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礼拝メッセージ:中通りコミュニティ・チャーチ

イエス・キリストの誕生

イエス・キリストの生涯シリーズ1

ルカによる福音書2章1節〜7節

(2022年10月2日)

イエスキリスト誕生は旧約聖書に預言された通りに起こり、誕生の経緯も不思議なものでした。

礼拝メッセージ音声

参考資料

イエス・キリストの誕生年は、聖書や他の資料の記述から、紀元前6年か7年だということが分かっています。生月日は分かりません。12月25日がキリスト誕生の記念日と定められたのは紀元4世紀のローマ教皇ユリウス1世の頃で、歴史的根拠に基づくものではなく当時のローマの祝日だった冬至祭が元になっています。

1節の「皇帝アウグストゥス」は、ユリウス・カエサルの甥で初代皇帝となったオクタビアヌスのこと。在位は紀元前27年〜紀元14年。住民登録令が出されたのは徴税や徴兵のためで、アウグストゥスは計3回実施しました。1節の勅令は2度目、すなわち紀元前8年に出されたもの。ローマ帝国は広いため、勅令が隅々まで行き渡って準備が整えられ、実際に登録作業が開始されるのに1〜2年のタイムラグが生じたと思われます。

2節の「キリニウス」は、ガラテヤ地方での戦いで勝利したローマ帝国の英雄です。彼がシリア州の総督だったのは紀元6〜7年で、紀元6年にユダヤの住民登録を行なったことが分かっていますが、これは1-2節のとは別の、使徒5:37で触れられている調査です。

2節で「最初の」と訳されているギリシア語「プローテー」には「〜より前の」という意味もあるので、「これは、キリニウスがシリアの総督であったときより前に行なわれた住民登録であった」とも訳せます。すなわち、有名なキリニウスがシリア総督だったときの住民登録ではなく、サトゥルニウスという人物がシリア総督だった時代(紀元前9〜6年)に、皇帝アウグストゥスの命に基づいて行なわれた住民登録だということを言いたいのでしょう。

3節の「自分の町」は、自分の先祖の出身地。このときヨセフとマリアは、ガリラヤのナザレに住んでいましたが、2人ともダビデ王家の末裔なので、ダビデの出身地であるベツレヘムで住民登録することになりました。ベツレヘムはエルサレムの南約8キロにあった町です。ナザレからだと直線距離で115キロ、通常はサマリアを避けてヨルダン川沿いを迂回しますから、150キロほどかかったでしょう。

イントロダクション

昨年から今年にかけて「王さまシリーズ」「御霊の実シリーズ」「聖書の女性シリーズ」「信仰の助演男優賞シリーズ」をお届けしてきました。そして、今回から新しいシリーズが始まります。「イエス・キリストの生涯」シリーズです。4つの福音書に書かれているイエスさまに関する記事を、時系列で取り上げていきます。

まるで私たち自身がパレスチナの地をイエスさまと一緒に旅をしているような、そんな思いになれたら、そしてますますイエスさまを身近に感じることができるようになれたらいいですね。

今日はイエスさまが人として地上に誕生なさった記事を取り上げます。

1.イエス誕生

世界史における位置

(1) そのころ、全世界の住民登録をせよという勅令が、皇帝アウグストゥスから出た。

皇帝アウグストゥスは、ローマ帝国初代の皇帝オクタビアヌスのことです。アウグストゥスというのは元老院が贈った称号で、尊厳ある者という意味があります。記録によれば皇帝アウグストゥスは3回住民登録をしました。人口を把握して、税を取り立てたり徴兵したりするためです。1節の住民登録は、時期的に紀元前8年に行なわれたものです。

住民登録を行なうには様々な準備が必要ですから、特にユダヤのような属州では、皇帝が命令を発してから1〜2年遅れて住民登録が実施されたというのは大いに考えられることです。


(2) これは、キリニウスがシリアの総督であったときの、最初の住民登録であった。

この節は、研究者を悩ませてきました。今残っている記録によれば、キリニウスが住民登録を行なったのは紀元6年のことで、時期が合いません。イエスさまが誕生した時期のシリア総督は、サトゥルニウスという別の人物でした。ですから、単純にルカが間違ったのだという説まで出ました。

ある人物がシリア総督を2回務めたという碑文が見つかっていることから、サトゥルニウスがシリア総督だった時代に、キリニウスが軍事担当の総督として共同統治していたのだという説を出している学者もいます。

