私に対してあわれみ深い神

預言者シリーズ8

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ヨナ書4章1節〜11節

(2017.8.27)

参考資料

ヨナは、北王国をヤロブアム2世(在位:前793-753年)が治めていた時代の預言者です。第2列王記14:25には、北王国の領土が大きく拡大することを預言し、それが実現したと書かれています。北王国は経済的には繁栄しましたが、道徳的には非常に退廃していました。そのため、同時期に活動した預言者ホセアやアモスは、北王国を激しく非難しています。

アッシリヤ帝国は今のイラク北西部に興りました。ヨナが活動した前8世紀前半にアッシリヤを治めていた王は、アダド・ニラリ3世(在位:前810-783年)、シャルマネセル4世(783-773年)、アッシュール・ダン3世(772-755年)です。この頃は、軍人や宦官が実権を握ったり、皆既日食、飢饉、疫病などが重なったりして国内が不安定だったため、外国を侵略する余裕がありませんでした。北王国が領土を広げられたのはこのためです。

1節の「このこと」とは、ヨナがアッシリヤの主要都市(後に首都になります)ニネベに行って、「あと40日で神はニネベを滅ぼされる」と語ったところ、王や国民が悔い改めたため、神さまがさばきを思いとどめられたことを指しています。

2節のタルシシュは、スペイン南部にあった町。

6節の「とうごま」は、別名を蓖麻(ひま)といい、種からヒマシ油が取れます。暖かい地方では、すぐに木のように大きく生長します。

聖書からのメッセージ

イントロ

私たちは、神さまがなさること、あるいはなかなかしてくださらないことについて、不満や怒りを感じることがあります。ヨナもそうでした。今回はヨナの体験を通して、神さまに対する不満をどう取り扱うか教えていただきましょう。

1.ヨナの体験

ヨナの反抗

1章には、ヨナが神さまの命令に反抗したことが書かれています。神さまは、アッシリヤの主要都市であるニネベに行って、神さまの言葉を語れとヨナにおっしゃいました。3:4でヨナは「もう四十日すると、ニネベは滅ぼされる」とニネベの人々に向かって語っていますから、さばきの宣告をしろということです。

それに対して、ヨナは反抗します。ニネベはイスラエルの北東にありますが、彼はスペインの南の町タルシシュに船で向かいました。すなわち、西に4000キロ離れた町に逃れようとしたのです。
どうして逆らったのか
ヨナは、どうして神さまの命令に従わなかったのでしょうか。それは、さばきの宣告なんかして、万が一ニネベの人々が悔い改めたら、神さまはその罪を赦し、さばきを思いとどめられるに決まっているからです。「ああ、【主】よ。私がまだ国にいたときに、このことを申し上げたではありませんか。それで、私は初めタルシシュへのがれようとしたのです。私は、あなたが情け深くあわれみ深い神であり、怒るのにおそく、恵み豊かであり、わざわいを思い直されることを知っていたからです」(4:2)。

アッシリヤは、やがて前722年に北王国を滅ぼしてしまいます。ヨナの時代には、国内が不安定だったため外征が控えられていましたが、北王国にとって脅威であることは間違いありません。ですから、ニネベが滅ぼされて、たくさんのアッシリヤ人が死ぬなら、むしろ北王国にとって幸いではありませんか。だから、ヨナは逃げ出しました。

しかし、神さまから逃げられるはずがありません。船がとんでもない嵐に巻き込まれます。ヨナはこの嵐は自分のせいだから、自分を海に投げ込むよう勧めます。船員たちは、それでも最初はなんとか船を持ちこたえさせようと努力しましたが、どうしようもなくなり、ついにヨナを海に投げ込みました。

すると、嵐はピタッとやみ、ヨナは大きな魚に飲み込まれてしまいました。

ヨナの悔い改め

ヨナは魚の腹の中で3日間を過ごしました。消化されないで生き延びたのは奇跡です。彼は、神さまが反逆した自分を赦し、命を守ってくださったことを感謝して、祈りを捧げました(2章)。すると、神さまは、魚に命じて、ヨナを陸地に吐き出させました。これもまた奇跡です。

神さまは、ニネベで神さまの言葉を語るよう、再びヨナにお命じになりました。ヨナは、今度は忠実にニネベに向かいました。嵐と魚の奇跡を通して、神さまに逆らうことはできないということを悟り、悔い改めたからです。そして、ニネベの人々に対して、40日後にさばきが下り、ニネベが滅ぼされると語りました。

