上からのいのち

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ヨハネによる福音書3章1節〜3節

(2017.1.8)

参考資料

「パリサイ人」は、ユダヤの宗教的グループの一つであるパリサイ派に属する人のこと。ユダヤ人が従うよう神さまから命ぜられたモーセの律法を、厳格に守ろうとした人たちの流れをくみます。ただ、イエスさまの時代のパリサイ派は、モーセの律法に書かれていないような様々な細則(福音書はこれを「言い伝え」と呼んでいます)を付け加え、モーセの律法そのものよりも重視していました。

多くのパリサイ人は、パリサイ派に批判的なイエスさまと対立しましたが、ニコデモは好感を持っていて、十字架の直前には、イエスさまの弟子となりました。

ニコデモが「ユダヤ人の指導者」だというのは、彼が70人で構成されるユダヤ議会(サンヘドリン)の議員だということです。

聖書からのメッセージ

イントロ

今日からしばらく、クリスチャン生活の基本を学んでいきます。さて、今日のテーマは?

人は、自分とはこういう人間だという自己像(セルフイメージ)に合った行動をします。ですから自分自身を知ることはとても大切なことです。私たちクリスチャンは、どういう存在なのでしょうか。

1.新しく生まれた人

神の国を見る

イエスさまは、教えを請いに来たニコデモに、「人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません」と言われました。

神の国というのは、救い主(メシヤ、キリスト)が王となって統治する理想的な王国のことです。旧約聖書の預言者たちは、やがて救い主が登場することと、その救い主がイスラエルの敵を滅ぼし、イスラエルに平和と繁栄をもたらし、聖書の神さまを信じた異邦人(ユダヤ人以外の民族)にも祝福をもたらすと預言しました。

たとえば、イザヤ65:19-25には、やがて到来する救い主の王国について、このように書かれています。

「わたしはエルサレムを喜び、わたしの民を楽しむ。そこにはもう、泣き声も叫び声も聞かれない。
そこにはもう、数日しか生きない乳飲み子も、寿命の満ちない老人もない。百歳で死ぬ者は若かったとされ、百歳にならないで死ぬ者は、のろわれた者とされる。
彼らは家を建てて住み、ぶどう畑を作って、その実を食べる。
彼らが建てて他人が住むことはなく、彼らが植えて他人が食べることはない。わたしの民の寿命は、木の寿命に等しく、わたしの選んだ者は、自分の手で作った物を存分に用いることができるからだ。
彼らはむだに労することもなく、子を産んで、突然その子が死ぬこともない。彼らは【主】に祝福された者のすえであり、その子孫たちは彼らとともにいるからだ。
彼らが呼ばないうちに、わたしは答え、彼らがまだ語っているうちに、わたしは聞く。
狼と子羊は共に草をはみ、獅子は牛のように、わらを食い、蛇は、ちりをその食べ物とし、わたしの聖なる山のどこにおいても、これらは害を加えず、そこなわない」と【主】は仰せられる」。


ニコデモは聖書の教えを信じていましたから、自分が神の国に招かれることを切望していました。

そして、神の国に招かれる祝福は、私たち異邦人クリスチャンにも与えられます。「見よ。わたしのささえるわたしのしもべ、わたしの心の喜ぶわたしが選んだ者。わたしは彼の上にわたしの霊を授け、彼は国々に公義をもたらす」(イザヤ42:1)。ここで「国々」と訳されているのは異邦人のことです(この箇所を引用したマタイ12:18ではそのように訳しています)。

しかも、神の国は、本格的にはこの世の終わりの時代に実現しますが、すでにその祝福は始まっています。イエスさまはこうおっしゃいました。「しかし、わたしが神の御霊によって悪霊どもを追い出しているのなら、もう神の国はあなたがたのところに来ているのです」(マタイ12:28)

また、こうもおっしゃいました。「神の国は、人の目で認められるようにして来るものではありません。『そら、ここにある』とか、『あそこにある』とか言えるようなものではありません。いいですか。神の国は、あなたがたのただ中にあるのです」(ルカ17:20-21)

神の国は、救い主イエスさまが与えてくださる、本当の幸せと言い換えてもいいでしょう。私たちイエスさまを救い主だと信じたクリスチャンは、本当の幸せを手にすることができます。しかも、その幸せは今すでに始まっており、これから先どんどん大きくなっていき、やがて世の終わりの、イエスさまの再臨の後に完成します。

私たちにはこのような希望が与えられています。それが私やあなた、すなわちクリスチャンです。

信じる以前とは全く違った存在

しかし、イエスさまは、神の国に招かれ、救い主が与えてくださる本当の幸せを手に入れるためには、新しく生まれなければならないとおっしゃいました。

クリスチャンになるということは、信じる以前とは全く違った存在になるということです。

今までの、神さまを無視した罪深い人生、自己中心だった人生、意味も目的もなかった人生、本当の平安も喜びも力も見いだせなかった人生はもう終わりました。
  • あなたは、親に十分愛されず、それどころか虐待されて育ったから、幸せになれないと思っていませんか?
  • あるいは学校時代にいじめられたから、社会生活がまともに営めないと思っていませんか?
  • あるいは過去、とんでもない失敗を犯してしまったから、幸せになる資格がないと思っていませんか?
いいえ! 古いあなたは死にました。ここにはもう存在しません。