私としては、参考資料に書いたとおり、「最初の」と訳されているギリシア語が「以前の」とも訳せるので、「キリニウスより前に行なわれた住民登録」と言う意味だと解釈しています。

いずれにしても、イエスさまは世界史の流れの中で人として誕生なさいました。決して想像上の人物なのではありません。


(3) 人々はみな登録のために、それぞれ自分の町に帰って行った。

現在の日本の国勢調査なら、今住んでいる場所で回答ができますし、最近ではインターネットを使って行なうこともできます。しかし、古代のローマ帝国では、それぞれ本籍のある場所、すなわち先祖の出身地で行なうことになっていました。

ダビデの子孫

(4) ヨセフも、ダビデの家に属し、その血筋であったので、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。

イエスさまの育ての父となるヨセフは、ガリラヤ地方にあったナザレという小さな村で大工をしている男性です。日本で大工というと家を建てる人ですが、古代イスラエルで家を建てたのは石工でした。大工の主な仕事は家具や農具を作ることです。

ヨセフはダビデの家系に属していました。ダビデといえばイスラエルの王だった人物でした。人口100人程度の小さな村で大工をしていたヨセフですが、世が世なら王家の一員ということになります。

ちなみに、マタイ1章に書かれているイエスさまの系図はヨセフの家系を表し、ルカ3章に出てくる系図はイエスさまの母親であるマリアの家系を表していると考えられています。これを見ると、マリアもダビデの子孫だということが分かります。イエスさまは法的にも、そして肉体的にもダビデの子孫として誕生なさいました。

イエスさまがダビデの子孫だということが強調されているのには、特別な意味があります。昔、神さまはダビデ王にある約束をなさいました。

「あなたの日数が満ち、あなたが先祖のもとに行くとき、わたしはあなたの息子の中から、あなたの後に世継ぎの子を起こし、彼の王国を確立させる。彼はわたしのために一つの家を建て、わたしは彼の王座をとこしえまでも堅く立てる。わたしは彼の父となり、彼はわたしの子となる。わたしの恵みを、わたしはあなたより前にいた者から取り去ったが、彼からはそのように取り去ることはしない。わたしは、わたしの家とわたしの王国の中に、彼をとこしえまでも立たせる。彼の王座はとこしえまでも堅く立つ」(第1歴代誌17:10-14)。

ここで「世継ぎの子」とか「彼」とか呼ばれている人物は、ダビデの跡を継いだソロモンのことではありません。ソロモンは永遠に生き続けて永遠の王国を治めているわけではなく、死んでしまいました。この預言はダビデの子孫の中から、それまでもたびたび登場が預言されてきた救い主が誕生するという預言です。
ベツレヘムでの誕生
ダビデはベツレヘムの出身だったため、その子孫であるヨセフもナザレからベツレヘムに赴いて住民登録をしなければなりませんでした。ベツレヘムは首都エルサレムの南、約8キロのところにある町です。

このベツレヘムについては、救い主がそこで誕生するという預言があります。紀元前8世紀後半に活躍した預言者ミカが、次のような神さまのみことばを語っています。

「ベツレヘム・エフラテよ、あなたはユダの氏族の中で、あまりにも小さい。だが、あなたからわたしのためにイスラエルを治める者が出る。その出現は昔から、永遠の昔から定まっている」(ミカ5:2)。

エフラテはベツレヘムの別名です(創世35:19など)。実はガリラヤ地方にもベツレヘムという名の村があって(ヨシュア19:15)、そこと区別するために「ベツレヘム・エフラテ」と呼ばれています。

「あまりにも小さい」などと言われていますが、実際当時のベツレヘムの人口は約300人、多くても千人程度だったと考えられています。ナザレと同様、町というより村ですね。しかし、そこでイスラエルを治める者、すなわち救い主が誕生するというのです。

人間として生まれたイエスさまは、その後立派な生き方をしたから救い主になったのではなく、生まれる700年以上前から、それどころか永遠の昔から救い主に定められていました。

母マリア

(5) 身重になっていた、いいなずけの妻マリアとともに登録するためであった。

ヨセフはマリアを伴ってベツレヘムに向かいました。
マリアはヨセフの「いいなずけの妻」と呼ばれていますね。日本だと婚約者は配偶者とは別の立場ですが、古代イスラエルでは、法的にはすでに配偶者として扱われていました。婚約者と配偶者の違いは、実際に夫婦生活を送るかどうかだけです。

