あるものを上げよう

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使徒の働き3章1節〜8節

(2017.1.1)

参考資料

「宮」(1節)は、エルサレムにあった神殿のこと。

「ナザレ」(6節)は、イスラエル北部にあった村で、イエスさまが幼少期から30歳頃まで生活していた場所です。

聖書からのメッセージ

イントロ

今日は今年最初の礼拝式です。使徒ペテロの言葉、「金銀は私にはない。しかし、私にあるものを上げよう。ナザレのイエス・キリストの名によって、歩きなさい」(6節)から、この1年私たちが特に心がけるべきことを教えていただきましょう。

1.あるものを上げよう

金銀は私にはない

まずはいつものように、この箇所で起こった出来事を詳しく見ていきましょう。今回の箇所は、ペンテコステの日に聖霊さまが弟子たちの上に降り、エルサレムに最初の教会が誕生した直後の話です。

イエスさまの弟子であるペテロとヨハネが祈るために神殿に出かけると、足が不自由な人が物乞いをしていました。ペテロたちが通りかかったとき、その人は施しを求めました。彼が求めていたものは、お金でした。

しかし、ペテロは彼に言いました。「金銀は私にはない」。初期の教会の人たちは、持ち物をすべて共有にして、必要に応じて分配していましたから(2:44-45)、ペテロたちは余分な財産を持っていませんでした。このときも、ペテロたちの財布には何も入っていなかったことでしょう。それをペテロは堂々と宣言しました。「金銀は私たちにはない」。

私にあるものを上げよう

ペテロとヨハネはお金を持っていませんでしたから、お金を上げることでこの人を助けることはできません。しかし、だからといって彼らは何もしなかったわけではありません。彼らは自分にできることをしました。

ペテロとヨハネには、イエスさまによっていやしを行なう力が与えられていましたから、この人を歩けるようにしてあげました。もう物乞いをする必要がなく、自分の力で働いて生活することができるようになったわけですね。

でも、とあなたはおっしゃるかもしれません。「私にはいやしを行なう力もありません」と。いやしの力を持たない人は、ペテロたちのようにできないことを嘆く必要はありません。「私にはいやしの力はない」と堂々と宣言して、自分にできることをしましょう。

私たちにもできないことはたくさんあります。他の人と比較して、自分はあんなふうにできないと、自分を責める必要はありません。できないことではなくできること、持っていないものではなくすでに持っているものに目をとめて、それを使って愛を実践しましょう。

イエス・キリストの名によって歩け

さて、ペテロがいやしを行なう際、「イエス・キリストの名によって」と言いました。このフレーズは、クリスチャンが祈りの最後によくくっつけますね。これは、イエスさまの以下の言葉に基づいています。

「あなたがたは今まで、何もわたしの名によって求めたことはありません。求めなさい。そうすれば受けるのです。……その日には、あなたがたはわたしの名によって求めるのです。わたしはあなたがたに代わって父に願ってあげようとは言いません」(ヨハネ16:24,26)。他にも、ヨハネ14:13-14、15:16で同様の約束があります。

私たちは罪人ですから、生まれつき天の父なる神さまと断絶状態、いわば敵対関係にありました。ですから、神さまに何かを願ってかなえていただけるような、そんな関係ではありませんでした。

しかし、イエスさまが私たちの罪の罰を身代わりに受けて、十字架にかかって復活してくださったことにより、私たちのすべての罪は赦されて、私たちは神さまの子どもにしていただきました。子どもがお父さんと親しく交わり、自由にお願いができるように、私たちも神さまに対してそうすることができるようになりました。

しかも、イエスさまは日々私たちのために父なる神さまにとりなしをしてくださっています。「罪に定めようとするのはだれですか。死んでくださった方、いや、よみがえられた方であるキリスト・イエスが、神の右の座に着き、私たちのためにとりなしていてくださるのです」(ローマ8:34)

ですから、私たちは、「自分のような者の祈りを、神さまが聞いてくださるはずがない」などと臆することなく、大胆に祈ることができます。イエスさまのおかげで、私たちの祈りを神さまが真剣に取り扱ってくださると信じながら祈ること。それが「イエスさまの名による祈り」です。

もちろん「イエスさまの名によって」というフレーズをくっつければ、何でも願いが叶うということではありません。普通だったら会えないようなVIPと面談するために、その人と懇意な人に間を取り持ってもらったとします。もし私がVIPの前で失礼な行動をしたり、恥ずかしい行ないをしたりしたら、間を取り持ってくれた人に対しても失礼になりますね。

