友
そして、戦友というのは、命をかけて同じ戦いに臨む仲間のことです。
実際、パウロが命がけで伝道し、何度もいのちの危険を通過したように、エパフロディトも伝道に命をかけていました。

「彼はキリストの働きのために、死ぬばかりになりました。あなたがたが私に仕えることができなかった分を果たすため、いのちの危険を冒したのです」(30節)。

この命の危険というのが、上述の病気のことなのか、迫害を受けたり移動中に盗賊に襲われたりするような危険なのかは分かりませんが、そのきっかけがキリストの働きのためだったとパウロは解説しています。

このように、エパフロディトは熱心に神さまと人とに仕える人だったのです。

エパフロディトをピリピに戻す理由

このように、ローマにおいて非常にパウロの役に立ってくれていたエパフロディトを、パウロはピリピに戻そうと考えていました。そして、ピリピ人への手紙はエパフロディトがピリピ教会に届けたのでしょう。

パウロは、エパフロディトを送り返す理由を2つ挙げています。
(1) ピリピ教会にエパフロディトがいやされたことを伝えるため
上述の通り、エパフロディトは死んでもおかしくないような重い病気にかかりました。そのニュースはピリピ教会にも伝わり、みんな彼のことを心配していました。そのことについてパウロは次のように書きました。

「彼はあなたがたみなを慕っており、自分が病気になったことがあなたがたに伝わったことを、気にしているからです。……そこで、私は大急ぎで彼を送ります。あなたがたが彼に再び会って喜び、私も心配が少なくなるためです」(26節・28節)。

もちろん手紙で知らせれば事足りますが、直接会うことができれば教会の人たちの喜びはさらに大きくなるでしょう。
(2) ピリピ教会の模範とするため
さらにパウロは次のように語っています。

「ですから大きな喜びをもって、主にあって彼を迎えてください。また、彼のような人たちを尊敬しなさい」(29節)。

ピリピ教会は愛にあふれ、ささげるスピリットに満ちあふれた素晴らしい教会です。しかし、問題もありました。コリント教会にもありましたが、分派分裂が見られたのです。4章でパウロはピリピ教会の2人の女性に対して、次のように語りかけています。「ユウオディアに勧め、シンティケに勧めます。あなたがたは、主にあって同じ思いになってください」(4:2)。

パウロはこの2人の女性について、エパフロディトを「戦友」と呼んだように、「この人たちは,……福音のために私と一緒に戦ったのです」(4:3)と書いています。彼らは素晴らしいクリスチャンでした。しかしながら、2人は対立していた、あるいはこのままだと対立が表面化しそうになっていました。

エパフロディトは神さまに仕える心を持っていただけでなく、人に仕える心も持っていました。先週の「アポロ」の回でも紹介しましたが、イエスさまは「あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、皆に仕える者になりなさい」(マタイ20:26)とおっしゃいました。エパフロディトはまさにそのような人でした。そして、パウロはユウオディアとシンティケ、そしてすべてのピリピ教会メンバーに、エパフロディトを模範として欲しいと願ったのです。

では、私たちは彼から何を学ぶことができるでしょうか。

2.仕える心を持とう

神に仕える心

エパフロディトは、神さまに仕える心を持っていた人でした。神さまが自分に何を語り、何をすることを望んでおられるかを熱心に探り、それを命がけで実行しました。

私たちもエパフロディトのように、神さまのみこころを学びましょう。そのために聖書を熱心に学びましょう。また、神さまに向かってお願いをするだけでなく、神さまからの語りかけを聴くための傾聴の祈りを心がけましょう。 もちろんただ聴くだけでなく、教えていただいた神さまのみこころを実践しましょう。
優先順位
「神さまに仕える心を持っている」ということを別の表現で言うと、「優先順位を正しく設定できている」ということです。

