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礼拝メッセージ:中通りコミュニティ・チャーチ

東方の博士による礼拝

イエス・キリストの生涯シリーズ3

マタイによる福音書2章1節〜12節

(2022年10月16日)

東方の博士は、イエス・キリストの誕生を祝いにやってきた外国の学者たちです。彼らは黄金・乳香・没薬をささげてイエスを礼拝しました。

礼拝メッセージ音声

参考資料

1節の「ヘロデ」は、一般にヘロデ大王と呼ばれています。ローマ帝国の後ろ盾によってイスラエル全体を統治していました。在位:紀元前37年〜4年。人種としてはイドマヤ(エドム)人です。

6節は、ミカ5:2の預言の引用です。

イントロダクション

前回は、イエスさまが誕生なさった後の場面を取り上げました。今回はさらに2年ほどたった後のできごとを取り上げます。ここからどんな神さまからの励ましとチャレンジをいただけるのでしょうか。さっそく見ていきましょう。

1.イエスへの礼拝

東方の博士たちの来訪

「イエスがヘロデ王の時代に、ユダヤのベツレヘムでお生まれになったとき」(1節前半)と書かれています。聖書には何人かのヘロデが登場しますが、このヘロデは一般にヘロデ大王と呼ばれています。紀元前37年から4年まで、ローマ帝国の後ろ盾によってイスラエル全土を王として統治していました。

前々回申し上げましたが、イエスさまが誕生なさったのは紀元前7年か6年です。後で詳しく述べますが、それから約2年の時が流れていました。すなわちイエスさまが満2歳頃の話です。

「見よ、東の方から博士たちがエルサレムにやって来て、こう言った。『ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。私たちはその方の星が昇るのを見たので、礼拝するために来ました』」(1節後半〜2節)。

東の方というのは、おそらくチグリス川とユーフラテス川の河口付近にあったバビロニアです。

(紀元前8世紀頃の中東の地図)

バビロニアでは天文学が盛んでした。古代の科学は占いやまじないと区別されておらず、この博士たちは天体を観測しながら占いも行なう人たちです。

そんな外国の学者たちがどうしてイスラエルで誕生した救い主のことを知っていたのでしょうか。これは推測の域を出ませんが、預言者ダニエルの影響だろうと思われます。
預言者ダニエル
紀元前586年、イスラエルの南王国がバビロニア帝国のネブカドネツァル王によって滅ぼされ、その前後に多くのユダヤ人がバビロニアに連れ去られました。これを「バビロン捕囚」と呼びます。預言者ダニエルも連れ去られた人々の中に含まれていて、バビロニアの官僚として働くようになりました。

あるとき、ネブカドネツァル王が不思議な夢を見ます。不安になった王は国中の学者たちを呼び出して、夢の内容は教えないで、その上で夢の意味を説き明かすよう命じます。ところが誰も夢の意味どころか内容も言い当てることができません。そこで怒った王は、学者たちを皆殺しにせよと命じました。それを聞いたダニエルは、王の暴挙を停めるために自分が解き明かすといいます。そして、見事夢の内容を言い当て、さらに意味を解き明かしました。

この功績により、ダニエルは学者たちを統括する部署の長官に任命されました。ダニエルのおかげで命を救われた学者たちは、ダニエルに深く感謝したことでしょう。そして、ダニエルに夢の解き明かしをさせたイスラエルの神に大いに関心を持ったはずです。そして、ダニエルが語った預言の言葉も、学者たちの家系に代々語り告げられてきたのでしょう。
救い主誕生を知らせる星
さて、ダニエルはダニエル書の中で救い主誕生の時期について預言しています。「それゆえ、知れ。悟れ。エルサレムを復興し、再建せよとの命令が出てから、油注がれた者、君主が来るまでが七週。そして苦しみの期間である六十二週の間に、広場と堀が造り直される」(ダニエル9:25)。

週と訳されているヘブル語は7つの期間の集まりを指していて、7日の場合もあれば7年の場合もあります。ここでは1週=7年で計算すると、救い主が登場するのが紀元26年となります。救い主が何歳で公に活動を開始するのかは分かりませんが、仮に30歳だとすると紀元前7年か6年というのはそろそろ誕生してもいい頃です。バビロニアの天文学者たちはそのように考えていました。

