聖霊に満たされながら

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使徒の働き2章1節〜21節

(2017.2.12)

参考資料

1節の「五旬節」(ペンテコステ)は、イスラエルの祭りの一つです。小麦の収穫感謝祭であり、モーセの律法が与えられたことを記念する祭りでもあります。大麦の収穫感謝祭である「初穂の祭り」から数えて50日目に行なわれるため、この名がついています。同じ理由で七週の祭りとも呼ばれます。

5節は、五旬節の祭りを祝うため、他国に住んでいたユダヤ人たちがエルサレムに集まってきていたという意味です。過越の祭り、仮庵の祭り、そして五旬節の3つの祭りの時には、ユダヤの成年男子はエルサレムで礼拝するよう定められていました。

20節の「主の大いなる輝かしい日」とは、イエス・キリストが再臨なさり、すべての悪をさばかれる日のことです。

聖書からのメッセージ

イントロ

今、私が神さまとの交わりの中で強く思わされているのは、私たちの教会は「変えられた人生」を提供できる存在になりたいということです(こちらのメッセージもお読みください)。1世紀の教会は、まさにそのような教会でした。

彼らは、互いに愛し合い、赦し合いました。経済的にも精神的にも支え合っていました。不健全な生き方を改め、聖書が教える正しい生き方に変えられていきました。お金や異性や社会的成功などに執着していたのが、解放されて自由になりました。多くの病がいやされました。臆病が勇気に、悲しみが喜びに、むなしさが充実に、疑いが確信に変えられました。

そして、そのような変化は、私たちの努力によるものではありません。では、何なのでしょうか。

1.聖霊の満たし

変えられた弟子たち

イエスさまが十字架にかかってなくなり復活する前、イエスさまの弟子たちはどんな人たちだったでしょうか。彼らはイエスさまの教えをほとんど理解せず、何度もイエスさまを嘆かせています。しかも臆病で、迫害を恐れず伝道したり、社会悪と戦ったりなんて、とてもできそうにない人たちでした。

しかし、五旬節(ペンテコステ)の祭りの日、神の霊である聖霊さまが天から降り、弟子たち一人一人を満たしたことで、彼らは全く別人のようになりました。
三位一体
ここで、「三位一体」について少し触れておきましょう。

聖書が繰り返し教えているのは、神さまは唯一だということです。創造主の他に神はいません。と同時に、天の父と呼ばれるお方、御子(神の子)と呼ばれるキリスト、そして聖霊(御霊)も、聖書の中でそれぞれ神と呼ばれています。

すなわち、神は唯一であり、その唯一の神は3つの人格(位格と言います)をお持ちです。父なる神、子なる神キリスト、そして聖霊なる神です。しかし、神が3人いるのではなく、神は唯一です。これが三位一体と呼ばれる真理です。私たちの理性ではとても理解できませんが、聖書はそう主張しています。
聖霊による再創造
とにかく、ペンテコステの日に弟子たちを満たした聖霊は、唯一まことの神さまです。宇宙の創造に参加なさった聖霊さま(創世記1:2)が、弟子たちの内に住んでくださり、彼らを内側から造り変えてくださったのです。

そして、聖霊の満たしは、当時の弟子たちだけでなく、私たちクリスチャンすべてに与えられている約束です。というのは、エペソ5:18でこう命ぜられているからです。「また、酒に酔ってはいけません。そこには放蕩があるからです。御霊に満たされなさい」。神さまは不可能な命令をなさるような方ではありませんから、私たちも聖霊に満たされることができるということですね。

聖霊の満たしが変えられた人生のカギ

あなたは神さまによって救われました。自分の力ではありませんね。私たちは自分の力では、神さまに喜ばれる生活を送ることができません。だから、イエスさまの十字架による一方的な罪の赦しが必要だったのです。

1月15日に学んだ「過去形の救い」(あらゆる罪が赦されること)を得るには神さまの助けが必要でした。同様に、1月22日に学んだ「現在進行形の救い」(少しずつ成長し、正しい生き方ができるようになっていくこと)を体験するにも、神さまの助けが必要です。

もし、あなたが自分の力でクリスチャン生活を送ろうとしているなら、みじめに失敗するでしょう。あなたが聖霊さまに満たされ、聖霊さまの助けを受け、聖霊さまにあなた自身を内側から造り変えていただいて、初めてクリスチャンとして生きることができるようになります。

変えられた生き生き人生の秘訣は、聖霊に満たされることです。それでは、聖霊に満たされるとはいったいどういうことなのでしょうか。

聖霊に満たされるとは

聖霊に満たされるとは、「三位一体の神さまが私のすべてを支配なさる」という意味です。

私たちには、自分の思うままに生きていきたいという欲求があります。その欲求に従って生きることは、私たちが私たち自身の支配者になるということです。すなわち、私が私の神になるということですね。

しかし、そういう生き方は自分を苦しめ、他の人を苦しめ、自然を苦しめてきました。そうではなく、神さまに私たちの人生を支配していただく必要があります。その時、神さまが本来与えようとしておられる生き生きとした素晴らしい人生が私たちのものとなります。

たとえで説明しましょう。クリスチャンになる前、私たちは自分で「自分の人生」という車を運転していました。しかし、私たちには車の運転技術が不足しています。ですから、あちこちで事故を起こし、快適なドライブを楽しむどころではありませんでした。しかし、クリスチャンになったとき、最高のドライバーであるイエスさまが車に乗ってくださいました。これでもう安心ですね。

