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礼拝メッセージ:中通りコミュニティ・チャーチ

テモテ

助演男優シリーズ29

テモテへの第2の手紙1章1節〜10節

(2022年9月25日)

テモテは初期の教会時代に活躍した伝道者で、使徒パウロの弟子です。新約聖書にはテモテに宛ててパウロが書いた手紙が2通載っています。

礼拝メッセージ音声

参考資料

使徒28章でパウロは皇帝の裁判を受けるためにローマで軟禁されたことが書かれています。そのときは2年後(紀元62年頃)に釈放され、しばらくギリシア、クレテ島、小アジアなどで伝道活動をしました。テモテへの第一の手紙は、その間にマケドニア(北ギリシア)からエペソにいるテモテに送られたと思われます。
その後、パウロは再び捕らえられてローマに送られました。テモテへの第二の手紙は、そのときに書かれました。前回の軟禁と異なり、パウロは死を覚悟しています(4:6)。パウロが殉教したのは紀元67年と言われているので、その直前に書かれたのでしょう。

6節の「按手」とは、手を人やいけにえ上に置くこと。神の働きに任命する、祝福する、霊的な力を授ける、いやしを行なう、いけにえとささげる人とを一体化するなどの目的で行なわれました。

6節の「神の賜物」は、聖霊の賜物のこと。聖霊がクリスチャンに与える奉仕のための特別な能力のことです(ローマ12:6-8、第1コリント12:4-30、エペソ4:7-12参照)。

10節の「福音」は、救われるために信じるべき内容(第1コリント15:1-8参照)。またそれを信じることによって救われるという良い知らせのこと。

イントロダクション

信仰の助演男優シリーズも今回で終了予定です。最後に取り上げるのはパウロの弟子であるテモテです。

私たちはテモテの生き方を通して、神さまは私たちをあるがままの姿で受け入れてくださると共に、だんだんと成長させ、地上で素晴らしい働きができるよう導いてくださることを確認して、励ましをいただきましょう。

1.テモテのプロフィール

第2回伝道旅行

出自
テモテが聖書に初めて登場するのは、使徒の働きの16章です。これは、パウロとシラスが行なった第2回伝道旅行でのできごとです。

「それからパウロはデルベに、そしてリステラに行った。すると、そこにテモテという弟子がいた。信者であるユダヤ人女性の子で、父親はギリシア人であった。彼は、リステラとイコニオンの兄弟たちの間で評判の良い人であった」(使徒16:1-2)。

テモテの出身地は、小アジアの中央部から少し南東にあったリステラという町です(下地図の3番「ルステラ」)。
父親はギリシア人で、母親がユダヤ人でした。今回の箇所にも書かれているとおり、母の名はユニケです。祖母ロイスと母ユニケが先にイエス・キリストを信じ、この2人の影響でテモテも信じてクリスチャンとなりました。

「私はあなたのうちにある、偽りのない信仰を思い起こしています。その信仰は、最初あなたの祖母ロイスと母ユニケのうちに宿ったもので、それがあなたのうちにも宿っていると私は確信しています」(5節)。

このとき、すなわち紀元49年頃のテモテはまだ年若く、多くの研究者が20歳前後だったろうと考えています。
割礼
パウロは、その土地のクリスチャンたちの間で評判がいいテモテを、自分たちの伝道旅行に同行させることにしました。その際、割礼を受けていなかったテモテに、パウロは割礼を受けさせました。割礼というのは、ユダヤ人の男の子が生まれて8日目に、男性器の包皮を火打ち石のナイフで切り取られる儀式です。異邦人の大人でも、ユダヤ教に改宗する際には割礼を受けました。

「パウロは、このテモテを連れて行きたかった。それで、その地方にいるユダヤ人たちのために、彼に割礼を受けさせた。彼の父親がギリシア人であることを、皆が知っていたからである」(使徒16:3)。

この直前の使徒15章には、第1回エルサレム会議のことが書かれています。異邦人が救われるために、割礼を受けることやモーセの律法を守ることは必須の条件ではないことが確認されました。それなのになぜわざわざパウロはテモテに割礼を受けさせたのでしょうか。

それは、テモテの救いを完成させるためではありません。テモテはイエス・キリストを信じており、すでに救われていました。パウロが彼に割礼を受けさせたのは、「その地方にいるユダヤ人たちのため」と書かれています。ユダヤ人に伝道する際、テモテが無割礼のままだとそれが問題となって素直に彼の話を聞いてもらえない事態を避けるために、割礼を受けさせたのです。