すると、突然不思議な星が天に現れました。しばらく観察していると、普通の星とは明らかに異なります。話し合いの結果、これこそ救い主誕生のしるしだと学者たちは判断しました。自分たちの先祖は預言者ダニエルと、彼に知恵を与えたイスラエルの神さまによって命を救われました。その神さまが王である救い主を地上に誕生させたのであれば、これはお祝いに行かなければならないと彼らは考えました。

そして、様々な準備を整えて、キャラバン隊を組んでイスラエルまでやってきたのです。よく東方の三博士と呼ばれていますが、人数は聖書には書かれていません。贈り物が3種類だったので3人といわれるようになったようです。むしろ宝物を持って1600キロを越える長旅をしてくるのですから、結構な大人数でやってきたと思われます。
首都エルサレムへ
イエスさまが誕生なさったのはエルサレムの南8キロのところにあるベツレヘムです。その後もヨセフとマリアはナザレに戻らず、ベツレヘムに住み続けていました。もちろん、ずっと馬小屋として使われていた洞窟暮らしではなく、町の中に家を借りて住んでいます。

ところが、東方の博士たちはベツレヘムではなく首都エルサレムの王宮に向かいました。彼らはいつ救い主が生まれるかというダニエルの預言は知っていましたが、どこで生まれるかというミカの預言については知らなかったようです。ですから、ユダヤ人の王として誕生したならば、当然首都エルサレムの王宮にいると考えたのでしょう。
ベツレヘムへ
そのときイスラエルを支配していたヘロデ大王は、救い主のことをよく知りませんでした。ヘロデは学者たちに、もし救い主を見つけたら自分にも知らせて欲しいと願いました。おそらく、救い主はベツレヘムで生まれるというミカ書の預言についても、ヘロデから教えてもらったはずです。

学者たちがさっそくベツレヘムに移動しようとすると、救い主誕生を知らせたあの星が動いて彼らを導きました。旧約聖書では、星は天使の象徴としてよく用いられました。ですから、この星も天使だったのかもしれません。あるいは神さまの栄光の光、いわゆるシャカイナ・グローリーだったのでしょう。とにかくあちこち自由に移動したり、家の上に留まったりするのですから普通の星ではありません。
礼拝
学者たちはイエスさまがいる家を探し当てました。ヨセフとマリアは、イエスさまの誕生後もベツレヘムに家を借りて住み続けていました。かつて彼らが生活していたナザレは小さな村ですから、結婚前にマリアが妊娠していたことであれこれ噂話の種になっていて、今は戻らない方がいいと判断したのでしょうね。

学者たちは代わる代わる家に入ってきて、イエスさまを礼拝しました。誕生直後に羊飼いたちがやってきたのがユダヤ人による最初の救い主礼拝だとすれば、こちらは異邦人による最初の礼拝ですね。

それから彼らは贈り物として3つの宝物を差し出しました。黄金、乳香、没薬です。伝統的にはこれらの贈り物は次のことを意味していると考えられてきました。
  • 黄金は、救い主が世界を統治する王であること
  • 乳香は、救い主が神さまと人とを和解させ結びつける大祭司であること(乳香は神にささげる香に用いられました)
  • 没薬は、救い主が人類の身代わりに死ぬこと(没薬は遺体の防腐剤として用いられました)
を表すと言われきました。学者たちはそこまで意識してしていた分けではないでしょうが、まさに救い主イエスさまにふさわしい贈り物でした。
帰還
礼拝後、学者たちはそのまま自分たちの国に帰っていきました。 本当なら、救い主の居場所をヘロデ大王に教えなければならないのですが、夢でお告げを受けたためエルサレムに戻ることはありませんでした。

ヘロデ大王の反応

困惑
博士たちから「ユダヤ人の王」の誕生について知らされたヘロデ大王は困惑しました。ローマ帝国の後ろ盾で長いことイスラエルを支配してきたヘロデ大王ですが、すでに70歳頃になっていました。体調も優れず、周りの人たちはそろそろヘロデが亡くなるだろうと予想していたことでしょうし、ヘロデ自身も自分が間もなく権力を息子の1人に譲らねばならないことを自覚していたでしょう。