ただし、せっかく乗り込んでくださったイエスさまを助手席や後部座席に座らせて、相変わらず私たちがハンドルを握っていたとしたら、事態は全く変わりませんね。しかし、運転席をイエスさまに明け渡すなら、そこから快適なドライブが始まります。

聖霊さまに、人生のすべてを支配していただきましょう。生活の一部だけではなく、家庭生活、教会生活、仕事、恋愛、人間関係など、生活のすべてをイエスさまに明け渡しましょう。「他の部分は神さまに従うけれど、この点だけは自分の自由にしたい」と握りしめている部分がなかったでしょうか。

神さまにすべてを捧げて従う生き方は、不自由に見えるかもしれませんが、実は最も自由な生き方です。初代教会のクリスチャンたちを見てください。あんなにも喜びにあふれ、力にあふれ、平安にあふれ、愛にあふれ、奇跡にあふれていたではありませんか。

では、どのようにすれば聖霊さまに満たしていただけるのでしょうか。

2.聖霊に満たされるには

神の約束を信じる

第1ヨハネ5:14-15にこう書かれています。「何事でも神のみこころにかなう願いをするなら、神はその願いを聞いてくださるということ、これこそ神に対する私たちの確信です。私たちの願う事を神が聞いてくださると知れば、神に願ったその事は、すでにかなえられたと知るのです」。

では質問です。あなたが聖霊に満たされることは、神さまのみこころ(願い)でしょうか? はい、もちろんその通りです。神さまがそう願っておられるからこそ、エペソ5:18で「聖霊に満たされなさい」と命ぜられているのです。

ならば、あなたが「自分は聖霊さまに満たしていただける」と信じて、「満たしてください」と祈るなら、その祈りは必ず聞かれます。神さまのみこころにかなった祈りだからです。ではいつその願いがかなえられますか? そうです、願ったその瞬間です。

満たされたらどうなるか

満たしてくださいと祈っても、何も感じないよという方がいらっしゃるかもしれません。満たされた感じがするかどうかは重要ではありません。祈ったら「満たされた」と信じること。それが重要です。

聖霊の満たしを求めて祈ると、様々な体験が伴うことがあります。それは人によって異なります。
  • 恍惚状態になる。
  • 異言(習ったことのない外国語のような祈りの言葉)が出てくる。
  • 神さまが近くにいてくださると感じる。
  • かたくなだった心が砕かれたような気持ちになる。
  • ただただ涙が出てくる。
  • 何だかうれしくて、笑いがこみ上げてくる。
  • 何も感じない。
あなたがどんな体験をしたかは、あまり重要ではありません。ニッキー・ガンベルという牧師が面白いたとえを語っています。人が誰かに恋をすると、いろんな体験をします。その人の前に行くとドキドキしたり、口ごもってうまくしゃべれなくなったり、真っ赤になったり……。しかし、大事なのは誰かを好きになってその人を大切にすることであって、それを抜きにしてドキドキすることを求めたり、うまくしゃべれなくなることを求めたりするのはナンセンスだ、と。

聖霊の満たしと求めて祈って、それで何も感じなかったとしても、全く問題ありません。あなたが恍惚状態になることより、もっともっと大切なのは、あなたとイエスさまの関係が前よりもさらに良くなることです。 この話をお読みください

やってみよう

さあ、あなたも今、信仰によって聖霊さまに満たしていただきましょう。
(1) 悔い改め
まず、まだ悔い改めていない自分の罪があれば、それを告白して赦しを確認しましょう。罪は神さまの祝福を邪魔します。

「見よ。【主】の御手が短くて救えないのではない。その耳が遠くて、聞こえないのではない。あなたがたの咎が、あなたがたと、あなたがたの神との仕切りとなり、あなたがたの罪が御顔を隠させ、聞いてくださらないようにしたのだ」(イザヤ59:1-2)。
(2) 願い
神さまに喜ばれる生活をしたいと願いましょう。一部だけでなく、あらゆる面においてです。

「義に飢え渇く者は幸いです。その人たちは満ち足りるから」(マタイ5:6)。
(3) 同意
自分の全生涯を神さまにお任せしようと決心しましょう。そして、聖霊さまがあなたの「すべて」を支配し、あなたを自由に造り変えることに同意しましょう。

「そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい」(ローマ12:1-2)。
(4) 祈り
聖霊に満たしてくださるよう求め、聖霊に満たされたことを信じて感謝する祈りをささげましょう。
主よ。私は自分勝手な生き方をしていました。そして、あなたを悲しませるようなことを、したり考えたりしました。お赦しください。
私はあなたに従いたいのです。私のやりたいことではなく、あなたが望まれることをしたいのです。しかし、私にはその力がありません。お助けください。
私を、あなたのお好きなように造り変え、お用いください。私は、あなたがなれとおっしゃる者になります。せよとおっしゃることをいたします。全生涯をもう一度おささげします。
聖霊さま、私を満たしてください。今、満たしてくださったと信じます。私を満たしてくださって感謝します。

まとめ

クリスチャン生活に、聖霊の満たしはなくてはなりません。

そして、聖霊の満たしは、一度きりのものであってはなりません。「聖霊に満たされなさい」というエペソ書の命令は、文法的に繰り返し行なうよう命じる形です。罪を犯してしまったとき、神さまに従っていないと気づいたとき、イエスさまとの関係が何かおかしいと思ったときは、信仰によって聖霊に満たされましょう。すぐに、です。

あなた自身への適用のためのディスカッションガイド


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