赦しのお願い

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ピレモンへの手紙

(2017.7.2)

参考資料

この手紙が書かれたのは紀元61年頃で、当時パウロはローマの牢の中にいました(使徒28:16)。この手紙は使徒パウロがコロサイに住んでいたピレモンに宛てて書いたもので、コロサイ書と共にテキコが届けました。その際、オネシモが同行しました(コロサイ4:7-9)。

オネシモという名には、「役に立つ」という意味があります。11節は言葉遊びになっています。

2節の「家の教会」について。当時は、今のように全員が入れる礼拝堂があったわけではありません。人々は信徒の家々に分散して集まり、礼拝をささげたり、使徒たちの教えを学んだり、交わったりしていました。アピヤはピレモンの妻、アルキポは息子かもしれません。特にアルキポは、コリント教会全体を導くリーダーの一人だったと思われます(コロサイ4:17)。

22節のエパフラスはコロサイの出身で、第3回伝道旅行でパウロがエペソに2年間滞在している時(使徒19:10)、パウロの指導の下、コロサイ、ラオデキヤ、ヒエラポリスで伝道して教会を生み出したと考えられています(コロサイ1:7)。23-24節に挙げられた人々については、コロサイ書の解説をご覧ください。

聖書からのメッセージ

イントロ

今日のテーマは、自分に損害を与えた人に対する赦しです。オネシモに損害を与えられたピレモンに対して、パウロはこの手紙でどんなことを訴えたでしょうか。

1.パウロの執り成し

執筆の事情

宛先であるピレモンは、コロサイ教会の信徒でした。彼の家は、信徒たちの集会の場でしたし、彼の息子と思われるアルキポは、コロサイ教会のリーダーの一人だと考えられていますから、ピレモンもコロサイ教会では指導的な立場にあったことでしょう。

当時のローマ帝国は、全人口の15%が奴隷だったとも言われていますが、ピレモンの家にもオネシモという奴隷がいました。古代の奴隷は、アメリカの黒人奴隷と違って雇い人のような扱いで、有能な人は主人の子どもの家庭教師を務めたり、家の財産の管理を任されたりしました。それでも、主人の所有物であることには変わりなく、勝手に逃亡して捕まれば、見せしめのために殺されることもありました。

ところが、オネシモはピレモンの家を飛び出してしまいます。18節でパウロが、オネシモがピレモンに与えた損害について触れていますから、もしかしたら仕事で失敗して損失を与えたか、主人のものを盗んだかして、怖くなって逃げ出したのかもしれません。

コロサイから逃げ出したオネシモは、人口の多いローマに隠れ住んでいましたが、そこでパウロと出会います。そして、パウロの伝道によってクリスチャンとなりました。

神の子として霊的に生まれ変わったオネシモですが、法的にはまだピレモンの奴隷です。ですからパウロは、弟子のテキコをコロサイ教会に遣わし、コロサイ書を届けさせるついでに、オネシモをピレモンの元に返すことにしました。

これは、オネシモに対しては、ピレモンにしっかり謝罪するようにという指導だったでしょう。神さまに赦されているということと、人に赦されているということとは違います。謝罪することで相手をよけいに傷つけることにならない限り、私たちは損害を与えた相手に謝罪し、必要なら償いをすべきです。

しかし、通常ですとオネシモはひどい罰を受け、場合によっては殺されてしまう恐れもありますから、パウロはピレモン個人にも手紙を書いて、オネシモを赦してやって欲しい、それどころか奴隷ではなく兄弟として受け入れてやって欲しいと、執り成しをしているのです。

お願い

パウロの執り成しの言葉の中で、特に今回注目したい点が2つあります。1つ目は、ピレモンにオネシモを赦すように命令したのではなく、お願いしたという点です。

イエスさまは、「自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい」(マタイ5:44)とおっしゃいました。

また、パウロ自身、「無慈悲、憤り、怒り、叫び、そしりなどを、いっさいの悪意とともに、みな捨て去りなさい。お互いに親切にし、心の優しい人となり、神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように、互いに赦し合いなさい」(エペソ4:31-32)と教えてきました。

ですから、キリストの使徒であるパウロはピレモンに、「イエスさまは、あなたがオネシモを赦し、罰しないで受け入れることを望んでおられる。彼を赦してやりなさい」と、はっきりと命じることができました。

しかし、パウロはこう言っています。「私は、あなたのなすべきことを、キリストにあって少しもはばからず命じることができるのですが、こういうわけですから、むしろ愛によって、あなたにお願いしたいと思います。年老いて、今はまたキリスト・イエスの囚人となっている私パウロが、獄中で生んだわが子オネシモのことを、あなたにお願いしたいのです」(8-10節)。
ピレモンの愛を信じているから
その理由は、第1に、ピレモンの愛を信じているからです。

パウロは手紙の冒頭で、ピレモンがいかに愛にあふれた人物か、そして、彼の愛によって自分や他のクリスチャンたちがどれだけ喜びや慰めを受けたかということに触れています。

