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礼拝メッセージ:中通りコミュニティ・チャーチ

祭司の1人として

新年2023

民数記6章22節〜27節

(2023年1月1日)

祭司は神と人とをつなぐ役割を持っています。そして、クリスチャンはみんな祭司であると聖書は教えています。「万人祭司」の教えです。

礼拝メッセージ音声

参考資料

新改訳聖書では、原文のヘブル語で神さまのお名前(御名)が書かれている箇所は、22節のように【主】(印刷された聖書では太字の)と標記して、通常の主と区別しています。バビロン捕囚後のユダヤ人は、モーセの律法の「主の御名をみだりに唱えてはならない」という命令を文字通りに守って、聖書朗読の際に神さまのお名前を「主」(アドナイ)と読み替えました。そこで、いつの間にか正確な発音が失われてしまいまったのです。研究の結果、今では御名は「ヤハウェ」だろうと考えられています。

23節の「アロン」はモーセの兄で、初代の大祭司。モーセの律法では、祭司はアロンの子孫の中から任命されることになっていました。ですから「アロンとその子ら」とは、祭司たちのことを指しています。

イントロダクション

16世紀の宗教改革によって、「万人祭司」という教えが再確認されました。中世のカトリック教会では、ローマ教皇を頂点とする聖職者と、それ以外の一般信徒を厳格に区別していて、一般信徒は聖職者を通してのみ神さまとつながることができると教えていました。

しかし、聖書には「あなたがた自身も生ける石として霊の家に築き上げられ、神に喜ばれる霊のいけにえをイエス・キリストを通して献げる、聖なる祭司となります」(第1ペテロ2:5)と書かれており、すべてのクリスチャンが祭司であると教えています。

牧師や神父や宣教師だけが祭司なのではなく、あなたがクリスチャンなら、あなたも祭司です。今年1年、自分が祭司であるという意識を持って毎日を過ごしましょう。

では、私たちが祭司であるとは一体どういうことでしょうか。まずは、旧約聖書に記されている祭司の働きから確認していきます。

1.旧約時代の祭司

神と人との仲介者

祭司の役割は、神さまと人間を結びつける仲介者です。

人間には罪の性質があります。罪とは、神さまの存在や尊厳を認めず、神さまの命令や願いを無視して、自分勝手な生き方を送ろうとする態度です。きよい神さまは罪ある人間をそのまま受け入れることができません。神さまと人間の間には、本来なら大きな溝があるのです。祭司は、その溝を埋めて両者をつなぐ役割を果たします。

ユダヤ人に与えられたモーセの律法には、祭司の仕事について細かく定められていました。その働きは次の2つに分けることができます。
  1. 神さまと人間の交わりを回復する
  2. 神さまの祝福を人間に届ける
それぞれについて詳しく見ていきましょう。

神と人の交わりを回復する

先程も申し上げたとおり、人間には罪があるため、そのままでは神さまと親しく交わることができません。ですから、本来なら私たちの祈りが聞かれることはありません。それどころか、きよい神さまから罪の罰を受けることになるはずです。

しかし、人間を愛し、人間と親しく交わりたいと思われた神さまは、人間に犠牲のシステムをお与えくださいました。動物が人間の代わりに死んで血を流すことによって、その人が罪の罰を受けたと見なしてくださるのです。

いけにえをささげることによって罰が完了したならば、その人は二重に罰を受けることはありません。その人は神さまに祈り、神さまを賛美し、神さまを礼拝することができるようになり、神さまからの祝福をいただくこともできるようになります。

モーセの律法では、祭司はアロンの子孫が担当することになっていました。ユダヤ人が幕屋や神殿で礼拝をささげるとき、まずいけにえの動物を祭司に渡します。祭司はその動物の頸動脈を切って殺し、血を抜いて器に溜めます。その血は祭司によって祭壇の回りに振りかけられました。いけにえの体は切り分けられて、いけにえの種類によってすべて祭壇で焼かれたり、脂肪だけ焼かれて肉を祭司が食べたりしました。

