何をしても栄える人

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詩篇1章1節〜6節

(2017.2.5)

参考資料

1節は、幸いな人は、「悪者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、あざける者の座に着かなかった」人だと述べています。悪者、罪人、あざける者というのはすべて同じような人のことを指していて、5-6節の「正しい者」と対比されています。

聖書からのメッセージ

イントロ

今年は、クリスチャン生活の基本について学んでいます。最初の3回は救いについての理解を深める内容でした。そして前回は、聖書のことばが私たちに自由を与えるという内容でした。今回も、聖書のことばに関する学びです。

クリスチャンとして、人間として、「何と幸いなことだろうか」と言えるような人生を送りたいですね。2節には、幸いな人の特徴が書かれています。「まことに、その人は【主】のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ」。

1.昼も夜も口ずさむ

主の教えを積極的に守る

「主のおしえ」というのは、具体的にはモーセの律法のことです。ヘブル語でトーラーと言います。出エジプトの時代、神さまがイスラエルに与えた様々な命令で、出エジプト記の20章から申命記までのあちこちに記されています。内容は、
  • 道徳律
  • 刑法や民法などにあたる法令
  • 服装や食事など日常生活に関する決まり事
  • 儀式のやり方
など様々です。

神さまのみこころは私たちの幸せです。ですから、神さまの命令に従って生きていくとき、私たちは幸せに近づいていきます。そして、詩篇1:2は、幸いな人は、神さまの命令であるモーセの律法を昼も夜も口ずさむと述べています。

潜在意識に染み込ませる

ユダヤの学者たちによると、モーセの律法の命令は全部で613個あるそうです。そんなにたくさんの命令を守るためには、その教えが自分の血となり肉となっている必要があります。

孔子は「七十にして心の欲する所に従えども、のりをこえず」(70歳になると、自分が思う通りに行動しても、人として従うべき道を踏み外すことがなくなった)と述べています。神さまの教えが自分の血となり肉となっているというのは、それと同様の状態になっているということですね。

私たちは自分が見聞きした言葉によって、思いのほか強く影響を受けます。この話をお読みください

特に、自分が口ずさんだ言葉というのは、目からだけでなく耳からも入りますから、それだけ強い印象を与えます。この話をお読みください

そこで、幸いな人、正しい者は、昼も夜も律法の言葉を口ずさもうとします。それにより、教えが単なる知識にとどまらず、心の奥底にまで染み通り、無意識に影響を与えて、自然に行動や感情をコントロールするようになっていきます。

皆さんは、普段どんな情報に接していますか? どんなテレビを観、どんなサイトを読み、どんな雑誌を読んでいますか? そして、どんな口癖を語っていますか? 幸いな人は、神さまのことばをいつも口ずさみ、その影響が自分の内側に及ぶように心がけています。

モーセの律法自身もそれを勧めています。「あなたがたは、私のこのことばを心とたましいに刻みつけ、それをしるしとして手に結びつけ、記章として額の上に置きなさい」(申命記11:18)

キリストの律法

現代のクリスチャンは、モーセの律法を守るようには命ぜられていません。「キリストが律法を終わらせられたので、信じる人はみな義と認められるのです」(ローマ10:4)。代わりに、キリストの律法(第1コリント9:21)と呼ばれる命令が与えられています。具体的には、使徒たちが新約聖書の書簡などで教えていることです。

詩篇の時代のユダヤ人が、モーセの律法をいつも読み、昼も夜も口ずさんだように、私たちも聖書の教えに触れ続ける必要がありますね。新約聖書を理解するためには、旧約聖書の理解は不可欠ですから、もちろん旧約聖書も読まなければなりません。それによって、イエスさまのみこころが私たちの血となり肉となり、私たちの生き方を変えます。

私たちは弱いですから、最初は枠にはめて、習慣づけることが大事です。毎日時間を決めて聖書を開き、祈るようになさることをお勧めします。また、トイレのドアやデスク周りに、みことばを書いたカードを貼るなどの工夫をするのもいいですね。あなたはどんな習慣づけや工夫をなさっていますか?

2.主のおしえを喜びとする

みことばは甘い

しかも、「【主】のおしえを喜びとし」と書かれていることに注目しましょう。幸いな人にとって、神さまの命令を学び、それを口ずさみ、実際に守ることは、面倒くさいことでも、重荷でもなく、喜びです。罰が怖いから本当は従いたくないのにいやいや守っているというのではなく、積極的に心から望んで守っているということです。

ちょうど25年前の今頃、聖地旅行ツアーに参加しました。金曜日の夜に泊まったホテルでは、20名ほどのユダヤ人家族が宴会をしていました。ホテルの人に聞くと、安息日(金曜の日没後から土曜の日没まで)のお祝いのために、毎週親戚がそのホテルに集まって、食事をしたり、歌ったり踊ったりして楽しむのだそうです。

私はそれまで、「安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ」(出エジプト20:8)という命令について、あまり良いイメージがありませんでした。「働いてはいけない日」、「引きこもってじっとしていないといけない日」、「楽しいことは何もしてはいけない日」、要するに窮屈な日だと考えていたのです。しかし、実に楽しそうに安息日を祝うユダヤ人一家と出会い、目から鱗が落ちる思いがしました。

敬虔なユダヤ人が小さな子どもにモーセの律法を教え始める際、聖書にラップを巻いて、その上に蜂蜜を垂らし、なめるよう命じると聞いたことがあります。「お父さん、甘いね」。「そうだろう。神さまのみことばは、私たちにとって甘いものなんだ」。そして、詩篇119:103を開いて読ませます。「あなたのみことばは、私の上あごに、なんと甘いことでしょう。蜜よりも私の口に甘いのです」

自分はイエスさまの命令を、あんなに喜んで受け取っていただろうか。これらのエピソードを思い出すたびに、そう思わされます。

愛する人の言葉を聞くのはつらくない

私たちは、同じことを言われているのに、Aさんから言われると素直に従いたくなるのに、Bさんから言われるとかえって反発したくなることがありますね。

高校生の太郎くんが、髪を真っ赤に染めて帰ってきました。両親は「何だ、その鶏のとさかみたいな髪の毛は。切ってこい!」と言いましたが、太郎くんは「うるせぇ!」と怒鳴って飛び出してしまいました。

ちょうどその時、隣のおばさんが外に出てきました。このおばさんは、太郎くんのことを小さい頃からとてもかわいがってくれた人でした。おばさんは、険しい顔をして飛び出してきた太郎くんを見ると、太郎くんをぎゅっと抱きしめて言いました。「おばちゃん、その髪型、太郎くんに似合わないと思うな」。太郎くんは、その足で髪の毛を切りに行ったそうです。

私たちはなぜ神さまの命令を昼も夜も口ずさみ、その教えに従おうとするのでしょうか。そうしないと、罰せられて怖いから? いいえ。イエスさまが私たちのことを大好きで、そして私たちもイエスさまのことが大好きだからです。

イエスさまは、私たちを命がけで愛してくださいました。「しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます」(ローマ5:8)

すでに学んだ通り、赦された罪人であり、まだまだ発展途上にある私たちは、時にはイエスさまの命令に従いたくない、従えないと思ってしまうことがあります。しかし、そういう私たちのことを、なおもイエスさまはたまらなくいとおしいと言ってくださっています。

聖書を開く際、そして閉じる際、自分がイエスさまにどれほど愛されているかを思い巡らせましょう。それが、主の教えを喜びとする秘訣です。

まとめ

主の教えを喜びとし、昼も夜も口ずさみましょう。

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