最高のいけにえ

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ローマ人への手紙12章1節〜2節

(2017.3.12)

参考資料

「霊的な礼拝」とは、「理屈に合った礼拝」「当然行なうべき礼拝」というような意味です。また、「自分を変えなさい」は、「(神によって)変えていただきなさい」とも訳せます。

その点、この箇所に関しては新共同訳が優れていると思います。
12:1 こういうわけで、兄弟たち、神の憐れみによってあなたがたに勧めます。自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。これこそ、あなたがたのなすべき礼拝です。
12:2 あなたがたはこの世に倣ってはなりません。むしろ、心を新たにして自分を変えていただき、何が神の御心であるか、何が善いことで、神に喜ばれ、また完全なことであるかをわきまえるようになりなさい。

聖書からのメッセージ

イントロ

前回、教会の活動の中心は礼拝であり、礼拝とは神さまの素晴らしさを知り、それをほめたたえることだと学びました。今回も、礼拝について教えていただきましょう。キーワードは「いけにえ」です。

1.礼拝といけにえ

旧約時代のいけにえ

旧約時代、特にイスラエル人がモーセの律法を守っていた時代の礼拝では、さまざまなささげ物が神さまにささげられていました。動物が犠牲としてささげられるものには、主に3つの種類がありました。
罪のためのいけにえ(罪祭)、罪過のためのいけにえ(愆祭)
これは、人が罪を犯したとき、悔い改めた人に罪を赦しを得させて、神さまとの平和な交わりを回復するためのささげものです。
和解のいけにえ(酬恩祭)
神さまから祝福をいただいたり、祈りに応えられたり、誓願(神さまが自分の願いを聞き届けてくださった時、ある事をすると約束すること)の期間が満了したりしたときに、感謝を込めて自発的にささげました。
全焼のいけにえ(燔祭)
このいけにえの特徴は、ささげた動物の全身すべてを焼き尽くすことです(他の動物犠牲では、脂肪分だけを焼き、肉は祭司や礼拝者が食べました)。これは、ささげる当人が自分のすべてを神さまにささげるという意味、すなわち完全な献身を意味しています。

なお、この全焼のいけにえは、モーセの律法が与えられる前から、すなわちアダムの時代から、信者によってささげられていました。

現代のいけにえ

現代のクリスチャンは、モーセの律法からは解放されていますから(ローマ10:4)、動物を礼拝式で犠牲としてささげることはしません。
罪祭、愆祭
罪の赦しはイエスさまが十字架にかかって血を流し、ただ一度で完全な赦しをもたらしてくださったことによってもたらされました。イエス・キリストの十字架と復活を信じた私たちの罪は、過去のものも、現在のものも、これから犯す未来のものも、すべて完全に赦されました。

ですから、私たちは、自分の罪に気づいたとき、それを素直に認めて神さまに告白するだけで、神さまとの関係を回復することができます。「もし、私たちが自分の罪を言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます」(第1ヨハネ1:9)
酬恩祭
感謝や誓願のささげものは、旧約時代でも自発的にささげるもので、ささげるささげないは自由でした。今でも、何かうれしいことが起こったときや、クリスマスやイースターなど特別なイベントのときなどに、感謝献金をささげる方もおいでです。素晴らしいことです。

ただ、別にお金をささげるという方法だけが感謝を表すことではありません。最も素晴らしい方法は、感謝を口に出して神さまに申し上げることです。前回学んだ通りですね。

現代の全焼のいけにえ

そして、全焼のいけにえ(燔祭)も、形として動物をささげるということはしていません。しかし、ローマ12:1-2で教えられていることは、全焼のいけにえが意味していることと同じです。すなわち、私たちのすべてを神さまにささげて生きることです。

私たちのすべて、すなわち体も、心も、能力も、財産も、将来の夢も、命さえも、すべてを神さまにささげること、これを「献身」と言います。

献身は、狭い意味ではフルタイムの牧師や伝道者になることを指しますが、牧師でなくても、「自分のすべては神さまのもの。だから、神さまが喜ばれる生き方をしよう」と決意しながら生きるなら、それは献身です。

そして、礼拝とは献身の意思を私たちが再確認する場です。次は、この点をもう少し深めましょう。

2.聖なる生けるいけにえとして生きる

献身の人生

礼拝式の時に献金をしますね。これは献身の一つの表現です。すなわち、「私の財産はすべて神さまの所有物であり、私はそれを管理するようゆだねられている」という信仰、また「私を養うのはお金ではなく、神さまなのだ」という信仰の表現です。

イエスさまは、わずか2レプタ(100円程度)をささげた婦人が最もたくさんささげたとおっしゃいました(マルコ12:41-44)。それが彼女の全財産だったからです。彼女がささげたのは、ただの100円ではなく、彼女の命、彼女の全生活でした。