そんなピレモンであれば、きっとオネシモに対しても愛のわざを示してくれるはずだと信じているのです。
愛は自発的なものだから
第2の理由は、愛は強制されるものではなく、自発的に湧き上がってくるものでなければならないからです。男女の愛を麗しく描いている雅歌の中に、このような言葉があります。「揺り起こしたり、かき立てたりしないでください。愛が目ざめたいと思うときまでは」(雅歌2:7)。

命令を守らないとひどい目に遭わせるぞ脅したり、権力を使ったりして、それで相手を思い通りに動かしたり、「愛しています」と言わせたりしたとしても、それは愛とは呼べません。「愛には恐れがありません。全き愛は恐れを締め出します。なぜなら恐れには刑罰が伴っているからです。恐れる者の愛は、全きものとなっていないのです」(第1ヨハネ4:18)。

ですから、パウロは命じる代わりにお願いをしました。嫌だと言う自由をあえてピレモンに与え、強制的にではなく、彼自身の愛の決断によって自発的にオネシモを赦すことを期待したのです。

弁償の肩代わり

この箇所で注目したい2つ目の点。パウロは、ただ単にピレモンにだけ犠牲を求めたわけではありません。パウロは、オネシモがピレモンに与えた損害や負債については、自分が支払うと宣言しました。

オネシモが仕事で失敗したり、ものを盗んだりして、ピレモンに損害を与えたかどうかははっきりしません。しかし、逃げたということそのものが、ピレモンにとっては大変な損害です。というのも、奴隷1人の代金は、家族4人が1年間生活できるのと同じだけの金額だったと言われています。借金のかたに奴隷身分に落ちる人もいましたが、その場合は主人が借金を肩代わりしています。

いずれにしても、ピレモンは大金を払ってオネシモを奴隷として雇いました。もしオネシモの失敗や盗みによって損害が出ていたとしたら、それ以上の大金を費やしたということです。それをパウロは自分が代わりに支払うと言いました。オネシモのために、自分が犠牲になっても惜しくないと言ったのです。
イエスの犠牲
それはまるで、イエスさまが私たちのためにしてくださったことと似ています。イエスさまは父なる神さまに祈られました。「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです」(ルカ23:34)。そして、ただ祈っただけでなく、私たちが赦されるために必要な行動をしてくださいました。イエスさまは私たちが受けるべき罪の罰を代わりに受けて、十字架で血を流し、命をささげてくださったのです。

パウロは、遠いアンテオケからコロサイまで来てくれて、ピレモンに福音を伝えてくれ、救いをもたらしてくれました。そして、ピレモンに対して様々な愛のわざを示してくれました。そんな大恩あるパウロにここまで言われたら、きっとピレモンは断れなかったことでしょう。しかも、「しょうがない、パウロ先生に言われたから、嫌だけど赦してやるか」という態度ではなく、心から進んでオネシモを迎え入れようと決意したに違いありません。もしそうでなければ、この手紙が後の時代まで残っているということはなかったはずです。

2.私たちへの教訓

では、ここから私たちは何を学べるでしょうか。自分に損害を与えた人を赦すほか、神さまは私たちに様々な教えを与えておられます。私たちはそれらの神さまの教えを実行するに当たって、どんなことに目を留めなければならないでしょうか。

主に信じられていることを知ろう

以前ある所で、小学1年生くらいのお兄ちゃんが、5歳くらいの妹を蹴っ飛ばして泣かした場面に遭遇しました。泣き出した妹をお母さんがあやしている間に、お父さんがお兄ちゃんにこう言いました。「自分のおもちゃを取られそうになって腹が立ったんだね。でも、君は優しい子なんだから、嫌なことをされたときは、叩いたり蹴ったりしちゃいけない。言葉を使ってどうして欲しいかを言おうな」。思わず、「お見事!」と心の中で叫びました。

人は、自分がどういう人間だと思っているか、すなわちセルフイメージにふさわしい行動を取ります。もしもあのお父さんが「妹を叩くなんて、お前はなんて乱暴者なんだ。蹴っ飛ばしちゃダメじゃないか」と叱ったとしたら、お兄ちゃんは「僕は乱暴者だ」というセルフイメージを持ってしまうかもしれません。そうしたら、そのセルフイメージ通り、これからも乱暴に磨きをかけていくでしょう。しかし、「僕は優しい子だ」というセルフイメージを与えられたこの子は、きっと優しさに磨きをかけていくことでしょう。

パウロがピレモンの愛の深さを指摘し、まずそれを彼に伝えたように、私たちも周りの人たちの素晴らしいところを見つけ出し、それを積極的に伝えていけるといいですね。

と同時に、私たちもまた、イエスさまから素晴らしい存在だと言っていただいていることを知りましょう。そして、ピレモンが愛にあふれた人だから、きっとオネシモのことを赦してくれるに違いないとパウロが信じたように、イエスさまも、私たちがイエスさまの願いに応えてくれるはずだとを信じてくださっています。

