もう従うのはやめた

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エレミヤ書20章7〜13節

(2009.1.25)

該当の聖句を読んでみて、分からない単語や言い回し、複数の意味に取れる表現、疑問に思ったことなどはありませんか?

この聖句は、この書全体の中で、どういう位置を占めていますか? 前後を読んだり、参考書を調べたりして、記者の論理の流れをつかみましょう。また、この書の書かれた歴史的、地理的背景も調べましょう。

この箇所は、私たちにどんな教訓やチャレンジを与えていますか?

イントロ

つらく悲しいことは起こるものです。人間関係に苦しんだり、病気になったり、なかなか成果が現れずに焦ったり。しかし、クリスチャンはそういう苦しみの中でもキリストに従い通し、素晴らしい祝福を刈り取ることができます。今日は、苦しみを通り抜けた預言者エレミヤの経験から学びましょう。

1.神に従ったばかりに苦しんだ

神に従うことによる苦しみ

イエスさまは、ご自身に従ってこようとする人に向かって、「狐には穴があり、空の鳥には巣があるが、人の子には枕するところもありません」(ルカ9:58)とおっしゃって、必ず苦しみが伴うことを覚悟するようにおっしゃいました。

信仰は、必ず私たちに祝福をもたらしますが、順風満帆のバラ色の人生を保証してはいません。エレミヤも、神さまに従ったばかりに、苦しい目に遭いました。

エレミヤの遭った苦しみ

エレミヤは、神さまのみこころから離れてしまった南王国が、やがてバビロンによって滅びるというメッセージを語りました。それが神さまからのメッセージだったからです。

しかし、そのような陰気で過激な預言は人々に好まれませんでした。しかも、当時のバビロンは、内部がごたごたしており、とても海外出兵ができるような状態ではなかったのです。そこで、エレミヤはほとんどの人から偽預言者として拒否され、あるいは笑いものとされました。それが彼をひどく傷つけました。

また、エレミヤは、ただバカにされただけでなく、迫害も受けました。20章の前半で、エレミヤは偽預言者として逮捕され、むち打たれ、足かせをはめられました。

エレミヤだけでなく、多くの預言者たち、あるいは新約時代の弟子たちも同じように迫害されました。今でも、クリスチャンというだけで逮捕されたり、拷問を受けたり、殺されたりする人たちがいます。日本でもかつてそうでしたし、現在でも、精神的な迫害はよく起こりますし、暴力をふるわれる例もあります。

実際に苦しみに遭っていなくても、そうなるんじゃないかと思うと、神さまに従うのを躊躇してしまうものです。私も、救われてからしばらくは、自分がクリスチャンだということを周りの人たちに話せませんでした。バカにされるんじゃないか、拒否されるんじゃないかと恐れたからです。

ただ、たとえ苦しみがあったとしても、エレミヤのメッセージに耳を傾ける人がいて、社会が確実に変わっていくならば、まだ耐えることができたかもしれません。最大の苦しみは、彼が一生懸命に語っても、誰も話を聞かず、ユダヤの社会がまったく変わらないことでした。

神さまのみこころに従っていったら、すぐにでも幸せがやってくると思ったのに、まったく状況が変わらない。それどころか、神さまに従ったばかりに、よけいにつらいことがやってくる。しかも、まったく成果が見えない。これでは、エレミヤならずとも、これ以上従うのが嫌になってしまいますね。

その他の苦しみ

その他にも、神さまに従ったばかりに……という苦しみがあります。たとえば、自分の欲望に逆らう苦しさです。神さまのみこころと、自分の好みがうまく合えばいいですが、自分はこっちをやりたいのに、神さまはこっちをして欲しいということになると、自分の思いを捨てなければならなくなります。それは非常に苦しいことです。

また、神さまの働きを始めると、その働きの大きさに比べ、自分の力の無さに愕然とさせられることがあります。その結果、すっかり自信を喪失し、それが自分を苦しめます。

このように、神さまに従わなければ味わわずに済んだ苦しみに、私たちは直面することがあります。

2.神に従うのをやめようとした

もう従いません

エレミヤは、あまりの苦しさ、虚しさに、これ以上の預言活動はご免被りたいと思いました。そして、それを神さまに訴え、実際に語るのをやめてしまいました。

私たちも同じように、神さまに従うのをやめてしまおうと思うことがあるかも知れません。たとえ現在あなたがそういう気分だったとしても、安心してください。そんな気分になるのはあなただけでなく、私もそうですし、聖書に名を残す大預言者エレミヤもそうだったのです。ペテロなど、イエスさまの弟子たちもそうでした。

苦しみには意味がある

ただ、苦しい目に遭って、従うのをやめてしまいたくなることがあるのは、自分一人だけでないと知っても、それで慰められるわけではありませんね。神さまは、どうしてこのような苦しみをお与えになるのか、それを知る必要があります。

神さまは愛であり、私たちの幸せを心から願っておられます。神さまが、私たちの幸せにつながらないようなことをなさることは、絶対にありません。ですから、先ほど申し上げたような「神さまに従ったばかりに苦しい目に遭う」のも、神さまなりの意味があるのです。

それは、私たちの信仰が強められるためです。そして、それによってますます大きな働きができるようになり、様々な状況でも平安や喜びを保つことができるようになり、神さまとの関係がさらに強く、太く、深くなるためです。