その代わり、あなたは新しく生まれました。そして、神さまのみこころを行ない、他の人と自分自身を心から愛し、平安と喜びと力にあふれ、体が死んだ後も永遠に続く新しい人生を手にしました。

あなたはクリスチャンですか? 人生のどこかで、「イエスさまが自分の罪を赦すために十字架にかかり、死んで葬られたけれど、3日目に復活なさった」と信じましたか? であれば、本当の幸せを手にするために、あなたは全く新しく生まれ変わったのです。これが私たちに与えられている救いです。

神による生まれ変わり

「新しく生まれる」と訳されている言葉は、「上から生まれる」とも訳せます。上とはどこでしょうか。天、すなわち創造主である神さまがお住まいの場所です。私たちに新しい命が与えられ、全く新しい存在に生まれ変わるのは、私たちの努力によってではなく、神さまのみわざです。

聖書が約束している新しい命、すなわち救いは、
  • 私たちが何かの戒律を守ったから、与えられたのではありません。
  • 特別な修行をして、悟りを得たから与えられたのではありません。
  • 多額の献金をして、買い取ったわけではありません。
  • 困っている人に親切な行ないをして、ご褒美として与えられたわけではありません。
  • 教会の集会で、洗礼を受けたり聖餐式に参加したり、そのほか特別な儀式に参加したから与えられたわけではありません。
  • 牧師に祈ってもらったから、与えられたわけではありません。
そうではなくて、神さまからの一方的なプレゼントです。このことを聖書は「恵み」と呼んでいます。救い、すなわち新しい命への生まれ変わりと神の国への招きは、神さまの一方的な恵みによって与えられます。私たちに必要なことは、ただ「ありがとうございます」と受け取ることだけです。

2.限りなく成長する人

生まれ変わったと言われても

クリスチャンとは、新しく生まれた人のことだと申し上げました。読者の皆さんの中には、「その通りです。イエス・キリストを信じて、私の人生は全く変わりました」とおっしゃる人も多いでしょう。

しかし、「いいえ。信じる前とちっとも変わりません。同じ失敗を繰り返すし、喜びがないし、新しい人生だなんて言われても、ピンときません」と思っておられる方もおいでだと思います。あなたはいかがですか?

ここで、パウロというスーパークリスチャンについて見ていきましょう。ローマ7:15と18と24で、パウロは自分自身についてこう語っています。

15 私には、自分のしていることがわかりません。私は自分がしたいと思うことをしているのではなく、自分が憎むことを行っているからです。
18 私は、私のうち、すなわち、私の肉のうちに善が住んでいないのを知っています。私には善をしたいという願いがいつもあるのに、それを実行することがないからです。
24 私は、ほんとうにみじめな人間です。だれがこの死の、からだから、私を救い出してくれるのでしょうか。


これを読んで、あなたはどう思いますか? パウロほどの人でも、死んだはずの古い自分と戦い、時に絶望的な気分に襲われていたのですね。

クリスチャンは新生児

信仰を持ったばかりのクリスチャンは、今まさに生まれたばかりの新生児のようなものです。赤ちゃんは、大人ができるようなことをほとんど何もできません。そして、大人が体験しているような様々な喜びや感動を、まだ十分に味わうことができません。

しかし、赤ん坊は成長します。一日一日、目には見えませんが、確実に成長します。たとえあなたに「新しい人生に生まれ変わった」という実感がなくても、あなたは成長することができます。

また、すでに喜びに満ち、新しい人生を確信しておられたとしても、成長は無限です。さらに深い喜び、さらに円熟した性格、さらにすばらしい人生へと成長することができるのです。

イエスさまも、(私たちの内にある)神の国は、最初はちっぽけであっても、やがて大きく成長するとたとえ話を用いて教えておられます。「天の御国は、からし種のようなものです。それを取って、畑に蒔くと、どんな種よりも小さいのですが、生長すると、どの野菜よりも大きくなり、空の鳥が来て、その枝に巣を作るほどの木になります」(マタイ13:31-32)

成長には助けが必要

しかし、赤ん坊は一人では健康を保ち、成長することはできません。赤ん坊には他の人の助けが必要です。

クリスチャンが教会に属し、教会で様々なことを学び、教会の人たちと愛の交わりをし、教会の人たちと共に奉仕の生活を送るのは、与えられている新しい命を大切に育てるためです。

これからも、教会の中で互いに支え合いながら、イエスさまのくださった新しい命を育て、神の国の祝福をより大きく味わっていけるようにしましょうね。

まとめ

あなたも私も、神の国の祝福を味わうことができるように、神さまによって新しく生まれました。

あなた自身への適用のためのディスカッションガイド


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