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礼拝メッセージ:中通りコミュニティ・チャーチ

荒野の誘惑

イエス・キリストの生涯シリーズ6

マタイによる福音書4章1節〜11節

(2022年11月6日)

荒野の誘惑は、イエスキリストが公の活動を始める前にサタン(悪魔)から受けた3つの誘いです。では、私たちにとってこれらの誘惑はどんな意味を持っているでしょうか。

礼拝メッセージ音声

参考資料

9節の「神殿の屋根の端」から地面まで十数メートルあります。特に神殿の西側はケデロンの谷に面しているので、谷底まで百数十メートルの高さになります。普通の人なら落ちたら命がありません。

イントロダクション

バプテスマのヨハネから洗礼を受けたイエスさまは、荒野に退いて40日間の断食をなさいました。それが終わると、神さまの敵であるサタン(悪魔)が現れてイエスさまを誘惑します。
サタンは、元々天使のリーダーのひとりでした。しかし、あるとき傲慢になって神さまに取って代わろうとし、反逆してしまいます。そのとき、全天使の1/3がサタンに従い、悪霊と呼ばれる存在になったと考えられています。

しかし、サタンと悪霊たちの反乱は成功しませんでした。彼らがどんな知恵や力を持っていたとしても、全知全能の神さまにかなうはずがありません。

そこで、神さまのご計画を邪魔することで、間接的に神さまの栄光を汚そうとし始めました。その最大の方法は、神さまが愛してやまない人間たちを誘惑して罪を犯させたり、神さまの存在や善意を疑わせたりすることです。私たち人間が誘惑に引っかかってしまうと、私たちと神さまとの関係を悪くなり、祝福された人生を送ることができなくなってしまいます。

イエスさまも私たちと同じように誘惑を経験なさいました。イエスさまがどのように誘惑に打ち勝たれたのかを見ることによって、私たちが誘惑に勝利するために必要な心構えを教えていただきましょう。私たちが誘惑に打ち勝つことができれば、その分神さまとの関係が強められ、神さまからの祝福をより味わうことができるようになります。

1.石をパンに変えよ

神抜きで問題を解決せよという誘惑

最初の誘惑は、石にパンになるよう命じろという誘惑です。「あなたが神の子なら、これらの石がパンになるように命じなさい」(3節)。

このとき、イエスさまは40日に渡る断食を終えたばかりで、大変おなかをすかせていらっしゃいました。場所は荒野で、人里離れた場所でしたから、食料を手に入れようとすれば結構な距離を移動しなければなりません。もし石をパンに変えられれば非常に便利ですね。

では、このサタンの提案の何が問題なのでしょうか。それは、サタンが語っているのは、「神さま抜きで、自分の力だけで問題を解決しなさい」ということだからです。

サタンは「神の子なら」と語っていますね。この言葉は「神の子なのだから」とも訳せます。嵐を一瞬で鎮め、死人さえもよみがえらせることができたイエスさまには、石ころをパンに変えるのはたやすいことだったはずです。しかし、イエスさまの奇跡は、父なる神さまのご計画に従い聖霊なる神さまの力に依り頼んでのことです。

イエスさまは、決して父なる神さまや聖霊なる神さまから独立して、自分だけの判断や能力で行動することをなさいませんでした。しかし、サタンはそれをせよと誘惑しているのです。あなたにはそれだけの知恵や力があるはずでしょう、と。

人はパンだけで生きるのではない

サタンの誘惑に対して、イエスさまは反論なさいました。「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばで生きる』と書いてある」(4節)。

これは、申命記8:3の引用です。前後も合わせて引用します。「あなたの神、【主】がこの四十年の間、荒野であなたを歩ませられたすべての道を覚えていなければならない。それは、あなたを苦しめて、あなたを試し、あなたがその命令を守るかどうか、あなたの心のうちにあるものを知るためであった。それで主はあなたを苦しめ、飢えさせて、あなたも知らず、あなたの父祖たちも知らなかったマナを食べさせてくださった。それは、人はパンだけで生きるのではなく、人は【主】の御口から出るすべてのことばで生きるということを、あなたに分からせるためであった。この四十年の間、あなたの衣服はすり切れず、あなたの足は腫れなかった」(申命記8:2-4)。

この申命記の言葉は、出エジプト後の40年間の荒野生活を終えたイスラエルの民が、いよいよ約束の地に向かう際にモーセが語った言葉です。

本来、モーセの律法が与えられたシナイ山から約束の地まで、11日あれば到着できる距離です(申命記1:2)。ところが、イスラエルの民が繰り返し神さまに対して不信仰な態度を取り続けます。そのため、神さまはその世代のイスラエル人が死に絶えて新しい世代に入れ替わるまで、約束の地に入らせずに荒野で生活させました。

