(2025年2月23日)
7人の執事の一人である伝道者ピリポが、エチオピアの宦官と出会って伝道する場面です。
礼拝メッセージ音声
参考資料
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26節の「ガザ」は、エルサレムの南西、地中海沿いにあった町です。紀元前57年にローマ帝国が南に新しい町を築いたため、紀元1世紀には古くからの町は荒れ廃れていました。
27節の「エチオピア」は、当時は今のエジプト南部やスーダンにあった国でした。クシュ王国、ヌビア王国、あるいは首都の名からメロエ王国とも呼ばれます。

(画像引用:和鉄の道)
27節の「カンダケ」は個人名ではなく、エチオピアの女王や王母の称号です(エジプト王のファラオや、ローマ皇帝のカエサルのようなもの)。当時のエチオピアでは、しばしば王は「神の子」としての象徴的な存在であり、実際の政治権力は女王や王母が握っていました。
27節の「宦官」は、王族や貴族の女主人に仕える高官で、多くの場合去勢されていました。
32-33節は、イザヤ53:7-8です。
40節の「アゾト」は、ガザの北約30キロにあった町です。
40節の「カイサリア」(カイザリア)は、ガザの北約80キロ離れたところにあった町です。当時、ユダヤ属州を治めるローマ総督府が置かれていました。なお、イエスさまが十字架にかけられたときにローマ総督ピラトがエルサレムにいたのは、過越の祭りの警備のためです。
イントロダクション
伝道者ピリポと出会ったエチオピアの宦官は、喜びに満たされて国に帰りました。私たちも、いつも喜びに満たされていたいですね。今日は宦官の態度からその秘訣を学びましょう。
1.ピリポによる伝道
ピリポと宦官の出会い
天使のお告げ
(26節)さて、主の使いがピリポに言った。「立って南へ行き、エルサレムからガザに下る道に出なさい。」そこは荒野である。
前回、ピリポがサマリア伝道を行ない、多くのサマリア人が救われたという話をしました。使徒ペテロやヨハネの応援も受けて、サマリア伝道は大変祝福されました。ところが、そのさなかに天使がピリポに現われて、エルサレムとガザを結ぶ街道に向かえと命じました。
ガザは、近くに新しい町ができたために廃墟となっていましたし、そこに向かう道も荒野です。せっかく成功しているサマリア伝道を中止して、ほとんど人がいない所に行けとはどういうことでしょうか。
エチオピアの宦官との出会い
(27-28節)そこで、ピリポは立って出かけた。すると見よ。そこに、エチオピア人の女王カンダケの高官で、女王の全財産を管理していた宦官のエチオピア人がいた。彼は礼拝のためエルサレムに上り、帰る途中であった。彼は馬車に乗って、預言者イザヤの書を読んでいた。
意味の分からない天使のお告げ、すなわち神さまの命令ですが、それでもピリポは忠実に従いました。 その結果、ピリポはエチオピアの宦官に出会いました。この人は、女王カンダケに仕える高官で、エルサレムの神殿でささげた礼拝の帰りでした。
エチオピアの伝説では、イスラエルのソロモン王とシェバの女王マーケダーとの間に生まれた子どもが、エチオピアの歴代の王の先祖であるメネリク1世だとされていて、古くからユダヤ教を受け入れる土壌がありました。
モーセの律法によれば、ユダヤ人の男性は年に3回、過越の祭り、七週の祭り(ペンテコステ)、そして仮庵の祭りにはエルサレムの神殿で礼拝することを求めています。この宦官はモーセの律法に従って、そのどれかの祭りに参加するためにエルサレムに上っていたのです。
また、この宦官は馬車の中でイザヤ書を朗読していました。
ですから、この宦官は民族的には異邦人(ユダヤ人以外の民族)でありながら、割礼を受けてユダヤ教に改宗した人、あるいは割礼を受けてはいないけれどもイスラエルの神さまを信じる人(神を敬う異邦人)だったわけです。
ただ、ここで疑問が生じます。申命記23:1には「宦官は主の集会に連なることができない」ことが明記されています。ですから、宦官は神殿での礼拝に参加できないはずです。ただし、この命令は、イスラエルに宦官という文化を持ち込ませないためだったと思われます。
