平安があるように

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ヨハネによる福音書20章19節〜29節

(2017.4.16)

参考資料

「週の初めの日」(19節)とは、日曜日のこと。イエスさまが復活なさった当日です。

「ユダヤ人を恐れて戸がしめてあった」(19節)と書かれていますが、ユダヤ人とは、ここではユダヤの指導者たちのこと。

「平安があなた方にあるように」(19節)というのは、ヘブル語で「シャローム」。「こんにちは」や「さようなら」のあいさつの言葉です。

「手とわき腹」(20節)には、イエスさまが十字架にかけられた時、釘付けにされた傷と、絶命後に死亡を確認するために槍で刺された傷がありました。

「聖霊」(22節)とは、神さまの霊のこと。三位一体の神さまの第三位格です。聖霊さまは、罪の状態にあることを人に示し、悔い改めに導き、イエスさまを信じるよう促し、人の内面を聖めて成長させ、真理を理解する力と奉仕の力を与えます。ちなみにヘブル語でもギリシャ語でも霊を表す言葉は、息や風を表す言葉と同じです。

聖書からのメッセージ

イントロ

「平安があるように」(シャローム)という言葉は、ユダヤの普通の挨拶です。しかし、復活したイエスさまは、弟子たちのところに本当に平安を持ってきてくださいました。「弟子たちは、主を見て喜んだ」(20節)

私たちも、様々な理由で平安を失ってしまいます。しかし、復活し今も生きておられるイエスさまは、私たちにも平安を与えようとしておられます。今日、そのことを確認して、本当に平安をいただきたいと思います。

まずは今回の箇所の弟子たちに注目してみましょう。彼らはどんな状態から平安を与えられたのでしょうか。

1.平安が失われた状態

恐れ

イエスさまは、ご自分のことを聖書が登場を約束している救い主(メシヤ、キリスト)だと主張なさいました。ユダヤの指導者たちはそれを受け入れませんでしたが、多くの人々がイエスさまを救い主だと信じ、従うようになっていくのを苦々しく思っていました。そこで、ついにイエスさまを逮捕し、十字架につけて殺してしまったのです。

彼らは、イエスさまに従っていた弟子たちのことは鼻にもかけておらず、リーダーであるイエスを取り除きさえすれば、熱が冷めてまともな生活に戻るだろうと考えたのでしょう。しかし、そんなことは知らない当の弟子たちは恐れていました。自分たちも逮捕され、殺されてしまうのではないかと考えていたからです。

不安は破壊的な未来を思い描くところから始まります。その予想が合理的なものにせよ、ただの想像に過ぎないものにせよ、これからひどいことが起こるに違いないと思えば、人は平安を失います。

まだ子どもが小さかった頃のこと、夜中に急な腹痛に襲われたことがあります。ちょうど、ある役者さんが大腸ガンになったというニュースを見たばかりでしたから、自分も大腸ガンかも知れないと思ってしまいました。想像するのは、自分が痩せこけ、抗がん剤による吐き気や体の痛みに苦しみながら病院のベッドに横になっている姿や、自分のお葬式で家内や幼い娘たちが泣き悲しんでいる姿です。私は不安になり、まんじりともせずに夜を明かしました。翌朝すぐに病院で診てもらうと、おなかにガスがたまっていたせいで腸が炎症を起こしていただけだと言われました。そして、医者の言う通り、おならが出たらすぐに痛みが治まりました。

今あなたは不安の中にいますか? であれば、一体どんな未来を想像しているでしょうか。

嫉妬

使徒トマスは、イエスさまが他の弟子たちの前に姿を現したとき、どういうわけかその場にいませんでした。他の弟子たちが興奮して、「トマス、イエスさまは復活なさった。生きて、私たちに会いに来られたんだ!」と口々に語るのを一笑に付しました。「そんなの信じられるか。この目で見なければ信じない。この手で触らなければ信じない」。

こういうエピソードのおかげで、この2千年間、彼は「疑り深いトマス」という不名誉なあだ名で呼ばれます。しかし、彼だけをそんなふうに揶揄するのはどうかと思います。他の使徒たちだって、女の弟子たちがイエスさまに会ったと報告したとき、それを信じようとしなかったのですから(ルカ24:11)。

それに、トマスの立場に立ってみれば、こんなふうに喜んでいる仲間たちに冷や水をぶっかけるような言葉を吐く気持ちも分からないではありません。トマスは他の弟子たち同様、イエスさまを心から愛していました。家も仕事も捨ててイエスさまに従ってきました。それなのに、自分だけが復活のイエスさまに会うことができなかったのです。もし本当にイエスさまが復活なさったのだとすれば、どうして自分がいないタイミングで姿を現されたのでしょうか。

「どうして?」 トマスは自分の頭の中でどんな答えを用意していたと思いますか? おそらく「イエスさまは自分のことなんかどうでもいいと思っておられたから」、でしょう。その結果悲しくなり、仲間たちに嫉妬して、冷や水をかぶせたくなったのでしょう。

何を考えているか

私たちが腹を立てるのは、腹を立てるようなことを頭の中で考えているからです。悲しくなるのは、悲しくなるようなことを心の中でつぶやいているからです。恐れるのは、破壊的な未来を想像し、思い巡らしているからです。落ち込むのは、自分を責めるようなことを考えているからです。

あるOLさんが落ち込んでいました。どうしたのかと尋ねると、風邪を引いて37度5分ほどの熱が出て、さらに咳は出るし、鼻は出るしで、申し訳ないけれど仕事を休みたいと課長に電話をしたのだそうです。すると、課長が「分かった。熱が完全に下がるまで休んでいいからね。ゆっくり休みなさい」と言ってくれたのだそうです。「どうしてそれで落ち込んでいるのですか?」と尋ねると、「ああ、会社にとって、どうせ自分なんかいてもいなくてもいい存在なんだな」と思ったからだそうです。

