わたしの霊によって

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ゼカリヤ書4章1節〜14節

(2017.6.25)

参考資料

前538年にバビロンを滅ぼしたペルシャ王クロスは、翌年バビロンに捕囚されていたユダヤ人に、故郷に帰りたければ帰ってよいと許可を与えました。そこで、ダビデ王家の出身であるゼルバベルをリーダーとして、第一陣5万人が約束の地に帰還しました。彼らはバビロンによって破壊されていた神殿の再建を始めましたが、サマリヤ人を始めとする周辺民族の妨害、クロス王が戦死して支持者を失ったこと、生活の困窮などにより、神殿再建への熱意がすっかり冷めてしまいます。そんなイスラエルに活を入れて励ましたのが預言者ハガイとゼカリヤです。こうして再び奮い立ったイスラエルは、前516年に神殿を完成させました。

ゼカリヤが今回の幻を見たのは、ペルシャ王ダリヨスの治世2年目の11月24日(私たちが使っている太陽暦だと紀元前519年の2月15日)のことです(1:7)。この日、ゼカリヤは8つの幻を見ましたが、今回のは5番目です。

2節の「7つの管」は、「ランプの芯を止めるための、7つの溝が刻んである口金」のことです。

10節の「下げ振り」とは、測量に使う道具です。

14節の「ふたりの油注がれた者」とは、終末の大患難時代に登場し、3年半の間エルサレムで伝道する2人の証人のことです(黙示録11:3-13)。

聖書からのメッセージ

イントロ

私たちも、いろいろな壁にぶつかって、やらなければならないことを諦めてしまいそうになることがあります。ゼルバベルやイスラエルの民が、神さまからの幻によって励まされたように、私たちも励ましをいただきましょう。

1.ゼカリヤの見た幻

油が自動的に供給される燭台

イスラエルの神殿には、7本の枝を持った燭台(メノラー)がありましたが、油が切れないように、定期的に祭司が油を補充しなければなりませんでした。しかし、この幻に登場する燭台は、オリーブの木から常に油が供給されているため、油切れになる恐れがありませんでした。
燭台と2本のオリーブの木
油は、神の霊である聖霊さまの象徴としてよく用いられる言葉です。6節で、神さまは「権力によらず、能力によらず、わたしの霊によって」とゼルバベルに対して宣言なさっています。

権力によらず、能力によらず

新改訳や口語訳で「権力」と訳されている言葉は、国を守るための力のことです(新共同訳では「武力」と訳されています)。「能力」は、国民一人一人の能力のことです。これらは、様々な妨害をはねのけ、神殿を完成させるためには、どうしても必要なものだと考えられていたものです。ところが、そのどちらも、当時のイスラエルには欠けていました。

神殿再建に反対する周りの民族の軍事的脅威は、当時のイスラエルの防衛力をはるかに超えていました。この当時は、エルサレムの周りを囲む城壁すらありませんから、もし戦争になったら国を守り切ることは難しいでしょう。クロス王以降の新しいペルシャ王たちは、イスラエルに対してあまり好意的ではなかったため、助けてくれそうにありません。

おまけに、彼ら自身の生活もまだまだ軌道に乗っているわけではないのに、ペルシャがどこかで戦争をするときには、通常の税金の他に、お金や物資を供出しなければならず、イスラエルの国民は困窮してしまっていました。そんなわけで、国民はすっかりやる気を失っていたのです。

全国民の能力を結集しなければ、国を守り、神殿を再建することなど不可能だというのに、いったいどうやって彼らをやる気にさせればいいのでしょう。リーダーであるゼルバベルは、ほとほと困り果て、彼自身がやる気を失いかけていました。
聖霊が不可能を可能にする
しかし、神さまは、武力でも人の能力でもなく、聖霊なる神さまが不可能を可能にすると宣言なさいました。続く7節ではこう言われています。「大いなる山よ。おまえは何者だ。ゼルバベルの前で平地となれ」。すなわち神殿再建を妨害するあらゆる障壁が取り除かれるということです。何と力強い宣言でしょうか。
ゼルバベルに求められたこと
だから、ゼルバベルはそれを信じなければなりません。

そして、2本のオリーブの木は、世の終わりの大患難時代に現れて、ユダヤ人を導いた2人の証人を象徴しています(参考資料参照)。彼らのように、ゼルバベル(と、3章に登場する、当時の霊的リーダー大祭司ヨシュア)もユダヤの人々を励まし、正しい行動に導かなければなりません。そのためには、聖霊さまの奇跡を求めて「恵みあれ」と叫びながら、まず自分が石を運ぶ作業を始めなければなりません。

そうするなら、必ず神殿は再建されます。「ゼルバベルの手が、この宮の礎を据えた。彼の手が、それを完成する。このとき、あなたは、万軍の【主】が私をあなたがたに遣わされたことを知ろう」(9節)。事実、この幻から3年後、見事に神殿は完成されました。

小さな事と言うな

ゼルバベルの再建した神殿は、ソロモン王が建てた神殿の次に建てられたということで、第二神殿と呼ばれています。

ゼルバベルたちが再建を始めて基礎が完成したとき、若者たちは大声を上げて喜びましたが、ソロモンの第一神殿を見たことがある老人たちは、そのあまりの小ささに涙を流して嘆きました(エズラ3:12)。

ゼカリヤ同様、神殿再建を励ました預言者ハガイもこう語っています。「あなたがたのうち、以前の栄光に輝くこの宮を見たことのある、生き残った者はだれか。あなたがたは、今、これをどう見ているのか。あなた方の目には、まるで無いに等しいのではないか」(ハガイ2:3)。

やらなければならない働きは非常に大変で、たとえ最後までやり通すことができたとしても、たいした結果が得られません。そりゃあ「小さな事」としてさげすみたくもなります。そして、「これでは無駄だ」とやめてしまいたくもなりますって!