というのは、イザヤ書には、イスラエルの神さまを信じる異邦人の宦官のことを神さまが受け入れてくださるという約束があるからです。
(イザヤ56:3-5)【主】に連なる異国の民は言ってはならない。「【主】はきっと、私をその民から切り離される」と。宦官も言ってはならない。「ああ、私は枯れ木だ」と。なぜなら、【主】がこう言われるからだ。「わたしの安息日を守り、わたしの喜ぶことを選び、わたしの契約を堅く保つ宦官たちには、わたしの家、わたしの城壁の内で、息子、娘にもまさる記念の名を与え、絶えることのない永遠の名を与える。
ですから、今回登場したエチオピアの宦官も、改宗者、あるいは神を敬う異邦人として神殿での礼拝に参加できたのです。
聖霊の促し
(29節)御霊がピリポに「近寄って、あの馬車と一緒に行きなさい」と言われた。
今度は聖霊なる神さまが、直接ピリポに語りかけました。それは、馬車と一緒に行けという命令です。
ピリポの語りかけ
(30節)そこでピリポが走って行くと、預言者イザヤの書を読んでいるのが聞こえたので、「あなたは、読んでいることが分かりますか」と言った。
今度もピリポは神さまの命令通りにしました。そして、馬車に追いつくと、中にいる人がイザヤ書を朗読している声が聞こえました。
そこでピリポは、「読んでいることが分かりますか?」と尋ねました。これは、「良かったら、意味を解説しましょうか?」という問いかけを含んでいます。
宦官の返答
(31節)するとその人は、「導いてくれる人がいなければ、どうして分かるでしょうか」と答えた。そして、馬車に乗って一緒に座るよう、ピリポに頼んだ。
宦官は、ピリポの語りかけを聞いて、あの人は聖書に詳しい人だと判断しました。そこで、馬車に乗り込んで、自分に聖書の意味を教えてほしいと願いました。
イザヤの書
(32-33節)彼が読んでいた聖書の箇所には、こうあった。「屠り場に引かれて行く羊のように、毛を刈る者の前で黙っている子羊のように、彼は口を開かない。彼は卑しめられ、さばきは行われなかった。彼の時代のことを、だれが語れるだろう。彼のいのちは地上から取り去られたのである。」
宦官は、自分が読んでいたイザヤ53:7-8を示しました。
宦官の問い
(34節)宦官はピリポに向かって言った。「お尋ねしますが、預言者はだれについてこう言っているのですか。自分についてですか。それとも、だれかほかの人についてですか。」
宦官は、イザヤが語っている「彼」とは誰のことなのかと質問しました。この人はイザヤ自身なのか、それとも他の人なのかという問いです。
ピリポによる解説
(35節)ピリポは口を開き、この聖書の箇所から始めて、イエスの福音を彼に伝えた。
ピリポは、エチオピアの宦官に対してイザヤ書の解説をしました。イザヤ書の52章と53章に登場する人物は、救い主のことです。これは、当時のユダヤ教のラビ(教師)たちたちも教えていたことです。
さらにピリポは、その救い主はイエスさまだと教えました。そして、イエスさまが十字架にかかってくださったおかげで私たちの罪が赦され、また復活なさったことによって神の子どもとして新しく生まれたのだということを伝えました。
- 11世紀以降、ラビたちは「イザヤ52章と53章に登場する、苦しめられる神のしもべとはイスラエル民族のことだ」と教えるようになりました。多くのユダヤ人がこの箇所によってクリスチャンになったためです。
宦官の救い
受洗願い
(36節)道を進んで行くうちに、水のある場所に来たので、宦官は言った。「見てください。水があります。私がバプテスマを受けるのに、何か妨げがあるでしょうか。」
ピリポの解説を聞いた宦官は、イエスさまは旧約聖書が登場を約束してきた救い主であり、この自分の罪を赦すために十字架にかかり、死んで葬られ、復活なさったのだということを信じました。
そして、信じて救われたしるしとして洗礼を受けたいとピリポに願いました。
宦官の洗礼