その息子たちもすでに成人しています。ところが学者たちの話を聞くと、新しく王となるべき子どもはつい最近生まれたようです。自分の血を引かない人物が王となるということは、ヘロデ王家に代わってこの国を支配するということに違いありません。

ヘロデは非常に疑り深く、また残忍な人物でした。自分以前にイスラエルを治めていたハスモン毛の子孫たちや、自分に批判的なユダヤの指導者たちを大量に殺しています。それどころか、自分を裏切るかもしれないと疑念を抱くと、妻であろうが子どもであろうが殺してしまいます。

時の皇帝アウグストゥスがヘロデの残忍さを知って、「自分はヘロデのヒュイオス(息子)であるよりもヒュス(豚)でありたい」とつぶやいたそうです。イスラエルでは豚は食べないので殺される心配が無いけれど、息子ならいつ殺されるか分からないという皮肉ですね。

我が子にさえ手をかけるヘロデですから、当然のことながら新しい王など認めるはずがありません。ヘロデはその子を殺してしまおうと密かに決意して、その子が何ものなのか情報収集を始めました。
情報収集
まず祭司長たち、律法学者たちを呼び出して、救い主がどこで生まれるかを尋ねました。聖書の専門家である彼らは、ミカの預言を引用してそれがベツレヘムだとすぐに答えました。

ユダヤの指導者たちは、救い主に関する知識はありました。しかし、彼らは外国から来た学者たちと違って、救い主を実際に探すために何も行動をしていません。考えてみればおかしな話です。

次にヘロデは東方の学者たちを呼び出して、いつ頃救い主の星が現れたのか尋ねました。これは、救い主が今何歳頃になっているかを知るためです。

さらにヘロデは、救い主を見つけたら自分も礼拝しに行きたいから知らせて欲しいと学者たちに依頼します。礼拝するというのはもちろん嘘で、救い主を今のうちに殺してしまうためです。
幼児虐殺
ところが、東方から来た学者たちは王宮に戻ってきませんでした。神さまのお告げによって、そのまま帰国してしまったのです。そこでヘロデは暴挙に出ます。救い主1人を殺すために、ベツレヘムとその周辺の町々にいる2歳以下の男の子を皆殺しにしてしまったのです。

レオン・コニエ「無辜の児の虐殺」(1824年)
引用:VISION christian media

イエス一家の避難

ところが、間一髪イエスさまの命は守られました。ヘロデによる幼児虐殺が起こる前に、天使がヨセフの夢に現れて、エジプトに逃れるよう指示したのです。エジプトでの生活費は、学者たちがくれた黄金・乳香・没薬を売れば十分まかなえました。

その後、ヘロデは体調が思わしくなくなり、紀元前5年に転地療法のためエリコに移動しました。そして翌年そのまま亡くなりました。イエスさま一家がエジプトに逃れて1,2年がたっていました。またもやヨセフは夢の中で天使の声を聞き、イスラエルに戻りました。

ところが、ヘロデ大王の跡を継いだアルケラオという人物が、父親そっくりの残忍な性格をしていたたため、神さまはベツレヘムではなくガリラヤ地方に行くよう指示なさいました。そこでイエスさま一家はナザレに戻ることになりました。

その後、イエスさまは公に活動を開始するまで、大工の息子としてナザレで生活することになります。

それではここから、私たちは何を学ぶことができるでしょうか。

2.神の守りと導きに信頼しよう

イエスに対する守りと導き

「イエス・キリストの生涯」のシリーズで語ってきましたが、過去2回を振り返ってみると、イエスさまの言動についてまったく触れていなかったことに気づきました。といっても、それはしかたのないことです。何しろイエスさまはまだ赤ちゃん。今回も2歳の幼児です。イエスさま自身の言動についてはまったく聖書に書かれていません。

羊飼いたちが礼拝したとき、イエスさまは「バブー」と答えましたとかいうのは想像に過ぎません。眠っていたかもしれませんものね。まして東方の学者たちから高価な宝物を贈られ、礼拝を受けたイエスさまは、「遠路はるばるご苦労であった」と優しく声をかけたとかいうことはないでしょう。

2歳といえば言葉はいろいろとしゃべるようにはなっても、まだまだ複雑な会話はできません。いわゆるイヤイヤ期真っ最中で「やーだー」とか言って、親の手を煩わせる時期ですね。知らないおじさんたちがたくさんやってきて泣いてしまったかもしれません。まあ、イエスさまは他の子と比べて聞き分けが良かったかもしれませんが、ぱっと見は普通の幼児とまったく違いがありません。オムツだって取れてないはずです。

