まだ若い、と言うな

預言者シリーズ4

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エレミヤ書1章1節〜10節

(2017.7.30)

参考資料

1節のアナトテは、エルサレムの北東約4キロにあった町だと考えられています(現在の、ラス・エル・カルルベ遺跡)。

2節のアモンは、南王国最悪の王マナセの子です。マナセは偶像礼拝や魔術などを推し進め、エルサレム神殿にバアルのための祭壇やアシェラ像を建て、子どもを犠牲としてささげることまで行ないました。そのため、神さまは南王国へのさばきとしてバビロン捕囚を起こすことを決定なさいました(第2列王記20:10-15)。後にマナセは悔い改めて宗教改革を行ないましたし、孫のヨシヤも宗教改革を行ないましたが、もうバビロン捕囚を止めることはできませんでした。そして、ゼデキヤの時代に国が滅びます。

6節で、エレミヤは自分をまだ若いと言いましたが、この頃20歳くらいです。

聖書からのメッセージ

イントロ

しなければならないことの大きさや立ち向かうべき問題の大きさと、自分自身の小ささを比較して、自信を無くし、やる気を失ってしまうことがあります。エレミヤが預言者に任命された時もそうでした。彼に対する神さまの励ましの言葉から、私たちも励まされ、様々なことにチャレンジしていきましょう。

1.エレミヤへの励まし

怖じ気づくエレミヤ

エレミヤは、突然神さまから声をかけられました。そして、預言者に指名されます。

エレミヤは祭司の息子でしたから、いずれ父の後を継いで祭司になることが保証された身です。預言者になれば、その安定した将来設計を手放さなければなりません。

また、イスラエルの預言者たちは、まず間違いなく大変な生活を強いられました。語る預言を真剣に聞いてくれる民は少なく、それどころか多くの王が預言者たちを疎んじて迫害し、殺された預言者も数知れません。あの偉大なモーセでさえ、民に不平不満をぶつけられ、逆らわれ、命を狙われたことも何度もあります。

しかも、彼は「国々の」預言者に任命されました。語る相手はイスラエルだけでなく、外国の民や指導者たちも含まれます。

彼はまだ20歳そこそこで、人生経験もまだまだです。とても王や宗教的リーダーたちや外国の人々と渡り合う自信などありません。むしろ、これから先のことを考えると、恐れで一杯になります。

そんなわけで、彼は神さまに断りを入れます。「ああ、神、主よ。ご覧のとおり、私はまだ若くて、どう語っていいかわかりません」(6節)。

神さまの励まし

そんなエレミヤに神さまは命じます。「まだ若い、と言うな」(7節)。若さ、すなわち経験不足は理由にならないということです。そして、人々を恐れることなく、神さまが語れと命じることを語れと。なぜなら、「わたしはあなたとともにいて、あなたを救い出すからだ」(8節)。

聖書の中の「恐れるな」という神さまの命令には、神さまが共にいて守ってくださるという約束が伴っています。たとえば、
  • 「恐れるな。わたしはあなたとともにいる。たじろぐな。わたしがあなたの神だから。わたしはあなたを強め、あなたを助け、わたしの義の右の手で、あなたを守る」(イザヤ41:10)。
  • 「神に愛されている人よ。恐れるな。安心せよ。強くあれ。強くあれ」(ダニエル10:19)。
  • 「あなたがたがエジプトから出て来たとき、わたしがあなたがたと結んだ約束により、わたしの霊があなたがたの間で働いている。恐れるな」(ハガイ2:5)。
全知全能の神さま、奇跡さえも行なうことができる神さまが、あなたを愛し、あなたを守ってくださる。その宣言は、何と力強いことでしょう。

神さまの選び

しかも、神さまがエレミヤを守り、エレミヤを用いて神さまのわざを行なおうとするのは、エレミヤが立派な人間だからではありません。神さまは5節で、「わたしは、あなたを胎内に形造る前から、あなたを知り、あなたが腹から出る前から、あなたを聖別し、あなたを国々への預言者と定めていた」と語っておられます。

ですから、経験不足を理由に断ることはできないのです。逆に言うと、神さまはエレミヤの経験不足を、責任を持って補ってくださいます。だから大丈夫です。

エレミヤは「どう語っていいか分かりません」と言いましたが、神さまは、エレミヤの口に触れて、「今、わたしのことばをあなたの口に授けた」とおっしゃいました(9節)。何を語るかは、神さまが教えてくださるのです。