(38節)そして、馬車を止めるように命じた。ピリポと宦官は二人とも水の中に降りて行き、ピリポが宦官にバプテスマを授けた。
近くに川かオアシスがあったのでしょう。そこでピリポは宦官に洗礼を授けました。

レンブラント作「宦官の洗礼 ピリポとエチオピア教会」(1626年)
(画像引用:Wikipedhia)
消えたピリポ
ピリポの失踪
(39節)二人が水から上がって来たとき、主の霊がピリポを連れ去られた。宦官はもはやピリポを見ることはなかったが、喜びながら帰って行った。
聖霊さまが突然ピリポを連れ去られました。ここで使われている動詞は、「パッと消える」というニュアンスの言葉です。宦官は驚いたでしょうが、自分が救われたことを喜びながら帰国していきました。
現在のエチオピアにはコプト正教会というキリスト教のグループがあります。この教会の成立に関して、2つの伝承があります。
- 福音書記者であるマルコの伝道によって、北アフリカにアレキサンドリア教会が誕生し、そのアレキサンドリア教会の働きによってコプト正教会が誕生したという伝承。
- 今回登場した宦官がエチオピアに戻って伝道したことが、コプト正教会の基礎になったという伝承。
おそらくその2つの働きによって、コプト正教会が成立したのでしょう(個人の感想です)。
その後のピリポ
(40節)それからピリポはアゾトに現れた。そして、すべての町を通って福音を宣べ伝え、カイサリアに行った。
エルサレムからガザに向かう街道から消え去ったピリポは、ガザから30キロ離れたアゾトに姿を見せました。数十キロの距離を瞬間移動したようです。それから北上しながら伝道を続け、カイサリアにたどり着きました。そして、その後はカイサリアを拠点として活動します。
使徒21章には、パウロが第三回伝道旅行の帰りにカイサリアに立ち寄った際、ピリポの家に長期間滞在したという記事が載っています。
その後パウロはエルサレムで逮捕され、カイサリアのローマ総督府に送られて2年間獄中生活を送ります。その間、カイサリアのクリスチャンたちがパウロの世話をしましたが(24:23)、その中にピリポも含まれていたはずです。
それでは、ここから私たちは何を学ぶことができるでしょうか。
2.謙遜に真理を追究する
祝福を強く願う
この宦官は、遠いエチオピアからはるばるエルサレムまでやってきました。それは礼拝のためです。彼は異邦人でしたが、イスラエルの神さまこそ世界の神、本当の神だと信じていました。
モーセの律法によれば、本来宦官は神さまへの礼拝に参加できないはずです。しかし、イザヤ59章は、異邦人の、しかも宦官であっても、真実神さまを慕い求めるならば祝福されることを約束しています。
イザヤを通して与えられたあの約束は、宦官にとっての希望でした。だからこそ、宦官は帰り道でイザヤ書をむさぼるように読んだのでしょう。
エチオピアの宦官は、聖書の神さまに祝福されればうれしいけれど、そうでないならそれでもいいというような態度ではなく、なんとしても聖書の神さまと深く交わり、この方によって地上の人生も、死んだ後の人生も祝福されたいと強く願っていました。
その結果、本当に神さまの祝福を受け、喜びに満たされて帰国することができたのです。
私たちも、聖書の神さまからの圧倒的な祝福を願い求めましょう。
聖書を読む
エチオピアの宦官は、聖書を読むことによってピリポと出会いました。そして、ピリポが聖書を解説してくれたことによって、イエス・キリストによる救いを手に入れました。
その結果、異邦人であり、しかも宦官である自分の罪が赦されただけでなく、神さまに子どもとして愛され、守られ、永遠に祝福されるという特権を手に入れました。
神さまは、ご自分の存在やご性質、その考えやご計画を、聖書の中に表してくださっています。私たちは、聖書を読むことによって、神さまが人間に知ってほしいと願っておられる真理を知ることができます。
聖霊なる神さまも、多くの場合に聖書を用いて私たちを導かれます。
ですから、私たちはもっともっと聖書を読み、その内容を味わいましょう。そして、自分の感情と聖書の主張が対立したときは、聖書の主張の方を優先させましょう。