今回の直前の箇所で、パウロは弟子であるテモテについて述べた後、次のように語っています。「みな自分自身のことを求めていて、イエス・キリストのことを求めてはいません。しかし、テモテが適任であることは、あなたがたが知っています」(21-22節)。エパフロディトもテモテと同じように、自分のことよりもイエスさまのことを優先させる人でした。

私たちは神さまの奇跡が人生の中に満ちあふれることを期待していますね? しかし、以前も申し上げたことですが、奇跡とは世界のありとあらゆるものが神さまに従うことで実現します。世界が神さまに従うことを期待しながら、自分は神さまに従わないというのは道理に合いません。奇跡を期待するならば、まず私たち自身が神さまを第一とし、神さまに従う姿勢を示さなければなりません。

私たちの優先順位をいつもチェックしましょう。神さま、イエスさま、聖霊さまのみこころに従うことが第一になっているでしょうか。
  • それは、イエスさまが喜ばれる行動ですか?
  • それは、イエスさまのすばらしさが自分や周りの人たちにより伝わるような行動ですか?
  • それは、イエスさまのことを人々が信じられるよう後押しする行動ですか?
これらの質問に、「はい」と答えられるような行動を選びましょう。そして選び続けましょう。

人に仕える心

エパフロディトは、命がけで神さまのみこころに従い続けました。その結果、人に仕える生き方を実践しました。私たちも人に仕えることを意識し、実践しましょう。
相手の幸せのために行動すること
人に仕えるとは、相手の幸せを願い、相手の幸せのために行動することです。もちろん、こちらが勝手に「相手のためになるはず」と思い込んで実践すると、単なるよけいなお世話になってしまったり、相手をただ依存させるだけになってしまったりします。

ですから、「自分は相手のためになることを知っている」と思い上がることなく、いつも本当に相手のためになることを考え続けましょう。
犠牲を払うこと
そして人に仕えるとは、そのために何らかの犠牲を払うことです。たとえば時間を費やすとか、体力を使うとか、お金や物をささげるとか。

ただし、犠牲を払うことばかり考えても行き詰まります。渇水で上流から水が流れてこないダムと同じで、やがて干上がって水を下流に供給できなくなります。まず神さまや他の人から十分愛を受け取り、それから他の人に愛を分け与えるというのが正しい順番です。

うつ病になってしまったA子さんは、精神科の治療とカウンセラーによるカウンセリングにより、自分が精神的に追い詰められた原因を理解しました。親の期待に応えようと無理をし続けたためだと気づいたのです。

それからカウンセラーが所属する教会に通うようになったA子さんは、間もなくイエス・キリストを信じました。そして神さまの愛を受け取り、教会の人たちに優しく声をかけられたり、食事に誘われたり、話を聴いてもらったりしました。そうしているうちにだんだん元気を取り戻していきました。

すると、今まで何となく苦手だった両親のことも気にならなくなり、できないことややりたくないことは正直に言えるようになりました。そればかりか、自発的に感謝やねぎらいの言葉をかけたり、積極的に家事の手伝いをしたり、両親の喜ぶことを考えて行動したりできるようになりました。

自分がどれだけ神さまに愛され、守られ、支えられているかといつも意識し、感謝と喜びに満たされましょう。

そして、心から人に仕える生き方を実践しましょう。イエスさまのように何もかもささげる生き方は、私たちには難しいかもしれません。しかし、「今よりもほんの少しだけ」人のためにささげられることを考え、行動しましょう。

バランス感覚

エパフロディトの優れたところは、神さまに仕える心と、人に仕える心のバランスが取れていたことでした。
  • 神さまに仕えることに熱心なあまり、独善的になったり、他の人に対して批判的になったりしません。
  • 人に仕えることを重視するあまり、神さまのみこころを無視して自分の思いだけで人に接することもしません。
私たちも両方の心のバランスを意識しましょう。

まとめ

今回私たちはエパフロディトから、神さまと人とに仕える生き方を学びました。

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