神に愛された子

預言者シリーズ7

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ホセア書1章1節〜11節、2章16節〜3章15節

(2017.8.20)

参考資料

ホセアは主に北王国で活動した預言者で、活動時期は南王国の預言者イザヤと重なっています。

1:1のユダは南王国、イスラエルは北王国を指します。北王国の王「ヤロブアム」はヤロブアム2世のこと(即位:前786〜746年)。彼の時代、北王国は経済的には最も栄えました。

1:4の長男イズレエルの名は、北王国にあった谷(といっても、日本の感覚では平原)の名です。開けた場所なので、しばしば大規模な戦闘が行なわれました。また、そこに同じ名の町があって、バアル礼拝を推し進めたアハブ王が王宮を構えました。エフーは、アハブの後継者ヨラムに仕えた将軍でしたが、イズレエルにいたヨラム、アハブの妻イゼベル、また多くの王族やバアルの信者たちを殺して王となりました(第2列王記9-10章)。ですから、イズレエルという名は、北王国に迫っている大虐殺を伴うさばきを暗示しています。

1:6の長女ロ・ルハマの名は、「愛されない者」という意味です。また、1:9の次男ロ・アミの名は、「私の民ではない」という意味です。

1:7の「わたしはユダの家を愛し、彼らの神、【主】によって彼らを救う。しかし、わたしは弓、剣、戦い、および馬、騎兵によって彼らを救うのではない」という預言は、紀元前722年にアッシリアが北王国を滅ぼし、その後701年に南王国も攻めて、エルサレムを包囲したときに実現します。神さまはヒゼキヤ王の祈りに応え、たった一人の天使によって、一夜のうちに18万5千人のアッシリヤ軍を滅ぼされました。

2:16以降の「その日」に起こることは、世の終わりに来る大患難時代の最後、いよいよ反キリストの軍隊がイスラエルを絶滅させようと迫ってきた時に実現します。彼らは国家的に悔い改めて、全員イエスさまを救い主と信じて救われ、「主よ来てください」と祈ります。そして、イエスさまがその祈りに応えて再臨なさいます。そして、1:11の預言が実現します。

3:2の銀15シェケルは約218グラム、大麦1ホメル半は約330リットル。奴隷に売られた人を買い戻すための代金です。15シェケルは60デナリ、すなわち労働者2ヶ月分の給料に相当します。

聖書からのメッセージ

イントロ

どうしてこんなことが自分の人生に起こるのだろうかという、訳の分からない苦しみがやってくることがあります。今回は、預言者の中でも特殊な悩みを経験したホセアから、その意味を教えていただきましょう。

1.ホセアの体験

妻の浮気と買い戻し

神さまは、ホセアに「行って、姦淫の女をめとり、姦淫の子らを引き取れ」(1:2)と命じました。ゴメルは結婚前から不品行な生き方をしていて、その結果生まれた連れ子が複数いたのでしょう。この命令を受けたときのホセアの気持ちは書かれていませんが、とにかくホセアは命令通りゴメルと結婚し、連れ子たちも引き取りました。

ホセアは誠実な夫であり続け、ゴメルも最初はその愛に応えました。彼らにはまもなく男の子が生まれ、名をイズレエルとつけられました。

ところが、やがてゴメルは元の生き方に戻ってしまいます。他の男性たちと浮気を始めたのです。そして、生まれた長女と次男はホセアの子ではありませんでした。ロ・ルハマ(愛されない者)、ロ・アミ(私の民ではない者)いう名がそれを物語っています。そればかりか、ゴメルは恋人の一人を慕って、家を飛び出してしまいました。

こうなると、ホセアにはゴメルを離縁することができます。それどころか、モーセの律法に則れば、ゴメルは死刑です。

ところが、神さまはホセアにこう命じました。「再び行って、夫に愛されていながら姦通している女を愛せよ」(3:1)。どうやら、ゴメルは恋人に裏切られ、奴隷として売り飛ばされてしまったようです。そこで、ホセアは高い代金を支払って、ゴメルを取り戻しました。

