感激した主人

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マタイによる福音書25章14節〜30節

(2017.6.18)

参考資料

タラントは、当時のお金の単位で、1タラントは6千デナリ。1デナリは労働者一日分の給料に相当します。日当1万円で計算すると、1タラントは6千万円、2タラントは1億2千万円、5タラントは3億円です。

24〜25章では、「キリストの再臨の時には、私たち信者が地上でどんな生き方をしてきたかが問われ、その後の神の国での祝福が決まるから、油断しないで成すべきことをしよう」という勧めがなされています。今回の箇所も同じテーマです。

聖書からのメッセージ

イントロ

前回、聖霊さまに喜んでいただくためには、「悪い言葉」を使わず、人が望ましい方向に成長できるような言葉を使おうという教えをいただきました。今回もその続きです。有名なタラントのたとえから、人を望ましい方向に成長させる言葉について学びましょう。私たちのモデルはイエスさまです。そこで、この例え話に登場する主人が、しもべたちにどんな態度を取ったか、注目してみましょう。

1.しもべをほめた主人

3人のしもべ

旅行に出ることになった主人は、3人のしもべに、それぞれ能力に応じて資金を渡しました。これはすなわち、それを元手に商売をせよということです。

しばらくたって戻ってきた主人は、3人に商売の結果を尋ねました。5タラント預かったしもべはそれを倍にして主人に戻しました。2タラント預かったしもべもそれを倍にして主人に戻しました。ところが、1タラント預かったしもべは、資金を土の中に隠していただけで、すなわち全く商売をしなかったため、1タラントをそのまま戻すことになりました。

主人は、先の2人のしもべをほめ、さらに大きな働きを委ねました。しかし、1タラントのしもべのことは叱りつけ、もう仕事をあたえませんでした。

何をほめ、叱ったのか

この主人は、一体しもべたちの何をほめ、何を叱ったのでしょうか。表面的に読むと、2人は儲けを出したからほめられ、残る1人は儲けを出さなかったから叱られたと思います。

ただ、私たちが注目したいのは、この主人が、3億円もの大金を「わずかな物」と言い放っている点です。しかも、3億円の儲けを出したしもべと、その5分の2の儲けしか出さなかったしもべを、まったく同じ言葉でほめています。

ここから分かることは、この主人の関心は、しもべがどれだけの儲けを出したか、すなわち結果がどうだったかではないということです。「商売をして欲しい」という主人の思いを汲み取り、主人に喜んでもらいたいと一生懸命に商売に励んだ、しもべたちの心こそ、主人の関心事でした。

ならば、1タラントのしもべが叱られたのも、儲けを出さなかったからではありませんね。彼が、最初から主人の願いを無視し、主人に喜んでもらおうという思いを一切持っていなかったからです。

3人のしもべのうち、仮に誰かが損失を出してしまったとしても、主人の願いを汲み取り、主人のために一生懸命取り組んだ結果であれば、やっぱりこの主人は喜んでくれたでしょう。

イエスさまの視点

私たちの主人であるイエスさまは、私たちをそういうまなざしで見ておられます。「人はうわべを見るが、【主】は心を見る」(第1サムエル16:7)というみことばがありますが、イエスさまは結果よりも、その結果を生み出すまでに、私たちの心がどのようであったかを評価なさいます。

モーセの律法は613もの命令からなっているそうです。旧約時代には、ユダヤ人はそれらを文字通り守ることが求められていました。しかし、ただ形だけ守ればいいというのではありません。イエスさまは、モーセの律法で一番大切な教えは、「心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ」という教えだとおっしゃいました(マタイ22:37)。全身全霊込めて神さまを愛し、その結果として命令を守るのでなければ意味がないよということです。

だからこそ、たとえ行為として不倫をしていなくても、「だれでも情欲をいだいて女を見る者は、すでに心の中で姦淫を犯したのです」(マタイ5:28)などとイエスさまはおっしゃったのです。

私たちがイエスさまのしもべとして、イエスさまが私たちに何を望んでいるか、イエスさまはどんな行動をすると喜んでくださるのかを一生懸命知ろうとし、全身全霊を込めてそれを実行する姿を、イエスさまも喜んでくださいます。

イエスさまは私たちのモデルです。イエスさまが心をご覧になって人を評価なさるということは、私たちもまた他の人の内面を評価しなければならないということです。

2.内面を評価する私たち

結果よりも内面に注目しよう

結果にだけ注目していたのでは、なかなか相手の良さが分かりません。結果が思わしいものならほめられますが、結果が良くなければほめられないからです。たとえば、子どもが算数のテストで0点を取ってきたとします。どうして0点をほめられますか?