婚約者の女性は法的には妻ですが父親の家で生活しており、相手の男性と一緒に暮らしたり、性的な関係を持ったりすることは許されていません。

ところが、マリアは身重になっていました。すなわち妊娠していて、出産が迫っている時期だったということです。今の日本なら「ああ、授かり婚なのね」で流される話でしょうが、今申し上げたとおり、古代イスラエルでは婚約者は実際の夫婦生活を送ることが許されていません。小さなナザレ村の中で、ヨセフとマリアは冷たい視線に晒されていたことでしょう。

参考資料にも書いたとおり、ナザレからベツレヘムまでは直線距離で115キロほどです。しかし、ガリラヤ地方とユダヤ地方の間にあるサマリア地方に住んでいたサマリア人とユダヤ人とは仲が悪かったので、ユダヤ人がガリラヤとユダヤを行き来する際にはヨルダン川沿いに大きく迂回しました。そこで、ナザレからベツレヘムまで150キロほどになったことでしょう。

しかもかなりの高低差があります。ナザレの標高が358mで、そこからヨルダン川沿いまで下ります。ところがヨルダン川は海抜0mより200〜400mも低い土地を流れていますから、600m以上も下らなければなりません。それから標高777mにあるベツレヘムまで坂道を上ります。もちろん平坦な坂ではなく、途中アップダウンを繰り返すのです。さすがにマリアは徒歩ではなくロバに乗っていったでしょうが、それでも身重の体には大変な負担です。

そんな大変な思いをさせてまで、なぜヨセフはマリアを連れて行ったのでしょうか。ヨセフがミカの預言を意識していたかどうかは分かりません。少なくとも、マリア1人をナザレに残し、村人たちからの冷たい視線や中傷の言葉に晒すのを忍びなく思ったことは間違いないでしょう。そんなヨセフの優しさによって、救い主がベツレヘムで誕生するというミカの預言が実現します。
マリアが妊娠した理由
マリアがまだ正式に婚姻していないのに妊娠したのには、特別な理由がありました。マリアのおなかの中にいる子ども、後のイエスさまは、ヨセフの子どもではありません。では他の男性との間にできた子どもなのかと言えば、それも違います。マリアは聖霊なる神さまのお働きによって、通常の性的関係によらず、乙女のままイエスさまを妊娠したのです。マリアはそのことをあらかじめ天使ガブリエルから聞かされると、信じ受け入れました。

古代イスラエルの女性が結婚する年齢は13歳ほどでした。ですから、このときのマリアは中学生くらいの年齢でした。そんな若さで、人々から中傷されたり婚約者ヨセフに捨てられたりするかもしれないという恐れを克服して、神さまからの使命を引き受けようとしたマリアは、何と信仰深い女性でしょうか。

また、ヨセフも当初はマリアが浮気をして妊娠したと思って苦しみますが、天使のお告げによってマリアが救い主の母に選ばれたことを信じます。これまたとても信仰的ですね。神さまがこの2人をイエスさまの地上の両親に選ばれたのが分かる気がします。

イエスさまは単なる人間ではありません。神が人となられたお方、すなわち救い主なのです。しかも、通常の人間は親たちの罪の性質を受け継ぎ、罪人としてこの世に誕生します。しかし、イエスさまは聖霊なる神さまのお働きによって、マリアの罪の性質を受け継ぐことがありませんでした。ご自分は決して罪を犯すことがない、完全にきよい存在です。だからこそ、人類の罪を取り除くことがおできになります。


(6-7) ところが、彼らがそこにいる間に、マリアは月が満ちて、男子の初子を産んだ。そして、その子を布にくるんで飼葉桶に寝かせた。宿屋には彼らのいる場所がなかったからである。

普段は人が少ないベツレヘムですが、住民登録のために多くの人たちが集まってきたはずです。小さな村だけに大きなホテルなどありませんし、親戚の客間を借りようとしても余裕がありません。そこで、ヨセフとマリアは家畜小屋に泊まることになりました。