すると、ニネベの人々が、王も大臣も身分の低い人たちも、みんな悔い改めました。預言者たちのメッセージは、ほとんどイスラエルの人々に受け入れられず、迫害で命を落とす預言者も多いのに、ヨナのメッセージは多くの実を結んだのでした。なんと幸いなことでしょう。

ヨナの怒り

ところが、当のヨナはへそを曲げてしまいます。危惧していたとおり、神さまがニネベを滅ぼすのをやめてしまわれたからです。そして、「こうなることが分かっていたから、私は嫌だと言って逃げたんですよ!」と、ヨナは神さまに食ってかかりました。

そして、町の東に陣取って、これから何が起こるか見てやろうとしました(5節)。彼が期待していたのは、自分の怒りを神さまがくみ取って、再びみこころを変え、ニネベを滅ぼしてくださることです。そんなヨナに対して、神さまは「あなたは当然のことのように怒るのか」(4節)とおっしゃっていますが、その通り、彼はこの怒りは当然のことだと考え、神さまを責め、神さまに悔い改めを迫っているのです。
神の反応
こんな失礼なヨナに対して、神さまは「失礼な奴だ。お前は今回のことで、これからはわたしに忠実に従うと決心したんじゃなかったのか。どうして私のやることに文句をつけるのだ。もういい。お前のような不忠実な預言者はいらない。お前にこそさばきを下してやる!」……とはおっしゃいませんでした。

神さまは、ヨナの怒りを受け止め、何とか怒りを静めようとなさいます。そして、とうごまを生えさせて、直射日光がかからないようにしてくださいました。そこで、ヨナの機嫌はちょっと良くなります(4:6)。
ふてくされの魔術
ところが、そのとうごまが枯れてしまいました。再び直射日光に焼かれたヨナは、再び不機嫌になってしまいました。神さまも再び、「このとうごまのために、あなたは当然のことのように怒るのか」とおっしゃいましたが、今度もヨナは「私が死ぬほど怒るのは当然のことです」と返しています(9節)。またもやヨナは、神さまに悔い改めを迫っているわけです。

他人事ですから、私たちはヨナって面倒くさい性格だなあと思いますが、私たちだって、神さまや人や世界に対して、怒りを感じたり、イライラしたり、ふてくされたり、拗ねたような気持ちになったりすることがありませんか?

どうしてそういう気持ちを抱くのでしょうか。それは、そうすれば人や世界が変わるんじゃないかと、どこかで期待しているからです。いわば、ふてくされの魔術ですね。しかし、残念なことに、こういう方法では世界や人を変えることはできません。

ふてくされの魔術を使おうとしているヨナに向かって、神さまはおっしゃいました。「あなたは、自分で骨折らず、育てもせず、一夜で生え、一夜で滅びたこのとうごまを惜しんでいる。まして、わたしは、この大きな町ニネベを惜しまないでいられようか。そこには、右も左もわきまえない十二万以上の人間と、数多くの家畜とがいるではないか」(4:10-11)。
ヨナの反応
これに対するヨナの反応は書かれていません。しかし、ヨナ書が現代まで残されているということは、ヨナが再び悔い改めて、神さまのおっしゃることを受け止め、ニネベの人々が救われたことに納得したということを表しています。

ヨナは知りました。このような惜しむ愛を持っておられる神さまだからこそ、命令に反抗して逃げ出したり、神さまになさることに文句をつけたりしても、直ちに滅ぼすことなく、ていねいにていねいに関わり続けてくださるのだということを。

彼はまた、祖国イスラエルのことも考えたことでしょう。ニネベは大変大きな町で、繁栄していましたが、当時の北イスラエルも経済的には繁栄していました。しかし、その霊的な状態は惨めなものです。王も民衆も偶像を礼拝し、物質主義に陥り、モーセの律法をまるっきり無視し、道徳的に退廃した生活を送っていました。預言者仲間のホセアやアモスが度々警告をしましたが、北王国の人々は悔い改めようとしません。

もし、もし神さまがニネベを惜しまず滅ぼすような厳しいだけの方だったとしたら、ヨナの時代の北王国も早々に滅ぼされても文句が言えません。それどころか、建国早々に滅ぼされていたことでしょう(初代のヤロブアム1世は、金の子牛を2体作り、北王国の人々に偶像礼拝を行なわせました)。