その間、神さまはイスラエルの民を放置なさったわけではありません。神さまは毎朝マナという不思議な食べ物を天から降らせてくださいました。農業が不可能な荒野において、マナが無ければ数百万のイスラエルの民は生き続けることが不可能でした。新しい世代のイスラエル人たちは、体験的に神さまに信頼することの大切さを学んだのです。モーセは、そのことを改めて新しい世代の人々に意識させたのでした。それが「人はパンだけで生きるのではない」というあの言葉です。

そして、イエスさまもサタンから神さま抜きで問題を解決せよと誘惑されたとき、自分は神さまに信頼し、神さまの知恵や力によって人生を切り拓くのだと宣言なさいました。

では、この誘惑とイエスさまの反論から、私たちは何を学ぶことができるでしょうか。

祈りを通して神さまを意識しよう

私は生まれてからこの方、石をパンに変えるようにという誘惑を受けたことがありません。しかし、神さま抜きでやってみろという誘惑なら日常的に経験しています。それどころか、誘惑されているということにさえ気づかずに、いつの間にか自分の知恵や力だけで問題に対処しようとしてしまうことが多々あります。皆さんはいかがでしょうか?

私たちは、大問題が起こったときだけでなく、普段の日常生活のあらゆる領域において、神さまの知恵と力を求め続ける必要があります。

そのために私たちはいつも神さまに祈りましょう。私たちが祈るとき、私たちは神さまを意識し、自分だけでなく神さまの助けが必要だということを意識しています。ですから、私たちは聖書が勧めているように、「絶えず祈り」続けましょう(第1テサロニケ5:17)。 そして、何事においても神さまの助けを期待しましょう。

2.高いところから飛び降りよ

神を試みよという誘惑

2つ目の誘惑は、神殿の屋根の端から下に飛び降りろというものです。そんなことをすれば、普通の人間なら死んでしまいます。しかし、サタンは言います。「あなたが神の子なら、下に身を投げなさい。『神はあなたのために御使いたちに命じられる。彼らはその両手にあなたをのせ、あなたの足が石に打ち当たらないようにする』と書いてあるから」(6節)。

後半は詩篇91:11-12からの引用です。第1の誘惑をイエスさまが聖書の言葉を使って退けたので、サタンは今回聖書の言葉によって誘惑しようとしています。

これの何が誘惑なのでしょうか。イエスさまの反論をヒントに考えてみましょう。イエスさまはサタンに向かっておっしゃいました。「『あなたの神である主を試みてはならない』とも書いてある」(7節)。

すなわち2つ目の誘惑は、「神を試みよ」「神を試せ」という意味だということが分かりますね。

イエスさまが引用なさったのは申命記6:16です。全文は、「あなたがたがマサで行ったように、あなたがたの神である【主】を試みてはならない」となっています。これは、出エジプト後にイスラエルの民が行なったことをモーセが振り返って、新しい世代の民を戒めている箇所です。

「マサで行なったこと」については、出エジプト記の17章に書かれています。エジプトを脱出したイスラエルは、律法を受け取るためにシナイ山を目指して南下し、レフィディムというところにやってきました。ところが、そこには水場がなかったため群衆は水がないと騒ぎ、モーセを責め立て始めます。「いったい、なぜ私たちをエジプトから連れ上ったのか。私や子どもたちや家畜を、渇きで死なせるためか」(出エジプト17:3)。

しかし、モーセが神さまに祈ると、神さまは杖で岩を打つようお命じになりました。モーセがその通りにすると、岩から水がほとばしり出て、イスラエルの民や家畜が喉を潤すことができるようになりました。

そして、その場所はメリバ(争う)、あるいはマサ(試みる)と呼ばれるようになります。その理由を聖書はこう記しています。「それは、イスラエルの子らが争ったからであり、また彼らが『【主】は私たちの中におられるのか、おられないのか』と言って、【主】を試みたからである」(出エジプト17:7)。

神を試みるとは

神さまを試みるとは、神さまがいらっしゃるのかどうか、本当に聖書の約束通り自分を守ってくれるのかどうか疑うこと、不信仰な態度を示すことです。

別の言い方をすると、「神がいるならこんなふうに行動するはずだ」と勝手に決めつけることです。そして、わざと困難な状況を作り出して、「さあ神が全知全能で、私を愛しているというなら助けてみろ」と要求することです。そんなことをしてはいけないと聖書は教えます。

この点を、ある人が面白いたとえで説明しています。自動車を運転している方は、任意保険に加入していらっしゃると思います。保険の契約によれば、事故を起こして他人に怪我を負わせても保険金が下ります。だからといって、本当にお金が下りるかどうか試してやろうと言って、わざと人を車ではねるのは馬鹿げているよね、と。

