2つの教会

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マタイによる福音書16章13節〜19節

(2017.2.19)

参考資料

13節の「ピリポ・カイザリヤ」は、ガリラヤ湖の北40キロほどにあった町。

14節のバプテスマのヨハネは、イエスさまが公に宣教を開始する少し前に活動していた預言者(神さまの言葉を直接聞いて民に語る人)で、マタイ14章で殺されています。
エリヤとエレミヤは旧約時代の預言者。特に、エリヤは救い主(キリスト、メシヤ)が登場する前に再び地上に現れると預言されています(マラキ4:5)。
要するに、すでに死んだ預言者の一人がよみがえったのがイエスだ、と考えていた人たちがいたということです。

17節の「バルヨナ・シモン」は「ヨナの息子シモン」という意味。当時の民衆には姓がなく、父の名で呼ばれていました。

18節の「岩」はギリシャ語でペトラ。ペテロ(石という意味)の名と語呂合わせになっています。

19節の「ハデス」について。人が死ぬと、その魂はヘブル語でシオール(よみ)と呼ばれる場所に送られます。そこは、世の終わりの審判を待つための待合室のようなところです。
イエスさまの説教(ルカ16章)によると、シオールは深い淵によって2つに分かれていて、信者の魂は安らぎの待合室である「アブラハムのふところ」(パラダイス)に送られ、不信者の魂は苦しみの待合室である「ハデス」に送られます。

聖書からのメッセージ

イントロ

クリスチャン生活と教会は切っても切れない関係にあります。教会とは一体何なのでしょうか?

1.呼び集められた者たちの群れ

教会の土台

18節で、イエスさまはペテロに「あなたはペテロです。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます」とおっしゃいました。「この岩(ペトラ)」とは、ペテロ個人のことではありません。その前に、彼が弟子たち全体を代表して語った「あなたは、生ける神の御子キリストです」という信仰告白のことです。

教会の土台は、特定の個人ではありません。どんなに信仰的で、力のある、優れた指導者であったとしてもです。教会の土台は、イエス・キリストを救い主だと信じる私たち一人一人の信仰です。

エクレシア

新約聖書はギリシャ語で書かれていて、教会と訳されている言葉は「エクレシア」です。この言葉には教えるという意味はありません。元々は「呼び集められた人たち」という意味です。ですから、教会以外、例えば議会を指すときにも用いられています(使徒19:39)。

「教会に行く」という言い方がありますが、この場合の教会は、正確には「教会堂」、すなわち「教会の建物」のことですね。しかし、教会とは、本来は建物のことではなく、呼び集められた「人々」、クリスチャンの集まりのことです。

教会堂のない教会はあり得ます(私たち中通りコミュニティ・チャーチもそうです)。しかし、いくら立派な教会堂があっても、そこでイエス・キリストを救い主と信じ、神さまを礼拝するクリスチャンがいなければ、教会とは言えません。

ですから、教会にとって、あなたはなくてはならない大切な存在です。そして、あの人も、この人もそうです。

呼び集めたのは誰?

教会が、呼び集められた人たちの群れなのだとすれば、招集をかけたのは一体誰でしょうか。もちろん、天地をお造りになった創造主です。

あなたは、自分で神さまを選んでクリスチャンになったわけではありません。神さまの方からあなたを選び、呼んでくださったので、あなたはイエス・キリストを信じ、罪を赦されて救われ、神さまの子どもとされ、そして教会の一員、教会の一部となりました。

この点は決して忘れないでください。自分が神さまを選んだのだと思っていると、何か失敗をしてしまったり、自分よりも素晴らしい生き方をしている教会員を見たり、気分的に落ち込んだりすると、自分がクリスチャンとしてふさわしくない、この教会の一員としてふさわしくないと思うようになってしまうかもしれません。

いいえ! あなたが神さまを選んだのは、まず神さまがあなたを選んでくださったからです。教会の土台である信仰すら、私たちが自分で生み出したものではなく、神さまが私たちを呼んでくださったおかげで与えられました。「このことをあなたに明らかに示したのは人間ではなく、天にいますわたしの父です」(17節)。

だから、自分はふさわしくないなどと、決して考えないでください。堂々とクリスチャンだということを宣言し、教会の一員であることを喜んでください。イエスさまご自身がこうおっしゃっています。

「あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。それは、あなたがたが行って実を結び、そのあなたがたの実が残るためであり、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものは何でも、父があなたがたにお与えになるためです」(ヨハネ15:16)。

私たちは父なる神さまの呼びかけによって、イエス・キリストの十字架と復活を信じ、救われて、教会の一員としていただきました。

次に、「教会の一員になった」というポイントについてお話しします。「あなたは常に2種類の教会の属している」といえば、びっくりなさいますか? 今日は須賀川の教会、来週は郡山の教会……そういうことではありません。2つの教会とは、「地域的教会」と「普遍的教会」のことです。「目に見える教会」と「見えない教会」という言い方をすることもあります。