私たちは生まれながらに罪人であり、神さまの敵でした。しかし、そんな私たちのことを、神さまはもはや怒っておられません。それどころか、神さまの子どもにしてくださり、大切な宝物と呼んでくださっています。

自分は神さまの大切な宝物だというセルフイメージを育て、そのセルフイメージにふさわしい行動は何かと考えていきましょう。

主にお願いされていることを知ろう

パウロがピレモンに上から命令して、無理矢理従わせようとせず、して欲しいことをていねいに伝えてお願いをしたように、私たちも他の人たちに対して、何をして欲しいのか、そしてそれななぜなのかと分かるように伝えて、お願いをしたいですね。

お願いするということは、相手に「嫌だ」と断る自由を与えるということです。それは危険なことですね。しかし、実はそうやって選択の自由を相手に与えた方が、強制するよりかえって聞き入れてもらいやすくなります。人は強制されると反発したくなるからです。皆さんも、命令されるよりお願いされた方がうれしいでしょう?

お願いして、相手がそれをしてくれた場合、相手は自分の意思で「この人のためにやってあげよう」と思ってしています。ですから、することそのものが喜びです。してもらった方も、心から「ありがとう」が言えます。すなわち、お願いをするやり方だと、する方もしてもらう方もハッピーになれるのです。

一方、命令して無理矢理やらせるやり方だと、する方はいやいややっていますからうれしくないし、してもらう方も「やって当然」と思っていますから、たとえしてもらってもうれしくありません。どうせなら、どちらもハッピーな方がいいですね?

そして、神さまも私たちに選択の自由を与えてくださっています。イエスさまは、私たちを脅していうことを聞かせようとはなさいません。私たちには、イエスさまのみこころに従う自由も、それに逆らって自分勝手に生きる自由もあります。罪はすべて赦されているのですから、逆らったからといって地獄に落とされる心配はありません。

イエスさまは、私たちに選択の自由を与えた上で、私たちにお願いをしておられます。天地の造り主であり支配者である方が、謙遜に頭を下げてお願いをなさるのです。「こういうわけで、私たちはキリストの使節なのです。ちょうど神が私たちを通して懇願しておられるようです。私たちは、キリストに代わって、あなたがたに願います。神の和解を受け入れなさい」(第2コリント5:20)。

与えられた自由を、私たちはどう使うべきでしょうか。イエスさまのお願いの言葉に耳を傾けてましょう。そして、賢い選択ができますように。

主に肩代わりされていることを知ろう

パウロがオネシモの負債の肩代わりをしようと申し出たように、イエスさまも私やあなたの負債を負ってくださいました。罪は、私たちが神さまに返すことができない霊的な負債です。イエスさまは、自らの命と引き換えに、その負債を返してくださいました。イエスさまは十字架の上で「完了した」(ヨハネ19:28)とおっしゃいましたが、この言葉は元々「支払い完了」という意味の会計用語です。

私たちが、罪の罰を恐れる必要がなくなったのは、イエスさまの尊い犠牲のおかげです。私たちが神さまの子ども、神さまの宝物になったのも、イエスさまの尊い犠牲のおかげです。

聖書の中に書かれている様々な命令は、それぞれの時代、神さまの一方的な愛に対する応答として求められていることです。すなわち、「神さまに愛されるために、これこれのことをしなさい」ということではなく、「神さまはすでにあなたを救い、これだけの愛のわざをしてくださっている。それに感謝するなら、これこれのことをしてくれないか」という神さまの願いだということです。
  • 神さまはアダムを創造し、地上の管理者という素晴らしい使命を与え、エデンの園という完璧な環境を与えてくださいました。「だから」、善悪の知識の木の実だけは食べないで欲しいとおっしゃいました。
  • 神さまは、ノアたち一家を大洪水の滅びから救ってくださいました。「だから」、全世界に増え広がるように、そして命の大切さを示すために血を食べないように、そして、殺意を持って人を殺した者を死刑にするようにとおっしゃいました。
  • 神さまは、全人類の中からアブラハムを選び、祝福し、彼とその子孫イスラエルを通して全人類を祝福するという名誉ある地位をお与えになりました。「だから」、偶像礼拝の町ウルを出て、神さまが示す地に行けとおっしゃいました。
  • 神さまは、イスラエルの民をエジプトの奴隷状態から救い出してくださいました。「だから」、モーセの律法を守って欲しいとおっしゃいました。
今の時代を生きる私たちも、罰が怖くていやいや従うという生き方ではなく、神さまの愛を日々味わい、感動し、感謝しながら、こんなにまで良くしてくださる神さまに、どうしたら喜んでいただけるだろうかという発想で、一つ一つの行動を選択していきましょう。

そのために、聖書を読み、祈り、こうして集会に参加しながら、神さまの愛を見つけ出しましょう。

まとめ

パウロとピレモンの関係から、イエスさまと私たちの関係を見ていきました。それを参考にしながら、イエスさまの願いに応えていきましょう。

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