そこでまた尋ねました。「じゃあ、課長さんがこんなふうに言ったとしたらうれしかったですか? 『冗談じゃない。この忙しいときにそれくらいの発熱で休まれたら困る。今すぐ出勤しなさい』」。しばらく考えておられたその方は、こう答えました。「たぶん、自分は大切にされていないと思って落ち込むと思います。そうか、どっちにしても私は落ち込むんですね。人がどう言ったかじゃなくて、私がそれをどう受け取るか、どう考えるかなんですね」。

私たちは今、平安でしょうか。そうでないとしたら、どんなことを思い描き、考えているでしょうか。平安を失い、怒りや悲しみや恐れで一杯になったときには、ちょっと落ち着いて頭の中の考えやイメージを明確にしてみましょう。

もし、わざわざそう考えなくてもいいのに、自分を恐れさせたり、惨めにしたり、悲しませたりするようなことを考えているのであれば、それを捨てて、もっと楽になるような考えをするようにしましょう。

ただし、これは心理学的な知識です。もちろん、医学的な知識や法律の知識が私たちの役に立つように、心理学的な知識は私たちにとって有益です。しかし、こういう心理学的な方法で得られる平安は、イエスさまが与えてくださる平安とは異なります。

十字架にかかる前、イエスさまは弟子たちに平安を与えるとあらかじめ約束しておられます。「わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません」(ヨハネ14:27)。次に、このポイントについて掘り下げてみましょう。

2.復活したイエスとの出会い

イエスがくれる平安

聖書が教える平安(シャローム)とは、単に問題がなくて落ち着いているという静かな意味ではありません。それは、たとえ問題があったとしても、内側から喜びや希望ややる気や忍耐力などがわき上がる、エネルギーに満ちた状態です。イエスさまは、そのような平安、シャロームを与えると約束なさいました。

10人の使徒たちが恐れから解放され、使徒トマスが疑いや嫉妬から解放され、喜びに満たされたのはどうしてでしょうか。それは、復活して生きておられるイエスさまに出会ったからです。

イエスさまが死んでしまい、しかもその死体が誰かに持ち去られてしまったことを深く悲しんでいたマグダラのマリヤは、喜びで一杯になりました。それは、復活したイエスさまが彼女の前に姿を現したからです(ヨハネ20:11-18)。

イエスさまの死後、希望を失い、エルサレムを離れて故郷のエマオに戻ろうとしていたクレオパともう1人の弟子は、途中で心が再び希望の炎に燃やされました。それは、復活したイエスさまが彼らに近づき、話しかけ、救い主の死と復活に関する聖書の預言を解き明かしてくださったからです(ルカ24章)。

このように、イエスさまが共にいてくださることそのものが、弟子たちの心に大きな平安、喜びや希望や力を与えたのです。

力強い主イエス

弟子たちと共におられるイエスさま、そして私たちと共にいてくださるイエスさまはどんなお方でしょうか。人生最悪の問題である死さえも打ち破り、よみがえられた方です。悪魔でさえも、イエスさまを打ち負かすことはできませんでした。

イエスさまの十字架と復活を信じた私たちクリスチャンは、みな神さまの子どもとされています。天のお父さまである神さまは、子どもである私たちを愛し、守り、支え、確かなところに導いてくださいます。その神さまは、この宇宙を造り、支えているほどに知恵に満ち、力に満ちておられます。

だから、復活して今も生きておられるイエスさまと交わり、父なる神さまと交わるとき、私たちは勇気が与えられるのです。どんな問題の中にあっても、「でも、大丈夫」と思えるのです。破壊的な未来ではなく、希望に満ちた未来を想像できるのです。自分を悲しませ、惨めにし、絶望させるような考えではなく、希望や喜びが与えられるようなことを考えることができるのです。

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聖霊によるシャローム

イエスさまは弟子たちに、「聖霊を受けなさい」とおっしゃいました。聖霊なる神さまの働きの一つは、私たちに真理を思い起こさせてくださることです。第1のポイントの最後に引用した箇所の直前で、イエスさまはこうおっしゃっています。「しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、また、わたしがあなたがたに話したすべてのことを思い起こさせてくださいます」(ヨハネ14:26)

イエスさまがどんなお方なのか。天の父なる神さまがどんなお方なのか。そして、イエスさまのしもべであり、父なる神さまの子どもである私たちに、神さまはどんな祝福を約束しておられるのか。それらは聖書に書かれています。それを深く理解させ、必要に応じて思い出させてくださるのは、聖霊なる神さまのお働きです。

この後、弟子たちは、かつて恐れていた通り激しい迫害に遭います。ヨハネは流刑に遭うなどの苦しみに遭い、他の弟子たちはみんな殉教しました。しかし、彼らは勇気を失いませんでした。聖霊なる神さまに満たされ、神さまの約束をしっかりと握っていたからです。それどころか、聖霊さまの助けにより、他の人々に平安に満ちた人生を提供していきました。

私たちもまた、聖霊なる神さまを通して、いつでも復活したイエスさまと交わることができます。そして、様々な困難の中で、イエスさまが与えてくださるエネルギーに満ちた平安を味わい、またそれを他の人にもお裾分けすることができます。

まとめ

復活したイエスさまは、私たちにこの世では与えられないような平安を与えてくださいます。あなたも、そのような人生に招待されています。

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