神さまを試みるというのもそれと同じです。たとえば、
  • 神さまは、私たちを様々な危険から守ってくださいます。だからといって、必要も無いのにわざと危険を冒すのは間違っています。
  • 神さまは、どんな罪も赦してくださいます。だからといって、どうせ赦されるんだからと、わざと罪を犯すような真似をしてはなりません。
  • 神さまは、私たちの生活が成り立つように養ってくださいます。だからといって、贅沢三昧をして生活費を無計画に食い潰していいわけではありません。
イエスさまは天の父なる神さまや聖霊さまが、救い主としての使命を全うできるようご自分を守り導いてくださることを確信していました。しかし、今回わざわざ高いところから飛び降りて、神さまの存在や愛を確かめる必要はありません。ですから、飛び降りるのを拒否なさいました。

神に信頼しよう

多くのドライバーは、事故を起こしても保険金が下りることを信じています。だからといってわざと事故を起こすような真似はせず、安全運転に努めます。

それと同じように、私たちは神さまがおられ、私たちを愛し、たとえ罪を犯しても赦し、本当の幸せを体験できるよう守り導いてくださることを信じ、信じ続けましょう。たとえ「本当に神さまは私を愛しているのかな。本当に守ってくださるのかな」と不安を覚えるようなことが起こっても、「それでも私は信じる」と宣言しましょう。また、教会の仲間たちと互いに励まし合いましょう。

3.サタンを礼拝せよ

良いものを間違った手段で手に入れよという誘惑

3つ目の誘惑は、サタンを礼拝せよというものです。それの見返りとして、「この世のすべての王国とその栄華」(8節)をやるとサタンは言いました。

イエスさまは救い主です。そして、旧約聖書の預言によれば、救い主は王となって全世界を統治なさいます。その世界王国は、福音書では神の国とか天の御国とか呼ばれています。しかし、救い主にはもう一つ使命があります。それは全人類の身代わりとなって、人類の罪の罰、すなわち神さまからの呪いを引き受けなければならないということです。

事実、イエスさまは十字架にかかって死ぬことによって、全人類の罪の罰を引き受けて、十字架と復活を信じた人の罪が赦されるようにしてくださいました。

しかし、サタンは「もし自分を礼拝するなら、そんな苦しい目にあわなくても世界の王にしてやろう」と言います。

サタンにはそれだけ力があります。黙示録を読むと、世の終わりの時代に反キリストとか不法の人とか呼ばれる人物(黙示録では獣と呼ばれています)が、サタンが与える権威によって世界の王となってユダヤ人やキリストを信じた異邦人を迫害します。

目的は手段を正当化しない

しかし、どんなに目的が正しくても、手段が間違ってたら意味がありません。確かに、救い主が世界の王になるという目的は正しいものです。しかし、それを手に入れるためにサタン礼拝という間違った手段を用いることはできません。ですから、イエスさまはサタンの提案を拒否なさいました。

「下がれ、サタン。『あなたの神である主を礼拝しなさい。主にのみ仕えなさい』と書いてある」(10節)。これは申命記6:13からの引用です。3回とも、イエスさまは申命記の言葉を用いてサタンを退けました。

神が喜ばれる行ないを目指そう

幸せになりたいと願うことは正しいことです。しかし、それを達成するために神さまが悲しまれる行ないをすることはできません。むしろ私たちは、神さまが喜ばれる生き方を目指しましょう。

ラジオを聞いていたら、神社を紹介するコーナーをやっていました。週に1箇所神社を取り上げて、そこがどんな願い事に効くのかを解説するのです。思うに、日本人の神に対するイメージは、自分の願い事を叶えるための手段の一つにすぎないのかもしれません。

一方聖書は、確かに神さまは私たちを子どもとして愛してくださっているけれども、奴隷ではなくむしろ主人であると教えます。私たちの方こそ、神さまのみことばを聞いて守らなければなりません。

確かに親は子どもの幸せを願い、願いに耳を傾けてくれます。しかし、子どもが親に話しかけるのは欲しいものがあるときだけという親子関係はいびつですね。私たちは自分が何を願っているか神さまに祈るだけでなく、神さまが自分にどんな生き方をするよう望んでおられるか聞く祈りをし、学んだことを実践することに心を向ける必要があります。神さまに喜ばれる生き方を目指しましょう。

まとめ

イエスさまが体験なさった誘惑は、私たちにも関係しています。私たちは、
  1. 祈りを通して神さまを意識し、何事においても神さまの助けを期待しましょう。
  2. いつも神さまを信頼しましょう。
  3. 神さまが喜ばれる行ないをしましょう。

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