2.地域的教会と普遍的教会

地域的教会

地域的教会、見える教会というのは、普通私たちが教会として認識しているクリスチャンたちのグループのことです。

使徒2:47には、エルサレムにできた最初の教会の様子が描かれています。「神を賛美し、すべての民に好意を持たれた。主も毎日救われる人々を仲間に加えてくださった」。特に後半に注目しましょう。キリストを信じた人々はどうなりましたか? そうです。クリスチャンの群れに仲間として加えられました。すなわち、教会の一員となったのです。

教会はクリスチャンの集まりですが、人間が自分たちの都合で作った組織・制度ではありません。イエス・キリストがご自身のご計画と権威によって作られたものです(18節)。それを教会と呼ぶか、集会と呼ぶか、会合と呼ぶかは別として、クリスチャンはクリスチャンの集まりである教会に加わることが期待されています。

クリスチャンは、見える教会の一つに所属して、他の兄弟姉妹と共に礼拝し、聖餐式に参加し、交わり、指導を受け、互いに励まし合ったり慰め合ったり助け合ったりし、協力して伝道や社会奉仕をすることが求められています。一匹狼の聖書的クリスチャンなどあり得ません。

一つの教会に腰を落ち着けず、あちこちの教会を渡り歩く渡り鳥のようなクリスチャンがいます。教会を移るにはさまざまな理由がありますし、必ずしも良くないこととは言えません。しかし、自分に都合のよい教え、自分に好ましい教えだけを求めてさまようことが癖になってしまうと、健全なバランスの取れた成長が難しくなります。

また、他の人に仕える喜び(使徒20:35)を体験しにくくなる恐れもあります。クリスチャンは一人では健全な信仰を保つことができないのです。

普遍的教会

普遍的教会(見えない教会、あるいは公同教会)とは何でしょうか。これは、地域や人種を超えて世界中に存在するクリスチャンたちの群れのことです。ですから、ハワイのホープチャーチのクリスチャンも、中国で地下活動をしている家の教会のクリスチャンも、東京の町田クリスチャンセンターのクリスチャンも、私たち中通りコミュニティ・チャーチのクリスチャンも、そして今は一匹狼や渡り鳥のようになっているクリスチャンたちも、みんな普遍的教会の一員です。

さらに、この普遍的教会には、すでに亡くなった昔のクリスチャンたちや、これから救われるクリスチャンや、まだ生まれていないクリスチャンも含まれます。

「私たちは、このキリストによって、両者ともに一つの御霊において、父のみもとに近づくことができるのです。こういうわけで、あなたがたは、もはや他国人でも寄留者でもなく、今は聖徒たちと同じ国民であり、神の家族なのです」(エペソ2:18-19)。

ここで「両者」と言われているのは、元々神の民であったユダヤ人でクリスチャンとなった人たちと、ユダヤ人ではない民族(異邦人)でクリスチャンとなった人たちのことです。両者は、同じ神の国の国民となり、同じお方を天の父と呼ぶ神の家族となりました。

では、民族も、国籍も、地域も、年齢も、性別も異なる者たちが普遍的教会に属する者として一つだとされているのは、どのような共通体験があるからですか? そうです。イエスさまを信じる信仰です。

地域的教会には様々な個性があります。礼拝式のスタイルも、採用している賛美歌の雰囲気も、伝道方法も、交わりの仕方も、規則も、組織も、みんな違います。しかし、どんな教会に属していても、イエス・キリスト信じる信仰によって、私たちは一致することができるはずです。

2つの教会に属する者として

私たちは、一つの地域教会に属する者でなければなりません。一匹狼や渡り鳥のクリスチャンにならないようにしましょう。と同時に、同じお方を救い主と信じている世界中のクリスチャンは、みんな神さまの家族なのだという意識を無くさないようにしましょう。

他教会批判は、その教会に対する愛に満ちた、建設的な、直接の忠告でない限り、「普遍的教会」全体にとっては、はなはだ有害です。

ましてや、教会同士で会員や未信者を取り合うなどもってのほかです。救われた人が中通りコミュニティ・チャーチにつながろうが、他の教会につながろうが、神の国全体の人口は変わりません。大切なことは、同じ地域教会に集う教会員同士が受け入れ合い、愛し合い、支え合うこと、そしてまだ救われていない人たちの救いのために祈り、働くことです。

あなたは、地域的教会の一員として、他の教会員によって祈られています。また、普遍的教会の一員として、全世界のクリスチャンがあなたのために祈ってくれています。あなたもまた、自分が属している地域的教会のメンバーのために、また全世界の諸教会に属するクリスチャン、そして、これから救われる人たちのために祈りましょう。

まとめ

2つの教会に属しているという意識を忘れないようにしましょう。

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