エジプトに逃れたのも、イエスさまが「お父さん、エジプトに逃れましょう」と語ったため……ではありません。
神と人とに依存した幼少期
イエスさまは、周りの大人に守られなければ生きていけない、か弱い赤子として生まれ、また普通の子どもたちと同じように育ちました。

その結果、イエスさまは神さまと人とに完全に依存して育ちました。ヨセフとマリアにちゃんと育ててもらわなければ死んでしまいます。救い主として羊飼いや学者たちから礼拝を受けたのも、イエスさまが呼び集めたのではありません。神さまが天使を遣わしたり、ダニエルの預言や星によって教えたりなさったためです。エジプトへの避難も、イエスさまの意思でそうなったのではなく神さまの導きです。エジプトでの生活も、学者たちの贈り物によって成り立ちました。

救い主だからといって、生まれたときから何でもできるスーパーマンだったわけではありません。全知全能の神さまがそのような弱い姿になられたというのが、クリスマスのできごとです。

私たちも導かれている

人として地上にいらっしゃった救い主イエスさまは、私たち人間のモデルです。神さまがイエスさまの人生を導き、救い主としての目的を達成できるよう守り続けられたように、私たちもまた神さまの導きと守りを受けています。それを信じ、信頼しましょう。

この話をお読みください。
オックスフォード大学の学生だったマイケル・ボルドーという人の話を読みました。

1964年2月のことです。ボルドーはロシア語の教授から1通の手紙を見せられました。それは当時ソビエト連邦の一部だったウクライナに住む、ヴァラヴァとブローニャという2人の女性が書いた手紙でした。そこにはソ連のクリスチャンたちがひどい迫害を受けているばかりか、非人道的な扱いを受けているという話が載っていました。

ボルドーはいても立ってもいられなくなり、6カ月後にモスクワに飛びました。そこに住む知り合いは、手紙に書かれているような迫害は本当のことだと言います。そして、最近聖ペテロ・聖パウロ教会の建物がひどく破壊されたから、行って見てくるといいと提案してきました。

ボルドーが教会のあった場所に行くと、がれきの山を隠すために敷地の周りを高いフェンスで覆われていました。すると、2人の女性がフェンスをよじ登って中を覗こうとしていました。やがて2人はあきらめて広場の方に向かったため、ボルドーは追いかけていって2人に声をかけました。そして、自分がイギリスに住むクリスチャンで、ソ連の迫害の現状を調べに来たということを告げます。

すると2人の女性は彼をある家に案内しました。そこのは3人目の女性がいました。そして、さらに詳しい話を求められたボルドーは、ソ連の女性が書いた手紙を読んでここまでやってきたということを語りました。手紙の差出人は誰かと尋ねられたので、ヴァラヴァとブローニャだと答えると、3人は黙り込んでしまいました。

やがて3人目の女性が口を開きました。「紹介するわ。ここにいるのがヴァラヴァとブローニャよ」。

2人の女性が手紙を書いたウクライナからモスクワまでは1300キロも離れています。ボルドーが住むイギリスからモスクワまでは2800キロ以上です。それなのにこうしてタイミング良く出会うことができたのは、神さまがそうさせてくださったのに違いありません。

この体験に深く感動したボルドーは、その後共産圏の国々の迫害の様子を調査し、そこに住むクリスチャンたちを支援する働きを始めました。

神さまは人を救い、祝福するために、不思議な導きを与えてくださいます。あなたを守り導くためにもそうです。
(当サイト「ショートエッセイ」より)

宣言し、感謝しよう

現実の生活の中では、自分が神さまの導きと守りの下にあることを実感できないことも多いでしょう。

しかし、あるときイエスさまはしもべの癒しを信じる百人隊長に、「あなたの信じたとおりになるように」(マタイ8:13)とおっしゃいました。ですから、たとえ実感できなくても、信仰の表現として「自分は導きと守りの下にあるのだ」と宣言しましょう。そして、信仰の表現として感謝をささげましょう。

まとめ

イエスさまを導き守ってくださった神さまは、あなたのことも導き守ってくださっています。

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