家畜小屋(あるいは馬小屋)と言っても小屋ではなく、町の外にある崖に開いた横穴、すなわち洞窟の中でした。このあたりの地方では、放牧している羊などを悪天候から守る際に、洞窟を利用していました。イエスさまはそういった洞窟の一つで誕生なさったのです。そういうわけで、産まれたばかりのイエスさまは飼い葉桶に寝かされました。
その際イエスさまは布にくるまれました。当時赤ちゃんが生まれると、水で洗って塩で皮膚をこすりました。そうすると皮膚が強くなると信じられていたからです。それから手を伸ばした状態にして布でまかれました。ただし、イエスさまがまかれた布はただのおくるみではありません。これは死んだ人の体をまくために使う布です。

人が亡くなると、町の外にある墓地まで遺体が運ばれます。その途中で家畜小屋の洞窟に立ち寄って、遺体に没薬を塗って布でぐるぐる巻きにしました。そんなわけで、家畜小屋の洞窟の一部には、遺体をまくための布がストックされていたのです。ヨセフとマリアは、その布を使ってイエスさまの体をくるみました。

この後、羊飼いたちに天使が現れて、救い主誕生を知らせますね(8-20節)。その際、救い主は布にくるまって飼い葉桶で寝ていることが知らされました。羊飼いたちは救い主を礼拝するために、イエスさまがいる場所を探すことになりますが、すぐに発見することができました。それは、彼らが職業柄、救い主をくるんでいる布が遺体をまくために保管してある布であり、それが置いてある家畜小屋の洞窟がどこにあるかをよく知っていたからです。

では、ここから私たちは何を学ぶことができるでしょうか。

2.逆転勝利の神を信じよう

私たちは救われる

イエスさまは救い主です。神が人となってこられた方です。王の中の王、主の中の主、全宇宙の支配者です。しかし、このお方はきらびやかな王宮で生まれたわけではありません。ベツレヘムという小さな村の、しかも村の中ではなく洞窟の中で生まれました。その後イエスさまを育てるのは立派な王族ではなく、貧しい大工の夫婦です。多くの召使いたちにかしずかれるわけではなく、誕生を祝いにやってきたのは当時は非常に見下げられていた羊飼いたちでした。
イエスが生まれた目的
しかも、産まれたばかりのイエスさまをくるんだのは、本来なら遺体をまくために使われる布でした。そのことを知ったとき、私は厳粛な気持ちにさせられました。イエスさまは誕生したときすでに、埋葬の準備をされたのだなぁと思ったからです。イエスさまが地上に誕生なさったのは、やがて全人類の身代わりとして十字架にかかり、死んで葬られるためです。

それによって、私たちの罪の罰はイエスさまが全部引き受けてくださり、もはや私たちに罰が下されることがなくなりました。「イエス・キリストが、この私の罪を赦すために十字架にかかり、死んで葬られ、3日目に復活なさった」と信じるだけで、私たちの罪は本当に赦され、そればかりか神さまの子どもにしていただき、永遠に続く祝福を受け取ることができるようになります。

イエスさまは私たちを救うために、すなわち死ぬためにこの地上に生まれてくださいました。
神の敵から神の子へ
人は生まれながらにして神さまに逆らう罪人です。罪とは「神など知らない。自分は自分の好きなことを好きなときに好きなようにやる」という、神さまの存在や尊厳を否定し逆らう自己中心的な生き方です。

しかし、それまでどんなに罪深い生き方をしてきたとしても、イエスさまの十字架と復活を信じたとき、神さまに逆らう神さまの敵ではなく、神さまが愛し祝福してくださる神さまの子どもに変えられます。イエスさまを信じた後も、私たちは罪を犯してしまうことがあります。それでも救いが取り消しになることは決してありません。

失敗をしてしまったり過去の問題行動を思い出したりして、自分はダメ人間だなあと罪責感や自己嫌悪に襲われたときには、自分は神さまに赦され愛されているのだということを思い出して、自分に何度もそのことを言い聞かせましょう。

私たちは変えられる

私たちはイエスさまによって罪を赦されて、永遠の刑罰を免れました。しかし、神さまがイエスさまを通して私たちに与えてくださる逆転の人生はそれだけではありません。私たちはただ罪を犯して赦され、また罪を犯して赦されということを繰り返すだけではなく、神さまに喜ばれる生き方に徐々に変えられていきます。神さまの子どもにふさわしい生き方に変えられていくのです。