筋肉トレーニングで、筋肉を強く・太くし、より重い荷物を持てるようになるためには、現在の最大筋力に近い負荷をかける必要があります。「もうこれ以上持てない」というような重いものを持ち上げるのです。そうすると、やがてはそのギリギリの荷物も楽に持てるようになっていきます。

私たちの信仰も筋肉のようなものです。成長のためには、時には限界ギリギリのところを通らされることも必要です。信仰がぐらついて、「もうやってられない!」と叫んで、従うことを放棄してしまいたくなる、そういう状況こそ、私たちがキリストの弟子として、また人間として、さらにさらに成長できるチャンスです。

従うのをやめたくなったということは

あまりにもつらくて、苦しくて、むなしくて、神さまに従うのが嫌になっているとしたら、それはあなたが弱いということではありません。

それはあなたが信仰の筋肉トレーニングを行なっているということです。新しい信仰の世界に踏み出そうとしているということです。今まさに、成長のプロセスにあるということです。

あなたの信仰がぐらついているのは、神さまが、あなたに期待をしていらっしゃるという証拠なのです。

3.再び神に従い始めた

従わない苦しさを知った

エレミヤは、神さまに従うことは苦しいことだと思いました。しかし、従うのをやめてみると、それはもっと苦しいことなんだと痛感しました。内側に押し込めていた神さまのみことばがわき上がってきて、彼を苦しめ始めたのです。

私たちの内側には聖霊が住んでおられます。そして、私たちの心も、聖霊の影響を受け続けています。ですから、神さまに従わない生き方は、つまらないのです。不自由なのです。むなしいのです。本当の自分を生きていない感覚になるのです。そして、苦しくさえあるのです。

あなたも、そんな感覚を味わってはいませんか?

神の全能を知った

エレミヤは、祈りの中で、自分の信じている方が全能者だと知りました。神さまにとって不可能はありません。ですから、どんなに迫害者たちが神さまのみこころに逆らってエレミヤを苦しめようとも、最終的には神さまが必ず勝利するということを知りました。そして、「神さまが勝利するのだから、神さまと共にいる私も(11節「主は私とともにあって」)大丈夫だと信じたのです。

そして、彼は預言活動を再開しました。その後も、相変わらず人々は彼を物笑いにしましたし、苦しめました。しかし、もはや恐れることなく、悲しむことなく、警告し続けました。

どうすれば、神さまの全能の力を体験できるでしょうか。そのカギは信仰です。信仰は使って初めて身につきます。そして、より大きな信仰へと成長していきます。信仰は、筋肉と同じようなものだからです。

小さな試練がやってきたとき、信仰に基づく行動を起こしましょう。これを繰り返すことで、神さまの力を生活の中で体験できるようになっていきます。すると、さらに大きな事を期待し、信じられるようになっていきます。

先取りの感謝

信仰に基づく行動とはどういうことでしょうか。

「明日あなたに百万円上げるよ」と言われたらどうしますか? 「これは嘘だな」と思えば、笑っているだけでしょうが、もし信じたとしたらどうでしょう。おそらく「ありがとう」と言うでしょう? お金が入るのは明日で、今はまだ現物は手に入っていません。ですが、この人は本当に百万円をくれると信じると、私たちは「先取りの感謝」をします。

信仰とは、まだ見ていないことを「そうだ」と受け取ることです。「信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです」(ヘブル11:1)。そして、信仰に基づく行動の第一歩は、先取りの感謝です。まだ見ていないけれど、神さまがそうしてくださると信じて、「ありがとうございます」と感謝するということです。

13節の感謝の賛美の中で、エレミヤは自分が神さまによって、「悪を行う者どもの手から救い出された」(13節)と語っています。いや、実際にはまだ救い出されてはいません。彼を取り巻く状況は、まったく変わってはいませんでした。その後も彼のメッセージは、人々に受け入れられませんでした。

しかし、エレミヤは、神さまの守りを信じました。ですから先取り感謝をしたのです。こうして、エレミヤの信仰は強められました。以前と同じ状況にあっても、もはや嘆いたり、働きをやめたりしなくなりました。

そして、彼はさらに素晴らしい預言者として活躍を続けることになります。バビロンによる周辺諸国の支配が70年であり、その後でバビロンが滅びてユダヤ人が解放されるという有名な預言は、この出来事のあとでなされます。「この国は全部、廃墟となって荒れ果て、これらの国々はバビロンの王に七十年仕える。七十年の終わりに、わたしはバビロンの王とその民、──【主】の御告げ──またカルデヤ人の地を、彼らの咎のゆえに罰し、これを永遠に荒れ果てた地とする」(25:11-12)。

彼の預言は、その時代の人々には受け入れられませんでしたが、バビロンに捕え移された人々の慰めとなりました。エレミヤは、最初は「語っても無駄ではないか」と思いましたが、神さまのご計画の中では、決して無駄ではなかったのですね。

私たちも、苦しいとき、つらいとき、悲しいとき、神さまの約束を思い起こし、先取りの感謝をささげましょう。

まとめ

あなたが今、神さまに従うことを苦しい、つらいと思っておられるなら、あなたはさらに信仰の高みに登ろうとしておられるという証拠です。

その状況の中で、今あなたが先取り感謝をしなければならないことは何でしょうか。それを感謝しましょう。そして、他の人にも、その人が先取り感謝できるような言葉かけをしましょう。

あなたは、ここからどんなチャレンジを受けていますか? この箇所を読んで、生活や態度をどのように変えるよう示されていますか? 何を決心しましたか? 抽象化しないで、具体的に表現しましょう。


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