こうして、エレミヤは預言者として立ち上がりました。しかし、国が滅びるなどというメッセージは、誰も聞きたくありません。ですから、案の定、彼は非常に苦労します。王や偽預言者たちから、たびたび迫害を受けます。投獄されたこともあります。一時は、もう預言者なんかやめてやると思ったこともありましたが、それでも語り続けることを選びました(2009.1.25のメッセージ)。

さて、ここから、自信を無くして躊躇してしまう私たちが心がけるべき事を教わりましょう。

2.私たちへの励まし

否定的な言葉を封じよう

エレミヤは、引き受けなければならない使命の大きさや、待ち受けている困難の大きさと、今の自分自身を比較した時、とても無理だと思いました。そして、「若いから無理です」と口にします。この「若い」という言葉は、実は赤ちゃんを指す言葉です。自信がないにしても、あまりにも大げさな言葉ですね。それに対して、神さまは「まだ若い、と言うな」とおっしゃいました。

私たちの心は、自分が聞く言葉の影響を受けます。この話をお読みください

自分自身はいつも自分について回ります。ですから、私たちは自分がつぶやく言葉を繰り返し聞くことになります。それだけ強烈な影響を受けるということです。「無理だ」「どうせ自分なんか」「情けない」というような否定的な言葉をつぶやいていると、どんどん自信を無くし、やる気を損ない、自分を赤ちゃん呼ばわりしたエレミヤのように、本当はできることさえできなくなってしまいます。

ですから、「まだ若い」と言ってはいけないのと同様、「もう年を取り過ぎた」と言ってもいけません。学歴が低いからとか、あの親の子どもだからとか、こうだから、ああだからと、自分をおとしめ、自分がダメだということを宣言するような言葉を使ってはいけません。

否定的な言葉は封じて、「大丈夫」「かならずうまくいく」「少しずつ良くなってきた」「ちょうどいい」というふうに、肯定的な言葉を宣言しましょう。

神の守りを信じよう

これは、「後ろ向きの言葉を使わず、前向きな言葉を語れば成功できる」というような、この世の成功哲学とは違います。

私たちが否定的な言葉を使わず、肯定的な言葉を使うのは、私たちが強いからでも、賢いからでも、経験豊富だからでもなく、神さまがついていてくださるからです。

もし、あなたがしようとしていることが、神さまのみこころに明らかに反しているなら、それがかなえられることはありません。しかし、みこころにかなっていることなら、神さまが共にいてくださり、あなたに知恵や力を与え、環境を整え、助け手を送り、実現できるように支えてくださいます。

それを信じるからこそ、辛い時も、苦しい時も、停滞している時も、「大丈夫」と自分自身に向かって語り続けるのです。

神の選びを信じよう

しかし、いくら否定的な言葉を使わないようにと言われても、自分の弱さ、不完全さ、不誠実さ、罪深さにがっかりしてしまうことが、現実にあります。そんな自分を無視することはできません。そして、聖書もそんなのは無視しなさいと教えているわけではありません。

自分の弱さや不完全さを自覚した時には、それを自分自身に向かってではなく、神さまに向かってを語りましょう。神さまは私たちの弱さも、不完全さも、罪深さも赦してくださいます。

なぜなら、イエス・キリストが私たちの罪のために死んで、血を流してくださったので、私たちの罪の罰は完了したからです。そして、復活し、今は神さまに私たちのことをとりなしてくださっているからです。イエスさまの十字架と復活を信じるだけで、私たちの罪は完全に赦され、神さまの子どもにしていただけます。

しかも、私たちが救われたのは、神さまがまず私たちを選んでくださったからです。ちょうど、生まれる前からエレミヤが預言者に決められていたように。「私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。」(第1ヨハネ4:10)。

ですから、イエス・キリストの十字架と復活を信じた私たちは、自分の罪を告白するだけで、直ちに罪をきよめられ、神さまとの関係を回復することができます。「もし、私たちが自分の罪を言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます」(第1ヨハネ1:9)。

こうして神さまに自分の罪や弱さや不完全さを告白したら、自分は神さまに赦され、愛されているという事実を必ず受け取ってください。そして、神さまに愛されているのだから、神さまはあなたを守り、助けてくださいます。ですから、私たちは「私は絶対に大丈夫」と肯定的に考え、語ることができるのです。

まとめ

どんなに自分が情けなく思えても、神さまによる選びと守りを信じ、自分に向かって「大丈夫だ」という肯定的な励ましの言葉を語りましょう。そして、様々な価値あることをチャレンジしていきましょう。

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