パウロは、救いの条件として割礼を持ち出す意見には強硬に反対しましたが(使徒15:1-2、ガラテヤ5:1-11参照)、伝道のためならこうして割礼を用いる柔軟さも持ち合わせていました。
マケドニア伝道
パウロとシラスに同行したテモテは、彼らを助けながら各地で伝道や教育を行ないました。そして、マケドニア地方に渡った際、激しい迫害に遭ってパウロが命の危険に陥ります。そこでベレアという町にできた教会のクリスチャンたちは、パウロをアテネに送り届けました。その際、テモテはシラスと共にベレアに留まり教会を訓練しました(使徒17:4)。

また、テモテはアテネに到着したパウロの指示で、先に3週間ほどしか滞在できなかったテサロニケに戻ってそこのクリスチャンたちを教えました(第1テサロニケ3:1-3)。
コリント伝道
パウロがアテネを発ってコリントに入ると、テモテもシラスと共にコリントにやってきます。そして、パウロやシラスと共に伝道し、教会を指導しました。

第3回伝道旅行

テモテはパウロの第3回伝道旅行にも同行しました。この伝道旅行の拠点はエペソでしたが、パウロがエペソでの働きに専念できるよう、パウロの代理としてエラストという弟子と共にマケドニアに渡って諸教会を指導しました。

また、コリント教会には分派分裂や礼拝の混乱、差別など様々な問題が起こっていたため、テモテは「コリント人への第一の手紙」を携えて派遣されました(第1コリント4:17)。そしてテモテは、しばらくコリント教会に留まって指導しました。

ところが、このときはいくつか解決できない問題が残りました。その一つが、罪を犯しながら悔い改めない教会員に対して、教会として何も処分を下そうとしないという問題です。

この問題については、パウロは直接コリントに乗り込んで、自分たちで悔い改めない人を除名処分にするよう訴えました。それでも効果が無かったので、「涙ながらの手紙」と呼ばれる現存していない手紙(第2コリント2:4)を書き、テトスという弟子に持たせて送りました。そのおかげでようやくこの問題が収拾します。

テトスから、除名された人が罪を悔い改めたということを聞いたパウロは、その人を今度は赦して受け入れてやるよう勧めました。それが「コリント人への第2の手紙」に書かれています。
手紙の発信者名
この手紙は、パウロとテモテの連名で出されました。「神のみこころによるキリスト・イエスの使徒パウロと、兄弟テモテから、コリントにある神の教会、ならびにアカイア全土にいるすべての聖徒たちへ」(第2コリント1:1)。

第2コリントだけでなく、他のパウロの手紙でも発信者の名前にテモテの名前が添えられています。ピリピ、コロサイ、第1テサロニケ、第2テサロニケ、ピレモンです。ローマ人への手紙では連名の差出人ではありませんが、最後のあいさつのところに名前が載っていて、「私の同労者テモテ、また私の同胞、ルキオとヤソンとソシパテロが、あなたがたによろしくと言っています」(ローマ16:21)と記されています。

テモテがいつもパウロと共にいて、パウロを助けて働いていたことが分かります。
エルサレムへの旅
第3回伝道旅行が終わると、パウロはエルサレム教会に向かいました。その際、マケドニア地方、コリント教会、小アジアのクリスチャンたちが、迫害のために貧しい暮らしを強いられているエルサレム教会の人々のために集めてくれたお金を持っていきました。この旅にテモテも同行しています(使徒20:4)。

パウロ逮捕後

前回のメッセージで触れましたが、第3回伝道旅行が終わってエルサレムに向かったパウロは、暴動に巻き込まれて捕らえられ、最終的にローマ皇帝による裁判を受けるためにローマに護送されました。

この旅について書かれた使徒の働きの記事にテモテは登場していません。ですから、パウロが捕らえられる前にエルサレムを離れて別行動を取っていたのかもしれません。しかし、パウロが2年間ローマで軟禁状態にあったときに書いたコロサイ書、ピリピ書、ピレモン書がテモテとの連名で書かれたところから、後でパウロを追いかけてきたのでしょう。
エペソの指導者
紀元64年頃、皇帝による裁判によってパウロは無罪放免となりました。教会の伝承によると、翌65年にパウロはテモテをエペソの監督(エペソにある教会のトップリーダー)に任命したそうです。テモテへの第一の手紙はその頃に書かれました。