もちろん、だからといって、私たちがすべての財産を献金しなければならないということではありません。献金は会費ではありませんから、額や割合が決まっているわけではありません。それは自発的にささげるものです。また献金はおさい銭でもありません。神の祝福はタダだからです。献金はあなた自身をささげることです。どうぞそのような意識でささげてください。

そして、献金だけが献身の表現ではありません。パウロは、私たちが自分自身を「生きた」供え物としてささげるよう命じています。私たちの生活すべてが、献身の表現であることが求められているのです。

ですから、こう言われています。「こういうわけで、あなたがたは、食べるにも、飲むにも、何をするにも、ただ神の栄光を現すためにしなさい」(第1コリント10:31)

私たちの一挙手一投足が、父なる神さま、イエスさま、聖霊さまの素晴らしさをより明らかにするような、そんなものになるよう、意識しながら生活しましょう。

最高のささげもの

レビ22:18-25には、イスラエルの人たちがささげる捧げ物について、書かれています。それは、傷もシミもないものでなければなりませんでした。また、23:10には穀物の捧げ物について書かれています。それは、そのシーズンの最初に収穫したものでなければなりませんでした。要するに、あなたが持っている「最高のもの」をささげなさいということです。
礼拝出席について
さて、あなたは、1週間のスケジュールを計画なさるとき、何を優先なさいますか? 礼拝出席を先に予定に組み込まれるでしょうか。それとも、他のスケジュールをあらかた埋めておいてから、「余裕があったら礼拝出席の予定を入れよう」となさるでしょうか。

忙しくて、礼拝出席ができないという方もおいででしょう。ただ、他の6日間の生活をあらためて見直してみることで、何とか出席できるように工夫しておられる方たちもたくさんいらっしゃいます。

「家を空けることを家族が反対するのです」とおっしゃる方もおいでです。信仰のことで、愛する家族から反対されるのは、本当につらいことです。しかし、ある若い方は、家族との関係をもう一度振り返りました。家族はイエス・キリストが嫌いなのではなく、クリスチャンである自分が家族を顧みなかったり、なすべきことをしなかったりする……たとえば、手伝いをしなかったり、勉強をおろそかにしたり、家族との対話をしなかったりすることに腹を立てているのではないかと考えました。そして、礼拝式以外の時間の使い方をもう一度見直すことにしました。

このような不断の努力を続け、それでも実際問題として礼拝式に出席できなかったとしたら、あなたは立派に礼拝していることになります。なぜなら、礼拝とは献身だからです。
礼拝日以外の6日間
神さまは礼拝式では最高のささげものをせよとおっしゃいます。神さまが真に求めておられるささげものとは、動物でもお金でもなく、あなた自身です。あなたは、礼拝日以外の6日間をどのように過ごして、礼拝式に出席なさいますか?

失敗しながらも必死で信仰の戦いをした、そんな「あなた」をささげますか? それとも、礼拝式の時だけは敬虔そうな顔をして、そのほかの時間はあまりキリストと関係ない生活を送っている、そんな「あなた」をささげますか? 神さまはどちらを喜ばれるでしょうか。
車の両輪
礼拝とは、公の礼拝式の時間だけのものではありません。実は24時間、7日間、356日間、あなたの生きている一瞬一瞬が礼拝に関係しています。週に1度の公の礼拝式は、1週間の生活の縮図なのです。

公の礼拝式と日常生活は、車の両輪のようなものです。普段のあなたの生活が、イエスさま中心の生活であるとき、週に1度の礼拝式は、本当に祝福に満ちたすばらしいひとときとなるでしょう。また、公の礼拝式において神さまを心から賛美し、罪を悔い改め、神さまに自分をささげる決心をしていくとき、あなたの日常生活は、自ずとさらに信仰的なものへと変化していくことでしょう。

礼拝は、あなた自身をささげることです。また、礼拝式は、あなたの日常生活の練習場です。

ですから、今日から次回の礼拝式の備えをしていきましょう。あなた自身が「最高のささげ物」となるために、あなたの日常生活をどのように変えていったらいいでしょうか。

神さまに変えていただこう

もちろん、このような生活は、自分の力で実行することはできません。聖霊なる神さまは、私たちを内側から造り変えてくださいます。パウロも「変えていただきましょう」と勧めています。

ですからこう祈りましょう。「聖霊なる神さま。私が神さまのみこころを知ることができるよう、そしてそれを一生懸命に実践することができるよう、私自身を聖なる生きたいけにえとして捧げることができるよう、お助けください」。

まとめ

24時間精一杯努力して神さまのみこころを行ない、この身を聖なる生きたいけにえとしてささげましょう。

あなた自身への適用のためのディスカッションガイド


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