そして、個人だけでなく、国全体のためにもいけにえがささげられました。毎年行なわれていた祭りがそのときです。
血が流されなければ赦しはない
毎日、そして祭りのたびごとに大量のいけにえがささげられましたから、祭壇の回りは文字通り血の海です。何とも血なまぐさい話ですね。しかし、きよい神さまの罪に対する厳しさは、私たち日本人が想像するよりはるかに大きいということです。

「律法によれば、ほとんどすべてのものは血によってきよめられます。血を流すことがなければ、罪の赦しはありません」(ヘブル9:22)。

というわけで、祭司の働きの1つ目は、いけにえをささげることによって罪の赦しをもたらして、人が神さまに近づくことができるようにすることです。

神からの祝福を人に届ける

祭司の大切な働きの1つは、神さまの代理としてイスラエルの民を祝福することでした。モーセの律法には、祭司について次のように書かれています。「あなたの神、【主】が、ご自分に仕えさせ、また【主】の御名によって祝福を宣言するために選ばれた者は彼らであり」(申命記21:5)。
神のことばを教えることによって
その祝福の働きの一つが、裁判でした。古代イスラエルの裁判は、神さまの言葉であるモーセの律法の教えに従って行なわれました。

「あなたは、【主】が選ばれるその場所で彼らが告げる判決にしたがって行い、すべて彼らがあなたに教えることを守り行いなさい。彼らがあなたに教えるおしえにしたがって、彼らがあなたに述べるさばきにしたがって行動しなければならない。彼らが告げる判決から右にも左にも外れてはならない」(申命記17:10-11)。

律法は人を縛り付けて不幸にするために与えられたのではなく、イスラエルの人々が幸せになるために与えられました。「幻がなければ、民は好き勝手にふるまう。しかし、みおしえを守る者は幸いである」(箴言29:18)。ですから、律法に基づく裁判はイスラエルの民にとって祝福でした。

イスラエルの人々が神さまの教えに従って生活するため、祭司は普段から人々に神さまの教えを語り聞かせました。
祝福を求める祈りによって
そして、祭司たちは神さまが人を祝福してくださるようにという祈りをささげました。いわゆる「とりなしの祈り」です。それが今回一緒に交読した箇所に書かれています。

「【主】があなたを祝福し、あなたを守られますように。【主】が御顔をあなたに照らし、あなたを恵まれますように。【主】が御顔をあなたに向け、あなたに平安を与えられますように」(民数記6:24-26)。

この祈りがささげられるとき、イスラエルを祝福すると神さまは約束なさいました。

これが旧約時代、特にモーセの律法が与えられた後の祭司の働きです。モーセの律法では、イスラエル十二部族の中のレビ族、しかもアロンの子孫しか祭司になることができませんでした。しかし今や、クリスチャンならすべて祭司であると聖書は教えています。では、今の時代の祭司の働き、私たちクリスチャンの祭司の働きはどのようなものでしょうか。

2.私たちの祭司の働き

無効になったモーセの律法

まず確認しておきたいことは、モーセの律法はイエスさまが十字架にかかられたときにすべて無効になったということです。

「キリストは私たち二つのものを一つにし、ご自分の肉において、隔ての壁である敵意を打ち壊し、様々な規定から成る戒めの律法を廃棄されました」(エペソ2:14-15)。

律法が無効になったしるしとして、 イエスさまが亡くなったとき、神殿の聖所と至聖所を隔てる幕が上から下まで真っ二つになりました。

モーセの律法によれば、至聖所は神さまが特別に臨在なさる最もきよい場所であり、大祭司だけが儀式のために年に1回入ることを許されました。その至聖所を他の場所と隔てていた幕が裂けたことは、祭司の仲介なしに、誰でも神さまと交わることができる時代がやってきたことを表しています。
キリストといういけにえと仲介者
というのも、イエスさまが十字架にかかって亡くなられたのは、完全な罪の犠牲になるためだったからです。

動物の犠牲は、人間の身代わりとしては不完全です。ですから、罪を犯すたびごとに新たな動物犠牲が必要でした。しかし、イエスさまは神さまのひとり子ですから、ただ1度だけ血を流すことによって、完全に人間の罪の問題を処理しました。
イエスさまが自分の罪を赦すために死なれたのだと信じる人は、神さまに近づくために別の犠牲をささげる必要がありません。そして、いけにえをささげるための祭司も必要ありません。