Aさんのお姑さんが寝たきりになってしまいました。Aさんは一生懸命に介護をなさいました。Aさんがたまらなかったのは、肉体的な苦労ではなく、お姑さんから一度たりとも「ありがとう」を言われたことがないということでした。お姑さんは、Aさんの苦労もまるで当たり前だと言わんばかりに、横柄に振る舞うのです。
精も根も尽き果てたAさんは教会に飛び込みました。親身になって話を聴いていた牧師は、最後にこう言いました。「Aさん。人間には本来、愛なんかないのですよ。本当の愛は、イエスさまだけがお持ちなのです。聖書には、『義人はいない。一人もいない』(ローマ3:10)と書いてあります」。
Aさんはそれを聞いて思いました。「お義母さんには愛がないんだから、お義母さんが私に感謝をしてくれなくても当たり前だし、横柄な態度を取るのも当たり前ということか。だから、そんなお義母さんを心の中で責めちゃいけないってことだな」。
何日かして、Aさんは再び牧師の元を訪れました。Aさんは言いました。「最初、どうしたら義母に感謝されるようになるか聞きたかったので、先生の言葉にはちょっと残念な思いがしました。義母から感謝されたいという思いを手放すのは嫌だと思ったのです。でも、それが神さまのみこころだと思い直して、何度も何度も自分に言い聞かせているうちに、ふっと気持ちが楽になりました」。
「というのは、義母には愛がないんだから、何としてもお義母さんに感謝の言葉を言わせてやると意気込む『必要はない』というふうに捕らえることができたからです」。
「さらにこうも思いました。『私にも愛がないんだから、まるで私の内に愛があふれていることを認めてもらおうとして、がんばる必要はないんだ。しなければならないことを、私なりに精一杯させていただけば、それでいいんだ。イエスさまがお義母さんや私を愛してくださっているんだから』」。
そうしてAさんはにっこり笑って言いました。「肩の力を抜いて、神さまに祈りながら義母に接するようになったら、この前初めて義母が『いつもありがとう』と言ってくれました。イエスさまのおかげですね」。
謙遜に学ぶ
宦官は、しばしば宮廷の中で非常に大きな権力を握りました。特にエチオピアでは女王や王母が政治を行ないましたから、彼らに仕える宦官は頼りにされたのです。
しかし、今回登場した宦官は、謙遜にピリポに対して教えを請いました。その結果、永遠の祝福を手にして喜びに満たされることになりました。その姿は、イスラエルの指導者たちとは対照的です。
ピリポの仲間だったステパノは、聖書を用いて指導者たちに福音を語ろうとしました。しかし、プライドに凝り固まっていた指導者たちはステパノの語りかけを受け入れず、それどころか彼を石打ちの刑で殺してしまいます。
指導者たちのように「自分は知っている」「自分にはできる」「自分は正しい」と思っていると、神さまが用意してくださっている助けを受け取り損ねてしまいます。私たちは、謙遜に他の人の言動から学びたいものです。
この話をお読みください。
以前私がカウンセリングの仕事のために出入りしていた別の教会には、たくさんの人たちが集っていました。そこの主任牧師が、外様である私、しかも当時は30代の若造だった私によくおっしゃった言葉があります。
それは「増田先生。教えて欲しいことがあるんだけど」「知恵を貸して欲しいことがあるんだけど」です。こんなふうに、分からないことについて尋ねられたり、発生した問題についてどう対処したらいいと思うか相談されたりしました。
今から思うと、そうやって質問することで私の考える力を育てようという意図があったのでしょう。頼られると悪い気がしませんから、やる気も引き出されますし。
しかし、それでもこの主任牧師はこの業界ではかなり名の知れた方です。それなのにいつでも、どんな人や状況からでも学ぼうとする姿勢には心を打たれました。いや、だからこそ大きな働きができるのだろうなと感じました。
私たちも謙遜に人から学びたいですね。
今週も、謙遜に、そして熱心に神さまが示してくださる真理を追い求め、喜びに満たされましょう。