からの器に満たされた油

預言者シリーズ2

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第2列王記4章1節〜7節

(2017.7.16)

参考資料

4節の「うしろの戸」とは、家の出入り口のことです。

聖書からのメッセージ

イントロ

預言者エリシャは、たくさんの奇跡を行なった人です。私たちの人生も、奇跡と思えるような不思議な、わくわくした、エネルギーに満ちたものになります。この箇所からその秘訣を学びましょう。

1.油の奇跡

エリヤの後継者エリシャ

北王国イスラエルは、アハブ王とイゼベル王妃によって、国家的に異教礼拝が推し進められていました。彼らと戦って、まことの神さまへの信仰を復興させようとしたのが預言者エリヤです。前回学んだように、一時的にうつ状態に陥っていたエリヤに対して、神さまは励ましを与えてくださいました。その1つが、エリシャという人物が彼の後継者となって、働きを継承するという約束です。

その後、エリヤは不思議な方法で地上から姿を消しました。その日、弟子であるエリシャが見ている前で、天から炎の馬に引かれた燃える戦車が現れました。そして、エリヤはたつまきに乗って天に引き上げられたのです(2章)。

普通の人間は、死ぬと魂と肉体が分離します。そして、肉体は分解されて形を失いますが、魂は復活までの待合室であるシオール(黄泉)に送られます。死なないで天に引き上げられたのは、エリヤの他には、最初の人アダムから数えて7代目のエノクだけです(創世記5:24)。

エリヤは、天に引き上げられる直前、エリシャに何が欲しいか尋ねました。すると、エリシャはこう答えました。「では、あなたの霊の、二つの分け前が私のものになりますように」(2:9)。

二つの分け前とは何でしょう。エリヤのすばらしい働きを支えていたのは神の霊である聖霊さまですが、自分はエリヤ以上の働きをするために、聖霊さまの助けが2倍欲しいという意味です。

2倍の霊の注ぎかけ

エリヤは、もし彼が地上からいなくなるとき、エリシャがエリヤの姿を見ることができたら、「二つの分け前」の願いがかなえられると預言しました。そして、エリシャは師匠が天に引き上げられるのを見ました。

願い通り、エリヤの2倍の霊を注がれたエリシャは、エリヤの後継者として、聖書の神さまこそまことの神だということを、北王国の王や民衆に訴え続けました。と同時に、彼はたくさんの奇跡を行なうことで、聖書の神さまが信頼に値するお方だということを、人々にデモンストレートしました。

聖書の中には様々な奇跡が記録されていますが、群を抜いて多いのは、モーセの時代、イエスさまと弟子たちの時代、そしてエリヤとエリシャの時代です。エリシャは、エリヤ以上に多くの奇跡を行なっています。その1つが、今回の油の増加の奇跡です。

油の増加

今回登場する未亡人は、エリシャの預言者仲間であった夫を亡くしました。働き手を失ったわけですから、それだけでも生活が大変です。しかも、夫には借金があり、とても返せる額ではありません。そこで、2人の子どもを奴隷にするよう迫られていました。

そこで、エリシャはからの器をたくさん用意するように言い、油のつぼからからの器に油を注ぐよう指示しました。すると、油がつぼの中から次々と注ぎ出され、からの器がなくなるまで止まりませんでした。

こうして、油を売ったお金で、未亡人一家は借金を返し、さらにその後の生活も保障されました。

この話をお読みください。変えられた人生を人に提供するには、まず私たち自身の人生が日々変えられている必要があります。私たちは、どうしたらわくわくするような、感動に満ちた、変えられた人生を送ることができるでしょうか。

2.奇跡に満ちた人生のために

神さまの愛を信じよう

未亡人は、エリシャに向かって自分の窮状を訴えました。そこからこの奇跡が始まっています。

聖書の神さまは、宇宙の支配者であり、全人類の主です。そして、全人類を救い、全宇宙を修復しようとしていらっしゃいます。しかし、だからといって、神さまが一人一人の生活、一人一人が抱える悩みや苦しみや痛みに対して無関心だということではありません。神さまは、一人一人の苦しみに向き合ってくださいます。

師匠のエリヤが行なった奇跡は、干ばつをもたらしたり、天から火を下したり、大雨を降らせたりと、非常に大規模です。一方、エリシャが行なった奇跡は、エリヤほど大々的なものではないかもしれませんが、どれも苦しんでいる人を助けるものばかりです。死んだ子どもを生き返らせたり、外国の将軍ナアマンの病気をいやしたり、池に落とした斧を浮かび上がらせたり……。今回の油の奇跡もそうですね。