イエスさまのお名前を使って神さまにお願いする以上、イエスさまに恥ずかしい思いをさせないようにする義務が私たちにはあります。「イエスさまだったら、どんな祈りをなさるだろうか」。「イエスさまは、私がどんな祈りをすることを喜ばれるだろうか」。そう考えながら、祈ることが「イエスさまの名による祈り」です。

私たちは何でもかんでもできるわけではありませんが、クリスチャンであれば、全員イエス・キリストによって祈ることができます。祈りは強力な愛のわざの一つです。積極的に用いたいですね。

では、ここから私たちへの教訓をいただきましょう。

2.私たちにあるもの

心からの願い

ペテロとヨハネは、お金はありませんでしたが、この人を助けたい、この人がイエスさまの恵みを知り、もっともっと神さまの愛し、ほめたたえることができるようにしてやりたいと願いました。そして、そうなることをイエスさまが望んでおられると知っていたので、彼らは「イエス・キリストの名によって」いやしを行ないました。

たとえあなたにいやしを行なう能力が与えられていなくても、イエスさまのお名前によって祈り、イエスさまのお名前によって行動することはできます。

大切なのは、イエスさまに喜んでいただくために、自分は何かをしたいと願う真実な思いです。また、イエスさまが命がけで愛しておられる人々が、本当の幸せを手にするために何かがしたいと願う思いです。

あなたにはそういう思いがありますね? その思いをもっともっと育てましょう。そして、それを実際に行動に移しましょう。

教会の働きへの参加

聖霊なる神さまは、教会に属するメンバー一人一人に様々な賜物を与えてくださっています(第1コリント12章、ローマ12章など)。賜物とは、奉仕のための能力です。一人にできることは限られています。それぞれに得手不得手があります。ですから、各自が自分にできることを持ち寄って、互いに支え合い、協力し合って何かを成し遂げます。それが教会です。

教会では、すべての信者が自分にできる働きを忠実に行なうことが求められています。そうして、みんなで神さまの栄光を現し、お互いや世の人々に仕えていくわけです。牧師が事業主のように教会を動かし、メンバーはお客さんとしてサービスを受けに来るだけという教会は不健全です。

我が中通りコミュニティ・チャーチも、さまざまな賜物が与えられている素晴らしい方々の集まりです。すでに、皆さんは積極的に神さまとお互いと世の人々に仕えておられます。ですから、私はもっともっと教会の運営や活動について、教会メンバーの皆さんに頼りたいと思っています。

「金銀は私にはない」とペテロは言いました。中通りコミュニティ・チャーチの牧師である増田は言います。「何か新しいことを思いつき、企画し、みんなを上手にリードして実行に移す力は私にはない」。ですから、皆さんの助けが必要です。

教会員制度

なお、多くの教会では、洗礼を受けたら自動的に教会員になりますが、この教会では改めて「教会員になりたい」と願い、教会員とは何かということについて学び、入会式を経て会員となります。本来は、救われることと教会に属することが一つであることが望ましいのですが、意識して教会員であることを選択して欲しくて、そういう制度にしています。

普段の礼拝式にいらっしゃっている方々の中で、誰が教会員なのかそうでないのかは、外から見た限りではほとんど分からないと思います。教会員かそうでないかは、教会がその人をどう扱うかということよりも、その人が教会と自分の関係についてどう考えているかということの方に重点が置かれているからです。

中通りコミュニティ・チャーチの教会員であるということは、主に次のような意識を持っておられるということです。
  • この教会が自分の教会であり、自分はこの教会の一部分なのだという意識
  • この教会の学びや訓練を通して、クリスチャンとして成長していくのだという意識
  • この教会の働きに自分も加わり、神さまと人とに仕えていくのだという意識
ところが、これまではあまりこの教会員制度について積極的なアピールをしてきませんでした。ですから、今年から何かにつけて皆さんと考えていく機会を持つつもりです。

上述の通り、今後は教会の運営や活動についてますます皆さんに頼って参ります。今年からは、時折教会員が集まって、教会の方向性や具体的な活動について、ざっくばらんに語り合う場を設けたいと思っています。すでに教会員の皆さんは、よろしくお願いします。

そして、自分もこの教会の教会員になりたいと思われた方は、ぜひ私にお声かけを。

まとめ

一人一人、自分にできることをして、神さまと人とに仕えていく一年としましょう。

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