しかも、私たちの努力によってだけそれが実現するのではありません。イエスさまによって罪を赦されたという喜びが原動力です。
カナダの刑務所での話です。クリスマスの寒い朝、刑務所の前の道を、貧しい身なりの12歳ほどの少女が行ったり来たりしていました。ちょうどそこに所長が通りかかり、「何か刑務所に用かい?」と声をかけました。すると少女は言いました。「私、この中にいるお父さんに、クリスマスプレゼントを届けに来たのです」。所長は、「私が責任を持ってお父さんに手渡すからね、安心してお帰り」と約束しました。

その少女の父親は、強盗の罪で服役中でしたが、規則を守らず、ケンカを繰り返し、何度も独房に入れられる、看守たちにとっては悩みの種でした。所長は、約束通り少女のプレゼントを父親の所に持っていきましたが、彼は所長をにらみつけるばかりで、プレゼントを開こうともしません。

「お嬢さんが吹雪の中を届けに来たクリスマスプレゼントだ。さあ、開けてみなさい」。所長が何度も優しく勧めるうち、ついに父親はプレゼントの箱を開きます。そして、「あっ!」と声を上げました。箱の中に入っていたのは、目も覚めるような美しい金髪の束が入っていたのです。そして、カードが添えてあり、そこにはこんなふうに書かれていました。

「愛するお父さんへ。メリークリスマス!

お父さんに何か良いプレゼントをと考えたのですが、お金がありません。だから、お父さんが大好きだった、私の髪の毛を、クリスマスのプレゼントとして贈ります。

お父さん、早くうちに帰ってきてちょうだい。お母さんが死んでお父さんもいなくなったから、私は今、伯父さんの家にいます。伯父さんも伯母さんもお父さんのことを良く言いません。でも、お父さんは、私にとって世界でたった一人のお父さん。私はお父さんが大好きです。

今はどんなにつらくても、寂しくても、お父さんの帰りを待っています。体を大切にね。毎朝毎晩、お父さんのことを神さまに祈っています」。


カードを読むうちに、父親の目から止めどなく涙があふれてきました。いつまでもいつまでも父親は泣き続けました。そして、その日以来、この父親はすっかり人が変わって、模範囚となったそうです。少女が大切な髪の毛を切って捧げた、その犠牲的な愛によって、父親のすさんだ心が溶かされ、生き方を変えたのです。
(2016年クリスマス礼拝のメッセージより)
私たちもイエスさまに命がけで愛されていることをいつも思い起こして、感謝をささげましょう。

私たちは最終的に勝利する

地上でのイエスさまは、貧しく、見下げられ、そして最後は同胞であるユダヤ人の指導者たちの策略によって殺されました。しかし、それでイエスさまの人生が終わったわけではありません。亡くなって3日目に、イエスさまは復活なさいました。そして天に昇り、今は父なる神さまの右に座しておられます。イエスさまはそこで私たちのために神さまに取りなしをしてくださっています。私たちが祝福されるようにと。

それからやがて神さまが定めたときに、イエスさまはもう一度この地上に戻ってこられます。これを再臨と呼びます。再臨の目的は、ミカ書の預言やダビデへの約束で語られているとおり、王として世界を統治するためです。再臨のイエスさまは、神さまの敵を打ち破り、地上に平和をもたらされます。そして、愛と正義によってこの地上に住む人たちに幸せを与えてくださいます。
イエスさまを信じた私たちは、イエスさまが地上に建設なさるこの理想的な王国、神の国とか天の御国とか千年王国とか呼ばれる王国に招かれています。今のこの世は矛盾に満ちています。人と人とが傷つけ合い、正直者が馬鹿を見、恐ろしい病気や災害が人を苦しめ、自然が破壊され、どんどん世界が悪い方向に傾いています。

しかし、最終的に私たちは勝利を手にします。そして、愛と平和に満ちた幸せな生活を送ることができるようになります。

今、私たちの教会のご夫妻が、古いご実家の建物を取り壊して家を建築しておられますね。完成が待ち遠しくていらっしゃることでしょう。私たちも、将来私たちに約束されている素晴らしい「家」、第2の地上の人生を想像しながら、ニヤニヤして過ごしたいですね。

まとめ

ベツレヘムの洞窟で誕生したイエスさまは、私たちに逆転勝利の人生を与えてくださいます。

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