そして、ホセアは優しくゴメルに語りかけました。「これから長く、私のところにとどまって、もう姦淫をしたり、ほかの男と通じたりしてはならない。私も、あなたにそうしよう」(3:3)。最後の「私もそうする」というのは、ホセアはこれまでと変わらず、ゴメルだけを愛し続けるということです。離婚しないどころか、妻として尊重し、大切にし続けるというのです。何という深い愛情でしょうか。

預言的意味

聖書の神さまは、預言者の体験や行動を通して、イスラエルの人々にメッセージを語られることがあります。たとえば、預言者エゼキエルは、2本の杖をつなげて、そのつなぎ目を握り、1本の杖のようにしなさいと命ぜられました。これは、世界中に散らされた北王国出身のユダヤ人と南王国出身のユダヤ人とが、一人の救い主が治める一つの王国に集められ、回復されるという約束を表しています(エゼキエル27:16-23)。

では、ホセアの経験を通して、神さまはイスラエルに一体何を語っていらっしゃるのでしょうか。それは、イスラエルが悔い改めようとしない偶像礼拝に対するさばきと、その罪の赦しです。
霊的姦淫
ホセア書では、神さまを夫、イスラエルをその妻にたとえています。誠実な夫が妻を心から愛し、守り、尊重するように、神さまはイスラエルを愛し、守り、尊重してこられました。

ところが、イスラエルの民の多くは、まことの神さまを忘れ、バアルやアシェラといった他の神々を礼拝したり、金の子牛を作って拝んだりしました。これは霊的な姦淫です。これまで、神さまは様々な預言者たちを通して、イスラエルの霊的姦淫の罪を指摘し、悔い改めるよう訴えてこられました。しかし、彼らは悔い改めようとしません。

ですから、神に愛された神の民であるはずのイスラエルは、ホセアの長女ロ・ルハマや次男ロ・アミの名が表しているように、もはや神さまに愛されない、神の民ではない存在になったと宣言されてしまいました。

そして、長男「イズレエル」の名が表しているように、ひどいさばきがイスラエルを襲います。北王国はアッシリアに滅ぼされ、南王国はバビロンに滅ぼされます。バビロンが滅んで一時的に国が回復しますが、救い主として来られたイエスさまを、国として公式に拒否したため(マタイ12章)、今度はローマによって滅ぼされ、ユダヤ人は世界中に散らされてしまいました。
イスラエルの回復
しかし、神さまはイスラエルの先祖アブラハム、イサク、ヤコブとの契約を忘れておられません。イスラエルは、神さまから特別な約束と使命を与えられた神の民です。その契約は、決して破られることはありません。

そこで、神さまは、一時的に神さまのさばきによって滅びたように思えるイスラエルを赦し、回復してくださいます。もう神に愛されない神の民ではない者たちと言われたイスラエルを、もう一度、神に愛された神の民と呼んでくださいます。

6:1-2には、世の終わりの時代に悔い改め、救われるイスラエルの人々の声が記されています。「さあ、主に立ち返ろう。主は私たちを引き裂いたが、また、いやし、私たちを打ったが、また、包んでくださるからだ。主は二日の後、私たちを生き返らせ、三日目に私たちを立ち上がらせる。私たちは、御前に生きるのだ」。
異邦人の救い
そして、使徒パウロは、ホセア2:23の言葉を、私たち異邦人にも拡大適用しています。

「神は、このあわれみの器として、私たちを、ユダヤ人の中からだけでなく、異邦人の中からも召してくださったのです。それは、ホセアの書でも言っておられるとおりです。『わたしは、わが民でない者をわが民と呼び、愛さなかった者を愛する者と呼ぶ。「あなたがたは、わたしの民ではない」と、わたしが言ったその場所で、彼らは、生ける神の子どもと呼ばれる』」(ローマ9:24-26)。

私たち異邦人は、本来神の民ではありません。しかし、まるで養子に迎えるようにして、異邦人も神さまの家族に迎え入れられました。そして、子どもとして愛され、守られ、祝福されています。

