より良い人間関係

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創世記3章1節〜21節

(2017.3.12)

参考資料

ここに登場する男の名はアダム、女の名はエバです。この時点で、人間はこの世にこの2人しかいません。そして、蛇は神さまに反逆した天使であるサタン(悪魔)の影響を受けています(黙示録20:2「あの古い蛇」)。

8節の「そよ風の吹くころ」は、夕方のこと。「園を歩き回られる神」という言葉は、「定期的に」「習慣的に」というニュアンスの表現です。アダムが一日の仕事を終えた頃、神さまはエデンの園を訪問なさり、アダムやエバと親しく語らうのを習慣としておられたということです。

14節の「ちりを食べる」というのは、蛇の食べ物が地のちりとなるという意味ではなく、惨めな状態になるという意味の、ユダヤの慣用句です(詩篇72:9など。他に、ちりの上に伏すという表現も同様)。

15節の「女の子孫」とは、やがて人間として地上に来られる救い主(メシヤ、キリスト)のこと、「おまえの子孫」とは、世の終わりにサタンの力によって登場する反キリスト(黙示録では獣と呼ばれています)のことです。

16節の「あなたのうめきと苦しみを大いに増す」は、直訳すると「あなたのみごもりと苦しみを増す」です。すなわち、
  • 妊娠する能力が増して妊娠・出産のペースが早くなりました。人は死ぬようになったので、たくさん子どもが生まれないと滅びてしまいます。
  • 月経痛、つわり、陣痛によって苦しまなければならなくなりました。

聖書からのメッセージ

イントロ

夫婦というのは、人間にとって最初の人間関係でした。罪を犯したとき、アダムとエバの関係が良くない方向に変化しました。この記事を通して、イエスさまが人間関係をいやし、ぬくもりのあるものに変えてくださることを学びましょう。

1.責任転嫁と支配

最初の状態

アダムとエバの最初の関係は、とても麗しいものでした。エバはアダムの助け手(パートナー)として、アダムの脇腹のスペアリブから造られました。アダムが一家のリーダーではありましたが、そこには上下関係はありません。エバと出会ったアダムは、世界で最初のラブソングを歌います。

「これこそ、今や、私の骨からの骨、私の肉からの肉。これを女と名づけよう。これは男から取られたのだから」(2:23)。ヘブル語で男はイシュ、女はイシャです。「イシュから取られたからイシャだ」という、世界で最初の親父ギャグですね。

それはさておき、アダムとエバは、まるで一心同体であるかのように愛し合い、支え合っていました。これが元々の関係です。

責任転嫁

ところが、アダムとエバは神さまの命令に逆らい、罪を犯してしまいました。そのことについて神さまに尋ねられたとき、アダムは素直に罪を認めて謝ることをせず、ごまかそうとします。あんな熱烈なラブソングを歌った同じ口で、こう言い放ちます。「あなたが私のそばに置かれたこの女が、あの木から取って私にくれたので、私は食べたのです」(12節)

私が悪いわけじゃない。食べさせた妻が悪いんだ。もっと言えば、あんな女を私に押しつけた神さまのせいだ、というわけです。エバはエバで、蛇すなわちサタンのせいにします。二人とも、責任転嫁したのですね。

支配合戦

罪を犯したアダムとエバに対して、神さまは罰を下されました。人類の代表であるアダムに対してはこのような宣言が成されました。
  • 自然界が呪われて元のすばらしさを失ってしまったこと(ローマ8:19-20も参照)
  • 努力が必ずしも報われない世界になってしまったこと
  • やがて死んで肉体が滅びること
また、女性の代表であるエバに対しては、参考資料で解説したように妊娠・出産に伴う苦しみが与えられました。さらに、「あなたは夫を恋い慕うが、彼は、あなたを支配することになる」(16節)と言われました。

これは、「女性は夫が好きで好きでたまらないのに、夫は横暴に妻を支配する」という意味ではありません。「恋い慕う」と訳されている言葉(タシュカー)には、「相手を支配して自分の思い通りに動かそうとする」という意味もあります。