パウロが紀元67年に殉教する直前に書かれたテモテへの第二の手紙でも、テモテはエペソ教会で指導していたことが推定されます。
  • テモテに自分の元に来るよう願った後で、ティキコをエペソに遣わしたとパウロは語っています(4:9, 12)。テモテが安心してエペソを離れられるよう、ティキコを代理のリーダーに据えたと考えるのが自然です。
テモテの弱さ
テモテへの2通の手紙とテトスへの手紙は、一般に「牧会書簡」と呼ばれます。教会のリーダーとしてどのように振る舞えばいいかがアドバイスされている内容だからです。パウロによってテモテはエペソ教会のリーダー、テトスはクレテ島の教会のリーダーとなりました。
ただ、テモテへの手紙には、テモテに対するパウロの心配な心情がにじみ出ています。たとえば、
  • 「あなたは、年が若いからといって、だれにも軽く見られないようにしなさい。むしろ、ことば、態度、愛、信仰、純潔において信者の模範となりなさい」(第1テモテ4:12)。
    ちなみに、このときテモテは30代半ばになっています。
  • 「これからは水ばかり飲まないで、胃のために、また、たびたび起こる病気のために、少量のぶどう酒を用いなさい」(第1テモテ5:23)。
  • 「そういうわけで、私はあなたに思い起こしてほしいのです。私の按手によってあなたのうちに与えられた神の賜物を、再び燃え立たせてください。神は私たちに、臆病の霊ではなく、力と愛と慎みの霊を与えてくださいました。ですからあなたは、私たちの主を証しすることや、私が主の囚人であることを恥じてはいけません。むしろ、神の力によって、福音のために私と苦しみをともにしてください」(第2テモテ1:6-8)。
  • 「ですから、私の子よ、キリスト・イエスにある恵みによって強くなりなさい」(第2テモテ2:1)。
  • 「みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい」(第2テモテ4:2)。
テトスに関しては、さすがパウロも手を焼いたコリント教会の問題を次々と解決した辣腕家だけあって、このような心配の言葉は見られません。一方のテモテは、少し臆病で押しの弱いところがあったようです。そこで、他の人に強く出られると、引いてしまう場合があったのかもしれません。そして、体もそれほど強くありませんでした。
テモテの強さ
それでも、彼は若い頃から敬虔で評判の良いクリスチャンでした。またパウロにもずっと忠実に仕えました。最初はパウロのことを支えていた人でも、途中で彼のことを見放して去って行くケースもありました(第2テモテ4:10のデマス)。しかし、テモテはずっとパウロを支え続けたのです。

パウロもそんなテモテのことをかわいがり、「私が愛する、主にあって忠実な子」(第1コリント4:7)、「真の我が子」(第1テモテ1:2)、「愛する子」(第2テモテ1:2)などと呼んでいます。

そして、パウロはテモテについて次のようにも述べています。「みな自分自身のことを求めていて、イエス・キリストのことを求めてはいません。しかし、テモテが適任であることは、あなたがたが知っています。子が父に仕えるように、テモテは私とともに福音のために奉仕してきました。」(ピリピ2:21-22)。

彼には臆病で押しが強くないという問題点はありましたが、イエスさまを第一にする生き方を貫いていることを、パウロは高く評価しています。
パウロ殉教後のテモテの歩み
作者不明のヘブル人への手紙にも、テモテのことが言及されています。「私たちの兄弟テモテが釈放されたことを、お知らせします」(ヘブル13:23)。おそらくパウロと同じような時期にテモテも捕らえられ、パウロは処刑されたけれどテモテは釈放されたということでしょう。

教会の伝承によれば、パウロが殉教した後もテモテはエペソ教会で指導を続けます。そして、紀元80年にエペソの異教徒たちに信仰を捨てるよう脅され、それを断ったため殺されたということです。テモテは元々臆病な性質でしたが、聖霊さまは彼に強さを与えてくださいました。こうして信仰のマラソンを最期まで走り通したのです。

では、ここから私たちは何を学ぶことができるでしょうか。

2.弱くてもいい

神に子として受け入れられていることを確認しよう

テモテには少し臆病な面、押しに弱い面がありました。その点をパウロも心配しています。しかし、だからといってパウロは、テモテのことを使い物にならないダメダメクリスチャンだとは評価していません。むしろ「愛する子」と呼んで慈しみ、期待し続けました。