しかし、内面に注目すると、この子の素晴らしさが見えてきます。0点の答案を隠さずに親に見せたというのは、とても正直な心を持っているということです。また、自分の失敗から逃げない勇気を持っているということです。それは、素晴らしい可能性をこの子が持っているという証拠です。

日本のロケット開発の父、糸川英夫博士が、子どもたちの算数や数学のノートについて、こんなことをおっしゃっています。「間違えたら消しゴムで消さないで、大きなバッテンをつけて、その隣に正しい答えを書きなさい」。

でも、バッテンなんかつけて、自分が失敗した痕跡をノートに残すのは恥ずかしいことです。ですから、消しゴムですぐに消してしまう子がたくさんいます。しかし、それでも糸川博士の言いつけを守った子は、どんどん成績が上がっていきました。0点の答案を隠さなかったあの子も、自分の失敗をしっかり見据えることができる、将来有望な子どもです。

プロセスに注目しよう

では、どうやったら、結果にかかわらず相手の内面の素晴らしいところを見つけ、ほめることができるでしょうか。それは、結果が出るまでのプロセスに注目することです。

0点を取ってしまった子ども。結果はとてもほめられるようなものではありません。しかし、ここでテストまでの1週間の様子を思い出してみましょう。これまではほとんどと言っていいほど自宅学習をしなかったその子が、今回のテストでは奮起して、30分も勉強していたではありませんか。

他の子どもに比べれば、30分なんて勉強したうちに入らないかもしれません。しかし、あんなに勉強しなさいと言われてもしなかったあの子が、たとえ30分でも机に向かっていられたのは、大変なやる気と根気です。これまでの積み重ねがなかったため、今回は0点でしたが、そのやる気や根気はほめることができますね。

プロセスに注目され、そこに表れている本人なりのやる気や努力を認めてもらったその子は、ますます頑張ろうという気持ちになるでしょう。もし、結果だけ叱られて、それまでの努力を全否定されたら、きっと「やっぱり僕には勉強は向かない」と思って、努力をやめてしまうかもしれません。

よく「子どもや部下はほめて育てましょう」と言われますが、ただほめればいいというわけでもないようです。ほめることに関して、ハーバード大学のドエック教授がこんな実験を行ないました。数百人の生徒を2つのグループに分け、テストを受けさせます。そして、テストが終わった後で、全員をほめるのですが、グループによってほめ方を変えました。
  • グループAの生徒は結果や能力をほめます。たとえば、「80点もとれたね。すごい」「こんな問題が解けるなんて、頭がいいんだね」などと。
  • グループBの生徒はプロセスをほめました。たとえば、「諦めないで最後まで考え続けたね」「一度問題を解いても、ミスがないかどうか、しっかり確認していたね」などと。
次に、全員に「もう一段難しいテストがあるんだけれど、挑戦してみたいか」と尋ねたところ、結果や能力をほめたグループAのほとんどの生徒は挑戦を拒否し、プロセスをほめたグループBのほとんどの生徒は挑戦すると言いました。

この実験が明らかにしているのは、たとえほめられたとしても、結果しか評価されないと、人は失敗を恐れるようになって、やる気を失ってしまうということです。しかし、プロセスに注目され、そこにすでに表れているやる気とか根気とか注意深さとか優しさとか着眼点の面白さとかを認めてもらうと、人はどんどん成長したいという思いを膨らませるのですね。

感動や感謝を表そう

ほめるというのは、難しい行動です。こちらはほめているつもりでも、相手は全然うれしくないどころか、かえってカチンときてしまうことがあります。たとえばあなたが女性だとして、家族や恋人に喜んでもらおうと思って、これまで作ったことのないような料理に挑戦したとします。それを一口食べたご主人や彼氏がこんなふうにほめたらどうでしょうか。「君もこんなのが作れるんだ。頑張ったねぇ。偉い偉い」。

もう二度と作ってやるもんかと思いませんか? それは、まるで殿様が家臣をほめるように、上から目線でほめられているからです。だから、かえって馬鹿にされたような気がするのです。

「偉いね」というふうに上から評価するかわりに、「おいしい! 何でこんなにおいしく作れるの?」と感動したり、「僕のために、こんなにおいしい料理を作ってくれるなんて感激だなぁ。ありがとう」と感謝したりしたらどうでしょう。上から目線は感じませんね。そして、本当にうれしく感じますし、今度はさらにおいしい料理を作って喜んでもらおうと思いますね。

今回のたとえの主人の喜び方を見てください。「よくやった。良い忠実なしもべだ。あなたは、わずかな物に忠実だったから、私はあなたにたくさんの物を任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ」。

ここは冷静に読んじゃダメです。「よくぞやってくれたね! お前って奴は、なんて、なんて、なんて素晴らしいしもべなんだ! わずかばかりの物でも手を抜かずに頑張ってくれるお前だから、もっとたくさんの物を任せることができる。お前は私が喜ぶ姿を見て喜んでくれる。そんなお前が我が家にいてくれることが、私は本当に、本当に、うれしいんだよ!」

きっと主人は、文字通り躍り上がって喜んだことでしょう。

マタイ8章で、イエスさまは、ローマの百人隊長の発言を聞いて、その信仰深さに驚かれました。イエスさまは、感動なさったのです。そして、その感動を素直に表現なさいました。「わたしはイスラエルのうちのだれにも、このような信仰を見たことがありません」。

私たちも、イエスさまのように、上から評価するようなほめ方でなく、素直に感動や感謝を表しましょう。それが、聖霊さまに喜ばれる、人の徳を養う言葉です。

まとめ

結果でなく、プロセスに注目し、そこに表れているその人の内面に注目しましょう。そして、その素晴らしさに対する感動や感謝を表しましょう。

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