しかし、それでもゼルバベルは道具を手放さず、働き続けなければなりません。神さまはそれを喜びながら見ていてくださいます。「だれが、その日を小さな事としてさげすんだのか。これらは、ゼルバベルの手にある下げ振りを見て喜ぼう。これらの七つは、全地を行き巡る【主】の目である」(10節)。神さまが見ておられるというのは、ただ単に眺めておられるという意味ではありません。圧倒的な祝福を与えてくださるつもりだということです。
ハガイの預言
ハガイも、第二神殿のみすぼらしさを嘆く人たちに向かって、こう預言しました。「この宮のこれから後の栄光は、先のものよりまさろう。…(中略)…わたしはまた、この所に平和を与える」(ハガイ2:9)。

福音書の時代、ヘロデ大王(誕生したイエスさまを殺そうとして、ベツレヘムの2歳以下の幼児を虐殺した王)が、第二神殿をたいそう立派に改装しました。それでもソロモンの第一神殿には及びもつきません。しかも、第二神殿は、紀元70年にローマ軍によって破壊されてしまったではありませんか。では、ハガイの預言は嘘だったのでしょうか。

いいえ。やがて世の終わりの時、イエスさまは王として再び地上に帰ってこられます(再臨)。その時、新しい神殿が建設されます(エゼキエル40-44章)。それは、ソロモンの第一神殿をはるかに超える巨大で美しい神殿です。なにより、神さまの平和が神殿に、イスラエルに、そして世界中に満ちあふれています。
意味のある働き
目の前にある神殿の建物はみすぼらしくても、それは世の終わりに登場する本当の神殿を表したものです。ちょうど、モーセが天にある本物の幕屋をモデルにして、地上の幕屋を作らせたのと同じです(主エジプト25:9)。

ですから、ゼルバベルたちの努力は、無駄ではありません。小さな事としてさげすんではいけないのです。むしろ、意味のあることをしているのだという喜びを持って、作業を継続しなければなりません。

ゼカリヤの幻は、それを教えました。ゼルバベルも、イスラエルの民も奮い立ちました。そして、ついに第二神殿が完成します。では、ここから私たちは何を学べるでしょうか。

2.良い働きを最後まで続けよう

聖霊の助けを求めよう

私たちもゼルバベルのように、やらなければならないことがあります。

森永太一郎さん(1865-1937)は、アメリカ旅行中にクリスチャンとなり、同時に洋菓子の魅力に取り憑かれました。そして、帰国後、洋菓子店を始めました。これが森永製菓の前身です。やがて、ミルクキャラメルが、日本中で大ヒットとなりました。

商売が成功すると、信仰面では一時停滞してしまいましたが、奥さんの死をきっかけに、川のほとりで泣きながら再献身を誓ったそうです。そして、1923年、関東大震災が起こります。すると、彼は苦しんでいる被災者を慰めるため、自社のお菓子を無料配布すると言いました。もちろん、大変な損失になりますから、役員たちは皆反対しました。しかし、彼は「神さまとお客さまへのご恩返しだ」と言い、その決定を実行に移しました。

今のあなたにとって、そのやらなければならないこととは何でしょうか。誰かに対する愛の行ないかもしれません。あるいは良くない習慣をやめることかもしれません。憎たらしい誰かを赦すことかもしれません。不正をせずに誠実な仕事をすることかもしれません。介護かもしれません。子育てかもしれません。あるいは、伝道かもしれません。

しかし、そのやらなければならないことの大変さと、自分が持っている力や知恵の小ささにがっかりして、諦めてしまいそうになることがあります。そんなときには、神さまの励ましの言葉を思い出しましょう。「権力によらず、能力によらず、わたしの霊によって」。

聖霊さまが私たちの欠けているところを補ってくださると信じましょう。そして、「聖霊さま、助けてください」と祈りながら、しなければならないことを行動に移しましょう。たとえ他の人が動かなくても、まず自分から始めましょう。

永遠の意味を知ろう

結果だけ見ると、自分がやろうとしていることはあまりにもちっぽけでみすぼらしいから、意味がないように思えることがあります。

しかし、どんなに意味が無いように思えても、神さまはあなたがしていることを、喜びのまなざしで見つめてくださっています。神さまにとっては意味のあることだからです。

イエスさまはおっしゃいました。「朽ちることのない宝を天に積み上げなさい」(ルカ12:33)。そして、イエスさまを意識しながら、イエスさまにお仕えするように、たとえば冷たい水一杯を差し出したとしても、それは神さまに覚えられていて、必ず神の国で報いをいただくことができます(マタイ10:42)。

マザー・テレサは、自分たちがケアしている死にゆく人たちのことを、「私のイエスさまたち」と呼んで、心を込めてお世話したそうです。私たちもイエスさまを意識し、イエスさまにするように、何事も心を込めて実践していきたいですね。そうするなら、たとえどんなにちっぽけに見えることでも、永遠に価値のある素晴らしい行ないとなります。

そして、それを意識するとき、私たちの毎日は充実し、喜びや感動に満ちたものとなります。

まとめ

聖霊さまの助けを求めながら、永遠に価値があるということを信じながら、しなければならないことを根気よく続けましょう。

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