4:7で、弟アベルに対して嫉妬のあまり殺意を抱いたカインに対して、神さまはこう諫めておられます。「罪は戸口で待ち伏せして、あなたを恋い慕っている。だが、あなたは、それを治めるべきである」。

ですから、エバに対する第2の宣言の意味は、「夫婦が互いに相手を自分の思い通りに動かそうとして、支配合戦を繰り広げるようになる」という意味です。

おかしくなった人間関係

人間関係の基本である夫婦関係がおかしくなったので、他の人間関係、親子関係とか、友人関係とか、仕事上の関係などもおかしくなってしまいました。さらに、人間同士の集団である、たとえば国と国との関係もおかしくなってしまいました。

おかしな人間関係には、自分を正当化して相手を非難したり、相手を自分の思い通りに動かそうとしたりする力が働いています。

支配というのは、別に暴力や脅しを使って人を動かすだけではありません。不機嫌な態度、無視、涙、嫌みなど、相手を不安や寂しさ、罪責感や羞恥心などの嫌な気持ちにさせて、それを感じたくないならこちらの願う通りに動けというのも支配です。

最近体験した嫌な人間関係を振り返ってみましょう。背後に、正当化や非難や支配が横たわっていませんでしたか?

2.恐れを取り除いた神

原因は恐れ

アダムやエバはなぜ自分を正当化しようとしたり、人を自分の思い通りに動かそうとしたりしたのでしょうか。そして、私たちもなぜそんなことをするのでしょうか。それは、根っこの所に恐れがあるからです。今の自分はダメなんじゃないか、自分はこのままでは幸せになれないんじゃないかという恐れです。だから責任を他人になすりつけたり、他の人を思い通りに動かして自分を幸せにしてもらおうとしたりするわけです。

罪を犯したアダムとエバは、神さまがエデンの園にいらっしゃったとき、それまでは決してしなかったことをしました。彼らは隠れました。全知全能の神さまから隠れようなどとは噴飯ものなのですが、それでも彼らはそうしないではいられませんでした。恐ろしかったからです。

また、自分自身のあるがままの姿が受け入れられなくなって、イチジクの葉っぱで局部を隠そうとしました。神さまや自分自身との関係がおかしくなったのです。その結果、他人との関係もおかしくなってしまいました。

皮の衣

そんなアダムとエバを、神さまは理想郷であるエデンの園から追い出しました。しかし、ここにも神さまの恵みが現わされています。1つ目は、人類をその時すぐに滅ぼすこともできたのにそうなさらなかったということ。2つ目は、やがて救い主が現れて、人類の罪の呪いを取り除くと約束なさったこと(15節)。そして3つ目は、アダムとエバの裸の恥を被うため、皮の衣を用意して着せてくださったことです。

皮の衣が作られたということは、少なくとも1頭の動物が死んだということです。本来、アダムとエバが罰として殺されて血を流さなければならなかったのに、動物が代わりに血を流してくれました。

このときから、神さまに礼拝を捧げるときには、動物を犠牲としてほふり、血を祭壇に注ぐことによって、神さまに罪を赦していただき、受け入れていただくということが始まりました。

そして、今から2千年前、神の御子、約束の救い主であるイエスさまが地上に来られました。この方は罪のない完璧な人生を送りましたが、十字架にかかって亡くなります。それは、私たち全人類の罪の赦しのため、身代わりの犠牲となって血を流すためです。

クリスマスの日、天使が羊飼いたちに言いました。「恐れることはありません」(ルカ2:10)。イエスさまは、私たちの恐れを取り除くために来られました。私たちは、神さまに滅ぼされるのではないかなどと恐れる必要はないし、幸せになれないんじゃないかなどと恐れる必要もありません。

まとめ

人間関係がおかしくなりそうなとき、責任転嫁や支配をしようとしていなかったか振り返ってみましょう。さらに、その背後にどんな恐れがあったか考えてみましょう。そして、イエスさまのことを思い巡らせることにより、その恐れを取り除いていただきましょう。

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