私たち一人ひとりも強さと共に弱さを持った不完全な存在です。しかし、そんな私たちのことを神さまは「愛する子」と呼んでくださいます。私たちの罪、弱さ、不完全さは、イエス・キリストの十字架と復活を信じた瞬間に、すべて完全に赦されたからです。
すべて編集済み
この話をお読みください。
増田牧師は、月に1度、別の教会の祈祷会でメッセージをさせていただいています(注:2007年以降はメッセージしていません)。先日は、「義に飢え渇いている人」という題でお話しさせていただきました。

ところが、貸し出し用のCDを作成するに当たって、例話の一つが問題になりました。別に嘘ついたり、間違ったことを言ったりしたわけではないのですが、時期的にその内容はまずいだろうということになったわけです。

ところが、非常におもしろい例話でもあるので、それを完全に削りたくはない……。

そこで、編集担当者が、牧師たちとあーでもない、こーでもないと言いながら、パソコンを使って、それこそミリ秒単位で音声ファイルを切り貼りして、見事な修正を施してくださいました。しかも、とってつけたようにではなく、自然な話の流れを崩さない形で。あらためて聞いても、まったく不自然な感じはしません。お見事!

ある方が先輩クリスチャンに、「天国には、大きなビデオカメラがあって、あなたの人生を逐一録画している。天国ではそれを永遠に見続けるんだ」と言われたそうです。そして、がっかりしていました。自分の人生なんか振り返りたくない。そんなことさせられたら、そこはもう天国じゃないって。

しかし、ご心配なく。イエス・キリストの十字架によって、あなたのすべての罪が赦されています。ということは、あなたにとって不都合な場面、見たくないような場面は、すべてカットされているということです。しかも、不自然にならないよう、見事な編集がなされいています。

今までがどうであれ、現在がどうであれ、これからの人生がどうであれ、あなたの人生はOKです。
(当サイト「ショートエッセイ」より)
そのことをいつも忘れないようにしましょう。そしていつもそのことについて感謝をささげましょう。

キリストを一番にしよう

前回取り上げたエパフロディトもそうでしたが、テモテもイエス・キリストを第一とする生き方をしました。テモテはイエスさまに忠実だったのです。しかも、一時的に忠実だったのではなく、ずっと忠実であり続けました。それをパウロも高く評価しています。

ですから、多少臆病な部分があっても、押しが強くなくても、胃腸が弱くても、それでも最期の時まで健全な信仰を捨てず、妥協して聖書に基づかない教えに変えるようにというこの世からの誘惑にも負けず、イエスさまが喜ばれる生き方を求め続け、そうして信仰者として人生を走り通すことができました。

先週に引き続き、改めて私たちの優先順位を整理しましょう。そして、イエスさまに従うことを第一としましょう。

聖霊の助けを期待しよう

今日の箇所に「私の按手によってあなたのうちに与えられた神の賜物を、再び燃え立たせてください」(6節)という言葉があります。クリスチャンはみな、イエス・キリストの恵みの福音を信じたとき、内に聖霊なる神さまが入ってこられ、その後ずっと住んでくださるようになります。テモテはそれだけでなく、パウロに手を置いて祈ってもらったことで、聖霊さまがクリスチャンに与えてくださる奉仕のための特別な能力、聖霊の賜物が与えられました。

具体的にどんな能力が与えられたのかは分かりません。しかし、テモテは聖霊さまに満たされ、奉仕のための力を得ました。当初は賜物を使おうとしていなかったようですが、パウロに励まされ、聖霊さまがくださる力を体験し始めたことでしょう。だからこそ、臆病だったテモテが、脅されても信仰を捨てないほどの強さを身につけることができたのです。

聖霊さまは、私たち一人ひとりの内にも住んでくださっています。そして、私たちを満たし、力や知恵や勇気を与え、内側から私たちを造り変えたいと願っておられます。

ですから、まずは聖霊さまのその願いを受け入れましょう。そして、造り変えてくださるようお願いしましょう。

まとめ

私たちは弱く不完全な存在ですが、イエス・キリストを第一とし、聖霊さまのお働きに期待するとき、自分以上の力を発揮することができるようになります。そして、他の人や社会に良い影響をもたらすことができるようになります。

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