あなたはいかがでしょうか。あなたにも、あなた特有の悩みがあり、苦しみがあるでしょう。人に言えば、「なんだ、そんなことで悩んでいるのか」と言われてしまうようなものかもしれませんが、それでもあなたはそれによって痛みを抱えておられることでしょう。聖書の神さまは、それを決して無視なさいません。その苦しみを理解し、何とかしたいと思ってくださっています。

「私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです」(ヘブル4:15)。

ですから、神さまに個人的に愛されていることを信じ、自分の苦しみをイエスさまに申し上げましょう。この未亡人が、エリシャに向かって叫んだように。

密室で祈ろう

エリシャは、油を注ぐときにはうしろの戸を閉めるよう命じました。これは、密室状態にするということです。家の中には、未亡人と2人の子どもの3人だけになったということです。

しかし、その密室には4人目がいました。聖書の神さまです。聖書の神さまは「遍在」です。どこにでもいらっしゃいます(詩篇139:7-12)。しかし、そういう意味で神さまがその家の中におられたという意味で、4人目がいたと申し上げたわけではありません。神さまがこの未亡人や子どもたちと交わるために、積極的にそこにいてくださったという意味です。

うしろの戸を閉めるとは、個人的な祈りと関係している言葉です。イエスさまは、祈りに関してこんなことを教えてくださいました。「あなたは、祈るときには自分の奥まった部屋に入りなさい。そして、戸をしめて、隠れた所におられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れた所で見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます」(マタイ6:6)。

そして、油は、聖書の中でしばしば聖霊なる神さまの象徴として用いられています。

エリシャは、エリヤの2倍の霊の注ぎかけを求めました。神さまの働きは、自分の力で行えるものではないこと、聖霊さまに満たされ、助けていただいて、はじめて尊い働きを見ることができるということを、エリシャが知っていたからです。

私たちも、密室の祈りの中で、神さまと一対一になって、神さまからの油である聖霊さまの注ぎかけと満たしを求めましょう。すなわち、聖霊さまに導かれ、造り変えられ、助けられて、自分一人の力では到底味わうことができないような、わくわくする、価値ある人生を体験できるよう求めましょう。

自我を手放そう

子どもが「もう器はありません」と言うと、そこで油は止まってしまいました。彼らの借金を返し、その後の生活を支えるのに十分な量の油は手に入ったので、それはそれで良かったのですが、仮にもっとたくさんからの器があったなら、さらに多くの油を手に入れることができたはずです。「もったいない」と思うのは、私が貧乏性の上に貪欲だからでしょうか。

神さまは、私たちに聖霊さまの注ぎかけを無限に与えてくださいます。その力、その知恵、その可能性には限界がありません。限界は、器である私たちの側にあります。私たちの器の大きさの分だけ、聖霊さまは満たしてくださるのです。

私たちの器の大きさとは何でしょう。それは、信仰の大きさです。神さまの愛や力を信じ、信頼する度合いですね。私たちは、聖霊さまの満たしを求めると共に、イエスさまが、私たちの信仰の器を育ててくださるよう祈りたいものです。

ここで、油を注がれたのが「からの」器だったというところに注目しましょう。私たちの側で、器の中に何かを入れておいてはいけないということです。神さまに祈る際、「神さまは、こんなふうに働いてくださらなければならない。それ以外の解決は受け入れません」とか、「こんなふうに働かれるはずだ」とかいうふうに決めつけてしまうことは、よくあります。そんなことをしないで、からっぽの状態で祈りましょう、ということです。

私たちには常識があるし、願いもあります。それはそれでかまいませんが、祈るときにはそれらはいったん脇に置いて、「あなたのみこころの通りになさってください。私はそれを受け入れます」と祈りましょう。そして、示されたことがあれば、それを実践しましょう。

そうすることで、私たちの信仰の器は一回り大きくなります。その分、さらに私たちは聖霊さまに満たされ、わくわくするような人生へと導かれます。

まとめ

神さまが自分の人生に考えられないようなことをしてくださると信じて期待し、密室の祈りの中で、聖霊さまが人生を導いてくださるよう祈り求めましょう。

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