ヨナは、神さまのあわれみ深さを、自分のこととして味わい、感謝したのです。

2.私たちへの教訓

疑問は神にぶつけよう

ヨナの体験が私たちに教えていることは、神さまには神さまの考え、ご計画があるけれど、それは私たちの常識や感情や計画に反するときがあるということです。

それに対して、ヨナは本心を隠そうとしませんでした。船に乗って逃れる前も、ニネベでメッセージを語った後も、自分の疑問や不愉快な気持ちを神さまにぶつけました。

これは、世界の支配者である神さまに対しては、大変失礼な行為であり、同時にとても危険なことです。北○鮮の国民が金○恩氏に同じことをしたら、一体どんな未来が待っていることでしょうか。しかし、神さまは、ヨナに教育的指導(嵐と魚)はなさいましたが、完全に見捨てて滅ぼすことはなさいませんでした。

神さまがなさっていること、あるいはしてくださらないことに関して、疑問や怒りなどを感じているのであれば、それを神さまに申し上げましょう。隠していてもお見通しですから、正直に出した方がいいのです。密かに不満を抱えたまま、聖書を読まなくなったり、祈らなくなったり、礼拝に来なくなったりするよりは、ずっとずっと前向きです。

神さまは、ヨナの疑問に答えてくださったように、あなたに対しても答えをくださいます。

神は人より優れていることを知ろう

先ほど、「ふてくされの魔術」の話をしました。ヨナは、神さまの考え、神さまの計画を変えさせようとしてふてくされました。それはすなわち、「神さま、あなたは間違っているから、悔い改めなさい」と迫っているようなものです。ヨナは、自分の考え、自分の感覚の方が、神さまの考えや計画よりも正しいと思っていたのです。

要するに、ヨナが期待していた神さまは、異教徒に対して厳しいさばきを下す神でした。ですから、悔い改めた者を簡単に赦してしまう慈愛に満ちた神を、彼は受け入れることができなかったのです。

ところが、ヨナは気づかされました。ニネベの人々は預言者のメッセージを素直に受け止めて悔い改めたのに、祖国イスラエルの人々は預言者の話を聞かず、悔い改めようとしません。そして、ヨナも、神さまよりも自分の方が賢いと思い上がり、神さまに悔い改めを迫るような傲慢なことをしています。もしも、神さまが罪に対して厳しいだけの方であれば、自分は今頃魚の栄養分になっているし、祖国イスラエルだって無事ではないでしょう。

ニネベに対して惜しむ愛を示された神さまは、自分やイスラエルに対しても、惜しむ愛を注いでくださっているのだということを、ヨナは教えられたのでした。

神さまに対して、どうして祈りを聞いてくださらないのか、どうして助けてくださらないのか、どうしてこんなことが起こるのかと、怒りを感じることがありますか? それは、私たちが神さまの素晴らしさを改めて知り、感動するチャンスです。

先ほど申し上げたように、自分の気持ちや疑問を正直に祈った後、まだ感情が伴わなくても、「あなたのなさることに間違いはなく、あなたのご計画の方が私の考えよりもはるかに素晴らしいと信じます」と告白しましょう。

聖書を自分へのメッセージとして読もう

ヨナは、神さまがあわれみに満ちた赦しの神だということは、以前から知っていました。しかし、今回の出来事を通して、そのあわれみが、他でもないこの自分に注がれているのだということを知りました。それによって、疑問や不満から解放されました。

聖書は、昔物語として読んでも面白い本です。しかし、そこに登場する人たちは、肯定的な描かれ方をしている人物であれ、否定的な描かれ方をしている人物であれ、私たちの姿を反映しています。
  • 神さまの命令に不満を感じ、逃げ出したヨナは私です。
  • 約束実現を25年も待たされて、途中で自分のやり方で実現しようとしたアブラハムは私です。
  • とんでもない使命にびびって、断わろうとしたモーセは私です。
  • 自分の罪を隠すために罪を重ねたダビデは私です。
  • 自分を守るために嘘をついたペテロは私です。
  • 信じない人に怒りを覚えて、天から火を下そうと言ったヨハネは私です。
そして、そんなことをしでかしたのに赦され、再び尊い働きに召し出された彼らは、私です。そして、あなたです。そう受け取ったとき、聖書のメッセージが、私たちの心にズドンと響いてきます。聖書の言葉そのものが、私たちの内側を造り変え始めます。

イエスさまは、全人類の救いのために十字架にかかり、死なれました。しかし、それがこの自分のためだったと受け取った人だけが、実際に赦しを体験し、新しい命の力を体験し、人生を造り変えられます。

聖書を、他の人のためのメッセージではなく、自分について書かれたメッセージだと考えながら読みましょう。聖霊さまが、聖書を通して、あなたに対して個人的に語りかけてくださいますように。

まとめ

ヨナの経験を、自分の経験に当てはめてみましょう。

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