神に喜ばれる霊のいけにえをささげる

では、新たな時代の祭司となった私たちクリスチャンは、いけにえをささげる必要が無いのでしょうか。冒頭で紹介したペテロの手紙には、「神に喜ばれる霊のいけにえをイエス・キリストを通して献げる、聖なる祭司となります」(第1ペテロ2:5)と書かれています。

では、神に喜ばれる霊のいけにえとは何でしょうか。あるときイエスさまは、ホセア書を引用して次のようにおっしゃいました。「『わたしが喜びとするのは真実の愛。いけにえではない』とはどういう意味か、行って学びなさい」(マタイ9:13)。

イエスさまがこの言葉を語られたのは十字架にかかる前、すなわちまだモーセの律法が有効な時代です。それでも、神さまは形式的にささげられるいけにえを喜ばず、神さまに対する真実の愛を喜ぶと教えられています。

今の時代の祭司である私たちは、罪の赦しを求めて動物犠牲をささげることはありませんが、神さまに対する真実の愛を実践することが求められています。具体的には、次のように教えられています。

「それなら、私たちはイエスを通して、賛美のいけにえ、御名をたたえる唇の果実を、絶えず神にささげようではありませんか。善を行うことと、分かち合うことを忘れてはいけません。そのようないけにえを、神は喜ばれるのです」(ヘブル13:15-16)。

すなわち、
  • 日々生活の中で、いつも神さまを思い、神さまに感謝し、神さまのすばらしさをほめたたえること。
  • 神さまの命令を学び、それを忠実に実行すること。
  • 他の人々、特に困っている人を大切にすること。
です。
これらの責務を果たすため、具体的にどんなふうに行動すればいいでしょうか。今年はこれまで以上にそのことを意識しながら生活していきましょう。

人々に祝福を届ける

旧約時代の祭司は、人々を祝福しました。それは、神さまのみことばを伝えることと、とりなしの祈りをすることによって表されました。

私たち新しい時代の祭司も、他の人々に神さまのみことばをつたえ、とりなしの祈りをささげます。
みことばを伝える
聖書の教えを、まだ知らない人たちに伝えることは私たちの責務です。「みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。忍耐の限りを尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい」(第2テモテ4:2)。

特に福音を宣べ伝えることが、祭司の務めだと教えています。「私は神の福音をもって、祭司の務めを果たしています」(ローマ15:16)。

福音とは良い知らせという意味です。この場合は、「私たちの罪を赦すためにイエスさまが十字架にかかられたということ、そして死んで葬られたけれども3日目に復活なさったということを信じるだけで、その人の罪は赦され、神さまの子どもとされ、永遠に祝福される」というメッセージのことです。

カルトのように、神のさばきを強調して、恐怖によって従わせようとするような真似はしてはいけません。「あなたは神さまに愛されています」。「あなたは神さまの目には大切な宝物のような存在です」。「あなたには幸せになる権利があります」。そんなメッセージを、私たちは他の人々に向かって語りましょう。

そのためには、まず自分自身が神さまに愛されているのだということを日々発見し、感動する必要がありますね。

この話をお読みください
とりなしの祈りをささげる
そして、新しい時代の祭司として、私たちは他の人たちの救いのために、そして本当の幸せのために、神さまに絶えず祈りをささげましょう。他の人たちのための祈りは、祭司である私たちの大切な務めです。

この話をお読みください
私たちも、他の人たちのためにこれまで以上に時間を取って、熱心に祈りをささげましょう。

まとめ

私たちクリスチャンは、みんな祭司です。新しい時代の祭司として、
  • いつも神さまを思い、感謝し、賛美しましょう。
  • 聖書を学び、その教えを実践しましょう。
  • 他の人に、具体的に愛を示しましょう。
  • みことば、特に福音の言葉、神さまの愛の語りかけを他の人に伝えましょう。
  • 他の人の救いと幸せを祈り求めましょう。
そのことを、今年1年特に意識して生活しましょう。

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