贖い

聖書は救いのことを「贖い」と呼びますが、これは「買い戻す」という意味があります。

ホセアは、ゴメルを取り戻すのに、高い代価を支払いました。同様に、罪を犯して離れてしまったイスラエルや異邦人を取り戻すのに、神さまも高い代価を支払ってくださいました。神さまが支払ってくださった代価は、イエスさまの命です。イエスさまが十字架の上で血を流し、いのちをささげてくださったことにより、イスラエルや異邦人の罪は赦されました。

そして、イエスさまが自分の罪のために死んで葬られ、3日目によみがえったと信じるだけで、罪の赦しを受け、神さまの子どもにしていただけます。ホセアの体験は、あなたがイエスさまによってすべての罪を赦され、神さまの子どもにされ、神さまに深く深く愛されていることを表しているのです。

2.私たちの体験

意味がある

私たちが預言者ホセアから学ぶことは何でしょうか。人間は、訳の分からない苦しみに遭うことがあります。よりによって、この自分がどうしてこんな目に遭わなければならないのだろうか、この苦しみにどんな意味があるのか、考えても考えても分かりません。意味が分からないというのは、苦しみをよけいにひどく感じさせますね。

しかし、私たちには分からなくても、神さまは意味をご存じです。ゴメルの浮気と失踪という問題は、ホセアや子どもたちにとっては苦しいものでした(あんなひどい名前をつけられる子どもの気持ちを考えてみましょう!)。

しかし、それを通して、ホセアもゴメルも子どもたちも、そしてイスラエルの民も、さらに今の時代を生きる私たちも、神さまの無限の愛を知って、慰めと励ましをいただくことができました。また、世の終わりの大患難時代を生きることになるイスラエルの民にとっても、ホセアの預言は大きな慰め、励ましとなるでしょう。

苦しみを通しての証し

私たちクリスチャンは、順風満帆な成功体験を通してだけでなく、苦しみや悲しみを通しても、神さまの素晴らしさ、神さまの愛の深さを証しすることができます。苦しみや悲しみから解放された体験だけでなく、今まさに苦しんでいるその最中でも、その姿を通して周りの人たちを慰め、励ますことができます。

夏場に紹介するのはどうかと思いましたが、星野富弘さんの詩の中で、特に私が好きなものを紹介します。
「竹」

竹が割れた
こらえにこらえて倒れた
しかし竹よその時おまえが
共に苦しむ仲間達の背の雪を
払い落しながら倒れていったのを
私は見ていたよ

ほら倒れているおまえの上に
あんなに沢山の仲間が
起き上っている

星野富弘詩画集「鈴の鳴る道」(偕成社)より
知人のSさんは、お子さんが1歳半の時に自閉症だと分かりました。その時もショックでしたが、お子さんが成長するにつれ、ますます手がかかるようになり、大変な苦労をしてこられました。

しかし、礼拝をささげ、聖書を読み、祈るうち、自分の体験は不幸ではなく、自分が他人の痛みに共感できるようになり、他人に仕えることができるようになるための、神さまからの訓練なのだととらえるようになります。すると、現状は全く変わらなくとも、感じ方が全く変えられたと言います。

また、Sさんは、子育てに悩む他の親御さんたちの話を聴き、その痛みに寄り添うようになられました。そうして、たくさんの親御さんたちが慰められ、励まされ、イエス・キリストに導かれるようになったのです。

信じよう

ですから、訳の分からない苦しみに遭ったときには、自分には訳が分からなくても、神さまには神さまのご計画があって、それは必ず素晴らしいご計画だということを信じましょう。そして、神さまが苦しみの中にある自分を守り、そこから抜け出させてくださると共に、今この苦しみの中にあっても、他の人たちを慰め、励ます器にしてくださるよう祈りましょう。

まとめ

神さまは、あなたを通して、素晴らしいことをしようとしておられます。

あなた自身への適用のためのディスカッションガイド


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